もう一つの棘 E
極光騎士団の団員であるベゴッド=ダンは団長の指令に従い、その日のうちに町に調査へと繰り出していた。
紋章を外し、襤褸のフードをまとって市場へと足を踏み入れる。
ヴァンパイアは通常のアンデットとは違い、ただ本能に従って蠢く死体ではない。
ヴァンパイアは自ら思考し、判断し、行動する。ヴァンパイアにも極光騎士団が帝都に入ったという情報はあるはずだ。紋章をつけて町を歩けば、ヴァンパイアに逃げてくださいと言っているようなものである。
そのため、極光騎士団は身分を隠して町に出ろとの指令だ。本当は顔を隠すまでする必要はないのだが、ベゴッドは八重歯が長く、人前だと『鬼人』として目立ちすぎる。
ベゴッドは旅人を装い、町中を歩いていく。瞳にはアンデットを識別する魔法を宿らせているが、ベゴッド自身はあまり期待はしていなかった。
この魔法の本質はヒトの体温を視認できるようにする魔法だ。アンデットの冷たい体温を判別することはできるが、高位のアンデットの中には炎の魔法を用いて体温をごかます奴らもいる。
最終的に大事なのは己の目と耳による観察能力だとベゴッドは考えていた。
極光騎士団が他の兵達と異なるとすれば、それは対アンデット戦の経験値だろう。
北の平原での戦闘から魔族の領土への潜入任務まで幅広い任務を数多く経験してきた極光騎士団はアンデットの対策や行動の特徴を熟知している。その情報量こそが、ヴァンパイアに対する本当の切り札である。だというのに、貴族や教会の連中はまるでそれを理解していない。
極光騎士団が魔法を片手間に唱えればヴァンパイアを追い払えると本気で信じているのだ。
ベゴッドはおめでたい奴らだと思う。
ヴァンパイアがそんな光魔法一発で消滅してくれるような生温い相手なら、ここまで恐怖の象徴として伝聞されているわけがないのだ。
ベゴッドは今頃腹芸を行っているであろう団長に思いを馳せる。
本当は前線に出たいであろう彼の分まで部下の自分は存分に働くとしよう。
ベゴッドは中央広場まで歩いていく。彼は広場を見渡し、少し驚いたように目を見開いた。
「・・・・・・・おっと・・・これは・・・」
人込みの中にあからさまに体温が低い存在が紛れこんでいた。
「・・・・・・」
その動きにも不審な点がいくつかあり、ベゴッドはすぐさまアンデットと断定した。
いきなり当たりを引いたのだろうか。
だが、ベゴッドは慎重だった。ヴァンパイアが満月の夜でもない日にこうも表立って歩き回るなんてことはないだろう。となれば、眷属か。
偵察か、それとも新たな犠牲者を求めているのかはわからないが、それがヴァンパイアに繋がる糸口であることは間違いなかった。ベゴッドはひとまず尾行を開始することにした。
今夜は極光騎士団の動ける連中は全て町に散らばっている。最悪の場合は光魔法による信号弾を打ち上げることになっていた。
ベゴッドはその体温の低い存在を追いかけていく。だが、人の多い場所での活動が久々だったこともあり、少し周囲に対する警戒を怠っていた。
ベゴッドは串肉を食べ歩いていた少年達の一団とぶつかってしまった。
「おっと、すまんな」
彼等に一声かけてそのまま脇を素通りしようとした。
だが、ベゴッドの目線はその一団に気を取られてしまった。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人、鬼人が同じグループで歩いていたのだ。そんな光景は互いの命を救い合わなければいけないはずの戦場でもお目にかかることはなかった。
ベゴッドが帝都を離れている間に人々の意識も少し変わったのだろうか。
だが、そんな思いをベゴッドはすぐに振り払う。
いけねぇな・・・帝都には嫌な思い出しかねぇからどうも気が散る。とにかく今はヴァンパイアだ。
ベゴッドはもう一度周囲を見渡し、低体温の存在を見つけて再び尾行を開始した。自分が集中できていないことを自覚したせいか、眷属に対して意識を強く割り振る。
それが周囲への警戒心を緩めてしまうことに繋がってしまうのだが、この時のベゴッドはそれに気がついていなかった。なにせ、自分を尾行する貴族連中がいることにもまるで気が付いていないほどだったのだだから。
しかし、もし貴族達が本職並みの隠密術を行使していたならベゴッドは逆に気が付くことができたであろう。素人同然の動きと鈍い殺気が逆にベゴッドの注意を引くことをしなかったのだ。
それに、もし気が付いていたとしてもベゴッドの行動は変わらなかっただろう。
ベゴッドはこの帝都を揺るがす存在であるヴァンパイアへの糸口を掴みかけていた。たかが貴族の子弟に後をつけられていたからと中断できるはずもなかった。
ベゴッドは眷属の後を追い、帝都の南側へと足を踏み入れていく。
「・・・・・・これは・・・まずいな・・・」
ベゴッドは口の中だけで呟いた。ベゴッドの鼻はこの貧民街に漂う酸味を帯びた死臭をとらえていた。普段からこの辺りは物が腐る臭いが満ちているのだが、アンデットの放つ死臭はそれとは少し異なる。
本来なら動くはずの無い死体が動いているせいで、肉体の崩壊が促進し、臭いが強い。また、アンデッドは死体であるがために、体内の液体が外に流れ出ることを止める術がないので、独特の酸味を帯びた死臭を広範囲にばらまくのだ。
ここ一帯がその死臭に犯されているということは、既にヴァンパイアの眷属が闊歩していることを意味する。既に帝都の一角を支配しはじめていることにベゴッドは恐怖を覚えていた。
アンデッドがここに留まり続けるのであれば、制圧自体は大して問題ではない。だが、一度このアンデット共が帝都中心部に放たれれば大惨事は必至だ。
そのためにはなんとしても、水際で食い止めなければならない。元凶であるヴァンパイア本体を速攻で葬り去ればそれも不可能ではない。
ベゴッドはより慎重な足取りで眷属の尾行を続ける。より南側に移動すればするほど、周囲に満ちる死臭は濃さを増していく。ベゴッドは襤褸の下に備えた剣の柄を握りながら、いつでも引き抜ける状態のまま歩いていった。
そして、ベゴッドは眷属がとある廃屋へと入っていく瞬間を目の当たりにした。
「ここか・・・」
ベゴッドは眷属の尾行を止め、目にかけていた魔法を解除する。ベゴッドは足音を極力立てないように注意しながら、その廃屋へと近づいていった。中から物音は聞こえない。正者の息遣いもない。その空虚な程の静けさが中に死者がいることの証明であった。
ベゴッドは更に路地を回り込み、建物周囲を隈なく観察する。
ベゴッドはしばし思案する。
仲間を呼ぶべきか否かだ。
最悪の事態を想定するなら、この中にヴァンパイア本体がいて、対処できない程のアンデッドがいる可能性があった。
ベゴッドにはヴァンパイア一体と屋内での近接戦闘なら勝利する自信があった。眷属が2体以下なら同時に対処もできる確信がある。だが、屋外に逃げられ、ヴァンパイアに立体的な挙動で襲い掛かられれば自信はなかった。負けることはないだろうが、ヴァンパイアを仕留めて勝利を得ることはできないだろう。取り逃がすようなことになれば爆発感染になりかねない。
この廃屋に飛び込んで戦闘するのはやはり危険だった。
「やっぱり人数をかけるべきか・・・今夜中に騎士団を総動員してここら一帯を取り囲みつつ追い込めば・・・」
ベゴッドは思案しながら、廃屋から一歩遠ざかる。気配を殺しながら、路地を回り、元来た道を戻ろうとした時だった。
ベゴッドは信じられないものを目撃した。
ベゴッドが通ってきた路地から、貴族の子弟が数人、廃屋の中に入り込もうとしているのだ。
背筋が凍るというのはまさにこのことだった。ベゴッドの全身に鳥肌が走り抜けていた。戦場でも味わったことのない焦燥感が全身の毛穴から冷や汗を噴出させた。心臓が突如として強く高鳴りだし、一気に頭部に血を送り込む。目の奥が緑色に染まり、強い拍動が頭痛を誘発する。
あまりにも想定外の出来事にベゴッドの思考は一時的に麻痺してしまっていた。
だが、そこは百戦錬磨の極光騎士団。ベゴッドはすぐさま行動を開始した。
「てめぇら!何してやがる!!そいつに近づくなぁ!!!」
ベゴッドは怒鳴りながら、剣を引き抜き、廃屋の脆い壁を強引に蹴りぬいた。
もはや、中にヴァンパイアがいようと眷属達の集会所があろうと知ったことではなかった。
貴族連中が廃屋内に足を踏み入れている時点で、中にいる奴らには確実に気づかれている。
もうベゴッドにできることは、中にヴァンパイア本体がいないことを願いながら、眷属の注意がこちらに向かうことを祈ることだけだった。
ベゴッドは廃屋内に飛び込む時、憎々しげな眼でこちらを見ている貴族連中を視認した。
まるで、『緻密な潜入作戦を馬鹿な『鬼人』に邪魔された』とでも言いたげな顔だった。
くそっ・・・なんでこいつらの為に・・・俺はヴァンパイアの本拠地に特攻かましてんだ・・・
ベゴッドは冷え込んだ腹の奥底に、怨嗟の炎がわずかに灯るのを感じた。自分があまりにも馬鹿なことをしている自覚があった。たった数人の貴族を救うべく、帝都全体を危険にさらしている自覚もあった。
だが、全てはもう遅い。
ベゴッドは極光騎士団なのだ。極光騎士団の光は世界の末端まで届く。
例え相手がどんな存在であっても救いの光となるべく設立されたのが極光騎士団だ。
鬼人であろうと貴族であろうと分け隔てなくすべてを救う。それが『光の精霊』に干渉を許された者の持つ責任である。
それが、極光騎士団が設立された時から連綿と受け継がれ続ける彼等の信念だった。
そして、ベゴッドの最悪の予想は最悪の形で的中することになった。
「くそったれ・・・」
廃屋の内部。廃墟の中に家具はなく、壁はぶち抜かれて広い一部屋となっていた。その廃屋内で、ベゴッドの目に飛び込んできたのは血と骨で形作られた玉座だった。あまりにも悪趣味な椅子が廃屋内で闇の中で煌いていた。そして、そこに傅くように何体ものアンデットが死臭を放っている。
そこにいるアンデットは多種多様だった。四足歩行の狼、小さな身体で部屋の隅で固まっているげっ歯類、そして様々な種族のヒトだった者達。
そして、その玉座には薄汚れた服を身に纏った存在が肩ひじをついて座り込んでいた。
その腕から伸びる腕は水死体のように白く、生者の温もりなど欠片も残されていなかい。だが、その不健康な姿とは肌色とは裏腹に皮膚の下で躍動する筋肉は瑞々しい。
その存在の口元から放たれる息遣いがこの温暖な気候の中で白い霧となって世界に霧散していった。
死者に呼吸など必要ない。放たれるとすればそれは生気を吸い取る吸気と、自らの死臭をばらまく呼気に他ならない。
そして、フードの下からのぞく口元こそが決定的だった。
隠すことのできない程の長い八重歯。それは消えかける直前の三日月のような弧を描き、口の中から突き出ていた。かつて、切り取られたその牙が暗殺にも使用されたことがあるヴァンパイアの牙だ。
もう間違いはなかった。
ベゴッドはヴァンパイア本体が眷属を集めてる真っただ中に突入してしまったのだ。
そして、やはりヴァンパイアは貴族達の侵入に気が付いていた。
ヴァンパイアのルビーのような赤い瞳が既に貴族の入ってきている場所へと向けられていた。
ベゴッドはヴァンパイアの座る玉座から血の針が構築されているのを既に見切っていた。
その針は闇の衣を纏い、今まさに貴族達に向かって放たれる直前であった。
ベゴッドは素早く剣を引き抜き、詠唱を開始する。
ヴァンパイアの針が放たれるのとほぼ同時に、一秒にも満たぬ速度で詠唱を完了したベゴッドの魔法が廃屋内部に炸裂した。
見る者の者の目を焼き、近くにいる者の肉体を光の熱量で浄化する光魔法『サンライズ』。
ベゴッドはもはや貴族に多少の被害が出ることのなど覚悟の上で魔法を行使していた。ここまで来た以上、無傷で貴族の子弟を屋敷の玄関先に送り返すことは不可能だった。
せめて、命だけでも救わなければ。
ベゴッドの放った強烈な光の奔流は放たれた血の針を焼き尽くし、近くにいたアンデット達の表層部を爛れ落とした。だが、距離減衰率の高い『サンライズ』ではアンデット達を多少怯ませるだけで浄化には至らない。
闇魔法の結晶体となった血の針を撃ち落とすには光魔法の中でも至近距離に高威力の光の塊を放つ『サンライズ』しか方法がなかった。
そして、そんな魔法を超至近距離で放ったベゴッドも無事ではすまない。ベゴッドは目をかばった左腕の前腕が焼け爛れていく音を聞いた。あまりの熱量に皮膚の感覚まで焼き切れたせいか、思った以上に痛みは少なかった。
この魔法は本来、敵拠点内に突入する際に壁越しに叩き込む使い方をするのだ。ベゴッドもこの魔法の直撃を受けたのは初めてだった。
最高に嬉しくない経験をしている最中、ベゴッドは建物が破壊される音を聞いた。ベゴッドの頭上から木片が落ちてくる。ベゴッドは光から目を庇いながら、上を見上げた。
「くそったれ・・・」
何度目かわからない悪態を呟きながら、ベゴッドは空高く舞い上がったヴァンパイアが鬨の声をあげるの聞いていた。
それは爆発感染の開催を告げる、ヴァンパイアの狂喜の声であった。




