もう一つの棘 C
帝都の中心部。重厚な石造りの建築物は帝国の権威を一心に集めるべく作られたこの国の王城であった。絢爛豪華とはかけ離れた武骨な外壁。その作りも利便性と戦術性を追求した構造になっていた。
質実剛健を設計図に起こせばこのような形に自然と成り立つであろう城。
それはこの帝国に限らず、どこの王城においても重視されるものであった。
それは『魔族』という敵対者が常に世界を脅かし続ける限り、変わらない法則であった。
『魔族』の戦い方は千差万別。ゴブリンやコボルトのように大地を駆け、近接戦闘を好む者。ドレイクやデビルのように空を舞い、血の雨を降らす者、インセクトやワームのように地に潜り、虎視眈々と時を待つ者。
例え前線を離れたこの帝都であれどいつ戦闘が巻き起こるかわからない。
その時、王城というものは帝都に住む者の最後の砦として機能しなければならない。
そんな城の一角で大股で歩く者がいた。
長い銀髪を揺らし、最低限の革鎧をまとった彼は足音を鳴らしながら廊下を歩く。
普段では温和な顔をしている彼の顔は今や粗削りの彫刻のように険しい皺が刻まれていた。
目に宿した青い瞳は憤怒や侮蔑といった不快感が強く溶けていた。
彼の胸に輝く極光騎士団の紋章も薄暗い城の中では輝きは少ない。
彼と廊下をすれ違う衛兵が最敬礼を持って出迎える中、彼は愛想の欠片一つこぼさずに廊下を速足で歩いて行った。
彼こそ極光騎士団団長、ニーベルド団長であった。彼は訳あってミドルネームもファーストネームもない。母に名付けてもらった名前だけで彼は極光騎士団で生きていた。
彼は綺麗な眉を歪ませ、柔和な容姿に似合わぬ悪態をつく
「くそっ・・・城に囲われた豚共が・・・」
王城の警護に関する会議を終えた帰り道。ニーベルドは腹の奥に煮え湯を注ぎ込まれたがごとく感情を抑えきれずにいた。
「よう団長、随分と荒れてるじゃねぇか」
「・・・ベゴッドか・・・」
ニーベルドは廊下の影に座り込む団員を見つけ、歩みを緩めた。
彼の名はベゴッド。大きな手足と上を向いた八重歯が特徴的な『鬼人』の団員だった。
彼は酒瓶に豪快に口をつけながら立ち上がった。
「当ててやろうか?教会と貴族の対立が激化する会議で一刻も早いヴァンパイア討伐を命じられた。具体策も状況も何もわからないにも関わらず、奴らはただ『光魔法』の素晴らしさを説教してきては、ヴァンパイアの退治がいかに楽勝であるかを説いてきた。退治できて当たり前、できなれば無能の烙印。そんなとこか?」
「そこに、我ら極光騎士団の人員配置の分配にまで口を出してきた・・・も追加してくれ」
「あらら、ということは俺はどうなるかね?」
「わかっているだろ。即刻追放しろとのお達しだ」
「おお、怖い怖い・・・」
ベゴッドは軽く肩をすくめつつ、ニーベルドの隣に並んで歩き出す。
ニーベルドは彼の手から勧められるままに渡された酒瓶に口をつけた。巷にいる彼に好意を寄せる女性達には見せられない荒々しさだった。
「・・・平原の戦線を離れ、帝都の危機と言われ駆け付けてみれば・・・王は外交で不在、宰相は貴族の味方だ・・・教皇の威信を借りる元老院はひたすらに現在の教会の切迫した状況を語るばかり・・・我ら極光騎士団という最強の手駒を自分の下につけようとどちらも必死だ」
「・・・随分な板挟みだな・・・実際に被害が出ているのは帝都にいる民達だというのに」
「まったくだ・・・しかも、ヴァンパイアなど・・・」
ニーベルドは酒瓶を一気に傾け、奥底に残っていた最後の一滴まで飲み干した。
「魔法学園の校長からの援護射撃は無かったのか?」
「ふん・・・あの禿狸か・・・」
ニーベルドはそう言って小太りの魔法学園の校長の顔を思い浮かべて笑う。
「ありはしたが・・・今回は状況が悪い」
「ん?」
ベゴッドは怪訝な顔をした。
貴族側の子弟が数多く通う魔法学園。治癒魔法科を設立し、教会の聖魔法による治癒の一極化を防ぐ貴族側の要石だ。戦闘魔法科や魔法研究科の卒業生は今や要職についている者が多く、軍事・政治を問わず各分野に顔がきく。それゆえに歴代の学園長は貴族側でありながらも、比較的公平な立ち位置に準じていることが多いのだ。
「・・・どうやら、学園校内で眷属の出現を許したらしい。しかも、学園の生徒にも危害が及んでいる。警備体制の甘さを言及されているせいで立場が悪い。あの、ディスダム神父が直々に視察して確かめたそうだ」
ベゴッドはあからさまにため息を吐きだして舌打ちをした。
「くそっ、ダグの野郎は何してやがった」
「そう言うな。それに、どうやら話を聞く限り『神魔法の少年』が絡んでいるそうだ」
「ほう?」
『神魔法の少年』
その言葉を聞き、ベゴッドは興味を持った顔をした。
「興味あるか?」
「そりゃな・・・噂は戦場にまで届いていた。もし、本当に怪我を一瞬で治せるなら戦場に一刻も早く出るべき人間だ。興味がないわけがない」
ベゴッドはそう言って唇の端で笑う。
こうやって感情を露骨に顔に表してくれるベゴッドを前にして、二ーベルドは肩の力が抜けるのを感じた。
愛憎怨嗟が魑魅魍魎となって蠢く会議を抜けてきた後ではそのストレートな感情表現が心地よい。
「それで、そいつは何をしでかした?」
「ヴァンパイアの毒で死にかかっている野犬を神魔法で助けたらしい。それがヴァンパイアの眷属になり果てるとは知らずにな・・・そのせいで五体満足の眷属が校内で暴れたそうだ」
「なるほど・・・従来の聖魔法では決して起こり得ない話だ・・・」
治癒魔法は時間がかかる。わずかな傷を治癒するだけでも1時間。慣れたものでも最低でも30分の時間がかかる。傷ついた野犬を治そうという物好きはそうはいない。
「教育体制や危機管理の問題を示されていた。なにせ『神魔法の少年』だ。教会としてはどうしても手駒に加えたいだろう」
「ん?『神魔法』なんて教会に認定されているのに。教会側じゃねぇのか、そいつ」
「詳しくは私も知らない・・・だが、どうやら教会は『少年』の確保には失敗しているそうだ」
「ふぅん・・・」
ベゴッドは唇に浮かんだ笑みを一層深めた。
「嬉しそうだな」
「ああ、教会に属してねぇってんなら差別主義者じゃねぇかもしれねぇだろ。この俺にも『神魔法』を拝める機会があるかもしれねぇじゃねぇか」
「あまり誉められた話じゃないぞ。その少年の世話になるということはかなりの負傷をしているということだ。我ら極光騎士団の威光に関わる」
「ははは、それもそうか」
ベゴッドはどこからともなく二本目の酒瓶を取り出して煽る。
「まぁ、少年の話はいい。聞けばまだ治癒魔法科の1年目だそうだ。まだまだモノになるものではないだろう」
「だな。とにかく今は一刻も早くヴァンパイア本体を叩かねぇとな。北の戦線も心配だしよ」
ベゴッドはそう言って城から外を見上げる。夕刻が迫り、一番星が夜空に輝いていた。
二人は足を止め、夜へと変わっていく世界を眺める。どこか遠くから賑わう市場の声が届いてきていた。
「巷でのヴァンパイアへの恐怖はかなり広がっている・・・頃合いだろう・・・次の満月にはヴァンパイアは確実に仕掛けてくる」
「爆発感染か・・・」
「それまでに決着をつけたいというのに・・・あんな会議がまだ明日もあると思うと、ゾッとする」
ニーベルドの眉間に再び皺が寄っていく。
それに対して、ベゴッドの笑みは深みを増していた。
「なぁに、その為に俺達がいる。極光騎士団の光は世界の末端まで届く、そうだろ?」
「・・・極光騎士団の配置命令は正式に辞令が出ていないぞ」
「なら、上から命令が出るまでは団長に指揮権が一任されているはずだ」
ベゴッドはそう言って目元に力を込めた。
彼は徒にこの場所で待っていたわけではない。
会議を終えた団長の決断をいち早く受けるためにここに来ていた。
「団長・・・俺達はこうやってムカつく帝都まではるばる帰ってきたんだ。あまり休暇ばかりだと身体がなまって仕方がない」
それはベゴッドだけに限った話ではなかった。
団員の中には怪我をして暇をもらった者もいる。もう戦線に復帰できずに除隊となる者もいる。
だが、彼等の大半は団長の命令を待っているのだ。
ニーベルドはベゴッドから向けられる真っすぐな眼力を受け、小さく笑った。
ベゴッドの胸に光る極光騎士団の紋章は光を放つ太陽を象っている。その紋章は今や夕刻の光を反射して紅色に輝いていた。
「・・・ふ、本当に俺はいい部下を持ったようだ」
「あんたが、教会から貰ったミドルネームも、貴族の証であるファミリーネームも捨てたからこそ、俺達はついてきてるんだ。あんたが『いい部下』を持ったって言うんなら、それは自画自賛してるのと同じだぞ」
「・・・まったく、鬼人というのは皆お前のように弁が立つのか?」
「そんなもん『ヒトによって変わる』に決まってるだろうが」
「それもそうか」
ニーベルドは大きく息を吸い、そして胸の奥で固まっていた空気と共に吐き出した。
彼は髪をかき上げ、ベゴッドへと直立の姿勢を取った。
「ベゴッド=ダン。極光騎士団全部隊の待機命令を解除する。全員、目立たぬ服装でもって帝都内の調査を開始せよ。極光騎士団の紋章は外せ。一市民に身をやつして情報収集を行う。ヴァンパイア、及び眷属に接触した場合は戦闘も許可する。満月は5日後だ。それまでにヴァンパイアの撃滅が目標。心してかかれ」
「はっ!!」
べゴッドは最敬礼にてその指令に応え、踵を返して廊下を走りだした。
時間がないのは皆理解している。誰もが明日を待たずに動き始めるだろう。
ニーベルドは自分の優秀な部下達一人一人が最善をきたすことを期待していた。
「さて・・・私は私の仕事をこなすとしよう・・・」
これからニーベルドは宰相との夕食会がある。それが終われば帝都の警備を預かる将軍との面会、深夜には魔法学園の校長との密会の約束もある。極光騎士団の団長として、部下が自由に動ける環境を構築するのも大事な仕事である。
ニーベルドはこれから待つ、腹の探り合いによる戦争へと向かうために、ベゴッドが残した二本目の酒瓶を手に取った。
「ほう・・・この銘柄は・・・あいつめ・・・」
ニーベルドの好きな葡萄酒を残してくれた部下に感謝をささげ、酒瓶を片手に廊下を歩いていく。彼の穏やかな足音が静かな廊下に響いていった。




