1話「幻想動物屋」
カランカラン、と扉に付けられていたベルが鳴る。こういうのは喫茶店くらいにしかついていないイメージがあったけど、こういう場所でもついてるんだ。
そんな些細なことに驚きながらあたしはゆっくりとお店の中に入っていく。
ここは、朝見つけた建物の中だ。部活があったんだけどそれをほっぽりだして学校が終わってからすぐにここを目指して歩いて来た。
なぜだかわからないけど、ここには何かがあるような気がする。言葉には言い表せない、そういうものが。
お店の中に入ったことによってその何かの存在感を更に感じることになる。
中はとても静かだ。これだけ動物がいれば鳴き声などが聞こえてくるだろうと思うのにそう言ったものが全く聞こえてこない。聞こえるのは外の雑音だけだ。肌でこの場所が特別なのだと感じる。
不意に、がさ、と小さな音がした。なんだろう、動物でも逃げ出したんだろうか。あたしは音の正体が気になって奥のほうに進んでみる。その間、ショーケースに入れられた動物たちがあたしの姿をじっと見ていた。なんだか薄気味が悪い。
少し歩くと、レジが置かれたカウンターが見えてきた。レジの前には一人の女の子が立っているのが見えた。
あたしはそれを不思議に思った。なんで女の子があんな所にいるんだろう、と。
その女の子はあたしよりもずっと若い。まだまだ成長続けているはずの時期だろう。たぶん、年齢は十歳くらいだと思う。
そして、その子の姿は日本人にはなじみのない姿だった。銀色の髪に、青色の瞳、人形のように整った顔。それらはその子が日本人でないということを主張していた。
そして、その女の子が身に纏う特徴的な服。一言で言い表すなら黒、だ。所々にフリルのあしらわれた黒色のドレス。それがその子の銀色の髪とのコントラストを作り出し更に周囲から目を引くようなものとなっている。
「あ、いらっしゃい」
女の子はあたしの姿に気がつくと無表情なままそう言った。意外にも流暢な日本語だったことに驚いてしまう。
「こ、こんにちは」
あたしは驚きながらも挨拶を返す。あんまり動揺しすぎても失礼だろう。
「あなたはペットを買いにここに来たの?」
そう聞くのが当たり前であるかのように女の子がそう聞いてくる。そして、あたしはその当たり前のような態度に対して、
「違うよ。ちょっと覗きに来ただけだよ」
と、普通に答えてしまっていた。
「って、そうじゃなくて、あなたは店員さんじゃないでしょ?」
レジの前にいる女の子に対してあたしはそう言う。たぶん、この子はこのお店の子どもで遊ぶような感覚でここにいるんだと思う。
「そう、私は店員じゃない」
女の子のぶつ切れな物言いに対して、それじゃあ、店員さんは?、とその女の子に聞こうと思った。だけど、その女の子はあたしが口を開くよりも早く、あたしが驚くようなことを言った。
「私、ここの店長。ここを仕切ってる」
え?、とあたしは固まってしまう。こんな小さな子が?何かの冗談だよね?
自分自身にそう聞いても答えが返ってくるなんてことはなく、沈黙とともにゆっくりと時間が流れる。
「どうしたの?固まったりして」
不思議そうに女の子が問いかけてくる。小さく首を傾げているところが可愛らしい。
って、そうじゃない!あたしは我に返り、そして、
「あなたが店長って冗談だよねっ!」
気がつけばあたしはそう半ば叫ぶようにして言っていた。
「叫んだらダメ。動物が驚く。それに、私が言ったことは冗談じゃない」
女の子はとても冷静そうな口調で言い返してきた。あたしはそんな女の子の対応を見ていてますます混乱してしまう。
「な、何言ってるの?そんなに小さいのに店長なんてありえないよ」
「む。確かに私は小さいけど、それでありえないって思うのは偏見だと思う」
女の子はあたしの言ったことに対して少し不機嫌そうに返してきた。
「ご、ごめん」
反射的に謝ってしまうあたし。
「じゃあ、本当にあなたがここの店長なの?」
「そう、私がまぎれもないここの店長。店員は私以外には一人もいない。今ここにいるのは私と動物たちとあなただけ」
なんのよどみもなく女の子はそう告げる。そういう風に言われると嘘をついているようには聞こえない。信じてもいいような気がしてくる。
「うー、それじゃあ、一応、あなたがここの店長だって認めてあげるよ」
悩んだあげくあたしはそう言った。
「一応?私は誰がなんと言おうとここの店長。それにあなたに認めてもらうものでもない」
またしても女の子は不機嫌そうに言う。しかも今回はこっちのことを睨んでるような感じだ。
あたしを睨んでる女の子の瞳には子どもらしからぬ光があった。それに気がついた瞬間にこの子はここの店長なんだな、と理由も根拠もなく心の底から確信した。
「……」
なぜだか、何も考えられなくなる。
「なにぼーっとしてるの?」
いつの間にか意識が遠のき始めてしまっていた。あのままこの子が話しかけてこなかったらあたしはどうなっていたんだろうか。
そう思った途端にあたしは言葉には言い表せないような寒気を感じた。なんだかここにいてはいけないような危機感を感じる。
「大丈夫。ここにいても危ないことは何もないから」
あたしの心を読んだかのような言葉にあたしは女の子の顔を凝視してしまう。
「あなた、なんでわかるのか、って顔してる」
女の子は可笑しそうに笑った。子どもっぽい笑い方ではなかったけど、それを見ていると危機感が薄れてきた。安心できる笑い、とでも言えばいいんだろうか。
「顔に全部出てる。たぶん、あなたはとても素直なんだと思う」
笑うのをやめた女の子はあたしの顔をじっと見ながらそう言った。
出会ったばかりだというのにあたしについていろいろ知られてしまっている。この子は洞察力とか観察力とかそういうのが高いんだと思う。
「ねえ、あなたは何者、なの?」
あたしは女の子から普通の人からは感じられない何かを感じたからそう聞いていた。目の前にいる一人の女の子が十歳には見えない。そして、本当は人間ではないんじゃないだろうか、とさえも思ってしまう。
それは、相手を悪い気分にさせるような思いではなく、あたしとは次元の違う場所にいる。あたしのようなちっぽけな存在が触れてはいけないような――――
「さっきも言ったとおり私はここの店主。それと、名前はネアラ、っていう」
あたしの言葉をごまかすためではなくそれが自分の本当の姿だと断言するように言う。さっきまであたしが感じてた気持ちがしぼんでいく。そして、人間ではないんじゃないだろうかという気持ちが薄れていく。それでも、やっぱりこの女の子はとても十歳には見えない。
「あたしの名前は美穂、っていうんだ」
ネアラだけに名前を言わせるのは悪いと思ってあたしも名乗っておく。
「別に私は自己紹介をしたわけじゃない。……でも、よろしく、美穂」
いきなりあたしのことを呼び捨てで呼ぶとネアラは手を差し出してきた。そういうのは嫌いじゃない。気楽に名前を呼んでくれた方があたしは嬉しい。
「うん、よろしくね。ネアラ」
だから、あたしもネアラを呼び捨てにして差し出してきた手を握った。今さらだけどネアラの名前が明らかに日本名じゃないってことに気がついた。やっぱり外国の人なんだ。
でも、日本語は上手だから生まれたときから日本にいるのかもしれない。まあ、なんでもいっか。こうやってちゃんとコミュニケーションがとれるんだから。
「そうだ、美穂はここに私がここに来て初めてのお客さんだからタダで一匹だけ動物を譲ってあげる」
お互いの手を放した途端にネアラはそう言った。
「え、そ、そんなの悪いよ」
あたしはすでにもうネアラがこのお店の店主だということに対して疑問を抱かなくなっている。だから、さっきのようなセリフを自然に言うことができた。
「気にしなくてもいい。どうせ、拾いものだから」
今、さらりと聞き捨てならないことを言ったような気がする。
「拾いものって、自然の動物って捕まえちゃいけないんじゃないの?」
「それは、心配ない。捕まえても問題のないものだけを捕まえてるから」
「?」
同じ動物でも捕まえていいのと捕まえてはいけないのがいるのだろうか。ネアラの言いたいことがよくわからない。
あたしの顔を見たネアラは微かに笑っているだけだった。たぶん、あたしが疑問を持ってるってことには気が付いていると思う。それなのに何も言わないってことは言いたくないことなんだろうか。
あ、そういえば、もうひとつ問題があった。
「あたしの親が飼ってもいいって言うかどうかわかんないよ」
「それについても大丈夫。ここにいるみんなは飼い主がいればちゃんと飼い主のところに戻ってくるから放し飼いをしてもいい」
「ここにいる動物は全部ネアラがしつけてあるの?」
「違う。それだけ賢いってこと。でも、エサをあげなかったら帰ってこなくなるかも」
それは当り前だろう、と思う。いや、むしろ賢いからこそエサを与えられなかったら逃げてしまうのかもしれない。
とりあえず、放し飼いでも大丈夫だっていうなら親に飼うことを反対されたりはしないかな?まあ、それ以前にあたしの親が飼うのを反対することもあまり考えられない。ネアラに飼えなかったらどうするのか、と聞いたのは念のためだ。
「そうなんだ。……それじゃあ、ちょっとお店の中を見てみるよ」
「私も一緒に見てあげる」
「え?カウンターにいなくていいの?」
レジの前から立ち上がったネアラにあたしは聞いた。
「いい。どうせお客さんは美穂しかいない」
「そっか。じゃあ、お願い」
「うん、まかせて」
ネアラはこくり、と頷くとあたしの隣に並んだ。
並んでみるとわかるんだけど、ネアラの身長は結構低い。あたしもそんなに背の高い方じゃないんだけどそれでもネアラの身長はあたしの胸ぐらいまでの高さしかない。
「今、美穂は私の身長のことを考えてる」
前を向いたままネアラがそんなことを言う。微かに怒っているような気配がする。
「え、う、ううん。そ、そんなことないよ」
「私にウソは通じない。すごく素直な美穂だとなおさらに」
的確にそんなことを言ってくる。そんなふうに言われるとあたしは嘘を続けることができなくなる。
「あー、こ、これから育つはずだよ。うん」
ごまかすようにあたしは言う。
「……身長のことはどうでもいい。美穂は早く気に入る動物を探せばいい」
不自然な間を開けた後にネアラはそう言った。なんの間だったんだろうか。
気にはなるけど少し聞きづらい。なので、聞かないことにした。もしかしたら、話をそらすための間だったのかもしれない。そんなに、身長の話をされるのが嫌だったんだろうか。
でも、確かに、人からされたくない話の一つや二つはあるに決まってるよね。だから、これ以上、ネアラの身長のことは考えないようにしよう。
そのかわりに動物を見ることに専念する。
犬に猫、ハムスターに蛇に鴉までいる。本当にいろいろな種類の動物がいる。普通のペットショップにいるものからいないものまで。
と、ふと、ひとつのショーケースに目が行った。そこにいるのは一匹の狐だ。今はお昼寝の時間なのかケースの端っこの方で眠っていた。
その姿がとっても可愛かった。そして、その狐にはあたしをひきつけるような何かがあった。
「美穂はその子が気になるの?」
「え?……うん、なんだかよくわからないけどあの狐にあたしをひきつける何かがあるような気がするんだ」
あたしはネアラのほうに向き先ほど感じたことをそのままに伝えてみた。そうしたら、ネアラは微笑みを浮かべて、
「それは、美穂とその子の運命が繋がっているってこと。お互いに糸を引きあうように」
そんな意味深なことを言った。
「どういう、こと?」
「意味なんてない。それが運命」
さらに意味深なことを言ってネアラはケースへと近づきしゃがみ込む。もう一度、どういうことかと聞こうと思ったけれどちゃんと答えてくれるような気がしなかった。
あたしはケースに近づいていったネアラの後ろ姿を見ていることしかできなかった。
ネアラの手によってケースが開けられる。中にいる狐はケースが開けられた音で目を覚ましたようだ。ゆっくりと出口の方――ネアラの方へと近づいてく。
「あなたの飼い主になる人が見つかった」
ネアラは近寄ってきた狐を抱き上げる。ネアラになついているのか、それとももともとおとなしい子なのかはわからないけど狐は全く暴れるような様子はない。
「どうぞ」
立ち上がったネアラはあたしに抱いた狐を渡してこようとする。
「大丈夫、なの?」
「見ての通りおとなしい子だから大丈夫。それに、この子の飼い主になるなら抱いてあげないといけない」
飼い主になるために抱かないといけないってどういうことなんだろう。ペットにするだけならそんなことしなくてもいいと思うんだけど。
「抱いてみれば意味はわかる。それに、抱くだけなら大した労力はない」
確かにそれはそうだ。抱くくらいならそれほど疲れることもないだろう。
だったら、それをする意味がわからなくてもやってみるだけはやってみよう。それに、意味がわからないって思っただけで、本当はすごく抱いてみたい、と思っている。だから、これ以上は気にしない。
あたしはそう決めるとゆっくりと腕を伸ばした。
すると、ネアラの腕に抱かれていた狐が自らあたしの腕のほうへと来た。
あたしはおっかなびっくりとしながらもゆっくりと狐をできるだけ優しく抱く。狐に触れるのはこれが初めてだ。
毛のさわり心地はとても気持ちよく、生き物特有の暖かさがあたしを安心させる。
「そのまま眼を閉じて」
ネアラの声が聞こえてきた。あたしはその声に導かれるようにゆっくりと眼を閉じた。なんで眼を閉じる必要があるんだろうか、という疑問は不思議と抱かなかった。
「それから、その子の名前を思い浮かべて」
考えて、じゃないの?、と思った。だけど、それは一瞬のことですぐにそんな思いは消えてしまった。
いきなり、あたしの中にひとつの言葉が―――ううん、ちがう、ひとつの名前が思い浮かんできた。
「若藻……」
無意識のうちにあたしはそう呟いていた。先ほどあたしの中に思い浮かんできた名前を。
そして、あたしが抱いてる狐が―――そうじゃなくて、若藻の体が光を放ち始めた。あたしは驚いて若藻を落としそうになった。