3話「実は・・・」
ネアラに連れてこられたのはカウンターの奥にある部屋だった。ここは表とは違い生活感を感じられる。
床には畳が敷かれている。周りを見てみると布団やキッチンがあるのがわかる。ネアラはここに住んでいるのだろうか。
きょろきょろ、と周りを見回していると部屋の隅で眠っている黒猫を見つけた。少し気になったけど、今はネアラの話を聞くのが先だ。
「それで、あたしに話ってなに?」
「さっき、私が若藻の妖力は少し暴走していた、って言ったのは聞いてた?」
そういえば、そんなこと、言っていたような気がする。長い間、力を使わなかった結果、力が暴走してしまったのだと。
そこまで思い出してから、あたしは「うん」、と言って頷く。
「あれ、ホントは少し、なんてものじゃなかった。普通の人なら九尾の妖力に魅了されて完全に抜け出せなくなってた」
「それって、どういうこと?」
じつはかなり大変な状態だったというのはネアラの言葉からわかるけど、それが具体的にどれくらい大変だったのか、ということがわからない。
「下手をしたら、若藻から逃げられなくなっていたってこと。それに、若藻自身も自分の力に飲まれてたからキス以上にいってたかも」
「……」
それって、あれだよね。あたし、すっごく危ない状態だったってわけだよね。痛いとかそういう類じゃないけど。
「……?あれ、でもあたし最初は動けなかったけど、結局自分で逃げれたよ」
あのときあたしは若藻に抵抗してどうにかその場の危機を脱することができた。
「そう、それ。私が聞きたいのはそれについて。あれくらい強力な妖力から逃げるにはそれと同等かそれ以上の魔力を持っていないといけない」
「?妖力と魔力とって何が違うの?」
とりあえず、現実にあると信じる以前の知識として妖力も魔力も不思議な現象を起こすための力、みたいなもの、だと思っている。
「昔、私を育ててくれた人たちがそう呼んでただけで基本的にはどっちも同じ。美穂が好きなように呼んでくれて構わない。とりあえず、私は人間が使えば魔力でそれ以外が使えば妖力と呼んでる。一応、言っておくけど魔力や妖力っていうのは科学とは違う超常現象を起こすための力のこと」
あたしの魔力や妖力に関する認識は間違っていなかったようだ。別に嬉しくはないけど。
「それで、ネアラはなにを言いたいの?」
「美穂には高度な魔力があるんじゃないかって私は思ってる」
ネアラに言われたことが理解できなかった。ここで、ネアラ自身に魔力がある、って言ってたら驚いてなかっただろうな、と変な方向で冷静なあたしが考える。
「さっきの若藻の魅了は並大抵の魔力で抵抗できるようなものじゃなかった」
「だから、それに抵抗できたあたしはすごい魔力を持ってるってこと?」
あたしが続けた言葉にネアラはこくり、と頷く。
「それと、若藻を一人にして二人っきりになった関係は?」
「九尾みたいな人の姿に化ける妖怪を倒すのを専門にしている一族がいる。もし、美穂がそういう一族の血族だったりしたら若藻にいい思いをさせないと思った」
「ネアラって思いやりがあるんだ」
「……別にそんなことない」
褒められるのが恥ずかしいのかあたしから顔をそらせる。結構、可愛い所があるみたいだ。
「それに、それだけ、というわけでもない」
ネアラはあたしに顔を向け直す。あたしは黙ってネアラの言葉の続きを待つ。
「実は美穂にやってほしいことがある」
「え?やってほしいことって、なに?」
「美穂がどれだけの魔力を持ってるのか測らせてほしい。具体的にはあの部屋の隅にいる黒ネコにあなたの魔力の一部をぶつけてほしい」
ネアラの指差した先には部屋の隅で眠っている一匹の黒猫。
「そんなことして大丈夫なの?」
どうやって魔力をぶつけるのか、とかそういう疑問が思い浮かんだけれどまずはそっちの方が気になった。
「大丈夫、フェンは普通のネコじゃない。私ほどではないけれど高い妖力を持っている」
ネアラほどではない、って言われてもネアラ自体がどれくらいの魔力を持ってるのかわかんないんだけど。
そういった思いが顔に出ていたのかネアラが律儀に教えてくれた。
「私は美穂みたいに九尾の妖力に少しも飲み込まれたりはしない。私なら完全に防ぐことができる。それくらいの魔力を私は持っている」
「そう言われてもよくわかんないんだけど」
わざわざ説明してくれたネアラには悪いけど今日、魔力とか妖力とかの存在を知ったあたしには九尾の妖力を完全に防げるほどの魔力、といわれても理解することができない。
「とりあえず、大丈夫。美穂の魔力ではフェンを傷つけることはできないはずだから」
うーん、あたしの魔力だとあの隅にいる黒猫、フェンを傷つけたりしないってことはわかった。けど、ほんとうに大丈夫なのかな?でも、ネアラが大丈夫だって言うんなら大丈夫なような気もするし……。
「……わかった。ネアラの言葉を信じてみるよ。それで、魔力をぶつけるってどうやればいいの?」
「魔力、っていうのはイメージの力だから人によって使い方が違う。とりあえず魔力を玉のようにイメージしてウェンにめがけて投げるようにしてみればいいと思う。それが駄目なら別のイメージでやればいい」
そう言われてあたしはあたしの目の前に一つの大きな玉が浮かんでいるような様子を想像する。そうすると、おぼろげながらも青白くほのかに光る玉が浮かんできた。そして、あたしはそれに飛んで行け、と念じた。
そうしたら、その光の玉はその場で破裂して辺りに飛び散った。
「美穂のイメージには合ってなかったみたい。……とりあえず、いろいろなイメージを試してみるのが一番」
どうしようか、と悩むまでもなく次に思い浮かんだのは弓矢、だった。これでも、あたしは弓道部に入っている。子どもの頃にお母さんが弓を射るのを見てずっと憧れていたのだ。
だけど、実際にやってみると思い通りにいかなくて最近は少し弓を持つのに嫌気がさし始めていた。
だけど、こうして魔力でイメージしたものならば思い通りにできるような気がする。
そう思って、あたしはゆっくりと息を吸って片腕を後ろにひき弓の本体を左手で持っていることを、弦と矢を右手で持っていることをイメージ―――いや、感じる。
そして、あたしは右の手で実体を伴った弦と矢から指を離す。ひゅん、という風切り音がして矢が真っすぐに飛んでいく。あたしの左手にはまだ弓に触れている、という感触が残っている。だけど、あたしが腕を降ろすとそれは消えた。
それでも、宙を真っすぐと進んでいる矢は未だに残っている。その矢は黒猫に当たりそうになり―――
その瞬間にさっきまで眠っていたはずの黒猫は目に追えないような速度で横に飛んだ。あたしの魔力で作り出された矢は黒猫に命中することはなく壁をすり抜けてどこかへ飛んで行ってしまった。
「フェン、どうして避けたの?」
静かにネアラが言うと、フェンの体は光となって人間の姿に変わった。
「今のが避けずに無事なものに見えたかっ?」
人間になったフェンの姿は青年のものだった。不良、っていう呼び方が似あうような姿をしている。
派手なTシャツにこれまた派手なジーパン。だけど、髪の色は派手ではなく黒色だった。それなのに、あたしはその髪の色に納得していた。その髪の色はフェンが猫であったときと全く同じ色だったから。
彼の金色の瞳が怒りに燃えているのが見えた。
「大丈夫だと思ってた。フェンは私の攻撃を受けても吹き飛ぶだけだった」
「あれは、攻撃の当たる面積が広い球形の攻撃だったからだろっ!さっきみたいな鋭い攻撃だと吹き飛ばずに突き刺さるんだよっ!」
フェンは怒っていた。そんな彼の姿を見たあたしは、
「あの、ご、ごめんなさい」
と、反射的に謝ってしまっていた。
「あ?いや、えと、美穂、だっけ?お前は悪くねえよ。今日、魔力を知ったばっかりでどうなるか、なんてわかってなかったんだからよ」
怖い性格なのかと思っていたけれど意外と優しい性格だった。そういえば、フェンも若藻みたいに姿を自由に変えれるのかな?
そう思ったけど、聞けるような様子ではなかった。
「私も先端が鋭い魔力が突き刺さるなんてこと、知らなかった」
「そりゃあ、そうだろうよ。ネアラは攻撃する時はいつでも力任せに魔力をぶつけるだけだからな、そりゃあ知らなくて当たり前だろうな」
「そんなことはない。魔力で剣をかたどってそれで私に襲いかかってきた魔物を切ったこともある」
「だったら、先端が尖ってる魔力が突き刺さることぐらい容易に想像できただろ!」
「私はどんなことがあってもフェンは傷つかないって信じてた」
「んなわけあるかっ!」
怒ったようにフェンは怒鳴った。彼の不良っぽい姿がどなっているのを見ると怖い印象を受けるけど、あたしはそれがおもしろかった。
だって、ネアラとフェンは仲がいいってことがよく伝わってくるようだったから。
「美穂は何を笑ってんだよ」
先ほどネアラに向かって怒鳴っていたフェンはあたしが笑っているってことに気がつくとすぐさま、あたしの方を向いた。
「フェンの叫んだ姿がおもしろかったんだと思う」
ネアラがフェンのことをからかうように言った。フェンはそれに対して何かを言い返そうとしていたけどそれよりも早くあたしが口を開いていた。
「違うよ。二人とも仲がいいんだな、って思ってね」
「まあ、こんなやつでも結構、長い間一緒にいるからな」
フェンはそう言ってネアラに目配せをする。ネアラはこく、と無言で一度だけ頷いた。
「そうなんだ。どれくらい前から一緒にいるの?」
「それは秘密」
「え?なんで?別にそれくらい話しても問題ないんじゃない?」
「魔法の動物屋の店主にはひとつやふたつくらい秘密があるもの。だから、話さない」
ネアラはそう言うけど、なんとなく違う理由があるような気がした。
だけど、今日出会ったばかりのあたしは聞くべきではないのだろう。だから、
「そうだよね。こんな不思議なお店の店主なら秘密なんかいくらでもあるよね」
と、ネアラの言った言葉に乗る。
「ああ、そうだ。俺たちはいろんな不思議を抱えて生きてんだよ」
「そういうわけだから、あんまり私たちのことは気にしないで。それよりも、美穂の魔力はどうだった?」
ネアラがそう言ったことであたしは話が脱線していたことに気がついた。
「ん?ああ、美穂の魔力、だな。ネアラや俺ほどってわけじゃないが良質な魔力を持ってるな」
どんなことを言われるんだろう、と思ったんだけどネアラが言ったことと大して変わりがなかったので拍子抜けしてしまった。
「それくらいは私でもわかる。もっと、詳しく教えてほしい」
「もうちょっと詳しくか?そうだな……。魔力と妖力に対する抵抗力に関して潜在的に大きな能力を感じるな。この潜在能力が目覚めたら魔力と妖力に対する抵抗力だけは俺たちよりも高くなりそうだな」
あたしに隠れた能力があるって言ってるのは理解できるんだけど、すごさがよくわからない。
フェンは結構冷静な口調で言ってるし、ネアラも驚いていないようだから実は案外すごいことじゃないのかも、と思ったら、
「フェンの言ってることはすごいこと。だから、美穂は驚いてもいいし喜んでもいい」
と、あたしの心を読んだかのように言った。だけど、そんなことを言われても二人ともすごく冷静だから本当にすごいことなのかどうか実感がわかない。
「まあ、いきなり言われてもわかんねえだろうな。しかも、抵抗力、なんてのは目に見えてわかるもんじゃねえから尚更に」
「わざわざ実感するようなものでもないからそれでいいのかも」
ネアラはあたしに驚いたりしてほしいんだろうか、それとも冷静でいてほしいんだろうか。なんとなくだけど、ネアラはどっちでもいいって思ってると思う。本当になんとなくだけど。
「とりあえず、やりたいことは終わったからお店のほうに戻ろう。若藻が退屈してると思う」
「うん、そうだね」
あたしが頷くとネアラはお店の方へと向かっていく。あたしはそれについていこうとしてあることに気がついて立ち止まり後ろを振り返った。
「フェンはついてこないの?」
フェンはその場から動こうとしていなかった。
「別に、俺がついて行っても意味ないだろ?」
「そっか。わかった。それじゃあね、フェン」
フェンに向かって手を振るとあたしは今度こそお店の方に向かっていった。