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僕の回復魔法は特別なんかじゃない B

俺は目の前に横たわるガンドレッドを前にして何かの冗談かと思った。ガンドレッドには明らかな外傷も感染の痕跡もない。だが、見た目だけではわからない深部の傷を負っている可能性は否定できない。

俺はガンドレッドの傍に膝をつき、脈拍と呼吸を計り、シャツをめくって身体の状態を確かめる。


「嘘・・・だろ・・・」


ガンドレッドの状態は極めて正常だった。

俺は念のために腹を押し込んだり、胸部を軽く叩いて音を聞いたりしてみたがやはり異常はみられない。

当たり前だ。俺はガンドレッドが気を失った現場に居合わせている。彼に大きな怪我がないことは極光騎士団の人達から保障をもらっているのだ。


だったら俺はコイツの何を治せばいい?こいつに何をすればいい?


出来の悪いジョークだった。


俺は半笑いになりながらディスダム神父を見上げた。

ディスダム神父の目は冷徹なまま俺を見下ろしている。そこには伊達や酔狂など欠片も宿ってはいなかった。


「どうした?治せないわけではあるまい?『神魔法の少年』」

「そりゃ・・・そりゃ・・・」

「ならば早くしたまえ。他にも君の治癒を必要としている患者は山ほどいる」


そんなことは言われるまでもなくわかっている。

俺がここでガンドレッドの傍に跪いている間にも教会の中で人々が手遅れになっていっているのだ。それを見過ごせなくて俺はここに足を踏み入れた。

だからこそ、ここで『コイツ』に治癒を行おうとしていることが信じられなかった。


そんな俺のことなどまるで感知せず、ディスダム神父は底冷えする声で言い放った。


「早くしたまえ」


俺を見下ろすディスダム神父はまるで異端者に最後通告を言い渡す処刑人のようだった。

ラックとボブズのことがある限り、俺はこの男の指示に従う以外に道はない。


俺は様々な感情を唾と一緒に飲み込み、自分の心臓へと魔力を集めだした。


全身の血に通う魔力を胸の中心に集め、練り上げる。仄かな温もりを宿した魔力は次第に大きな熱量となり、全身を包む。そうして作り上げた魔力を掌に移せばこの手に『神魔法』が顕現する。


昔から何度となく繰り返した魔法だ。今まで何度も使ってきた魔法だ。


だが、ここまで理不尽を感じながら『神魔法』を行うのは初めてだった。


俺はその手をガンドレッドの腹部に押し当てた。

確かに身体の深部に傷を負っている可能性はゼロではない。だから、この治癒魔法は決して無意味ではない。

そう自分に言い聞かせておかないと、焦燥で頭がどうにかなりそうだった。


傷一つない綺麗な肌の上を『神魔法』を往復させる。


俺の『神魔法』を用いて過度の治癒を行うことは別段問題はない。過ぎたる薬は毒となるとも言うが、俺の『神魔法』が人に害をなさないことは軒先で治癒魔法士の真似事をしていた経験で知っている。

だから、使いすぎることは別にどうだっていいのだ。とにかく今は一秒でも早くガンドレッドの治癒を終えることが先決だった。


そこで、俺はふと疑問が湧いた。


コイツはどうなったら治ったことになるんだ?


始めから傷一つない彼の肌にいくら治癒魔法をかけても変化はない。いつまで『神魔法』を使い続けようともゴールなど訪れるはずもない。


俺は慌ててディスダム神父を見上げた。

そして、俺は信じられないものを見てしまった。


「こい・・・っつ!!」


俺は罵詈雑言を吐き出しそうになるのを自分の精神力を総動員してなんとか堪えた。


ディスダム神父はあろうことかこうべを垂れ、目を瞑り、祈りを捧げていたのだ。俺の名前を聞いてもほとんど微動だにせず患者を診ていた男が、目を閉じて全てを俺に任せたのだ。

それは信頼の証なんてものじゃない。俺の治癒魔法がこの患者に何の役にも立たないことがわかりきっているのだ。


俺は今すぐ『神魔法』の手を止めて、こいつの顔面に拳を突き立ててやりたい衝動にかられた。

実際、それを行動に移すまであと一歩のところだった。心の堤防が決壊するのをなんとか抑え込めたのはラックとボブズの顔が浮かんだからだった。


俺が感情に任せれば、何もかもが終わってしまう。

そのことだけが、唯一俺を支えていた。


「・・・祈りたまえ・・・ともに・・・」


ディスダム神父は厳かな声でそう言った。


「ふざっ・・・けるっ・・・なよっ・・・」


怒りで言葉が単語として出てこない。過呼吸のように吐息が切れ切れになる。激昂したせいで身体の体温が一気にあがり、額に玉の汗が浮かんでいた。

噛み締めた奥歯が嫌な音を立てる。


ディスダム神父の祈りは時間にしてはさほど長いものではなかっただろう。せいぜい3分程度の短い祈りだ。


だが、そのたった3分で俺の『神魔法』がどれだけの人の致命傷を止められるだろうか?

俺が手をかざせば一瞬なのだ。一瞬で出血を止めるだけならできるのだ。

この教会に血が足りなくなって死んでいく人間が何人いると思っている。


それを思うと、腸が煮えくり返りそうだった。


「終わったかね・・・」

「はい・・・」


とっくのとうに終わってんだよ!糞野郎!!


心の中で叫びをあげる。だが、この世界に俺の声を聞きとってくれる人はいなかった。

その代わり、僅か3分で治癒を終えた俺に聖職者達からの拍手が降り注いでいた。

彼等にとっては一人の怪我を治すだけで30分以上はかかるのだから、賞賛すべきスピードなのだろう。だが、聖職者から畏敬の念を送られても何の感慨も沸いてこなかった。


なんなんだこれは・・・


「さぁ、アギリアくん。次の人のところへ行こう」


気安く名前で呼ぶんじゃねぇ!!


怒気を孕んだ目で神父を睨みあげるが、奴は俺の顔をマントで器用に覆い隠して周囲に見せないようにしていた。俺の反抗的な態度を他者に見せたくないのだろう。


俺は促されるままに次の患者の傍に膝をつく。


「くそっ!!くそっ!!くそがぁっ!!」

「どうした?そんなに彼は悪いのか!?だったら、早く治癒を始めよう」


そして、隣で何の意味も持たない祈りを唱えだすディスダム神父。

俺はまたもや傷一つない学友の前に連れてこられて、本当に頭のタガが外れてしまいそうだった。


「ディスダム・・・神父」


俺は打ちひしがれながら、ディスダム神父をねめつける。


俺は産まれ初めて『殺意』というものを抱いた。『神魔法』を得て、人を救うことこそが俺の役目だと思ってきた。剣術を学んだのも誰かを守ろうという思いが根底にあった。


だが、今の俺は視線でこの男を殺せないことがただただ悔しかった。


「早くしたまえ・・・まぁ、しなくてもいいかもしれないが」


ディスダム神父は神への祈りを中断して、低い声でそう言った。


「ふざけるなよ・・・」


俺は絞り出すかのようにそう呟く。大声で罵れば立場が悪くなるのは俺の方なのだ。

自分の精神力が耐えてくれることに感謝して、俺は声をひり出し続ける。


「ふざけるなよ・・・俺の『神魔法』を・・・他に必要としている人が・・・いくらでもいるだろうが」

「いない」

「いるだろ」

「そんなものはいない」

「いるだろ」

「いないんだよ」


ディスダム神父がふと手を払う仕草をした。

次の瞬間、俺の脇腹に一瞬だけ氷塊に触れたような感覚が走った。だが、それはすぐに焼けるような激痛へと変化した。それは肌に燃え盛る焼き鏝を押し付けられたような灼熱の痛みだった。


「っ・・・・・・!!」


声が出ない程の痛みにその場で悶絶する。

身体が反射的にその痛みから逃げようともがくが、いくら身をよじろうとも身体から痛みが引くことはなかった。慌ててシャツをめくりあげると、俺の脇腹に聖印の形状で強烈な光を放つ物体が押し付けられていた。


「なっ!なんだ・・・これっ!」


引きはがそうとしても、その聖印は異常な程に発熱しており、手で触れることすらできない。

苦し紛れに水魔法を用いたが焼石に水。俺は『焼き鏝』の上から『神魔法』を当て、火傷が生じたそばから治癒することで何とか痛みを和らげようとする。痛みは多少マシになったが、それでも身を焦がす激痛は俺の言葉を奪うのに十分であった。


身悶える俺の姿はディスダム神父がマントで巧妙に隠し、俺の醜態を見ているのはそこに聳え立つ男神の像だけだった。

俺の脇腹の聖印はディスダム神父が祈りを終えるまで光り続けた。


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

「アギリアくん!大丈夫かい!?」


息も絶え絶えの俺をディスダム神父は父性を感じさせるような態度で介護を始める。


「ふむ・・・やはり、『神魔法』とはここまで術者に疲労を強いるのか。あまり乱発させるわけにもいかないか・・・少し奥で休むといい」


その言葉に痛みで朦朧としていた俺の意識が呼び戻される。

俺は震える手でディスダム神父の腕を掴み上げた。腕をへし折るつもりであらん限りの力を込めたつもりだったが、ディスダム神父は眉一つ動かしはしない。


「やる・・・やるに決まってる」

「そうか・・・君は自己犠牲に溢れるすばらしい人だ・・・わかった!私が君の想いに応えよう!さぁ、次だ」


俺は肩を貸そうとするディスダム神父を払いのけ、何とか自分の足で立つ。

シャツをめくりあげると、俺の脇腹に聖印がくっきりと火傷の痕になって残ってた。


熱心な信者の中にはこうして自分の身体に聖印を刻む奴がいるという話は聞いたことがあったが、無神論者の俺からすればただの焼き印にしか見えなかった。

俺は『神魔法』を使って、治癒を施す。放置しておいて痕になるのだけは絶対に避けたかった。


そしてまた、気絶して寝ているだけの患者の前に連れてこられる。


「どうして・・・どうしてだよ・・・」


絶望に膝が折れた。悔しくて涙が零れそうだった。


「さぁ、始めよう」


ディスダム神父が再び祈りをはじめる。


「教会が認定した『神魔法』・・・その価値を下げてもらっては困るんだよ。しかも、ここは帝都にある教会の中だ。こんなとこで『神魔法』を用いた患者がヴァンパイア化などしたら、教会の権威は地の底だ」


祈りの合間にディスダム神父がそう言った。


感染爆発パンデミックを極光騎士団が防げなかった今、今後の為にも教会の立ち位置がわずかでも悪くなるのは困る。これは現在の帝都の悪しき状態をひっくり返す千載一遇の機会なのだ」


俺は治癒魔法を施した脇腹を確かめた。

焼き痕は消えていたが、肌が切れて流れ落ちた血が筋となって残っていた。


「だから・・・なんなんだよ」

「君には『治る人』を治癒してもらう・・・無論、私の隣でな・・・なに、悪いようにはしない」


ディスダム神父の冷たい目が俺を射抜く。魔力の中心である心臓が鷲掴みにされたような気分だった。


「なんなら、気を失ってくれてもいい。むしろそれが私としては一番良い・・・『異端魔法』を学んでいる『神魔法の少年』が力尽き、私が代わりを果たせば、やはり頼るべきは学ぶべきことを学んだ神の信徒であると皆に知らしめることができる」


さっき俺に激痛を与えた理由はそれか。


俺はここまでコイツの話を聞き、一つの確信を得た。


こいつは人を治癒することや人を救うことなど本気で志しているわけではないのだ。こいつが真に望むのは教会の影響力を高めることだけ。他人に慈悲の心をかけるのも、人の痛みを和らげるのもこいつにとってはその為の手段の一つでしかないのだ。


それは『神魔法の少年』であっても例外ではない。


「しかし・・・君の友人達は・・・随分と教会がお嫌いらしい」


ディスダム神父は目線だけで教会の方を示す。

俺がそちらを覗き込むと、教会に寝かされている患者の間をルルとベクトールがせわしなく歩き回っていた。

彼女達は怪我をしている患者の傍に膝をついては点滴代わりの魔法をこっそりと繋いでいく。浮かべた水球は患者の手の中に隠したり、手洗い用の水と言って誤魔化したりしていた。

彼女達のやっていることを理解していればすぐに気づかれてしまうだろうが、何も予備知識がなければ早々バレたりはしないだろう。


彼女達は俺ができないことをしっかりとこなしていた。

それが俺の励みになる。こんな地獄の中で唯一の安らぎであった。


「異端行為に・・・魔族の友人・・・いくら緊急事態といえども、君の態度如何では私の気も短くなる。言っている意味はわかるか?」


俺は全身全霊を込めて、ディスダム神父に中指を立てた。

こんな世界でも、人を心の底から挑発するときの仕草は変わらない。


「・・・・・・・・・」


ディスダム神父がまた腕を一振りした。その動作の間にディスダム神父が魔法を詠唱しているのを俺は確かに聞いた。

再び腹に灼熱の激痛が走った。痛みに俺の呼吸が止まる。

やはりこれは、ディスダム神父の『光魔法』による攻撃なのだ。

俺は気を失うことだけはしまいと拳を何度も祭壇に叩きつけた。俺が使い物にならなければ、ディスダム神父は俺の友人を保護する価値がなくなる。


俺にできることは耐えることだけだった。


「負けて・・・たまるか・・・」


口の中で何度も呟く。こんな理不尽に屈してたまるか。こんなところで折れてやるものか。

俺は激痛を堪えながら、身体をなんとか起こす。


「こんちくしょう・・・」


口の奥から悪態が漏れる。


手の中には『神魔法』があって。目の前にそれで救える命があるはずだった。

そのはずなのに、俺はこうして祭壇の上で蹲ることしかできない。

奥歯が擦れる音がした。耳の奥にまで自分の心臓の音が響いていた。


無力だった。あまりにも無力だった。

『知識』も『技術』も『力』も『度胸』も『地位』も俺にはない。

だから俺は何もできない。


「ほんと・・・なんでこう・・・」


その時だった。


「アギリア・スマイトぉおおおおお!あんたはそこでなにしてんだぁあああああああ!!!」


教会内に怒声が響いた。

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