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もう一つの棘 D

学園を出て、市場での夕食。ラックの快癒祝いも兼ねており、彼女の意向はなるべく優先させた。

デルエルの屋台を回避されて最初は拗ねていたラックだったが、別の好物を次々と差し出され、最後は随分とご満悦のようだった。

僕らは夕食の最後に市場で買った豚の串焼きを頬張りながら帰宅の途についていた。


「んー・・・久々のお肉!やっぱり美味い!」


塩だけのシンプルな味付けながら、脂が滴り落ちる肉はやはり旨い。

なにせ串一本で一食分の値段がする。これぐら美味しくなければ困る。

友人達も久々の上質な食事に一口ずつ噛み締めるように味わっていた。


日が落ちて間もない市場であるが、人々の流れは途絶えることがない。それでも人通りが少なく感じるのはやはりヴァンパイアの影響だろう。

だが、夜の闇を怖がる人々が増え、部屋の内側に閉じこもってしまえばそれこそヴァンパイアの恰好の餌食になる。


僕は空を見上げた。


見通しのよい大通りからは広い夜空が見渡せた。

空に昇る月は上弦の月よりは丸みを帯びているが、満月にはまだ少し遠い。

僕らは水時計のある大広場へと差し掛かる。水時計の指針は今が夜の9時を回った頃合いだと教えてくれていた。


「そういえば、アギーは極光騎士団の方達を見かけたんですよね?」


ルルにそう言われ、僕は頷いた。


「うん、凱旋・・・って感じじゃなかってけどね」


僕は今通ってきた帝都の大通りを振り返る。


「鎧はけっこう汚れてたし、怪我人も多かった。北の戦線が後退したって噂もやっぱり本当なのかもね」

「・・・激戦の続く戦地では治癒魔法師の数も足りないと聞きます・・・教会が従軍神父を何人も送り込んでいるそうですが、ほとんど焼石に水だそうです・・・」


ルルはそう言って串についていた最後の豚肉を頬張った。


「それに、今回のヴァンパイア騒ぎで患者が増え、戦地から神父を呼び戻すなんて馬鹿な話まで出てるなんて噂も・・・」


ルルの眉がハの字に寄る。

本当に馬鹿な話だった。それこそヴァンパイアの思うつぼじゃないか。


「・・・ルル」

「なんですか?ベクトール」

「・・・それ、誰から聞いたの?」

「えっ・・・あ、あくまで噂ですよ。噂です」

「・・・ふーん・・・」


僕は串肉についた肉の脂までしゃぶりつくし、串を道に捨てようとした。

ゴミ箱なんて洒落たものもなければ、ごみ収集車なんてものも存在しない世界では道端に捨てるのが当たり前だった。捨てられたゴミはそのうち風化して大地と同化していく。


僕はこの世界に来て染みついた習慣に従って、串を持った手をおろした。


「おっと、すまんな」


道行く人と肩がぶつかる。その拍子に捨てようとした串に指先が引っ掛かり、あらぬ方向へと飛んで行った。串は空中を回転しながら、まるで吸い込まれるようにボブズの足へと突き刺さった。


「あいたっ!」

「あっ、ご、ごめん!」


串はボブズの皮膚を貫通するようなことはなかったが、ボブズが恨みを込めた目を向けてくるぐらいには痛かったようだ。


「ったく、この野郎!俺に怪我させてどうする気だ!?まだ『神魔法』を見せたりないのかよ!」

「いや、わざとじゃないって・・・その・・・ごめん」


僕は平服しながら、目だけでぶつかった人の背中を探す。

既に人通りが少なくなってきている大通りで肩がぶつかるなど、不注意以外の何物でもない。

僕自身の不注意もあったが、責任は半々だろう。


僕とぶつかった人はこちらで起きた事態などまるで気が付かず、市場の喧騒の中いた。彼の着ている襤褸いフード付きローブが広場の中で立ち止まっていた。


その人は何かを探すかのように周囲をゆっくりと見渡してた。

フードの隙間から垣間見えた横顔からは妙に真剣な様子が伺えた。


誰かを探している途中なのだろうか?


「おい、アギー。聞いてんのか?これは何か奢ってもらわねぇといけねぇかなぁ?」

「あ、あ、ごめ・・・」


僕はもう一度ボブズに平服する。顔を上げた僕はもう一度その人を探そうとしたが、フードの人物は既に人込みの中に消えてしまっていた。


「いや、その・・・人とぶつかっちゃって」

「まぁ、わかってるけどさ。しかし、何も俺の方向に串が飛ばなくてもいいじゃねぇかよ」


ボブズが自分の串を地面に投げ捨てながらぼやく。それを見てルルはクスクスと笑っていた。


「それは多分、ボブズの普段の行いの問題ですね」

「・・・最近、ルルが容赦なく毒吐くようになってきたような気がすんだけど」

「そうですか?」

「・・・ったく、まぁいいけどさ」


隣から聞こえる会話を聞き流しながら、僕は大広場の中に視線を巡らせる。

さっきのフードの男がどうしても気になっていた。


「ドうした、アギー?」

「ああ・・・いや・・・なんでもない」


道行く人と肩がぶつかっただけのはずだ。気にする程のことでもない。

自分の中でそう言い聞かせるようとするが、喉の奥に何かが引っかかったかのような違和感が残り続けていた。


「あれ?あいつら、貴族連中だな。こんなとこで何してんだ?」

「え?」


ボブズの見ている方向を僕も見る。


「ホントだ・・・」


そこには銀髪をきらめかせている貴族連中が大通りのど真ん中を歩いていた。

その中にガンドレッドの姿を見つけ、僕は反射的に魔法の詠唱を開始しようとしてしまう。


「・・・・だめ」

「はい」


素早くベクトールに手を押さえつけられてしまった。僕の両手首を握ってから逆関節を極めながら後ろ手に拘束する徹底ぶりだった。


「あの方たちも市場で晩御飯でしょうか?」


ルルはそう言ったが、自分でもその可能性は低いと思っているような言い方だった。


「貴族共がか?庶民の飯なんか口に合わねぇだろうよ。あいつらは自宅で肉の塊を頬張ってる姿が目に浮かぶぜ」

「じゃあ、何しに来たんでしょう・・・」


そうしている間にも貴族達は真っすぐに前を見つめて道を歩いていく。僕らがいることに気づく様子もなかった。彼等はお互いに一言も言葉を交わさず、何かを凝視していながら進んでいた。


少し異様な雰囲気だった。


「・・・気になる?」


ベクトールが僕の腕を抑えながらそう尋ねてきた。


「まぁ、気になると言えば気になるね・・・もしあいつらが変なことを企んでいるなら、僕らはそれを世間様に伝える義務があるんじゃないかな?」


爽やかな笑顔と共に言い放った僕。半目で僕を見上げてくるベクトール。ルルが呆れたように目を伏せた。


「止めてあげる優しさはないんですね」

「そんなものは犬に食わせた。それより、早く行こう。奴らを見失っちゃう。魔法は使わないから離してくれよ」


僕の腕を極めているベクトールはいつもの無表情のまま小さくため息を吐きだした。


「・・・行くの?」

「当然。あ、他のみんなは先に帰っていいよ。僕も興味が満たされたらすぐ帰るから」


遠ざかっていく貴族を見失わないように首を伸ばす。

そんな僕の隣でラックが口に咥えていた串を吐き捨てた。


「イや、私は付き合うぞ。アいつらの鼻を明かせるかもしれないからな」

「そうこなくっちゃ」


ラックと拳をぶつけ合う。そこにもう一つ拳が差し込まれた。


「んじゃ、俺も行くかな。楽しそうだ」


ボブズも加わり、ルルとベクトールのため息が後ろから聞こえてきた。


「もう、しょうがないですね。付き合いますよ」

「・・・私も行く」


そう言った二人は満更でもない顔をしていた。


結局、五人全員で貴族連中を尾行することになった。僕らは貴族連中から十分な距離を置いて尾行を開始した。こういったスパイごっこは幾つになっても軽い興奮を覚えるものだ。

僕らは目立つ銀髪の集団の後をついていく。


「けど、随分目立つね」


彼等の特徴的な銀髪のおかげで、見失うことはなさそうだった。

しかも彼等もまた一心不乱に前をみているので尾行がばれることもなさそうだ。

随分と簡単なゲームになりそうだが、遊びならこの程度の難易度がちょうどいい。


「せめてフードか何か被ればいいものを」

「貴族にとって髪は身分の証みたいなものですからね。隠すのはある種の恥なんですよ」

「へぇ・・・」


ルルの解説を聞き、僕はいつかあいつらの髪の毛を一本残らず剃ってやろうと心に誓った。


「今、よからぬことを考えましたか?」

「さぁね」


ルルの不審そうな声を聞き流し、僕らは尾行を続ける。

貴族達は大通りを通り、不意に角を曲がった。


「・・・あいつら・・・やっぱ変だな」


ボブズがそう言いながら彼等が入っていった路地を見やる。

日が沈み、暗い細道に貴族達の集団がいる。


「こっちの方向は貧民街だ・・・あいつら・・・何しに行くんだ?」

「貧乏人をいたぶりにいくとか?」

「・・・その姿は簡単に想像できるけど。だったらもう少し人目を忍んでいくだろ」

「確かに」


僕らは彼等の姿が見えにくくなるギリギリの距離を開けて尾行を続ける。

彼等は何かに導かれるように路地を曲がっていく。彼等は帝都の南側の方向へと進んでいく。

高い市壁に囲まれた帝都の南側は日陰になる時間が長く、人が住むには不向きだ。だからこそ、安い土地に住まざるおえない人達がたむろしている場所だった。


貴族連中なら魔法も剣技もある程度は学んでいるだろうから自衛に関しては問題ないだろう。


だが、やはりこんなところに来る理由がわからない。


そして、不意に貴族達が立ち止まった。僕らも慌てて近くの路地裏に身体を隠す。

僕らは姿勢を低くして、角から貴族達のいる方向を覗き込んだ。


「・・・・何か見てる」


ベクトールがそう言った。

貴族連中は今の僕らと同じように道の角に身体を隠して路地を覗き込んでいた。


「・・・あいつらも・・・なんか尾行してたのかな?」

「かもしれねぇな・・・あっ、動いた」


貴族達が急に角から走り出した。

僕らも慌てて追いかけ、彼等が入っていった路地を覗き込んだ。


「って、あいつら何して・・・」


そこでは貴族達が壊れた壁に足をかけ、家の中に入ろうとしているところだった。


これは決定的な瞬間じゃなかろうか。なにせ、貴族が家宅侵入罪だ。

この世界にそんな罪があるかどうかは知らないが、少なくともまともな目的でこんなところの家に忍び込む理由はないだろう。


僕はそう思ってほくそ笑む。


次の瞬間だった。


「てめぇら!何してやがる!!そいつに近づくなぁ!!!」


貴族達が入っていった建物から空気を震わせんばかりの怒声が聞こえてきた。


そして、突如として爆音と光の奔流が巻き起こった。


建物の内側から強烈な光が差し込んでくる。建物の隙間から漏れ出す光ですら、僕らの目を潰さんばかりの光量だ。それはまるで小さな太陽がそこに生じたかのようだった。


直後、ラックが何事かを獣人の言葉で叫びだした。


「クァン!」

「ラック!?」


ラックは急に両目を手で押さえ、ふらつくよう足取りで後ずさった。そして数歩も歩くことなく、力尽きたかのようにその場でうずくまってしまった。


「クァン・・・イラ・・・イラァ!!」

「ラック!どうしたの!」


僕らはラックの傍に駆け寄る。ラックは顔を地面に押し付けるようにして唸り続けていた。

僕はラックの肩を揺すり、必死に呼びかけた。


「ラック!?ラック!大丈夫!!」


ラックの肩が冷や汗でぐっしょりと濡れていた。ラックの肩が小刻みに震えている。


「ラック!どうしたの!!」

「目が・・・目が痛い・・・目が・・・焼ける・・・」


絞り出すようなラックの台詞に僕はハッとなった。


ラックは以前『夜目が効く』と言っていた。既に暗いこの路地だ。ラックの瞳はかなりの光を集めていたのだろう。そこにあの強い光だ。

ラックにとってはあれは閃光弾と同じだ。


「ラック・・・どうしたらいい?」

「・・・ワかん・・・ない・・・」


ラックは目を抑えて震え続けている。

僕は歯の奥を噛み締めた。


またか・・・また何もできないのかよ・・・


そんな僕の思考を遮るようにボブズの叫びが路地に響いた。


「上だ!上を見ろ!!」

「・・・え?」


僕は促されるままに路地の隙間から夜空を見上げる。


「・・・・・・・あ・・・」


隣でルルが息を飲む音がした。ベクトールが茫然としながら尻もちをついた。


夜空に浮かんだ半分より少し丸い月。

それを背後に受け、夜空の中にそいつがいた。


死人のように白い肌。口から突き出た長い牙。蝙蝠のような赤い羽根。


僕は自分の身体が酷い脱力感い包まれていくのを感じた。背中に氷塊が滑り落ちたかのような怖気が走った。全身の感覚が警鐘を鳴らしていた。


それは死への恐怖だった。


誰かに説明されなくてもわかる。理解できてしまう。それほどに圧倒的な闇の存在感。


「・・・ヴァン・・・パイア・・・」


赤く染まった口元が歪な笑みを浮かべていた。

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