【俺は(○○として)女神さまを望む】
「……泣かないで」
依然泣き止む気配のないユリアさんに、罪悪感に押し潰されそうになりながら慰めの声を掛ける。
――もっとも、気の利かないその言葉を「慰め」と呼ばればの話だが。
「お姉さん方? には俺が事情を説明するから……」
「…………」
「ユリアさんは何も悪くないんだってちゃんと言うよ。そうしたらユリアさんが叱られることはないと思うし、ユリアさんだって時間を無駄にしないで女神降臨の仕事ができるよね?」
「…………」
「だから……」
誰かを慰めることに一切慣れていない俺が出来の悪い頭をフル回転させながらやんわり断ると、ユリアさんが顔を上げた。琥珀色の瞳は依然涙に濡れていたけれど、多分、納得してくれたのだろう。
だが、ユリアさんの柔らかい唇から放たれた言葉は、俺が想像していたものとはまったく違っていた。
「……わたくしは、アリサトさまにとって邪魔な存在なのですね……」
ならば、わたくしは帰らなくてはなりません。
消え入りそうな声で言葉を続けたユリアさんが、涙で煌めく瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼす。
「どうしても返されたくありません」と言われるのだと思っていた。
「お邪魔にならないようにしますから」と、ここにいることを請われるのだと思っていた。
けれど、実際は違った。
お姉さん方の手前、絶対に返されるわけにはいかないのに、自ら、天界かどこかに帰るというのだ。自分の存在が、仮初めの主である俺の――有里樹生(ありさといつき)の邪魔であるのなら、と。
(……そんなの狡いだろ)
ぐ、と奥歯を噛みしめた俺は、啜り泣くユリアさんから目を逸らした。
ユリアさんの言葉が――こぼれ落ちる涙が駆け引きの材料なんかじゃないことは、俺が一番よく分かっている。女性から泣き落としを食らったことなんて一度もないから実際には分からないけれど、それでも分かる。
でも、だからこそ。
だからこそ、狡いと思うのだ。
――そんなことを言われたら、彼女を返せなくなる。
女性に耐性がないからではなく、憐みの念からでもなく――半年前まで会社勤めをしていた"あの頃の自分"の姿を、一人で抱え込もうとする彼女に重ねてしまうから。
「――……」
「アリサト、さま……?」
「……どうしても」
――どうしても、俺のところで女神降臨の仕事をしなきゃいけない?
(ああ、もう!)
こんなのは誰の為にもならないと分かっているのに、もしかしたら単純な憐みより性質が悪いかもしれないのに、唇が勝手に動いた。
女神降臨の仕事をするのは購入主たる有里樹生のところじゃなければいけないのか、と。
「は、い……でも……」
「……もし、もしも迷惑じゃないって言ったら、俺のところで仕事がしたい?」
「っ、は、い! アリサトさまの、お役に立ちたいのです!」
「…………。分かった」
涙に声を震わせながら、けれどはっきりと答えたユリアさんに、相槌を打つ。
「だったら……ユリアさんにお願いするよ、女神降臨サービス」
「あ……ありがとうございます!」
ぼそぼそと喋った俺が本契約を申し出ると、ユリアさんは深々と頭を下げた。その拍子に緩いウェーブが掛かった桜色の髪がふわりと揺れ、未だ涙をこぼすユリアさんに合わせて微かな動きを見せる。
「……顔を上げて」
頭を下げたままのユリアさんに、俺は声を掛けた。
「お礼なんかいいよ。……お礼を言われるようなことじゃないから」
そう、これはお礼を言われるようなことじゃない。
決して感謝してもらうようなことではない。
有体に言えば、これは善行などではないのだから。
(だけど……)
善行などではないけれど、いや、善行などではないからこそ、決めたことがある。
それは――明日からの三十一日間、有里樹生がユリアフィールド・エレクシスとどのように向き合うか、だ。
「……一つだけ、ユリアさんにお願いしたいことがあるんだ」
「勿論です! このユリアフィールド・エレクシスにお命じくださいませ!」
「ありがとう。じゃあ、お願い。――三十一日間だけ、俺の友達になってくれないかな」
涙を拭うユリアさんの、本物よりも透き通る琥珀色の瞳を見つめ、願い出る。
目の前にいるユリアさんはミュシャが描いた女性たちのようで本当に美しいし、綺麗だし、可愛いし、儚げで幻想的だし、何だかいい匂いがするし、柔らかそうだし……。女性に耐性のない俺にとってはあまりにも魅力的な人だ。こんな人と付き合えたら――実際に付き合えるかどうかは別として、それこそ天にも昇る心地だと思う。
でも、だからこそ、思うのだ。
魅力的な彼女の友達になってみたいと。
パーフェクトな外見だけでなく、ユリアフィールド・エレクシスの人となりを知ってみたい、と。
「女神降臨サービスは購入者と交流することが目的なんだよね? だったら……主っていう形とはちょっと違うかもしれないけど、友達になってくれないかな。名前の呼び方とか敬語とか、ユリアさん的に変えたくないところは別に変えなくていいから」
「で、ですが! そのような……そんな前例は……」
「――ユリアさんは俺と友達になるの、嫌?」
「違います!」
やや卑怯な手段だと知りながら問うと、強い否定が即座に返ってきた。じっと見つめる瞳には、目に見えて分かるほどの熱が籠っている。
「…………。わたくし、今回が初めての女神降臨なのです」
何か言いたげに口を開いたユリアさんは、けれど、柔らかそうな唇を一旦閉じてから、再び開いた。
「送り出してくださったお姉さま方にも『しっかり頑張ってくるのよ』と言われて、それで……わたくしを選んでくださった方の為にもしっかりしなくてはと、待っている間、ずっと思っていて……」
――なるほど、そういう経緯だったのか。
ユリアさんが置かれていた立場を理解した俺は無言で頷いた。――知らなかったこととはいえ、俺はユリアさんに酷い仕打ちをしてしまったらしい。
(そりゃ手ぶらじゃ帰れないよな……)
何かしらの手違いが原因とはいえ、しっかり働くようお姉さん方に言われたにも関わらず何もせずに返されるなど絶対にあってはならないことだ。クーリングオフしたいと申し出た時の動揺ぶりも、経緯が分かれば充分に理解できる。
「……わたくし、アリサトさまのような方のところに降臨できたこと、本当に嬉しいのです。ですが……だからこそ、悩んでいるのです。主として接するべきアリサトさまのご友人になるなど……」
「事情は分かったよ。……でも、ユリアさんの話を聞いて、もっと『友達になってほしい』って思ったことも分かってほしい。……ユリアさんのこと、もっと知りたいんだ」
1500円の女神さまとしてじゃなく、ユリアさん個人として。
「――……」
「ユリアさん? ……えっ!?」
そう言葉を続けると、ユリアさんのぱっちりとした目に涙が滲んで……。瞠若した俺が声を上げる頃には、珠のような涙がこぼれ落ちていた。胸元を覆う薄いレースは濡れて色が変わっている。
「ご、ごめん! 泣かせるつもりじゃ……」
「違うのです……わたくし、わたくしは……アリサトさまの、ご友人に……お友達に、なりたくて……だから……っ」
僅かにかぶりを振りながら、小さな手で涙を拭うユリアさんが一生懸命言葉を紡ぐ。
それでも涙は延々こぼれ落ちていて、だから俺は、洗面所へと走った。
デキる男なら、ここでスッとハンカチを出せるのだろう。だけど俺の手元にハンカチなどなくて、だから、及第点ギリギリのハンドタオルを渡す為に走ったのだ。
――はるばる降臨した女神さまを慰める為ではなく、友達のユリアさんに感謝を伝える為に。




