最初の試練 C
その日、午後の講義が始まってもルルは教室に姿を見せなかった。
次の講義の内容は今度は歴史学の復習であり、またもや退屈な時間を過ごすことになる。さすがに午前中にあれだけ眠っただけあって、眠気はほとんどなかった。だが、例えそうでなかったとしても僕は居眠りなどしなかったであろう。
午後の講義中に脳裏にザイラル先生の言葉がこびりついていた。
『運が良かった』
自分が転生者であり、他の人とは比較にならない回復魔法を授かったということ以外に自分の『運の良かった』エピソードなど思い出せない。入学初日から気のいい友人をゲットできたというのは確かに幸運と言えば幸運だったが、ザイラル先生に指摘されるようなことではないはずだ。他にも自分の『幸運』について思考を巡らせているが、結局のところ思い当たる節はみつからなかった。
やはり、あのザイラル先生は自分が転生者であることを知っているのだろうか。
だが、それを知っていたとして一体何になる。あの先生は僕にその事実を突きつけて何をしようとしているのか。そもそも僕の生前の記憶なんてせいぜい10年程度であり、この世界で約に立つ知識など皆無だ。もしかしたら、その辺りの時間も関わっているのだろうか。
疑問は尽きず、答えのでない問答を永遠と自分の中で繰り返す。
「なぁ、さっきからどうしたんだよ?」
隣に座ったボブズが心配そうに声をかけてくれた。
「あぁ、なんでもない。なんでもないから」
「・・・・・・そうか?、ならいいけど」
納得いかないという顔をしていたが、既にこのやり取りは昼食中を含めて4回目だ。ボブズのやさしさを無碍にしているという罪悪感はあったが、僕はどうしても話すことはできなかった。話してどうこうなることとは思えなかったのと、話すことで万が一この学園でできた最初の男友達を失なうのが怖かったのだ。
『転生者』というものを僕は往々にして聞いたことはなかったが、万が一世間でタブー視されていようものなら、僕の立場はさらに悪化する。
クラスからの強烈な視線を経験した後で、あれをボブズから受けるかもしれないと思うとどうしても喋ることができなかった。
講義が一通り終わり、僕はすぐに荷物をまとめた。
「アギー、どこ行くんだ?」
「ちょっと、図書館にね」
「・・・お前、本当に大丈夫か?あの講師に何を言われたんだよ」
ボブズが不安な様子でこちらを見上げてくる。本気で心配してくれる友人に笑顔を向ける。ただ、上手く笑えたかどうかは自身がなかった。
「教会の歴史について、ちょっと冗談を言われただけだよ。意味を調べにいく」
「・・・・・・・」
僕の嘘がボブズには通じていなかったのはわかった。ただ、嘘をついてでも言いたくないということは伝わったらしかった。彼はため息を吐き出した。
「今度、そのジョークを聞かせてくれ」
「うん」
「つまんなかったら、ぶん殴る」
『その嘘がしょうもない理由だったぶん殴る』
言外の意味をきちんと読み解き、「わかった」とだけ告げた。僕は周りからの視線を気にすることもなく、図書館へと向かった。
この学園は広い。魔法学園と名乗るだけあって、様々な科が終結しているのだ。
その学園塔のほぼ中央に図書館は位置していた。その面積は広大で、蔵書量は多い。前世で何度か通っていた市営図書館よりも広い。
僕は静かな図書館を練り歩き、教会関連の書物の棚で足を止めた。
ひとまず、教会の歴史書をみつけてそれを引っ張り出す。そこには聖典に記されている人物の経歴や、その後の教会組織の動向、過去に現れた偉人の伝承などが近年に至るまで記されていた。
歴史学の知識でこの世界の歴史の大筋は頭に入ってはいたが、その中に鬼人や獣人の差別に関しての情報はない。そもそも、前世の世界史だって差別の歴史に関する項目は全体から見れば驚くほどに淡泊だ。産業革命やローマ帝国の項目などは数ページにわたって解説しているというのに、奴隷の暮らしや差別撤廃については教科書の隅に一枚絵と共に乗る程度。
それが負の歴史であると理解している証拠だと、僕は思っていた。子供が割った皿を隠すのと同じだ。都合の悪いことは改竄したがるのは人の常である。
やはり、というべきか歴史書には鬼人や獣人に対して魔族認定を行っているという記述は出てこない。
過去の偉人達が『人の姿に似た魔族』や『牙と爪を備えた魔族』と対峙したという記述は見受けられるが、それが鬼人や獣人とは限らない。ただ、エルフやドワーフの聖人君子はいたという記録は残っているが、鬼人や獣人の聖人は一人もいなかった。
結局、最初の1冊からは何の情報も得られなかった。
僕は次に聖典を見つけて引っ張り出す。神が大地と命を生み出し、代弁者である人物を時折地に遣わして人々に救いを与えたり、天罰を与えたりする内容である。
改めて真面目に読み込むのは初めてであった。
だが、その序章で僕は既に気分が悪くなっていた。
神はこの世界に様々な生き物を生み出し、彼らの力の助けの為に精霊を解き放ったとされている。
だが、この世界には最初から生息する闇の生物がいて、それが魔族だという。
そして、聖典の中に神が鬼人や獣人をつくったという記述は一度も出てこなかった。彼らはこの世界が闇の中だった頃からいる魔族であるというわけだ。
「つまり、ノアの箱舟に乗れなかった人魚みたいなもんか・・・」
僕はそう呟いて先を読み進める。
神様が世界を作った後の展開は基本的にありがちなものであった。例によって人間やエルフやドワーフ達の間でいさかいが起きて我々は1度神に見放されて天罰を受けた云々が続き、我々が改心して神様が時折救ってくださる存在になれたと内容がシフトしていく。
その後も、堕落したら天罰、真っ当に生きてたら救いがもたらされるという話が繰り返される。
救いの内容は単なる助言や裁判に似たものから強力な魔法によるものまで様々だ。
天罰の内容も街を丸ごと消滅させたり、氷の中に沈めたりとやりたい放題である。だが、驚くべきことはこれらが全て事実であることだろう。それは歴史が証明しており、実際に天罰を受けた街もそのまま残されている。『魔法』の力というのは極めればここまでの力を発揮するのだ。
僕は聖典を読み進めていたが、ふと獣人の文字を見つけて手を止めた。
それは、人から盗みを働く獣人を聖人が諫める話であった。だが、獣人は盗みを何度も繰り返し、挙句の果てにその聖人を殺害してしまう。そして、聖人は最期にその獣人に対して罰を与えた。彼から言葉を奪ってしまったのだ。言葉をなくした獣人は盗んだものを売って金に換えることも、パンも買うこともできずに森へと帰っていったという話だった。
内容としては他の章でも見られる話であったが、獣人が悪人として描かれているのはこれが最初だ。
その後も鬼人や獣人の話は描かれているが、そのどれもが悪役であった。しかも、そこに交じって真の魔族であるリザードマンやアンデットが混じっているのが極めて悪質であると言わざるおえなかった。
ものによっては、目をつむりたくなるような悪事を働いている者もいた。街中で強姦殺人なんかが起きれば基本的に鬼人が犯人だ。強盗殺人なら獣人である。街の外で盗賊に襲われれば真の魔族に交じって彼らはいつも描かれている。
そう言えば、と僕は昔にやった遊びを思い出した。
特になんの感慨もなく『鬼ごっこ』を名乗って追いかけかっこをやっていたが、あれは『鬼人』が悪人であることを暗に示していたのじゃないだろうか。
日本では『鬼』なんてものは架空の存在で、あれは『悪者』の象徴である。
それを考え、僕は背筋に氷を流し込まれたように身震いをした。
「鬼人達はそういう存在として、ずっとこの世界で扱われていたのだろうか・・・」
手にした聖典の革表紙に手汗がにじんでいく。
僕らの周りには鬼人も獣人もいなかった。それらが、どういった扱いを受けるのかなんて知りもしなかった。だが、もしそれが下手に人里に出れないからだとしたら・・・
ボブズの心配そうな顔と、ラックのニヒルな笑顔が胸の中に浮かんでくる。
一体、ボブズやラックはどういう苦労を経てこの学園に入学したのだろうか。
そう思うと、何の覚悟もなく、そこそこの努力のみで首席で入ってしまった自分が申し訳なく思えてくる。
聖典の中に救いがあるとしたら、聖人が改心させる魔族が鬼人や獣人ばかりということだろう。
時折、ドラゴンを改心させたという話は出てくるがその内容はほとんど眉唾ものである。ただ、鬼人と獣人の話は彼らと対話し、説得し、理と情によって善性を引き出す内容がみられた。やはりこの2種族が他とは違うということは教会側も認識しているらしかった。
ひとまず、鬼人や獣人が差別されている理由はわかった。ボブズが僕に対して警戒心をむき出しにした理由も理解できた。
だが、最後まで読み切っても疑問は残る。
ルルはなんであそこまで侮辱されなきゃならなかったんだ?
疑問はそこであった。
聖典の中のエルフは確かに水浴びをして聖人を惑わせたり、蠱惑的な歌で人々を堕落させたことはあったらしいが、それは人間やドワーフも似たようなことをしており、取り立てて悪事を働いていたという記述はない。
それと、もう一つ。
ここに来た本来の目的である『転生者』についても聖典に記述はなかった。
確かに聖人の中には他とは違う能力を持った人が時折現れていることはわかった。それはどんな精霊に干渉しても操ることができない『海』を用いた魔法を使った聖人や、隕石を好きに落としていたがために凄惨な最期を遂げた男の話などだ。
ただ、それらが『転生者』と断定できるかというと首をひねるばかりだ。聖典は歴史書ではなく、聖人が語った内容がそのまま描かれている可能性は低いのだ。
例えばこの第3節、14章のミカ=ブルゾアと呼ばれる聖人。彼女は幼い頃から不思議なことを語り、神の声を聴いていたとされている。曰く『私は天より降りた時のことを今も覚えております』曰く『天に帰るその日まで私はこの世に遣える聖者であります』彼女は様々な人の嘘を見抜く力を持ち、人々を導いた。
この『天の世界』を『前世』と言い換えれば彼女は転生者に見えてくる。だが、普通に聖人信仰があっただけも見れるわけだ。
結局、その方向の収穫はなかった。
聖典のめぼしい記述を読み終えたところで、閉館時間が迫り、僕は聖典と教会の歴史書を何冊か借り、教会を後にした。




