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爆発感染 F

「神魔法の少年?あれが?」

「あの子が・・・本当に?」

「私達を救ってくださるのか?」


周囲から迫る視線。期待と不安が入り混じった圧力が僕の喉を締めあげていく。

静まり返っていく教会の廊下。背筋に汗が一筋流れ落ちた。


「・・・アギー・・・だめ」


立ち上がろうとした僕の服の裾をベクトールが掴んだ。

この状況で立ち上がれば、それは『神魔法の少年』である事実を認めることになる。


そして、待ち受けるのは教会に運び込まれた大量の患者だ。


僕はヴァンパイアに襲われた傷をこの世界の誰よりも素早く治すことができる。

救える患者は少なからずいる。


だが、僕にできるのはそれだけだ。

教会の文化の中では学園で習った魔法を用いた治癒は使えない。


浄化魔法が使えない。点滴治療ができない。


眷属に流し込まれた毒を浄化することはできない。血を流し過ぎてしまった患者に何もできない。

ここで立ってしまえば、待っているのは自分の無力さと向き合い続けながら、それでも『神魔法』だけを使い続けなければいけない長い夜だ。


僕は震える手を地面につき、身体を無理やり持ち上げる。


「やめましょうアギー・・・必要ありません・・・こんな場所で・・・こんなところで・・・アギーだけが出張る必要はないんです。ここにはそんな必要がないぐらい人手がいます!」


自分が何もできない魔法学園の一年生であることを仲間達は理解してくれていた。

そして、そんなことはこの自分自身が一番わかっている。


だが、僕は立たなければならなかった。


僕はここで注目を浴び続けるわけにはいかないのだ。


「アギー・・・やめろ」

「スわって・・・アギー」


ボブズとラックがフードの下から僕のことを見上げてきていた。

その顔にはもういつもの笑顔など浮かんでいない。


疲労と不安に彩られた余裕の無い瞳が僕を見つめていた。


こんな場所で長時間注目を浴び続けることはラックとボブズが発見される危険性の上昇に直結する。

先程の声は周囲にいた聖職者の耳にも届いている。

もし、彼等が直接僕を探しに来るようなことになったら、危険度は更に増す。


このまま隠れていたところで、時間は解決してはくれない。


そして、何よりも懸念すべきことがここが『教会の総本山』であるということだった。


僕の脳裏にモノクルをかけた冷たい瞳が見え隠れしていた。

教典主義の塊。『迫害のモノクル』。温もりをしらない氷の微笑。


ここは、あのディスダム神父が祭司を務める教会なのだ。


ディスダム神父は僕の顔を知っている。

そして、僕の友好関係も知っている。


彼がこの教会にいるラックやボブズに気が付かないはずがないのだ。

僕の存在が発覚してしまった今、もう猶予は残されていない。

縋る希望があるとすれば、『神魔法の少年』の存在を盾に取ってラック達の安全を保障してもらうしかない。


例えそれがかぼそい希望であろうとも、それ以外に僕の目の前にはもう選択肢が残っていなかった。


「・・・・・・・行くよ」


僕は震える足に力を込める。

疲れ果てた身体に鞭を入れる。

萎びた心臓に無理を強いる。


まだ、爆発感染パンデミックは終わっていないのだ。


「行ってくる・・・僕は・・・僕の魔法は『特別』だから・・・さ」


口から出まかせを言って、笑ってみせる。

頬を歪めると強張った顔の筋肉が酷く痛んだ。上手く笑えた自信など欠片もない。

ボブズやラックが積み上げてきた笑顔には程遠くても、それが僕なりの精一杯の強がりだ。


僕は深呼吸をして、目を閉じる。

頭の中は真っ白だ。心の中は空っぽだ。がらんどうの肉体は疲労で塗りたくられた壊れかけの器だ。


それでも僕は立ち上がった。


それが、きっと僕が『特別』である『責任』なのだ。得てきた『名声』の『代償』なのだ。


僕の実力など誰も知らない。僕の事情など誰も考慮しない。

だが、『最強の治癒魔法を使える』という名前だけは世に広まっている。

世間は僕に奇跡を期待する。人々は僕に不可能などないと思い込む。


勝手なことを言うな。応えられるわけがないだろう。


そんなことは僕が一番わかっている。

だが、泣き言をいくらこぼそうと、涙を流しつくそうと、状況が逃げることを許さない。


僕は自分を地獄へと導いてくれた人の声に顔を向けた。


「やっぱり!アギリアくんだ!みんな見ろ!!『神魔法の少年』がここにいるぞ!!」


視線が僕に集中する。僕を見る無数の目。

皆にとって僕はヴァンパイアの出現という底知れぬ絶望の中に現れた希望の光のように見えるのだろうか。

だが、僕には見上げてくる瞳の一つ一つに宿る光が悪魔の眼光にすら見えていた。


涙が出そうになった目頭に力を込めて無理やり抑え込む。

震えそうになる身体を奥歯を噛み締めて静める。


足元ではルルとベクトールが僕を引き戻そうとしていた。僕は2人の手を払った。


もう引き返すことなどできはしない。

僕は声をかけてきた赤毛の男性のもとへと近づいていった。


「マイクオーさんでしたっけ・・・」

「はい。はい!!覚えていてくださったんですか!?」

「ええ・・・まぁ・・・」


マイクオーさんは神に祈りを捧げるように両手を組み、僕に向かって頭を下げた。


「これこそ神の御導きだ!!妻を・・・妻を救ってください!!」


頭を下げるマイクオーさんの肩に手を置く。

その腕に力がこもった。


「ありがとうございます!ありがとうございます!」


彼は僕のその手を『励ます手』だと思ってくれたらしい。

彼が顔をあげなくて本当に良かった。

僕は溢れかえる感情に飲まれ、きっと酷い顔をしていただろうから。


「・・・最善を・・・尽くしますよ・・・」

「お願いします!!」


『俺』の手に更に力がこもる。


俺の腕に伝わる力は単純な『怒り』によるものだった。


『勝手なことを言うな!』『この俺に何を期待してんだてめぇは!』『一介のただの学生に奇跡なんか願うんじゃねぇよ!』


喉の奥に百万語が溢れかえっていた。それが、何かの拍子に決壊してしまいそうな程にせり上がってきていた。

罵詈雑言をぶちまけてルル達の隣に腰を降ろせたらどれだけ楽か。

何もかも投げ捨てて逃げ出してしまえればどれだけ楽だろうか。


そんな逃げ道を廊下に座る人々が塞いでいた。見ず知らずの他人が寄せる無責任な希望が荒波のように俺を岩礁の上に押し上げる。もう、降りることはできない。


「あなたがアギリア・スマイトですか?」


声をかけられ、振り返る。

そこには聖印を握りしめて俺を見つめる修道女が茫然としたように立っていた。


「・・・はい」

「本当に・・・あなたが・・・『神魔法』の?」


その時、僕は肌にゾクリとした悪寒を感じた。


頷いてはいけない、と誰かが囁く。


日本では決して発現しなかった俺の第六感が警鐘を鳴らしていた。

俺はこの修道女の落ち窪んた瞳や、焦燥した顔や、やせ細った指に狂信的な様相を感じ取っていた。

彼女が言った『神魔法』という台詞に込められたニュアンスから危険な臭いが立ち込めていた。


漠然とした予感。それはこの修道女が『神魔法』を『全知全能の魔法』だと思っているかもしれないという予感であった。


一般市民が受け取る『神魔法』のイメージ。それと同等のものを『聖職者』が抱いている。

それは、つまり教会に『戦力』の頭数に入れられるという意味だ。


「あなたが、全ての傷を瞬時に治してしまわれる『神魔法の少年』なのですか?」


俺の予感を裏付けるかのように修道女が続ける。

彼女の沈んだ瞳の中の光が泥中で燃える燐のように見えた。


『違う』


その一言を言ってしまえ。

僕が治せるのは『外傷』だけだ。

人の本来持つ治癒能力を急速に高める魔法の上位互換でしかありはしない。


だが、僕の口からはその言葉は出てこない。


決壊しそうな百万語が周囲で俺に祈りを捧げはじめた人々にせき止められる。

彼らを前に後ろ向きな言葉を吐き捨てることが俺にはできなかった。


こんな時どうすればいい?


堂々と頷けてというのだろうか?

神のように厳粛に。王のように傲慢にふるまえとでも?

ただの小僧にそんなことをしろというのか?


周囲の人が頭を下げる中、俺は自分を見つめ続ける視線に気が付いた。


壁際に縮こまっているラックが小さく首を横に振っていた。

ボブズが『やめろ』と小さく呟き続けていた。


そんな彼等の隣でベクトールだけが何かを決意したかのような顔をしていた。


「・・・・・・・・・」


彼女は服の下も隠すようにして水球を浮かべていた。

点滴に使う『水魔法』。その中に浄化魔法が光の粒となって流し込まれていく。


「・・・・・・・・・もう・・・できる」


この魔法をこなすのにどれだけ四苦八苦していたのかを俺は知っている。

彼女が積み重ねた時間の長さを俺は知っている。


そして、その魔法が教会では『禁忌』とされていることぐらい彼女は百も承知であるはずだ。

それでも、ベクトールは僕に向けて小さく頷く。


『1人で行かせはしない』


そんな台詞がどこからか聞こえた気がした。

彼女のルビーのような赤い瞳が炉の中で燃え盛る炎のように揺れていた。


「・・・・・・おい・・・ベクトール・・・お前」


そんなベクトールに気が付いたのか、ルルが驚いたような顔で彼女と僕を見比べた。

だが、彼女は視線を2往復もさせないうちに決意を固めたようだった。

ボロボロの袖を引きちぎり、腕まくりをして俺を見上げる。


「・・・・・・おいおい・・・」


僕はラックとボブズへともう一度目を向けた。

2人は友人達の決断に度肝を抜かれたような顔をしていた。


『俺の舞台は俺が自分で決める。配役も結末も俺が決める』


ボブズはそう言って笑っていた。


『デ、ドうしても辛かったら、コうやって笑って誤魔化すんだ。カッコよく見えるだろ?』


ラックはそう言って笑っていた。


「・・・・・・ったく・・・」

「え?」


頭の中に向こう見ずな策が浮かんでいた。心の中に仲間達の笑顔が滑り込んできていた。がらんどうの肉体に力がどこからか沸き上がってきていた。


俺はその修道女に向けて笑ってみせた。


口の端を持ち上げ、八重歯を見せつけ、自分が影を背負った人種であるかのようにニヒルに笑ってみせる。


「『神魔法』と俺を認定したのは・・・教会だと思ってましたけどね?『神』に祝福された聖魔法の使い手だってね」


ベクトールとルルが立ち上がった。


「俺は『神』に認められた治癒魔法師なんだよな?だったら、俺のやることは全部『神』の祝福ってことでいいんだよなぁ!?」


俺は口元の笑みを崩さずにその修道女を睨みつけていた。

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