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僕の回復魔法は特別なんかじゃない G

「俺は・・・治癒魔法士だ!」


その言葉に込められた覚悟が音となって地下牢に響き渡る。

瞳から零れ落ちた涙が石の床に染みを作っては消えていく。

地下牢に繋がれた人達の目線が自分に注がれているのを肌で感じながら、俺は逸る気持ちを押し込んで額を床にこすりつけた。


「お願いします!決して・・・決して危害は加えません!だから・・・だから・・・お願いします!時間がないんです!!」


不意に鎖がこすれる音がした。


「お、おい・・・ボン・・・」

「あなた本気!?」

「うるさい!!」


彼等の声に顔をあげる。


目の前に息子を抱えた鬼人が立っていた。

俺を見下ろしてくる赤い瞳が蝋燭の光を反射して揺らめいていた。

その中に溶け込んでいるのは人間への憎悪でも、俺に対する信頼でもない。最早、縋れるものが俺しかいないという嘆きの色だった。


「頼む・・・息子を・・・救ってくれ」


俺は地面を蹴りあげ、すぐさま牢屋の鉄格子へと飛びついた。


「診せてください!早く!!そこに寝かせて!!」

「あ、ああ・・・」


突然に目の色を変えて突撃してきた俺に若干気圧されるようにボンは息子を鉄格子のすぐそばに寝かせた。

俺の手の届くところに寝かされた鬼人の息子。名前はダダネ・ボンジュ。


「ダダネ!!ダダネ!!目を開けろ!!」

「う・・・うう・・・」


彼を揺り動かすと僅かなうめき声と共にわずかに目が開かれる。


「わかるか!!見えてるか!?」


俺は手に水魔法で膜を張りながら、ダダネの手を握った。


「手を握れるか!?目を開けろ!!手を握れ!!」


ほとんど叫ぶようにそう言うと、その声に応えるようにダダネはわずかに握り返してきた。

俺はダダネの服をめくりあげながら、傍で立ちっぱなしのボンに向けて矢継ぎ早に質問を飛ばす。


「息子さんの歳はいくつです!?」

「4つになる」

「腕以外に怪我はありませんか!?」

「ないと・・・思う」


ダダネの服をめくりあげようとするが、鉄格子越しでは腕が思うように動かない。


「くっそ、手が・・・ああ、もう!!彼の服を脱がせます!手伝って!!」

「あ、ああ」


俺の剣幕に押されるようにボンは息子の服をめくりあげた。

胸部・腹部に目立った外傷はないが、蝋燭のオレンジ色の光に照らされた肌は茶色がかっているように見えた。それはまるで死者の肌色に近いように感じた。


まさか血を流し過ぎて死にかけているんじゃないか。


俺の全身から冷や汗が吹きでる。

俺は慌ててダダネの瞼を指でめくり、裏側を覗き込んだ。

瞼の裏側は人間の血流状況がもっともわかりやすく出る場所だ。

貧血状態ならば瞼の裏側に走る血管がほとんど見えなくなる。


だが、ダダネの瞼の裏側にはしっかりとした血管が浮かんでいた。


そして、その血管が緑色をしていることを認めて俺は自分が一つの勘違いをしていることに気が付いた。

肌が茶色なのは血の気が引いてるのではなく、血の気が多いが故に肌が緑になり、それが蝋燭のオレンジ色の明かりを反射して色が変わっているだけなのだ。


つまり、体表の付近に流れる血流はむしろ上がっている。

それが意味することはただ一つ。血流を上げて体内の熱を放散させようとしているのだ。

ダダネの身体はこの冷たい牢屋の中でも高い熱を保っていた。


だが、それが彼を冷気から守っているわけではない。

熱を産み出すことは体力を消費する。それでも体温をあげるのは、体内に入った毒と彼の身体が戦っているあかしだった。彼は一刻一刻と自らの命を削って身体を守っているのだ。


俺はとにかく素早く全身を確かめた。彼の怪我は右腕に切り傷一つ。膝に擦り傷。背中の肩甲骨部分と腰部が赤くなっていたがそれはこの石の床に寝かされていたためのものと判断した。


「どういう状況で怪我したんですか!?」

「お、襲い掛かってくるヴァンパイアから逃げていたんだ。それで、息子の手を担いで逃げていて・・・でも、追いつかれて息子が切られたんだ・・・」

「なにで?」

「え?」

「だから何で切られたんです!?『血の魔法』ですか!?ヴァンパイアの爪とかだったんですか!?それとも、ヴァンパイアが何か武器を持っていたんですか!!」

「わ、わからない・・・俺も必死で・・・息子を背負っていて・・・怪我をしていることには後から気づいたんだ」


俺はほとんど途中から話を聞いていなかった。

この傷がヴァンパイアからつけられた傷であるならば、最早その経緯は正直どうでもよかった。

あわよくば、何かの別の刃物で切られたとか、どこかに引っ掛けて傷をつけただけならばそれに越したことはないと思っていたのだ。


だが、傷を負った状況が不明である以上、最悪の事態を想定して動くしか方法はなかった。


「ダダネをもっと寄せて!早く!!」

「お、おう!」


俺は自分の服を一部裂き、布のバンドを作りあげてその腕を縛り上げた。

俺は両手を打ち合わせて、逸る気持ちを抑えて呪文を唱える。

だが、作りだせた水の魔法はあまりにもお粗末なものだった。


「くそっ!!!」


俺は魔法を振り払い、もう一度両手を打ち合わせた。

焦りが気持ちの乱れを産み、それが集中力を鈍らせる。


「落ち着け・・・落ち着け・・・」


呪文を唱える前にそれだけを呟く。


大きく息を吸いこみ、吐き出す。身体の中に染みわたる地下牢の冷気が火照った身体を冷やしていった。

そして、俺は改めて呪文を唱えた。一言一言を紡ぎだすのにこれほどの集中力を用いたのは産まれて初めてかもしれなかった。


そして、俺が作り出したの水球。


何度も練習し、何度も作ってきた水球。

そこから更に呪文を唱えて魔法を追加していく。


『ソルグレード』を0.3『マッシブティ』を0.15『ボーンドーン』を0.1『ヘビーソリッド』を1.9


ルルと確認した魔法の割合。頭の奥から彼女の声で蘇ってくる。

ルルやベクトールと拳をぶつけて『やるぞ』と言ったのがもう数日前出来事のようだった。

あれから何時間経ったのだろうか。


この子が怪我を負ってから何時間経ったのだろうか。

わからない。

だが、今は信じるしかなかった。

信じる他に俺にできることはなかった。


俺は水球から糸を撚りあげるようなイメージで細い管をダダネに向けて伸ばした。

その先端を鋭く伸ばし、針のような切っ先を与える。向かう先は縛り上げ、浮かび上がったダダネの腕の血管だった。

俺は震える手でダダネの手の甲を取った。


筋肉や脂肪の少ない手の甲は血管が一番見えやすい。

ただ、その分痛みも強いので本当は避けるべきなのだろうが、この状況下で難易度の高い血管に針を通す自信は自分にはなかった。


俺は両手でダダネの指と手首を床に抑えつけて固定した。

そして、自分の魔法を動かして針を近づけていく。


「ちょっ、君!何をして!」


それを見てボンが慌てて止めに入ろうとした。


「触るんじゃねぇ!!!」

「っ!!」


俺の鋭い一言がボンの動きを止める。自分でも驚く程の声量だった。地下牢で音が少し反響している影響だったのかもしれないが、それでも壁を震わせてしまうかのような声だった。

その声に驚き、ボンが咄嗟に手を引っ込めたのを見て、俺は安堵のため息を漏らした。


「いいから・・・見ててください・・・」


魔法の感触に自分の集中力を極限まで詰め込む。

今の俺は水球の中の水の流れの一つ一つから、針先の先端の感触の全てまでその身に感じていた。

例えどれだけ緊張で手が震えようとも、俺の魔法の針先は揺るがない。


俺は大きく息を吸いこみ、7割程を吐き出して止める。


そして、針先をゆっくりとダダネの皮膚に近づけた。

皮膚を貫くときは一気に、血管を貫いたらゆっくり。それが一番痛みが少ない。


ルストは針先がダダネの皮膚を貫いた感触を確かに感じた。針先の視界が自分の脳裏にまでフィードバックをしてくる。だが、光があるわけではないのだ。身体の中は真っ暗な世界が広がっていた。その中で俺は鼻の奥に鉄の香りがツンと刺さったのを感じた。


ここだ。ここが血管の中だ。


俺はゆっくりと血管に沿って針先を進めようとした。


その時だった。


不意に背後で『ガコン!』という音がした。

誰かが上で扉を開けた音だった。そして、男の声がした。


「魔族が!!貴様みたいなのが何で教会にいやがるんだ!ふざけやがって!お前らが!お前らがヴァンパイアを引き入れたんだろうが!!」


そして、必死に泣き叫ぶ女の声がした。男が誰かを無理矢理引きずって階段を降りてくる。

相手は間違いなく聖職者。引き連れている相手が抵抗しているからかその足音はやや遅いが、すぐさまここにやってくることは目に見えていた。


「誰か来る・・・」


呟くようにそう言ったのはボンであった。

ボンの恐怖に怯えた目が地下牢の出入り口へと向けられる。新たな犠牲者が連れてこられる。

だが、問題はそこではなかった。

鬼人や獣人が魔族とされているということは、それに手を貸した者も全て異端とみなされるということだった。


今、ダダネを治療しているのは『人間』なのだ。

彼がこの場を聖職者に見られれば、それだけで彼も異端者になる。


そして、この極限状態の夜に異端とみなされた『人間』がどのような末路を辿るかなど決まり切っていた。ボンは怯えた目を滑らせる。


それは、アギーの身を心配したのではなかった。

自分の息子の治癒が中断されることを恐れたのだった。


「あんた!頼む!息子の治療を・・・・」


『やめないでくれ』


その懇願の為の台詞はボンの口から出てくることはなかった。


「・・・・・・・・・」


アギーはその場から微動だにしていなかった。

ダダネの腕を抑え、自分の魔法に全神経を集中させ、わずかなズレすら許さずに血管の中に針先を滑り込ませていく。目先はずっと水魔法の刺入部に向けられ、その手はダダネの身体が動かないように全霊をもって抑えつけている。


背後から足音が近づいてこようとも、上から降りてくる男が怒鳴り散らそうとも、連れられてくる女性が泣き叫ぼうともその集中力に一切の乱れはない。


ただ彼は鼻先に流れてくる血の香りを頼りに、血管に水魔法を通していった。


「あんた・・・」


その姿勢に牢屋の中にいた人達の目が変わる。

自分の身が危険だということをわかっていないはずがない。それでもなお、その場にとどまり続ける彼の行動が彼等の胸に響かないわけがなかった。


「これが・・・治癒・・・魔法士・・・」


誰かがそう呟いた。


だが、そんな声すらアギリア・スマイトには届いていなかった。


「あと・・・少し・・・」


俺は水の針を十二分に進め、そのまま別の魔法を唱えて血管内に管を固定する。

周囲の血管の壁に水魔法を粘着させる魔法。粘着力はあまり強くなく、軽く引けば抜けてしまうようなものなので十分な距離を差し込んでしっかりと固定しなければならない。

それでもこの魔法ならば一度固定できれば針を刺した相手が多少動いても針先がずれることはない。


俺はそ固定が完了したことを確認して、ダダネの腕に巻いたバンドを外し、最大速度で水球の水を流し落とした。

無理な加速はつけず、重力による落下速度を越えない程度だが、それでも10分もかからずに身体に流し込むことができる。


これで、ヴァンパイアの毒が回り切る前であれば命は助かる。


魔法を固定し、俺はようやく自分の集中力を魔法から取り戻した。

その瞬間だった。

俺は全身にかかる酷い倦怠感に襲われ、思わずその場に崩れ落ちた。


「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」


肺が酸素を求めて喘ぐ。全身が疲労感に包み込まれて冷や汗が吹きでる。心臓が剣の訓練を終えた直後のような速度で脈打っていた。酷い頭痛と耳鳴りが襲い掛かる。その時になり、俺は自分が数分間息を止めっぱなしであったことにようやく気が付いた


「ちょっ、君、大丈夫か!?」


誰かが声を殺しながら俺に手を伸ばしていた。

俺はなんとか息を整えようとするが上手くいかない。


それでも俺は強引にその手を取り、声を絞りだした。


「大丈夫です・・・これで間に合えば・・・ダダネは助けられます」

「そ、そうじゃない!君!急がないと、聖職者がここに」


それもわかっていた。

だが、耳の奥が飛行機に乗った時のようにくぐもっていた。視界が回って天地がひっくり返っていた。


「くそっ・・・たれ・・・」


ルルやベクトールは上で周囲から隠れながら同じことをしていたというのに、俺は一回やっただけでこの有様だった。自分がルルやベクトールなんかと比べて酷い落ちこぼれだということを再認識する。


だけど、これは自分がアホみたいに息を止めていたからだった。

次はちゃんと息をしながらやればいいだけだ。


少なくとも、俺は今この夜に初めて一人の人間に『治癒』を施した。

『神魔法』なんかではない、自分の技術と知識で『治癒』を施した。


俺は歯を食いしばって全身に力を送り込む。


こんなところで倒れている時間はないのだ。


ここには他にも傷を負った人がいる。ヴァンパイアの血液に感染している人がいる。

その全てに『治癒』を施さなければ何も為したことにならない。


俺は大きく息を吸いこんで、上体を強引に起こした。


「おい!さっさと歩け!」

「痛い!痛いって言ってるだろう!やめろって!!」


その時、地下牢へと二人の人間が入ってくる。

一人は薄汚れた白いローブを纏った聖職者。その服はところどこに水で濡れたような染みが広がり、血が点々と付いている。上の広間で必死に聖魔法や聖水を使って怪我人に治癒を施していた人なのだろう。


だが、それでも彼は鬼人や獣人を前にしてしまえば冷酷な人間へとなり果てる。


彼が手枷をつけて引っ張ってきたのは顎が少し突き出た鬼人の女の子であった。丈の長かったであろうスカートは半ばから無残に引きちぎられ、シャツの片方の袖はなくなっていた。

顔には額から流れ落ちた血が緑の筋をつくり、身体のあちこちが打ち身で濃い緑色に染まっている。

だが、頭部以外は明らかな裂傷や擦過傷は無い。


「この魔族が!お前はここの地下牢に・・・ん?そこにいるのは誰だ?」


俺はもう動きだしていた。

姿勢を落として極端な前傾姿勢で駆け出す。顔を見られるわけにはいかなかった。

ここで俺が見つかれば、友人達がどうなるかわからない。


俺は顔を見れられないように下を見ながら聖職者へと突進していく。そして、相手の足が見えた瞬間、一気に地面を蹴りあげた。


「なっ!!」


下がろうとした相手の足を踏み抜いて動きを止め、そのまま太腿を足場にして相手の身体を駆け上がる。

顔をわずかに上げて目標を確認。狙いは相手の顎先だった。

俺は飛び上がった勢いのまま自分の膝を相手の顎下に叩き込んだ。


「ガチン」と歯が激しく閉じられる音がした。蹴りぬいた膝がジリジリとした痛みを放つ。

跳躍した俺は仰け反った相手の顔を見下ろした。

聖職者の目は既に上転して白目になっており、一撃で意識を刈り取れたことを確認する。


相手の意識がもしあったら、このまま更に相手の頭を石の床に叩きつけて脳震盪を起こさせなければならなかった。追加の攻撃をしなくていいことに安堵する。


普段であれば『風の拘束魔法』で頸動脈を締めて穏やかに意識を奪うこともできたかもしれないが、今は点滴の水魔法の制御で精一杯だった。これ以上追加で魔法を放つことはできない。


俺は重力に従って落下しながら、自分にこうした徒手空拳や剣技を教えてくれた地元の師匠に感謝の念を送った。


ほんと・・・異世界きて色々習っといてよかった・・・


俺は荒い息を放ちながら、床に着地した。

一瞬遅れてその背後に完全に昏倒した聖職者が激しい音を立てて倒れた。


彼には悪いことをしてしまった。

俺が踏み抜いた足は打撲になっただろうし、顎か歯の骨には異常が残るかもしれない。

だが、その点は別に心配していなかった。


単なる外傷なら、『神魔法』が最高の威力を発揮してくれる。


「・・・・・・・・・」


息を整える俺の目の前に、今の出来事にまるでついていけていない様子の鬼人の女の子がポカンと口を開けて尻もちをついていた。

俺は荒い息をなんとか整えようとしながら、彼女に向けて手を差し出した。


「・・・俺は・・・アギリア・スマイト・・・」


まだ、鉄格子の奥には治癒を施していない人が何人もいる。

手伝える手はいくらでも欲しいところだった。


「君の名前は?・・・それと・・・その怪我はどれぐらい前にできた傷?」

「私はビヌ・・・この傷はそこの聖職者に殴られたやつ・・・他には怪我してない」


その言葉に俺は小さく握りこぶしを固めてガッツポーズをする。


俺は気を失ってる聖職者の懐を探って、大きな錠前を探し当てた。

彼女を牢屋に入れるつもりであるなら持っていて当然だった。


これがあれば、牢屋を開けることも、鉄枷を外すこともできる。


ようやく光明が見え始めた夜。

俺の戦いはまだまだこれからだった。

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