爆発感染 G
『俺のやることは全部『神』の祝福ってことでいいんだよなぁ!?』
こんな理屈が通じるわけがないことはわかっていた。
いくら『神魔法の少年』だろうと教会の原点である聖典に異を唱えることなどできはしない。
だが、今は緊急事態だ。人込みの間でこっそりと点滴をぶち込むぐらいならできるはずだ。
それは、火薬庫の中で花火をするような危険な賭けだ。
もし、精霊魔法を用いた治癒魔法を使ったことがバレたとして、『神魔法の少年』と教会が任命した俺の価値がどれだけの保険になるかなんてわからない。
もしかしたら異端者の烙印を押されるかもしれない。これから先の一生を石を投げつけらて過ごすことになるかもしれない。
だが、そんなことになったところで『獣人』や『鬼人』と肩を並べることになるだけの話だ。
胸の奥に渦巻く不安を屁理屈と空元気で叩き伏せる。
少なくとも、この場で震えて手をこまねいて絶望の中で悲劇の主役になるよりかは幾分かマシな役者になれるだろう。
そんな賭けともいえない暴挙に踏み切る勇気を俺はベクトールからもらった。
大人しい顔をしていながら、時々大胆不敵で、人の度肝を抜くような行動も無表情でこなしてしまう。
時々忘れそうになるが彼女は頑固と豪快さで名を馳せる『ドワーフ』なのだ。
肝の据わり方が俺らの比じゃないことを、俺は今更ながらに思い知っていた。
俺の舞台は・・・俺が決める。
ボブズの言葉を胸の内で繰り返し、目尻に力を込めた。
「どうなんです?」
俺は修道女に詰め寄る。
今まで教会の中で修業しかしてこなかった厳粛な修道女。世間に出たことのない生娘だ。こんな俺みたいなガキの視線1つに既に及び腰になっている。
威圧的になった俺の行動に瞳を揺らしている修道女には多少の同情はするが、こっちもなりふり構っている余裕はなかった。
「えぇ?どうなんだよ!」
俺は更に一歩前に足を踏み出す。修道女の足がそれに応じるように一歩下がった。
押し切れる。俺は内心でほくそ笑む。
啖呵を切る俺に対し、彼女はわずかに息を飲み、小さく呟いた。
「・・・・あなたに・・・神の御加護を」
それは実質の敗北宣言のようなものだった。修道女は答えを出すことを拒んだのだ。
俺の問いに含まれる『異端』を感じ取りながら、彼女は曖昧な言葉で場を逃げることを選んだ。
「ありがとうございます。じゃあ、患者のところに連れていってください」
必要以上の満面の笑み。それに対して修道女の顔はあからさまに引き攣っていた。
ただの修道女から取った言質が利用できるとなど俺も思っていない。
ただ、俺が少し凄んだだけで修道女は黙らせられる。そのことがわかれば少しは動きやすくなるだろう。
俺は胸の奥底まで息を吸い込んだ。
教会の埃っぽい空気と、人々の汗の臭い、そしてかすかに漂う腐臭が俺の中を満たしていく。
修道女が「ついてきてください」と言って歩き出し、俺はそれに続く。
俺が歩き出すと、廊下にいた人達の間から「おぉ」という感嘆の声があがった。頭を下げる人や聖印に祈りを捧げだす人。誰かが銀盃を持って回れば小銭が大量に手に入れられそうだった。
そんな彼等の間に身を沈め、深刻そうな顔をしているラックとボブズ。
俺は最後に2人を振り返った。
「大人しくしてろよ」
俺はそう言って自分に出来る最高の笑みを浮かべた。
この世に俺に勝てる奴なんかいない。俺は世界最高の治癒魔法師だとでもいうつもりで笑ってみせる。俺は不敵な笑顔で敵に立ち向かっていく映画ヒーローを頭に思い浮かべていた。
上手く笑えた自信があった。ボブズとラックの和らいだ表情がその証拠だった。
俺は2人に手を振り、修道女の背中へと目を向けた。
もう、顔に笑顔は残っていなかった。
俺は胸の中心に魔力を集める。心臓に宿った熱量を掌に移せば『神魔法』と称された治癒魔法が淡く光を放った。
「最高に頼りないな・・・」
俺の持つこの魔法がいかに無能かを味わってきた。
頭の中でバカなことをいていると誰かが囁く。危険な賭けをしていると警鐘が全力で鳴り響く。
それでも俺は動くことを決断したのだ。今更逃げるつもりは毛頭なかった。
俺は静かに深呼吸を繰り返した。
「アギー・・・」
声をかけられ、反射的にそちらを向く。
ベクトールがいつの間にか俺の隣を歩いていた。
俺の腰より少し高い程度のところにある彼女の頭が俺を見上げていた。
彼女の赤い瞳が松明の光を反射して輝いていた。
「緊張してる?」
「そりゃもう・・・」
ヴァンパイアに襲われた人に対してできる対処は確かに学んだ。だが、それが全て血肉になっているかというと正直言って自信はなかった。頭の中では授業でザイラル先生が声高に繰り返してた内容が駆け抜けては消えていく。
水球を流し込む速度はどうするのか?水魔法に対する浄化魔法の割合は?体内の水分に近い成分にする為に加える土魔法は?
机の上に残してきたメモ書きの束が今は何よりも欲しかった。
「ちゃんとできるかな・・・」
修道女の後ろを歩きながら手の中に水球を作り上げる。
そこに土魔法と浄化魔法を溶かし込んで患者に点滴することでヴァンパイアの毒素に対する応急処置にはなる。
震えるもう片方の手で魔法を唱えようとするが、唇が震えるばかりで言葉が紡ぎだされることはない。
どんなに机上で学び、練習を重ねていようとも、土壇場に立てばすぐに抜け落ちてしまう自分がつくづく情けなかった。
そんな俺の水球に白い手がかざされた。
「アギー。落ち着いてください」
俺の手の中で渦巻く水球に土魔法の色が混じる。
「血を流し過ぎている人には『ソルグレード』を0.3『マッシブティ』を0.15『ボーンドーン』を0.1『ヘビーソリッド』を1.9です」
ルルが歌うように魔法の詠唱をはじめ、水球の中に密度の違う色の液体が渦を巻く。黄色を主体とした土魔法は次第に均一に広がり、徐々に黄金の輝きへと変わっていく。
それは今まで何度も練習して作り上げた水球の魔法だった。
今まで何度も作ってきた水球。
寮の談話室で何度も練習した。部屋でボブズと夜遅くまで勉強した。
ラックの病室で、食堂で、教室で、できるようになるまで幾度となく繰り返した魔法だ。
努力に裏打ちされた経験が記憶の彼方から揃ってくる。
点滴の為に作り上げられた魔法が俺の思考を正常に動かしはじめた。
俺はルルが注ぎ込んでくれた水球を霧散させ、新たな水球を作り上げる。
「わかってるよ・・・血が足りている人なら『ソルグレード』0.35『マッシブティ』0.3『ソレッドミル』0.9だ・・・』
俺の詠唱に合わせて、先程とは色の密度がわずかに異なる水球が作り上げられる。
そして、俺が作り上げた水球にベクトールが小さな手をかざした。
「・・・そして・・・『ハイキュア』を10・・・」
水球が光り輝き、白い色を帯びたと思えばそこには透過性を増したやや黄色がかった綺麗な球体ができあがっていた。
俺はその球体を見つめる。
松明の光が水球の表面で反射し、俺達の顔を映していた。
水球にうつった自分の顔はこの世の終わりを味わったかのような酷い顔をしていた。
貧民街でのたうち回ったおかげで、顔は泥だらけ。目は疲労で落ち窪み、唇は晴れぼったく膨らんでいる。
こんな顔でよくラック達を少しでも安心できる笑顔を作れたものだと感心する。
そんな俺の水球をルルとベクトールが覗き込んできた。
「酷い顔だ・・・」
「お互いさまです。それとレディにそういうこと言わないでください」
膨れたルルの顔も泥だらけだ。普段は流れるような金髪も汚水にまみれて見る影もない。彼女の白い肌は血の気が引いて死人のように真っ白だ。
今にも貧血で倒れそうな顔をしていながらも、ルルは僕の隣を歩いていく。
「・・・アギーも酷い顔」
「ベクトールはあんまり変わんないな・・・」
普段からあまり表情の動かないベクトールの顔だが、こんな時でもそれを崩さないのは素直に尊敬する。
ベクトールのルビーのように赤い瞳と水球越しに目が合った。
「アギー・・・ルル・・・」
「なんだ?」
「なんですか?」
ベクトールがゆっくりと拳を俺の前に突き出した。
「2人とも・・・頑張ろ」
彼女の拳は小刻みに震えていた。
怖い気持ちは皆一緒なのだと、その手が訴えていた。
「ええ・・・私達にできることを・・・しましょう」
ルルがベクトールの拳にコツンと音を立てて自分の拳を合わせる。
俺は小さく笑って掌に浮かべた水球を見下ろす。
小さな核を中心にめぐる水魔法の球体。土魔法と浄化魔法を適切な割合で混ぜ、人の身体に流しても害のない液体へと変える魔法。
これが俺の『治癒魔法』だ。
魔法学園で学び、試験や事件に打ちのめされ、それでもなんとか努力して食らいついて手にした本当の『力』だ。
これは世界中の誰にも、俺を転生させた神様でさえ奪えない、俺自身の『スキル』だ。
俺は力いっぱい手を握りしめる。
水球が霧散し、松明の光を受けて煌いた。
俺はそうやって作った拳骨を2人の手に力いっぱいぶつけた。
「・・・やろう・・・俺達は・・・治癒魔法師だ」
教会の大広間はもう目の前に迫ってきていた。




