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爆発感染 D

細い路地から大通りの一本へと飛び出す。


人々が灯す生活の明かりが夜闇を照らす大通り。普段から遅い時間まで明るい光に満ちているこの場所。薪や油をふんだんに使用して、夜中まで賑わい続ける姿はまさに繁栄の象徴であるはずだった。

そこは人が溢れる日常空間。ヴァンパイアやゾンビのような眷属共が跋扈する非日常から逃げ出した末のゴールのはずだった。


「・・・・・・な・・・」


僕は言葉が出なかった。ともすれば、立ち止まってしまいそうになる衝撃。

それは希望が絶望へと塗り替えられた瞬間でもあった。


「足を緩めるな!頭を下げて走り続けろ!!」


極光騎士団の人の吠えるような叫びに我に返った僕は頭を手で覆いながら、大通りの石畳を走りだす。

下げた視線の中に様々な色の光で照らされた地面が続いていた。


「助けて!助けてくれぇ!!」

「極光騎士団だ!極光騎士団がきてくれたぞ!」

「神父様はいないのか!誰でもいい、治癒魔法ができるひと!こっちに怪我人がいるんだ!!」

「みんな下がれ!急いでここから離れるんだ!!」


夜闇を少しでも照らそうとする松明の光。極光騎士団が放つ光魔法の強い輝き。どこかで火事でも起きたのか天を焦がすほどの赤い炎が揺らめく。騒ぎの中に潜むかのように夜空に赤い月がのぼっていた。


大通りは既に阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


貧民街から流れ出した眷属共が跋扈し、人々が恐怖と混乱の渦の中に叩き込まれていた。血の魔法が方々から飛び込み、光魔法が辛うじて迎撃している状況が僕からでも見てとれた。

人々が逃げ惑い、極光騎士団が声を張り上げてそれを先導している。その隙間に鎧を携えた警備隊や巨大な剣を背負って戦おうおうとする一般人の姿が見え隠れしていた。


不意に甲高い悲鳴があがった。視線がそちらに吸い寄せられる。


「うわぁあああ!助けてくれぇえ!」

「誰か!誰かきてぇえええ!!」


極光騎士団がまるで守護していない場所から眷属の群れが躍り出てきていた。


眷属の群れは手あたり次第に血の魔法を降らせ、人々の体内から血を噴出させる。

地面に人が倒れていく。血飛沫があがっていた。どこからか赤子の鳴き声が聞こえてくる。

人々の叫びが木霊する。誰かの祈りの声が鼓膜をうつ。


日常が蹂躙されていた。


僕は自分の中で何かが崩れていく音を聞いた。


それは、今まで持っていた常識とか、平和ボケした頭の中とか、そういったものが崩壊した瞬間だったのかもしれない。


僕は心のどこかで世界には平和な場所があり、決して侵略されない世界があると思っていたのだ。

それが自分の暮らす日常であり、自分は無条件にその平和を享受することができると信じていた。

そこには小さな悲劇は数あれど、決して崩れ去ることのない秩序が満たされると思っていたのだ。

野犬の事件では誰も死ななかった。最悪の事態は回避できていた。それが僕の中に1つの余裕を作っていたのかもしれない。


だが、目の前の景色はそんな僕の内心をあざ笑うかのようにそこにあった。


昨日まで屋台が広がっていた場所が破壊され、賑わっていた大通りは逃げ惑う人々が入り乱れて無秩序なものと化していた。

ボブズと買い食いに出かけた店も、ルルと一緒に散歩した道も、ラックに案内してもらった屋台も、ベクトールの買い出しに付き合わされて歩いた広場も、今まで決して変わることのないと思われていた見慣れた景色が、血の赤に塗りつぶされていく。

倒れ行く人々。切り裂かれ、貫かれ、追い詰められ、食い殺される。

視界の中だけで既に数えきれない程の『死』が満ちていた。


貧民街の路地で見かけた『死』などほんの序章であることを叩きつけられる。


ここが異世界だ。これが魔族という人間の敵だ。


これが『戦争』なのだと、僕の中で見知らぬ声が鳴り響いた。


「アギー!!頭下げて!」


ラックの声に反射的に姿勢を更に落とし込む。その頭上を何かが通過した風の音がした。

それが血の魔法で作られた鋭いナイフの刃先だと気づいたのはその直後だった。

刃の奇跡が紅い線となって自分の視界の中に焼き付いた。


冷や汗が噴き出る。ラックの声に対して反応がわずかでも遅れていたら、僕は周囲の『死』の中に溶け込むことになっていた。ここでは紙一重で瞬時に『死』が訪れる。


「くそっ・・・ネズミか!」


僕らの前を走っていた極光騎士団のフィナンさんが身体を捻りながらその両手に握られたボウガンで狙いを定めた。装填されている光る矢が放たれる。

レーザー光線のような光の矢は逃げ惑う人々の足元に逃げ込もうとしていた一匹のネズミを見事に打ち抜いた。


「ピギィ!」


血が沸騰する蒸気をあげ、血の魔法を使うネズミが死に際の鳴き声を放つ。


「ったく・・・少年少女達!怪我はないか!!」


フィナンさんが周囲を見渡し、ボウガンを構えつつ声をかけてくる。


「は・・・はいっ!!」


息も絶え絶えの僕の返事は周囲の喧騒に飲まれかけていた。フィナンさんはわずかに後ろを振り返って僕らの姿を自分の目で確認した。だが、次の瞬間には素早く身体を捻って、ボウガンから矢を連射していた。

光の矢が貫いたのは大通りで唸り声をあげて人々を蹂躙しようとしていた巨大な犬だった。


「くそっ・・・ネズミや犬はやっぱりこっちに来てたか・・・」


フィナンさんは大通りを見渡しながら悪態を放つ。


僕は背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。動物がヴァンパイアの眷属と化すことがいかに脅威であるのかを身に染みて実感していた。

ネズミのような小さな姿で血の魔法を放たれることの恐ろしさは言うまでもない。人間よりも俊敏性の高い肉体構造をしている犬の脅威は身をもって知っている。二足歩行で重心が高い人間に比較して、獣の厄介さは群を抜いている。


貧民街に取り残されていた人間の眷属の群れは僕らを殺すためにあそこに残っていたわけではなかったのだ。

あれは『取り残された』眷属達。肉体が既に腐り果て、犬やネズミの移動速度についていけなかった者達があの場に留まっていたのだ。


ヴァンパイアの眷属の主力である動物達は既に大通りを蹂躙していたのだ。


「教会まであと少しだ!頑張れよ!!」


後ろからベゴッドさんのだみ声が響いてくる。最早、教会に逃げ込むことだけが自分の気力を保つ唯一の支えだった。誰かを助けようという気概は既に零れ落ち、自分が『神魔法』と称される治癒魔法を使えることなど頭から抜け出ていた。

ただ、自分と後ろに続く友人達だけが生き残ればいいという利己的な考えだけが取り残される。


どこからか噴き出た血飛沫がただの景色になって流れていく。人々の苦悶の叫びが耳鳴りと同化して聞こえなくなっていく。倒れた人の足を踏み越えた時『邪魔だ!』と心の中で自分の声が放たれた。


そんなことをする自分に罪悪感など欠片も感じられない。


自分の精神が一気に摩耗していく。感情が麻痺していき、考えることもままならない。

ただ息を吸って吐き出し、目の前にいる極光騎士団の人の背中だけを見つめて走り続けた。


そして、僕らはついに教会を視界にとらえた。


それは大通りの中心である水時計のある広場からさほど離れていない場所にある巨大な建造物だった。


この帝都には緊急時に人々を守る拠点となりうる場所が三つある。


王城、魔術学園、そして教会である。


石造りの重厚な作りはそこらにある砦と比較しても遜色はない。魔を払うとされる鐘が設置される棟は王城を除けばこの帝都で最も高い位置にある。

神の権威をこの地に降ろすとされる教会の建物は、怪我人や病人が救いを求める病院であり、緊急時に人々が逃げ込める帝都のもう一つの城であった。


貧民街から最も近い避難場所である教会。そこに向かう人々の流れの中に僕らはいつの間にか乗り込んでいた。教会に近づくにつれ、ようやくヴァンパイアの眷属は姿が減り、人々の『死』から遠ざかる。


だが、それが安寧と秩序をもたらすかというと、決してそんなことはなかった。

人々は口々に悲鳴をあげ、天に向かって祈りと悪態を叫び続ける。


ヴァンパイアの恐怖は既に帝都全体に伝染病のように広がっていた。


そして、ようやくこの長い逃走劇の終わりが見えてきていた。

教会の重厚な門扉が全開にされ、そこに人々が集まってきている。表では法衣を着た人が中に人々を誘導し、逃げてきた集団が教会の中に吸い込まれていく。


貧民街からここまでどれがどれぐらい走ってきたのだろうか。

時間の感覚などとうの昔に消え去り、足に溜まった乳酸の苦痛だけが頭の中を満たしていた。石畳を走り続けて足の裏が酷く痛んだ。呼吸は乱れに乱れ、自分が息を吸っているのか吐いているのかもわからない。


それでも自分が動き続けることができたのは生存への本能だったのかもしれない。


それも、ようやく終わる。


僕らは教会への出入り口へと至る階段に足をかけたところで、ようやく静止することを許された。


「極光騎士団団員!フィナン=ミスカトネールだ。貴族の子弟を含め、魔術学園生徒13名!眷属との接触あり!明らかな外傷なし!」


僕は息も絶え絶えになりながら、教会を見上げる。

今まで聖典の記述や差別主義的な一面を見てきたせいか、悪の根城のように見えていたそれが今や救いの光を放つ神聖な空間のようにしか見えなかった。


「わかりました!中へお早く!!」


教会の中は既に前世の映画で見た野戦病院のような有様だった。人々が普段祈りを捧げる場所は長椅子が取り除かれ、大量の毛布が並んでいる。

そこには傷つき、血を流している人々が横たわり、その間を修道女や牧師がせわしなく歩き回っていた。だが、無防備に人が寝ている姿が『ここが安全』だという証明のように見え、僕の中にぬるま湯のような安堵が広がっていく。


そんな僕らをフィナンさんが振り返った。


その時、僕はこの人もエルフであったことに初めて気が付いた。


「お前ら、よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ」


後ろで誰かが崩れ落ちる音がした。

僕はその時になってようやく後ろを振り返った。

そこでは、ルルが膝をついて、その場にへたり込んだところだった。ラックがボブズに支えられてなんとか立っていた。ベクトールも膝に手を置いて今にも倒れそうな荒い息をしていた。


誰しもが今にも死にそうな顔色だ。汗と涙と鼻水で照らされた顔は情けないとしか形容するしかない。

その後ろには貴族連中を麦袋のように担いだ極光騎士団の人達が堅い表情で立っていた。

僕らを護衛してくれていたはずの極光騎士団の人は先頭にいたフィナンさんと、最後尾のベゴッドさんを除き誰もいない。


既にこの町に跋扈する眷属達の対応に向かっているのだろう。


「先にこの子達をいれてくれ。気を失っているだけだが、どこか傷を負っているかもしれない」


フィナンさんが担がれている貴族達を指してそう言った。


「はい、わかりました。ささ、こちらへ。おいっ!誰か!新しい患者だ!!」


呼ばれて出てきた修道女風の女性に従い、貴族達が運ばれていく。彼等がより丁寧な対応を受けることに対する憤りや嫉妬心などはない。

ただただ、全身を酷い倦怠感が包んでいた。僕は近くの柱に寄り掛かった。

顔を歪ませ、肩で息をする。なんとか肺の中に酸素を満たそうとするもその効果はしばらく望めそうになかった。


「おい、小僧。ちょっと来い」


その時、殿しんがりを務めていたベゴッドさんがボブズを呼んでいた。

だが、そのボブズはラックを支えており、動ける状態ではなかった。


僕は限界に来ている肺の中に大きく息を取り込んだ。


疲労でまるで力の入らない足だったが、まだ歩行は可能だった。だが、一度座り込んでしまえば、次は立つことができない予感がある。

僕は搾りかすと化した最後の気力でなんとか足を踏み出す。


「ボブズ・・・ラックは僕が・・・」

「ああ・・・頼む」


ラックはまだ荒い息をしており、肩を激しく上下させている。

僕はボブズに押しやられたラックを胸で受け止めた。彼女はフードの下で目を瞑り、僕に体重を預けてくる。


支えた彼女の肩は自分が思っていた以上にか細く、ともすればすぐに折れてしまいそうな程に頼りないものだった。こんな身体で閃光と超音波に耐えて走ったのだ。


そして、僕の心がこの状況に殺されそうになった時に声をかけてくれたのはいつも彼女だった。


貧民街で『死』を目撃して立ち止まりそうになった時。

大通りの惨状を目の当たりにしてネズミの眷属に気づかなかった時。


彼女は僕を二度も救ってくれたのだ。


僕は底知れぬ感謝を込めて、彼女の小さな頭を抱きかかえた。


その時だった。


「アギー・・・ありがとう」

「え?」


酷く冷静な声がした。それは、僕の腕の中から聞こえた声だった。

僕はラックの頭を見下ろす。

彼女の息は上がり、肩を上下させてはいたが、さっきとは打って変わってその動きは静かになっていた。


さっきまでの激しい疲労が演技でもあるかのような豹変ぶり。

そして、僕は彼女の身体が小刻みに震えていることに気が付いた。


「・・・・・・え・・・」


なんで今更震えるんだ?眷属が溢れる場所から離れ、僕らは安全地帯に逃げ込んできたんじゃないのか?


そんな僕の耳元に吐息がかかる。驚いて振り返れば、僕のすぐ後ろにフィナンさんがいた。


「すまない・・・本当は王城か学園に連れていければ良かったんだが・・・我々はすぐに前線に戻らなければならない・・・ヴァンパイア本体が動き出している以上今は少しでも時間が惜しいんだ・・・だから、君たちは場合によってはすぐに逃げ出すんだ。いいね?」


逃げ出す?何から?誰が?


「そういえば、名前をまだ聞いてなかったな。君の名前は?」

「アギリア・・・アギリア・スマイトです」

「スマイト?・・・そうか、君が・・・」


そしてフィナンさんは眉間に皺を寄せ、僕を真っすぐに見て言った。


「Mr.スマイト・・・彼女と・・・彼を守ってやってくれ」


守る?


その時、僕の耳は信じられない声を聴いた。


「おいっ!こいつ鬼人オークだぞ!」

「魔族がなんでこんなとこに!!さっさと叩き出せ!」

「待ってくれ・・・頼む、俺はいい。せめて、この子だけでも・・・この子だけでもどうか頼むから!!せめて治癒を・・・頼みますからぁ!!」


僕は教会の中から聞こえる声を聞き、全身に鳥肌が走り抜けるのを感じた。


そして、僕は腕の中のラックの頭に視線を落とした。

僕は恐る恐る、抱き留めた彼女の頭の力を緩める。

彼女の頭部についた三角の耳が小刻みに震えていた。


「・・・・・・こんな・・・こんな・・・ことって・・・」


僕は素早く彼女の頭をもう一度抱えなおし、教会を見上げる。

門扉の上に掲げられた聖なる印が僕らを静かに見下ろしていた。


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