15話「治癒」
「ネアラ、なにをするんですの!」
球形の魔力に捕らわれた若藻がネアラに向かって怒っていた。
「美穂が助けてって言ったから。それに、まだ、美穂は回復しきってないから暴れさせない方がいい」
「まあ、確かにそれはそうかもしれませんわね。……それじゃあ、仕方ありませんわ。また、今度の機会に好きにさせてもらいますわね」
そう言って若藻があたしにとって不気味な笑みを浮かべた。それだけで身の危険を感じたあたしは自分の身を守るように両手で自らの身を抱きしめる。
「そんなふうにされると、余計に襲いたくなりますわね」
若藻の目に危険な光が宿ったように見えた。ずっとこの恰好のままでいるとネアラがいても危ないような雰囲気があったのであたしはゆっくりと手を降ろす。
「美穂、下着が見えてる」
その言葉にあたしは反射的に再び両手で自らの身を抱きしめる。今度は自分の体を隠すためだ。それから、あたしは自分の顔が赤くなっていくのを感じる。
同性といってもやっぱり、下着を見られるのは恥ずかしい。
「そんなことをするよりも早くボタンを付けた方がいいと思う」
言葉が発せないくらいに気が動転しているあたしはこくこく、と二回頷いて二人に背中を向けた。上の方から順にボタンを付け直して若藻に外された分はすべて元に戻った。
一応、付け忘れてるところがないか確認してから二人の方に振り向いた。
「美穂ってからかいやすい行動をしますわよね。先ほどは黙ってネアラにだけ答えさせて差し上げましたけど、わたくしならいじってあげられましたわよ」
あたしをいじっているところを想像でもしたのか若藻は楽しそうに笑っている。ここで若藻に反応を返すのはあんまりいい行動だとは思わなかったのでネアラの方に話しかけた。
「ネアラはどうしてあたしのところに来たの?表でお店番してたんじゃなかったの?」
「ちょっと美穂の様子が気になったから来た。それと私の魔法が成功したかどうかも確認したかったんだけどその調子なら大丈夫そう」
少し安心したような表情を浮かべるネアラ。普段あまり表情が動かないからそれだけでも本当に心配していたんだな、と思う。
「そういえば、教えてもらっていませんでしたけれど、ネアラの治療の魔法が失敗していたらどうなっていたんですの?」
若藻が口にしたその質問はあたしも疑問に思ってたことだ。というか、若藻は知らなかったんだ。起きたとたんにあたしにどこかに違和感はないか、って聞いてきたからてっきり失敗すると何が起こるのかを知っていると思ってた。
「失敗してたら痛みが永遠に残ったり、痛みがもっとひどくなったりする」
痛み、というその言葉にあたしの心が過剰な反応を返す。もうそれ以上は聞きたくない、耳を塞いでしまいたい、という思いが大きくなっていく。
「……と、いうのは冗談」
だけど、その一言であたしの思いはしぼんでいった。あとに残ったのは冗談だったということにほっとしているあたしだった。
「だけど、失敗してたらあまり大きくはないけどそれなりの苦しみを味わうことになっていたはず」
ネアラはどんな苦しみを味わうのか、ということをぼかすようにそう言う。そして、それと同時にあたしはひとつの疑問を抱くようになっていた。
「ねえ、なんでネアラはそんな失敗した時のリスクがあるってわかってたのに勝手に治療の魔法をあたしに使ったの?」
その言葉は非難のような言葉に聞こえるかもしれない。でも、あたしは疑問をそのままにしておくことが出来なかった。その理由は至極簡単で苦しみを味わったりするのがもう嫌だからだ。
成功していたからいいもののもし、失敗していたらあたしはどんなのかはわからないけれど苦しむことになっていた。それを思うと体が少し震える、あたしが眠っている間に勝手なことをされた小さな怒りが生まれる。
「あの魔法の成功率はもともと高いから大丈夫だと思ってた。それに―――」
ネアラは付け加えるように言葉を続ける。
「―――眠っている時の美穂はとても、苦しそうだった。全身の傷が美穂に嫌なことを思い出させてるんじゃないだろうかって思った。だから、勝手に魔法を使った。もし、嫌な気持ちにさせたって言うなら謝る。……ごめん」
付け加えたような言葉だったはずなのに、そちらの方が込められている感情は大きかった。本当に申し訳なさそうに顔を俯かせている。
「そ、そんな。謝らなくてもいいよ」
あたしはネアラの行動に慌ててしまう。そして、あたしの中にあった怒りは消えてしまっていた。
ネアラはあたしのことを想ってくれていたからあたしの怪我を魔法で治してくれたんだ。それを責めたらネアラが可哀想だ。それに、あたしは慌ててる場合ではない。こういうときはちゃんと感謝の気持ちを表さないと。
「あの、ネアラ、ありがとね」
あたしがそう言ったらネアラがゆっくりと顔をあげた。ネアラの浮かべている表情はその見た目の年齢どおりの、親に叱られる直前の子供のような表情だった。
「美穂は私を責めないの?」
「うん、責めたりしないよ。ネアラがあたしを想ってやってくれたことなんだから。それに、あたし、ちょっとひどく言っちゃたね。だから、ごめんね」
あたしがネアラのことを責めていない、ということをちゃんと伝える。あと、非難するように言ってしまったことも謝っておいた。ネアラがどんなことを考えて起こした行動だったのか知らなかったとはいえ、謝らないままにしておくのは嫌だった。
「美穂が謝る必要なんてない。私の判断で勝手にリスクのある行為をした私が悪いから」
ネアラの顔から先ほどまで浮かんでいた年齢相応の表情は消え、浮かんでいるのは自虐的な表情だった。
「何十年、何百年と生きても正しい判断をすることができないことがある」
独り言のようにネアラが呟く。あたしはそれに対してなんて言えばいいのかわからなかった。ううん、違う。なんといえばいいのかはわかっていた。生きてるんだから、感情があるんだから判断を誤ることなんて当たり前だ。そう言って、自分のことを責めなくてもいい、と伝えればよかった。
だけど、あたしは言う事が出来なかった。あたしとネアラの生きてきた時間には大きな隔たりがあるから。あたしにとってネアラはとても遠い存在のように思えてしまうから勝手に口が動かなくなる。
「そんなこと当り前ですわよ」
あたしでは伝えれないことを代弁してくれた人がいた。それは、若藻だった。
「わたくしだって判断を誤ることが今でもありますわよ。特に、感情的なものが関わる場合なんかは特にそういうことが多いですわよ。それに、判断をすることなんて運も絡んでくるのですから自分を責めるだけなんていうのは意味がないですわよ」
「それはわかってる。ただ、そういうことを私自身が認めたくないだけ。昔、同じようなことをして二度も失敗を犯したことがあったから」
ネアラはその二回犯した失敗を思い出しているのか辛そうな表情を浮かべて顔を俯かせる。
「そうだったんですの。でも、感想は別として自分の感情を入れた見解をするなんてネアラらしくないですわね」
あたしよりもネアラとの付き合いが長い若藻がそう言う。ネアラと関わってきた時間の短さもあたしがなにも言えなかった理由だったのかもしれない。
「私自身もそう思ってる。自分の感情が入った見解をすることに意味なんてないことはわかっているはずなのに私はいつの間にかこうやって自分を責めてる」
「自分を責めてばかりいると周りの人をあまりいい気分にさせませんわよ。ネアラはそれに気が付いていないんですの?」
その言葉はある意味で残酷な言葉のように聞こえた。自分自身を責めているネアラを更に責めるような言葉。
「若藻、それは言いすぎなんじゃ」
「そんなことないですわよ。わたくしはただ事実を述べただけですわ」
そうなんだろうけど、それではネアラがあまりにも可哀想だ。
「でも……」
何か、言葉を続けようとした。だけど、それはかなわなかった。何故なら、
「美穂、私をかばう必要なんてない。若藻の言ってることは全部正しいから」
ネアラに途中で止められてしまったから。
「でも、私をかばってくれてありがとう」
ネアラが時々浮かべる微笑みを浮かべてそう言ってきた。そんな表情でそんなことを言われるとあたしは何を言っていいのかわからなくなってしまう。
それに、ネアラの微笑みは今まで見たものと大して変わりはないはずなのに、今は自嘲も混ざっているような気がした。
「周りの人にいい気分をさせないっていうのはとっくに気がついてた。だから、普段ならこうやって表に出るような形で自分を責めたりはしない」
普段なら?それなら、今は普段通りじゃないということだろうか。訳がわからずあたしは首を傾げてしまう。
「美穂は今まで出会ってきた人たちの中で一番無防備だから私はどうしても私の隠しておきたい気持ちが表に出てしまう」
あたしの瞳をじっと見ながらネアラはそう言う。
無防備だから隠しておきたい気持ちが表に出てしまうってどういうことだろう。わかるような気もするしわかんない気もする。まあ、こう思うってことはわかんないってことなんだろうけど。
「確かにそれは一理ありますわね。美穂の前だと自分の隠しておきたい気持ちが表に出てしまいますわよね」
若藻がネアラの言葉に同意をする。あたしは首を傾げてしまう。それは無防備だから気持ちが表に出る、ということがわからないからだ。
と、首を傾げたあたしに気がついたのか若藻があたしの方を見る。
「無防備な人に対しては、隠しておきたいけど本当は誰かに言いたいことを話したくなるんですのよ」
「そう、美穂はそういうオーラを持ってる」
そういうオーラって言われても抽象的すぎてやっぱり良くわからない。もうちょっと深く考えてみよう、そう思ったんだけど、それはかなわなかった。
「美穂は罪づくりな人ですわねっ」
何故なら若藻がそう言って布団の上で上半身だけを起こしているあたしに抱きついてきたからだ。
「うわっ、い、いきなりなにするのっ?」
驚いてさっきまで考えようとしていたことが霧散してしまった。
「こういうところも美穂は無防備ですわよね。普通の人ならもう少し逃げ出そうとするのが早いですわよ」
言いながらあたしの頬に頬を摺り寄せてくる。
「く、くすぐったい。くすぐったいからやめて!」
若藻の顔を手で押して摺り寄せるのをやめさせる。
あたしの肌は敏感なようでちょっとものが触れただけでも大きい反応をしてしまうことがある。
特に弱いのは頬とか手の甲とか首とか背中だったりする。
「ひどいですわね。これくらいのことも駄目なんですの?」
抱きついたままそんなことを聞いてくる。このまま抱きつかれてると何をされるかわからないので早いところ引き離したいんだけど若藻は意外に力が強いから引き離すことができない。
「うん、だめっ!」
触られたりしたら飛び上がるくらいの自信がある。
「ふふふふ」
何故か若藻が何か楽しいものを見つけたような不穏な笑い方をする。
「ひあっ!」
若藻があたしの頬を指でなぞった。あたしは頬を触られる感触に過敏に反応してしまって体がびくっ、と震えた。
たぶん、若藻に抱きつかれてなかったら飛び上がっていたと思う。
「やっぱり、美穂は触られるのに弱いんですわね」
あたしの顔の前で若藻は実に楽しそうな笑顔を浮かべてる。何となくではあるけれどあたしはこれから起こるであろうことを悟ったような気がした。寒気がするくらいに嫌な予感がする。
「はーなーしーてーっ!」
そう言いながらあたしは若藻を引き離そうと腕に力を入れる。だけど、若藻の手があたしの後ろの方にまわされた、と思ったら、
「ひうっ!」
いきなり首筋を指先で撫でられて一瞬体全体に力が入った。だけど、その直後に弛緩する。
「ふふ、面白いですわね」
楽しそうに言ったと思うと若藻はあたしの首筋で指先を回し始めた。止まることなくあたしの首筋は若藻の指先によって撫でられる。
「や、やめてぇ!」
声に力が入らずそんな間延びしたような変な声になってしまう。
ずっと首筋を撫でられ続けているせいか変な気分になってきている。それに、だんだん体に力が入らなくなってくる。
「ね、ネアラぁ」
助けを求めたけど自分で聞いてても恥ずかしくなるくらいに力の抜けた声だった。だけど、これが今あたしの出せる声の中で一番の精一杯だった。
早く助けて、と心の中で切実に願う。もう声を出す力もほとんど抜けてしまっていた。
と、いきなり、あたしの首筋を触れる感触が消えた。
そのことに安心して一気に全部の力が抜けた。あたしは布団の上に上半身を突っ伏すようにする。それから、いつの間にか少し乱れていた呼吸を整える。
ネアラが若藻をあたしから離してくれたんだ、っていうことはわざわざ確認しなくてもすぐにわかった。
「ネアラ、あともうちょっとでしたのになんてことをするんですの!」
何があともうちょっとだったのか、ということは聞こうとは思わなかった。むしろ、聞きたくない。
「美穂、大丈夫?」
ネアラは若藻の言葉は無視してあたしの方に話しかけてきた。
せっかく助けてくれた人に対してこのままだと失礼だと思ったあたしは頑張って上半身を起こした。最初にここの部屋で起きた時よりもしんどかったような気がする。
「う、うん。たぶん、大丈夫。ありがとね、ネアラ」
「どういたしまして。……それで、若藻はどうする?美穂は今日一日、魔力が使えないから一緒にいたら危ないと思う。だから、私が一日だけ若藻のことを預かっておくけど」
確かにそうかもしれない。今日のあたしは魔法を使えない上に若藻に弱点を知られてしまっている。そんな状態で若藻と二人っきりなんてことになったらあまりいいことはないような気がする。いや、絶対にあたしにとって悪いことが起きる予感がある。
「大丈夫ですわよ。わたくし、美穂に手を出すつもりはありませんわよ」
ネアラの魔力に捕まったままの若藻がそんなことを言う。さっきまで堂々とあたしに手を出そうとしていたのでその言葉を信用することなんて到底無理な話だ。
よってあたしは迷うことなく、
「うん、じゃあ、ネアラ、若藻のことよろしくね」
「わかった。絶対に逃げないようにしておくから」
若藻を一日ネアラに預かってもらうことにした。
「美穂、なんでですの?わたくしの言葉を信用できないんですの?」
音はしないけど、若藻が魔力でできた球体を不満げに何度も叩く。
「さっきまであたしをどうにかしようとしてたんだから信用なんてできないよ」
「それなら、帰りはどうするんですの?一人で帰るのは危ないですわよ」
確かにそれはそうだ。あたしはそれほど魔力が強いというわけでもなくまた弱すぎるというわけでもないから魔力を必要とする鎌鼬に襲われやすいらしい。だから、一人で帰らないといけない、と考えるとかなり不安だった。
「それは大丈夫。フェンについていってもらうから。それに、もしフェンが嫌だって言ったら私がついていってあげる」
どうやらフェンかネアラがついてきてくれるらしい。そのことにあたしは一安心した。鎌鼬に襲われるか、若藻に襲われるかの二択をしなくてはいけないのかと思っていた分、さらに大きく。
「まあ、いいですわよ。今日はもう諦めて明日どうやって美穂を襲うかを考えますわよ」
そういうことって言葉にして言うことかな?、と思ったけどあえて口にしようとは思わない。言ったところで意味があるとは思えないから。それに、言ったとしても考えることに没頭しているらしい若藻に声は届きそうにない。
そんな若藻を見ていたら不安になってきた。下手をしたら魔力が使えても抵抗できないようなことをされるかもしれない。
あたしも考えることに没頭しないといけないかもしれない。どうやって若藻から逃れるか、ということを。
それよりも、今は何時なんだろうか。時間によっては早く帰らないとお母さんを心配させてしまう。
時計を探すためにあたしは首を左右に動かして部屋を見渡してみた。だけど、時計のようなものを見つけることはできなかった。
「ねえ、今、何時なの?」
仕方がないので聞いてみることにした。答えてくれさえすれば若藻でもネアラでもどちらでもよかった。
「四時前」
ネアラが端的にそう答えてくれた。
四時前か……。そろそろ帰るべきかもしれない。
「お母さんを心配させたらいけないからあたしはそろそろ帰るね」
あたしはそう言いながら立ち上がった。その時に少し体がふらついたけど転ぶようなことはなかった。ずっと横になっていたから体に力が入っていないんだと思う。
「美穂、大丈夫?」
「うん、大丈夫。たぶん、寝すぎただけだと思うから」
それよりも、このままの姿で外に出るのはためらわれる。パジャマ姿っていうのは外ではかなり目立ってしまう。
「あの、ネアラ。悪いんだけど、着替え、ないかな?」
さんざん世話になって更に着替えを借りるのは気が引ける。だからといってこの姿のまま外に出るような思い切りもない。
「ちゃんと用意してある。美穂の荷物と一緒に取ってくるからちょっと待ってて」
そう言ってネアラは隣の部屋へと行こうとした。だけど、それを若藻は止めた。
「ネアラ、いつわたくしを解放してくれるんですの?」
「美穂がここから出たら出してあげる。それまではそこで大人しくしてて」
これ以上は言うことも聞くこともないとでも言うようにネアラは若藻の返事を聞かずにさっさと隣の部屋に消えてしまう。若藻は何か言いたそうだったけど、その言う相手がいないので何も言えないようだった。
ネアラはどんな服を持ってきてくれるんだろうか。ネアラが着てるような服、ってことはないよね?あの服はあたしには似合わない。というか、日本人自体に似合わないと思う。
そう思っていたらネアラが戻ってきた。
「これに着替えて。それと、これが美穂の荷物」
先に鞄を受け取って床に置く。それから、ネアラから着替えの服を受け取った。
ネアラがあたしに手渡してきたのは折りたたまれた白色の服だった。これだけだとどんな服かわからないのであたしはその服を広げてみた。
それは白色のワンピースだった。フリルとかはついていないけど雰囲気はどことなくネアラが着ている黒色のドレスに似ている。といっても、ネアラのドレスほど異彩を放っているわけではない。ネアラが着ているドレスを見たことがなければ普通のワンピースだと思っただろう。
早く着替えよう、と思ったあたしは二人に背を向けた。
同性でも着替えを見られるっていうのが恥ずかしいのは仕方ないってことで。