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爆発感染 A

頭上に浮かぶ月を背景に闇の貴族が笑う。

僕はそれを見上げて自分の腰から力が抜けていくような酷い虚脱感に襲われていた。

歯の根が合わずにカチカチと音が鳴り、自分が震えていることに気が付いた。


野犬を相手にした時とはまるで違う。


戦っても絶対に勝てない。決して戦ってはいけない。

自分の奥底に眠る生存への本能が全力で逃げることを訴えていた。


だが、僕の足はその場から動かない。身体の動かし方を忘れてしまったかのように僕の身体はその場に縫い留められてしまっていた。


それは僕だけではない。


ベクトールは尻もちをついたまま固まっている。ルルが泣きださんばかりの顔で首を横に振り続けていた。ボブズが感情が麻痺したかのように薄ら笑いを浮かべていた。


今、この瞬間にヴァンパイアが僕らに向けて魔法を1つ放てば僕らは抵抗する余裕すらなく殺されてしまうだろう。だが、抵抗したところでその結末に何の変化ももたらさないことが頭より先に身体が理解してしまっていた。誰しもがヴァンパイアを前にして既に敗北者となってしまっていた。


僕らが生きていられるのは単にヴァンパイアが僕らに興味を示さなかっただけであった。


僕らの目の前でヴァンパイアはその顎を大きく開いた。


そして、ヴァンパイアはその喉の奥から耳を切り裂くような甲高い音を周囲に響かせた。


「なんだ・・・これ・・・」


高周波で放たれる嬌声。蝙蝠の鳴き声を数倍に膨らましたかのような音が爆音のように放たれる。

ヴァンパイアの絶叫に鼓膜が切り裂かれたのではないかと思うような痛みが走った。その不快感と嫌悪感に身体中の毛が逆立つ。反射的に耳を塞いでしまいたくなるような異様な音。これを聞き続ければ気が狂うのではないかと思う程の不協和音が耳から脳まで突き刺さる。


だが、僕には自分のことを気にする余裕はなかった。


「うあぁあああああああああ!!」

「ラック!!」

「ああああ、あぁぁああぁああああ!!」


目を潰されて膝をついていたラックが悲鳴をあげてのたうち回っていた。

人が視力を失うと聴力が敏感になるというのは有名な話だ。

しかも、ラックはただでさえ五感の優れる獣人なのだ。

ヴァンパイアのこの音が彼女の感覚にどれだけのダメージを与えるのかなど、想像もできない。


「ラック!!この・・・」


僕は悲鳴をあげて耳を塞ぐラックの頭を抱え込んだ。ラックの手を更に上から抑え、上着で彼女の頭を包み込む。腕全体で彼女の耳を締めあげ、少しでも彼女の耳をこの音から守ろうとした。

自分の耳からは変わらずにヴァンパイアの放つ声が脳を揺さぶっていたが、もはやそんなことを気にしている余裕はなかった。


「あああぁぁあああああああああ!!」

「ちきしょう・・・ちきしょう・・・ラック!!・・・ラック!!」


ラックは自分の耳を抑え、この音から逃げようとするかのように身体を捩って暴れ回る。

僕は彼女の身体をなんとか抑えこみ、ラックの頭部をより強く胸に抱きこんだ。


音を遮断する魔法が使えればよかったんだ。人の耳を守る効率的な方法を学んでおけばよかったんだ。

いつも僕はラックが苦しんでいる時に何もできない。


自分の魔法や学問に対する奢りが無力さとなって再び僕に突きつけられていた。


彼女の小さな頭を抱えて、身体を抑え込み続ける。

ヴァンパイアの放つ地獄が終わるまで僕はそうすることしかできなかった。

だが、僕の小さな努力は虚しく、彼女の動きは次第に鈍くなっていく。


「うあ・・・うあああ・・・あああ・・・・」

「ラック!?・・・ラック!しっかりしてくれ!!」


ラックの悲鳴が途絶えはじめ、彼女の身体から力が抜けていく。

僕は胸の中にいる彼女を何度も揺り動かした。


このままラックの意識が途切れたら、二度と目が覚めないのではないかという恐怖に襲われていた。


頭の中ではヴァンパイアについて学んだことが駆け抜けていた。

読んだ本の中にはヴァンパイアの声についての記述があったはずだ。そこにヴァンパイアの声がもたらす人体への影響について書かれていたはずだった。


なのに、書かれていた内容はまるで思い出せない。頭が真っ白になっていた。


唐突にヴァンパイアの声がやむ。

時間にして僅かだったはずの地獄が終わる。


「ラック!ラック!!」


自分の耳にも酷い耳鳴りが残っていた。平衡感覚が麻痺したように視界が回っていた。

それでも、僕はラックの状態を診るための気力だけは決して切らしはしなかった。


ラックの頭から自分の上着を外して彼女の顔を覗き込む。


「ラック!しっかりしろ!!」


彼女の目は虚ろに泳ぎ、僕と目が合わない。焦点が定まらない紅色の瞳が右に左に揺れていた。


僕はラックを地面に寝かして肩を全力で叩く。


「ラック!!ラック!!」


返事がない。僕はラックの胸の中心に拳を当てた。彼女の両胸にある小さな膨らみの中央に位置する胸骨を拳で押し込む。


「ラック!ラック!!」

「うっ・・・」


ラックが痛みにうめき声をあげ、顔をしかめて目を閉じた。


「ラック!聞こえるか!ラック!!」


再度、胸の中心に拳をグリグリと押し付ける。


『呼んでも叩いても意識がない時は痛みで刺激する』


自分の頭の中に微かに残ってくれていた知識に感謝しつつ、僕はラックの胸元を押し込んだ。


「ラック!」

「う・・・うう・・・ク・・・クァン・・・」


『クァン』という獣人語は先程ラックが閃光を浴びた時も呻いていた。

おそらく『痛い』という意味だろうと予想をつけ、僕はもう一度胸を押し込む。


「ラック!しっかりしてくれ!」

「う・・・あ・・・あ・・・」


そして、ラックが目を開けた。その視線は朦朧とはしていたが、その瞳には確かに意志の光が戻ってきていた。


「ラック、わかるか?俺がわかるか!?」

「・・・あ、アギー・・・」

「わかるな?わかるんだな!?」

「アギー・・・い、イたい・・・」

「あっ、悪い!」


顔をしかめるラックの胸から拳を引く。


「ラック、耳は聞こえてるよね?目は見えてるよね?気分は?吐き気は?」

「チょっと・・・くらくらするけど・・・フューラ・・・ダい・・・じょうぶ・・・」


ラックはそう言って力無く頷いた。僕は口元に顔を近づけて呼吸を確かめる。彼女の吐息を頬に感じ、彼女の胸元が確かに上下しているのを確認する。首の部分から脈に触れると、その拍動は異様な速度ではあったが、別段異常があるわけではなかった。


「アギー・・・顔・・・近い・・・ぞ」

「うるさい!・・・意識もある・・・呼吸もしてる・・・大丈夫だな・・・大丈夫なんだよね」


ラックが苦笑いをして小さく頷くのを目にして、僕は安堵のため息を吐きだした。


「よかった・・・」

「いや・・・そうでもねぇぞ!!」

「え?」


ボブズの声を聴き、僕はようやく辺りを見渡した。ラックのことに必死でまるで周囲を観察する余裕がなかったのだ。そして、僕は周囲を見て再び冷や汗を流すことになった。


「う・・・うぼぉ・・・うぼぉ・・・ヒトだ。血の香りだ・・・」

「あああ・・ああああああ」

「グルルルル・・・・」


周りにヒトが溢れていた。否、正確には『ヒトだった者』が溢れていた。


彼等の肌は夜闇でもわかる程に白く、所々が既に腐り落ちている。あたりには人の鼻を曲げる程の腐臭が満ちていた。滴り落ちた液体が地面に落ちて気化の煙をあげて消えていく。不意に濃い血の香りがした。

奴らのうちの一体が血の魔法でその手に赤黒く光る剣を出現させたのだ。

それを皮切りに他の奴らも次々と血で形作られた武器を顕現させる。


彼等はヴァンパイアの眷属である。一体一体が神の精霊である『闇の精霊』に干渉し、『血の魔法』を操るヴァンパイアの端くれ。僕らは既に周囲をヴァンパイアの眷属の群れに囲まれていた。


「・・・・・・・・・おぅ・・」


ラックが小さく声を漏らした。

正直、自分が恐怖で意識を手放さなかったことを誉めてあげたかった。


周りに溢れる眷属の群れ。犬の眷属一匹すら倒せなかった僕らにとってこの数は死を確信させるのに1秒とかからなかった。


だが、そのあまりにも絶望的な光景に、僕は不思議と恐怖というものを感じなかった。

それは感情そのものが麻痺していたからに他ならない。

僕は喉の奥からこみ上げてきた吐き気を飲み込みながら、呟いた。


「・・・これ・・・僕ら死ぬかな・・・」

「は、ははははははぁ!かもなぁ!?死ぬかもな!」


ボブズが僕の方を振り返って大声で笑っていた。


「は・・・ははは・・・無理・・・無理無理・・・」

「ですね・・・これ・・・私達、死んじゃいますね!あははは!」


ベクトールとルルもその顔にはなぜか笑顔が張り付いていた。

それを見て、僕の口元も笑顔になっていく。

人間、凄まじい恐怖に晒されると笑いがこみ上げてくるというが、本当のことだったようだった。


「うわぁあああああああ!!」

「だれかぁああ!助け、助けてぇええ!」

「いやだ!死にたくないぃいいいい!」


少し離れたところから貴族達の悲鳴が聞こえてくる。彼等ももはや命は無いだろう。

最期の時を過ごす人の中に貴族連中がいるのは気にくわなかったが、もはや選択の余地はない。


僕らにできることといえば、魔力を絞り出してこの世に数秒でも長く留まることだけのようだった。

僕らは誰が合図するわけでもなく、一斉に自分が一番信頼する魔法を唱えだした。


僕の背中に『竜の精霊』の翼が顕現し、ベクトールの手の中に炎の槌が現れる。

ルルの周囲に水と風のベールが羽衣のように煌き、ボブズの四肢に炎を灯した土くれの手甲とブーツが出現していた。


これらの魔法が何の役に立つのかもわからない。

僕の最大威力の魔法ですら血の魔法に太刀打ちできないことは既にわかっていた。

眷属の群れのど真ん中では策を弄するのも既に不可能。


好奇心は猫を殺す。


僕は笑いながら自分の目から涙が零れ落ちるのを感じた。


なんでこんなことになってんだろうな?


ラックの快癒祝いだったはずだったじゃないか。それが、貴族の尾行をしていたらいつの間にかヴァンパイアの集積地のど真ん中だ。ラックとルルには悪いことした。巻き込んでしまった責任として、せめて最初に犠牲になるべきだろうか?


そんなことを考えている間にもヴァンパイアの波は今にも押し寄せようとしていた。

僕はラックを抱きかかえた。魔法で両手がふさがらないのが翼に魔力を集中できる『竜の精霊』の特権だ。


「な、なぁ・・・アギー・・・」

「なに?手短にしてくれる?時間なさそうだからさ」


僕の声は涙と恐怖で情けなくも震えていた。


「ワ、私を・・・あいつらの中に投げろ・・・よ・・・そしたらみんなが・・・逃げる隙が出来たり・・・」


そう言いながらもラックの両腕は僕の首筋に強く絡みつき、離すまいと必死になっている。


「だ、だってさ?みんなどうする?」

「め、名案だな!よし、んじゃ、俺が飛び込んでやろうか?なぁ!そうだろ!ヴァンパイア共!俺が一番血の気が多いぞ!!」


ボブズがそう叫びながら後ずさっていた。誰もが責任を感じながら死を許容する行動ができない。

それは僕も同じだった。僕らは押されるように壁際へと追い込められていく。


「・・・わ、私が・・・」

「馬鹿言えよベクトール!お前らは俺らについてきただけだ!死なせて・・・たまるかよ!!」


ボブズが下がり続ける足を止めた。


ボブズがその場に踏みとどまり、皆を守るように前に出た。


僕は息を飲んだ。


その背中はあまりにも小さい。でもそれは男の背中だった。

僕はその背中を見て、自分の覚悟が決まる音を聞いた気がした。


「ラック・・・ルル・・・ベクトール・・・」

「マ、待て!アギー!ヤめ・・・オろさないで!!」


僕がやろうとしていることを察したのか、ラックは必死に僕を止めようとする。

だが、閃光と超音波で弱り切っている女の子の力など取るに足らない。僕は彼女を壁際に降ろして腕を強引に外す。


「や、ヤダ!やめてくれ!先に死ぬなんて・・・ヤめて!」

「だ、だめです!アギー!ボブズ!戻って!」

「・・・やめ・・・やめて!」


僕は縋って止めようとする女子を振り払い。ボブズの隣にならんだ。


「き、来てくれるって・・・思ってたぞ」


そう言ったボブズの横顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

僕だって同じ顔をしている自信があった。


目前まで迫る眷属の群れに足を一歩踏み出すことがここまで勇気がいることとは思わなかった。

そして、男の背中がなぜカッコいいのかを理解する。情けない顔を後ろにいる人達に見せなくていいからだ。


「こ、これでも・・・男・・・だもんな・・・」

「だよな・・・」


ボブズが両拳を叩きつけた。僕は胸を張るようにして翼に力を込める。


「あはははははははははは!!」


迫ってくるヴァンパイアの眷属達を前にして、僕は大声で笑い声をあげた。


「いくぞぉおおおおおおおお!!」


そして、ボブズが吠えた瞬間だった。


「ったく・・・威勢がいいのもいい加減にしておけよ!!」


不意に僕らの目の前に巨体が現れた。


「目を閉じて固まれ!!」


恐怖で真っ白になっていた頭に指示の言葉が一気に染みわたる。

僕とボブズはほとんど反射的にその指示に従った。


僕らはすぐさま踵を返し、後ろにいた女子達にとびかかる。

僕がルルの顔を抑え、ボブズがベクトールの頭を抑え、そしてルルとベクトールが2人がかりでラックの頭を抑え込んだ。


次の瞬間、目を閉じててもわかる程の強烈な閃光が夜闇を切り裂いて解き放たれた。


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