僕の回復魔法は特別なんかじゃない D
「アギリア・スマイトぉおおおおお!あんたはそこでなにしてんだぁあああああああ!!!」
悲痛な叫びが俺の名を呼んでいた。その声に俺は顔をあげる。
「あ・・・」
祭壇の下。人々が寝かされている間にマイクオーさんが立っていた。その目からは留めなく涙が零れ落ち、顔には絶望と憤怒が同居していた。それだけで、何が起きたのかを悟るには十分だった。
『これこそ神の御導きだ!!妻を・・・妻を救ってください!!』
彼は俺の足元で祈りを捧げながらそう言っていた。
「あんたは『神魔法の少年』なんだろ!奇跡を起こせる人なんじゃないのか!なのに、なんで!なんで俺の妻を救ってくれないんだ!!」
俺はその言葉に全身から血の気が下がる音を聞いた。ディスダム神父への怒りに燃えていた身体が一気に冷え切った。そして思ったことは一つ。
「なんで・・・こうなるんだよ・・・」
そして、涙が流れ出る代わりに深いため息が零れ落ちた。
身勝手だ。どいつもこいつも本当に自分勝手だ。
実現不可能な期待をかけてきたり、勝手な希望を託してきたり。
俺に何ができて、何ができないのかも知りもしない。
『神魔法』という言葉に誰もが踊らされている。
俺は自分の手元に視線を落とした。
貧民街を抜ける時についた血と泥の混じった汚れが今もこびりついていた。その手に宿る淡い光が何を救ってきたというのだろうか。
だが、そんな自責と自嘲の裏腹で俺は自分の肩に不可視の重力がかかったのを感じたのだった。
それは『罪悪感』だった。
「あんたが!!あんたが救ってくれるって言っじゃないか!あんたが!!あんたがぁあああ!!」
「ちょっと!止まりなさい!他の方の迷惑になりますから!」
「祭壇の上は神聖な場です!あなたが立ち入っていい場所ではないのですよ!」
「うるせぇ!どけえええ!!」
マイクオーさんは静止する修道士たちを振り払って、祭壇へと歩いてくる。
一歩踏み出すごとに涙を流し、幾筋もの光の筋を頬に作りながら向かってくる。
彼の目に宿るのは憎悪だ。妻を失った悲しみの行き場が俺への憎悪となって放たれていた。
「俺は・・・・俺は・・・」
俺はその場から動けなかった。俺には彼の悲しみと怒りが手に取るようにわかってしまった。
大事な人を失った痛みはわからなくても、『救える』のだと思っていた人を失う無念さは痛い程にわかってしまう。
「・・・・俺は・・・俺は・・・」
何もできなかった。何もしなかった。
マイクオーさんに頼まれ、『最善をつくす』と言ったにも関わらず、俺は何もしなかった。
『でも、ディスダム神父に逆らえず、祭壇の上に縛り付けられていたのだから仕方がなかったじゃないか』
胸の内で誰かが叫ぶ。確かにそれは立派な言い訳だ。誰も俺を責められない。
だが、俺が何もしなかったとい事実だけはもう未来永劫に変わることはない。
救えたかもしれない命を俺は見殺しにした。そして、それは今この瞬間も続いている。
俺は目をマイクオーさんから目を背けた。直視などできるはずもなかった。
彼の後ろには大広間に横たわる数百の人がうめき声をあげているのだ。
ああ・・・本当に・・・俺は・・・
今すぐこの場から消えてしまいたかった。
ディスダム神父に負けじと保っていた心が折れてしまいそうだった。
「あんたは神魔法の少年なんだろ!俺達を救ってくれるんじゃないのかよおおおお!!」
言葉が胸に突き刺さる。心臓が締め付けられたかのように痛んだ。
マイクオーさんが祭壇に足をかけようとして、修道士が三人がかりで羽交い絞めにしていた。
「どけぇ!どけよぉ!俺はそいつに話があんだよ!俺の妻を救ってくれるって言ったそいつに・・・」
教会の中が騒然としていた。それでも、多くの修道士たちは祈りを欠かさず、一人でも多くの人を救おうとしている。それを前して、俺は自分が酷く惨めな存在に思えてしまった
「なんとか言ったらどうなんだよぉ!!」
その時だった。
「おやめなさい」
ディスダム神父の冷たい声が教会内に響いた。それは時を止める魔力を帯びているかのように、周囲の音を奪い去る。修道士の皆が素早く自分の行動を止めて膝をついていた。マイクオーさんですら言葉を失って茫然とディスダム神父を見上げていた。
ディスダム神父は厳格な宗教家としての顔でマイクオーを見下ろしていた。ディスダム神父は音もなく歩き、祭壇のわずかな段差の下へと足を降ろした。
「この度は・・・あなたの妻が天に召されたことを深く深く・・・お悔み申し上げます」
「あ・・・」
ディスダム神父はそう言ってマイクオーに向けてゆっくりと頭を下げた。
声音も姿勢も、頭を下げる速度ですら、人の死を見送る者として完璧な態度だった。
「あなたが『神魔法の少年』へと向ける怒りはもっともでしょう。ですが、彼の力は多くの人々の命を救うためにあるのです・・・残念ですが、あなたの奥様は・・・彼が目にした時にはもうすでに・・・手遅れに近い状態でした・・・あなたの奥様に魔法をかけている時間があれば・・・5人・・・いや、10人は他の人を救える・・・そう判断して、アギリアくんを他の方へと向かわせたのは私なのです・・・恨むなら・・・私をお恨みなさい・・・この身は神に捧げた身。あなたの恨みつらみは私が神の御許へ向かう時に全て持っていきましょう・・・」
ディスダム神父はそう言って涙を流すマイクオーの肩に手を置いた。
「ですが・・・今はあなたの奥様の為に・・・私に祈らせてはいただけませんか・・・」
そう言ったディスダム神父の顔を見上げたマイクオーは、彼の背後に教会の男神像が見えていた。
男神の像が浮かべる父性を感じさせる表情と、目の前のディスダム神父の顔が重なる。
マイクオーの膝から力が抜け落ちた。
「俺は・・・俺は・・・妻を・・・妻を救って欲しくて・・・それだけで良かったんだ・・・」
「お気持ちはわかります。ですが、感染爆発が起きている今は・・・全てを救うことはできないのです・・・1人でも多くの人の命を救うために誰しもが身命を賭しています・・・理解していただけますか?」
マイクオーは顔を石畳にこすりつけ、声をあげて泣き始める。声を抑えることもせず、子供のように泣いていた。ディスダム神父はその背中をさすり、近くにいた修道士に彼を連れて行くように命じた。
マイクオーは修道士に支えられるようにして起き上がり、涙を流しながら大広間から連れ出されていく。
もう、彼は俺のことなど見向きもしなかった。
「彼の妻の御遺体はどうました?」
ディスダム神父が手近にいた修道士の一人にそう尋ねた。
「既に炎による浄化を済ませました・・・」
「わかりました。それならば問題ありません。その後は指示通りにしていますか?」
「はい・・・遺灰は共同墓地へと・・・」
「わかりました・・・感染爆発が収まるまでは指示は継続してください」
ディスダム神父はそう言って、再び祭壇へと足をかけた。
その顔には感慨も疲労も乗っていない。自分の仕事を当たり前にこなしただけだと言わんばかりのすまし顔。先程見せた父性など欠片すら残さず、石仮面のように血色を無くした顔で祭壇の上へあがってきた。
祭壇の上に横たわる人達に祈りを捧げるためにあがってきた。
俺は身体の震えをとめられなかった。
頭の中ではディスダム神父がマイクオーさんに言い放った言葉が何度も繰り返されていた。
『『神魔法の少年』へと向ける怒りはもっともです』
『あなたの奥様に魔法をかけている時間があれば・・・5人・・・いや、10人は他の人を救える』
『恨むなら・・・私をお恨みなさい』
『1人でも多くの人の命を救うために誰しもが身命を賭しています』
何もかもが嘘っぱちだった。
だけど、その言葉がマイクオーさんを救ったのだ。彼の心を救ったのだ。
死を受け入れさせ、悲しみに直面させ、乗り越えた後に明日への一歩を踏み立させたのだ。
「おや、アギリアくん・・・何をしている?」
ディスダム神父の凍った瞳が俺を見ていた。
俺は食いしばった歯の隙間から声を漏らす。
「何も・・・してない・・・何もしてねぇよ」
そう言って俯く俺の肩をディスダム神父が叩いた。
「そうだろう。それでいいんだ」
堪えていた涙が零れ落ちた。悔しくて、情けなくて、涙が止められなかった。
俺はディスダム神父に縛られながら、ディスダム神父に守られたのだ。
ディスダム神父はマイクオーさんに声をかけることもできなかった俺を救ったのだ。
治癒魔法師は時に死に直面する。どれだけ魔法を極めようとも救えない命などいくらでもある。
そんな死を周囲の遺族に納得させるのも、治癒魔法師の役目だ。
俺はそれさえできなかった。
頭の中で言い訳を並べ立て、口を閉じていた。
それは、ただ嵐が過ぎるのを縮こまって待っていたんじゃないのか?
何もできない自分を誰かに見せようとしていたんじゃないのか?
まるで、自分が悲劇のヒーローのように思っていたんじゃないのか?
「くそ・・・・」
「アギリアくん。次の患者だ。彼に『神魔法』を」
「はい・・・」
袖で涙をぬぐう。泥に汚れたローブでこすったせいか、目元に擦過傷のような痛みが残る。
胸に宿っていた使命感や、ラックやボブズに向けた空元気はもう残っていない。
ルルとベクトールと再度確認した知識のことを思い出すこともできない。
俺はこの時、自分の心が折れた音を確かに聞いたのだった。




