爆発感染 C
貧民街の狭い道を極光騎士団の人達に囲まれて走り抜ける。
それはさながらホラーゲームの中に飛び込んだかのようだった。
だが、自分の目と耳と肌で味合うこの逃走劇は娯楽とはかけ離れた存在だった。
暗い夜道の中、両側からせり出すようにあばら家が立ち並び、無造作に増築された家が道を塞いで真っすぐに走れない。そんな狭く死角の多い通路から次々と眷属が現れてくる。周囲の荒れた家屋から放たれる血の魔法が何度も目の前を通り過ぎて行った。
足元はまるで均されていない上に、血の魔法の残滓がところどころにぬかるみを作っていた。そこに踏み込めば靴は湿り、緩んだ地面に足を取られて力が抜ける。
恐怖心からか呼吸はいつもより荒れ、次第に足を踏み出す力が弱くなっていた。
背後からは度々激しい戦闘音が聞こえてきていたが、僕らは決して振り返ることはしなかった。背後にいる極光騎士団の人達を信じていたといのもあるが、振り返っている余裕がないことが本当のところだった。走り出す前に考えていた女子達のフォローなど一歩足を踏み出した瞬間から全てが抜け落ちている。隣を走るボブズの様子を伺う余裕もなく、後ろを走っているはずのラック達を気遣う余裕もなく、僕は先を行く極光騎士団の背中を追ってただ走り続けた。
「ハァ!ハァ!ハァ!」
一歩間違えば死ぬ。一度でも転べば他のヒトを巻き込んで大惨事になる。
迫りくる眷属の圧力と、自分に課せられた責任感が体力と気力を余計に消費させていた。
足を振り上げるのがこんなにも重い。息を吸い込むたびに胸の奥が痛みに悲鳴をあげる。剣術で鍛えてきた身体がまるで思うように動かない。
死への恐怖が身体を縛り付ける感覚だけは何度命の危機にさらされてもどうしても抜け出せない。
そんな状態でどれぐらい走っただろう。
10分かもしれない。30分ぐらい走った気もする。もしかしたら1時間ぐらい走っているんじゃないか?
時間の感覚が曖昧になっていたが、自分達が貧民街の奥深くにきていないことはわかっている。
きっと、そう長く走る必要はないはずだ。
だから、もう少し。あと少し・・・
「おい!大丈夫か!!少年少女達!!」
横から声をかけられ、ハッとする。
気が付けば極光騎士団の1人が僕らを護衛するかのように並走していた。
「だ、大丈夫・・・です!」
自分の口から出てきた声は息も絶え絶えで、覚束ない。口の中の唾を飲み込むと不思議と鉄の味がした。
口の中を切った覚えも、血の魔法が顔の付近に飛び散った覚えもないのでおそらくただの錯覚だ。
そういえば、前世で長距離を走ると肺の中からヘモグロビンの臭いがするようになるとか聞いたことがあった。
そんなことを思い出し、僕は苦笑する。
まだまだ、余裕じゃないか・・・
隣を走っていたボブズは極光騎士団のヒトに親指を立てて返事としていた。ラックやベクトールはまだ余裕がありそうだったが、ルルが特にきつそうな返事をしていた。
「息切れしてるとこ悪いが、ペースは落とせん!貧民街を抜けるまで踏ん張れ!!」
「はぁ・・・はぁ・・・あと・・・どれくらい・・・」
「もう少しだ!おっと!!」
極光騎士団のヒトが突如、詠唱を開始した。
その途端、そのヒトの両腕から無数の光球が数珠のように作り出され、打ち出された。
光球は道にせり出していた廃屋を粉々に吹き飛ばし、中にいた眷属もろとも光の渦の中に叩き込んだ。
「あぶねぇあぶねぇ、また待ち伏せだ」
僕は肩で息をしながら、隣の極光騎士団のヒトを見上げる。
簡素な服を着ているが、その袖から突き出た腕はしなやかな筋肉が唸りをあげていた。顔立ちは『美しい』という言葉が最もわかりやすい形容だろう。白い肌と整った顔立ち、そして長い尖がり耳はエルフの特徴だ。
そんなエルフが筋肉質な身体で近接気味の光魔法を放つ姿に少々違和感を覚えたが、エルフにも色々いるのだろうと結論付ける。
僕が気になったのは別のことだった。
「はぁ・・・はぁ・・・今の・・・どうやって・・・中に眷属がいるって・・・」
「ん?そんなの簡単だ、魔法を使ったんだが・・・説明を聞ける状態じゃなさそうだな。また機会があったら話してやる。だから今は走れ!少年!」
背中をはたかれ、躓きそうなった身体をなんとか支える。
「さぁ、もう少しだ!もう少しで貧民街を・・・」
僕はその言葉の続きに顔がほころぶのを感じた。
やっと、この地獄のような圧迫感から抜け出せる。
確かに、少し視線を上に向ければ貧民街のバラックの隙間の向こうに市場の明かりが見えていた。
僕は最後の力を振り絞って酸素を肺に送り込む。自分の足を止めないことだけが今の僕の使命と化していた。
だが、その希望もエルフの騎士団のヒトが放った言葉に打ち砕かれた。
「貧民街は抜けられるが・・・立ち止まれそうにないな!!少年少女達!!まだ足を止めるなよ!」
「え・・・それ・・・どういう?」
「フィナン!予定変更だ!このまま教会まで走り抜けるぞ!!」
「了解だ!!」
先頭で立ちふさがる眷属達を一手に退けてた団員が叫ぶ。
そして、エルフの騎士団は僕らに向けて何か楽しいことでもあったかのような笑みを浮かべた。
「さぁて、いい機会だ!貴様らが騎士団に入れるかどうかテストしてやる!!距離延長だ!まだまだ走るぞ!!」
後ろからルルが絶望するような声がした。それでも、次の瞬間には大きく息を吸い込み「はいっ!」とやけくそのように叫んでいる。そんなものを聞かされて、まだ体力に余裕のある僕らが泣き言を漏らすわけにはいかなかった。
僕は奥歯を噛み締めて顔をあげた。
周囲の建物は徐々に荒屋から構造がしっかりしたものに変わり、市街地が徐々に近づいていることを教えてくれる。
だが、どういうことだ?
眷属の発生源であった貧民街を離れているはずなのに、周囲に溢れている眷属の密度がまるで減ったように見えない。むしろ、増えているような雰囲気すらあった。
ふと、走りながら横道に僕の視線が引き寄せられた。
騎士団のヒトの背を追っていた僕の目が逸れたのは単なる偶然だった。だが、その偶然が僕にもたらしたものは新たな絶望だった。
走りながら横道を覗き見た一瞬。
僕は横道に眷属が固まっているのを見た。青白い肌をした眷属達の群れ。そいつらは何かを囲み、這いつくばって口元を地面へと近づけていた。僕の目は異様な程の集中力でその眷属達の中心にいるものを写し取った。
それはヒトであった。
血にまみれた肌が見えた。肌が破れて肉が見えた。その肉の中から突き出た白い骨が見えた。
ヒトが眷属に食われていた。
その光景を見たのは本当に僅かな時間だった。だが、その一瞬は焼き写真のように脳裏に叩きつけられる。
僕は足を止めそうなる自分を必死に押しとどめた。胃の奥から今日の夕食が噴き上げてきていた。
僕は全てを飲み込み、息を止める。
「ヒトが・・・死んでた・・・」
眷属に食われて死んでいた・・・
『神魔法』と称され、治癒魔法師の真似事をしていながら、僕はヒトの死を見たことがなかった。
それもそのはずだ。死にそうな人は子供の僕なんかに頼ったりせず、教会に行く。
産まれて初めて目撃する死に思考が停止していく。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」
短くなっていく呼吸。次第に重くなっていく身体。目の前に続く暗い夜道の中に今の光景がこびりついて離れない。ヒトが流していた血、飛び散った肉片、絶望に見開かれた物言わぬ瞳が闇の中から真っすぐに僕を見ていた。それは鮮明な映像となって僕の目の前で何度も繰り返される。
「はっ・・・・・・はっ・・・・・」
頭が痺れるような感覚に自分が止まっているのか走っているのかすらわからなくなっていた。
ただ、自分が人の死を目撃しながらその前を素通りした事実だけが両肩にのしかかってくる。
立ち止まっていれば助けられただろうか?『神魔法』で救うことができただろうか?
僕はあの人を見捨てたのか?
「アギー!!」
背中に平手を叩きつけられ、僕は反射的に息を吸い込んだ。
酸素が一気に肺の奥まで浸透する。急激に身体に入り込んだ空気が僕の横隔膜に鋭い痛みを走らせた。
「オくれてるよ!ペースあげて!!」
ラックの声が背中に叩きつけられた。身体中に喝を入れられたかのように五感が自分の中に帰ってくる。
僕は思い切り息を吸い込んだ。長距離を走り続ける中での深呼吸。呼吸が乱れることなど度外視して吸い込んだ酸素が全身に行き渡る。
「こっちに生存者だ!ちょいと列を離れる!!」
「取り残された人を見つけた!誘導に抜けるぞ!!」
後ろからそんな声が聞こえ、騎士団の人々が1人、また1人と抜けていく。
周囲によく目をこらせば、市街地に近づいたことで眷属に襲われている一般人の姿がちらほらと見えるようになってきていた。
極光騎士団の人達は自分達の手の届く範囲でそれらの人達を救い上げながら僕らを守って走り続けている。
中には貴族の子弟を担いだまま、救助活動に向かうヒトもいるぐらいだ。
「少年少女!もう少しだ!!この道を抜けたらフィナンについて真っすぐ教会まで走れ!!」
方々から皆の返事があがる。誰がどんな返事をしたかなど確認する余裕もない。
僕は疲労感を訴える自分の足を叱咤してさらにペースを上げる。
自責の念にかられるのも、自分の無力さを嘆くのも、全てはこの騒ぎが収まってからだ。
とにかく今は自分達が生き残ることだけを考えることにした。
「出るぞ!!頭を下げておけよ!!」
先頭を行く騎士団のヒトの声に反射的に姿勢を低くする。
目の前に明るい光が見えていた。闇に覆われた狭い道から生活の明かりが満ちる大通りまであと少し。自然と足の回転速度があがり、安堵から呼吸が楽になる。
教会まで距離が延長されたものの、見慣れた景色が目の前に見えていれば希望が産まれる。
あと少し・・・あと少し・・・
そして、僕らはついに狭い道を抜け、広い道へと飛び出した。




