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僕の回復魔法は特別なんかじゃない A

大広間へと足を踏み入れた瞬間に汗と血の匂いが入り混じった腐臭が鼻を突いた。


「いたい・・・あぁ、いたいいたいよぉ・・・」

「なんとかしてくれよ!助けてくれよ!」

「神よ・・・神よぉ・・・」


方々で人々のうめき声があがり、祈りの声が飲み込まれていく。空いている布団はなく、それでも次々と人が運び込まれてくる。


傷だらけの患者が血を滴らせながら祭壇へと運ばれていた。軽傷の患者が広間の壁際に並ばされていた。足が千切れ落ちた患者を聖職者が3人がかりで治癒魔法をかけていた。僅かな切り傷の患者に修道女が祈りを捧げながら浄化魔法を当てていた。


教会内に溢れかえる患者は増える一方だ。


その原因は全てヴァンパイアの毒のため。『血の魔法』がわずかに掠っただけでも数時間後には死に絶え、眷属になる未来が待っている。かすり傷1つの患者でさえ、ないがしろにできない。

そのせいで患者の数は爆発的に増えていく。


感染爆発パンデミックの名前は伊達ではない。


増え続ける患者に対して、どれだけ聖職者がいても捌ききれない。

そのせいで全ての患者の管理がしきれない。余裕のある患者に人数が割かれ、最優先で治療を受けるべき患者が手遅れになる。


命の火が消えた者は修道士により広間から運び出される。

死んだ患者は眷属への変化する可能性があるために死体ですら放置することはできない。彼らは聖職者により『炎にによる浄化』がなされる。


それでも、聖職者による供養がなされるならまだマシな最期なのかもしれない。おそらく、今この瞬間もヴァンパイアの眷属に食われ、路地で冷たくなる骸がこの帝都に溢れているに違いない。


この夜の生と死の境界はあまりにも薄い。


俺らを連れてきた修道女は患者の間を抜け、真っすぐに祭壇の方へと向かっていった。

他の大広間よりわずかなに高くなっている祭壇。だが、そのわずか数センチの高さこそがある種の結界のように人を阻む。そこから先は神に許された者のみが登壇を許される聖域だ。


人々の間を抜けながら、俺は自分の目指す先を眺める。

祭壇の奥に鎮座する巨大な男神の像。通常の人間の2倍はあろう大きさをした真っ白な石像が慈愛の表情で教会に横たわる患者を見下ろしていた。聖書に書かれている世界の罪を1人で背負い、神に至ったお方だそうだ。

この聖人が産まれる前から神に見初めらていたのか、それとも元々神だった者が人の姿で降誕した『現人神』なのかは今も議論が続いているとか。


「・・・・・・・・」


俺からしてみたら答えは簡単だった。

もし、聖書に書かれている事実が本当ならば、彼は神でもなんでもなく、俺と同じように『力』を得た人間に過ぎない。

彼は上手くやったのだろう。『力』に伴う『責任』を上手くコントロールし、人を従える重圧を飼いならし、宗教を作った。


『神魔法の少年』などと呼ばれて、調子に乗っていい気になって、学園でお山の大将程度を目指していた俺とは雲泥の差だ。


そんなことを考えて、俺は自嘲の笑みをこぼす。


男神の像の裏からステントグラスを通して月の明かりが差し込んでいた。まだ真夜中には早いのに月はもう天頂に近い。外に浮かぶ欠けた月を思い出し、俺は腹の底から息を吐きだした。


気持ちが完全に後ろ向きになっている。これじゃ、だめだ。こんなんじゃ救える命も救えやしない。


俺は唇の端を指で無理やり持ち上げる。人が死んでいる最中で笑みを浮かべるわけにもいかないが、頬の筋肉を緩めるだけで効果はある。そう思いたい。


俺は首を小さく横に振り、男神の像から目を逸らした。

俺の見るべき相手は動かない石像ではない、生きている人間だ。


だが、祭壇の上に目を向けた俺はすぐさま目線を上に戻したい衝動にかられていた。

祭壇の上にで寝かされている人々を見て、この聖域に登壇できるのがどういった人間なのかを悟ったのだ。


そこには『最重症』の患者ではなく、『最重要』の患者が横たえられていた。


つまり、貴族の御子息共。俺達が尾行した貴族連中を中心にいかにも身なりの整った人々が寝かされていた。確かに煌びやかな服装が並ぶ光景は『美しい』という形容が似合うかもしれないが、こんな夜には場違いな光を放つだけだった。


ただ、それ以上に俺が視野にいれたくない存在がいたのだ。

祭壇の上で『聖魔法』を駆使している聖職者の1人。横顔からだけでもわかる。表情こそ男神に似た慈愛のものを浮かべているにも関わらず、その瞳だけは生気を感じられない程に冷たい。


「ディスダム神父!『神魔法の少年』をお連れしました!」


大広間の中の騒音に負けない声量で修道女が声を張る。厳格な修道女は声を慎むものだが、この緊急事態に様々な箍が外れているのだろう。そして、その大きな声は俺達を更なる地獄へと追いやるものになった。


『神魔法の少年』


その名前が出ると同時に周囲の目が俺に向く。聖職者達の期待に満ちた視線が俺に突き刺さる。


「神魔法の少年だと・・・」

「まさか・・・本当に・・・」

「やはり神は我々を見捨てなかったのだ!」


患者をそっちのけで俺に向かって祈りだす聖職者達。こんな魔法学園で一年も勉強していないド素人の俺に期待を寄せる人々。


くそったれ


何度も飲み込んだ言葉を口の中で吐き捨てる。

俺はもう一度自分の頬を握りしめて、強引に頬の筋肉を動かす。


無理に作った『笑顔』でも不安定な感情をリセットするぐらいの効果はあるようだった。


俺は気持ちを落ち着けて顔を上げる。俺に注目して手を止める聖職者達の中でもディスダム神父だけは違っていた。ディスダム神父こちらにわずかに視線を向けただけで、治癒魔法を駆使している相手から目を逸らしはしない。


自分の姿が周囲からどう映るかを知り尽くしている行動だった。

とはいえ、俺の利用価値と比較して、貴族の治癒を優先した可能性が高そうだがが。


ディスダム神父は傷の治りが一通り終わるのを見届け、改めてその視線を祭壇の下にいるこちらに向けた。

俺達を案内した修道女がすぐさま膝を折る。敬虐な神の羊の行動の速さは流石の一言だ。

だが、俺はこの世界の神に祈ったことなどない。俺は逃げずにディスダム神父の視線を受けて立った。

モノクル越しの感情を宿さぬ瞳が俺達を射抜く。


「ほう・・・本当に・・・君か」


ディスダム神父の冷たい声音が耳朶に届く。その声に束縛の魔法が込められているかのように、俺らの足は瞬時にその場に縫い留められた。背筋に汗が一筋流れ落ちる。


蛇に睨まれた蛙というのはこういうことを言うのかもな。

自分のことなのにどこか他人事のようにそう思いながら、俺はディスダム神父をにらみ上げた。


そして、不意にディスダム神父がその両腕を広げた。


「これは・・・これは・・・なんたる神の御導きか」


奇跡など天と地をひっくり返しても見つからないとでも言いそうな男がそんなことを口にする。俺は腹に力を込めて小さく呼吸を繰り返す。


「Mr.スマイト。アギリア・スマイト・・・まさか、まさか君が!この場に居合わせてくれるなんて!まさに天啓だ!いや、本当に素晴らしい!君は闇の中に降り立った一筋の光だ!!」


ディスダム神父は必要以上に鷹揚な動作で、嫌味な程によく通る声でそう言った。

周囲から感嘆の声が漏れる。


それは『神魔法の少年』である俺に対してなのか、『神魔法の少年と知り合いであるディスダム神父』に対してのものなのかはわかりはしなかった。ひょっとしたら『ディスダム神父に認められている神魔法の少年』に対する感動なのかもしれないが、結局『どうでもいい』の一言につきる。


今は一刻も早く治癒に向かいたい。余計なことは言わずにディスダム神父の成り行きに任せた。

教会の中で聖職者に行動を握られるのは極めて危険ではあったが、今の自分には他にやりようがなかった。


ディスダム神父は口元だけで疲れた笑みを形作りながら、祭壇を降りて俺の手を半ば強引に握った。


「君がいてくれて助かる。ここには我々の神の加護が届かない人達が大勢いる。君の『神魔法』であれば数多くの命を救える!さぁ、さっそく来てくれ!君の魔法が必要な患者はこっちにいる!」


そして、ディスダム神父は今更ながらに、ルルとベクトールへと目を向けた。

まるで『神魔法の少年』にしか目が行っていなかったかのような演技だ。


「おやおや・・・Mr.スマイトの友人の方まで・・・君たちも我々の祈りに手を貸していただけるので?」


隣にいるルルが頷いたのが雰囲気だけでわかった。ベクトールに至っては微動だにしない。


「おお、ありがたい!いかなる種族の方であろうとも、人間である限り教会の門扉は常に開かれておりますゆえ」


『人間である限り』


ディスダム神父は殊更にそれを強調して言った。

その話を出されて、次に出てくる言葉は決まっている。


「・・・ところで、他の友人は?」


俺の全身の毛が一気に逆立った。


冷徹なまでに人を追い込もうとするとき、人はこんな声を出すのか。


声に温度があるとするならこれは間違いなく氷点下の声音であった。人の心を凍えさせ、萎縮させて震えさせる恐怖の声だ。

彼の声の波長の一つ一つが肌を撫でるごとに、鳥肌が走り抜ける。喉の奥が締め付けらたかのように気道が締まる。背筋に氷を流し込まれたかのような悪寒が止まらなかった。


覚悟はしていた。ディスダム神父に相対することになると身を引き締めてきた。

だが、そんな俺のちっぽけな防壁などディスダム神父は無造作に砕き、踏み越え、一瞬でかき回す。

ただでさえ長身のディスダム神父の身体が奥に見える男神の像のように巨大に見えていた。


俺は息が止まりそうな緊張感の中、なんとか喉奥から言葉をひり出した。


「あいつらは・・・怪我もないので・・・廊下で休んでいますよ」


声の震えはなんとか抑え込んだが、頭はまるで回っていない。

ほとんど脊髄反射で喋ってしまっていた。


「そうかそうか・・・だが、ヴァンパイアから傷を僅かでも受けていたら命に係わる・・・私が後で直々に身体を調べておこう」

「やめろ!!」


反射的に声をあげ『しまった』と後悔する。これでは獣人ラック鬼人ボブズが教会の中にいると教えているようなものだった。それはディスダム神父が俺に対して強力な切り札を手に入れたことと同義だ。


『逆らえば君の友人を捕らえる』


ディスダム神父の氷よりも冷たい瞳がそう物語っていた。


「そうか、わかった。では早速、君に祈りを捧げて欲しい患者がこちらにいるのだ。さっそくこっちに来てくれ・・・」


ディスダム神父は俺の手を引き、祭壇の上へと引き上げる。踏み越えてしまえば大したことのない段差だが、その上に立ったことの影響はやはり大きい。周囲から聞こえる祈りの声が一際強くなったのだ。

ディスダム神父はそんな俺を自分のマントで覆うようにしながら、祭壇の奥へと進んでいく。


これから俺は最初の患者のもとへと連れられていく。


傍にいるのはディスダム神父。頼れるのは自分が培った魔法のみ。

俺は後ろに残した2人を振り返った。


2人は祭壇へと足を踏み込むことができず、その場に佇んだままだった。

俺は一呼吸置き、自分の親指で頬を持ち上げた。


もう、自分の表情筋だけで笑顔を浮かべることは不可能だった。

それでも、俺の気持ちだけは2人に伝わったようだった。


2人が覚悟を決めた顔で頷いたのを見て、俺は前を向いた。

目の前にそびえたつ男神の像。真下から見上げると、その表情はこちらを冷静に監視するかのようにも見えた。


やってやろうじゃん。


俺は男神の像の物言わぬ瞳を睨み返す。

ディスダム神父の視線に比べれば、まだまだ可愛げのある顔だった。


「さぁ、Mr.スマイト。この方の命を救ってやってくれ」


まるで可愛げの無い声を聞きながら、俺は最初の患者を見下ろす。


「・・・まじかよ」


患者を選ぶつもりはない。

誰であろうと救ってやると意気込んでいた俺の目の前にいたのは、同期のMr.ガンドレッドだった。

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