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もう一つの棘 B

「それじゃあ、今日はここまで」


本日最後の講義を終え、生徒達が次々と席を立っていくなか、僕はひたすらに自分の机の上を見つめていた。今日一日の講義の間、ほとんどの時間をルルとベクトールの拘束魔法に両手を抑えつけられて過ごしたが、頭にあがった血はなかなか引いてくれなかった。

だが、そうしてもらって本当に良かったと思う。教室でガンドレッドの姿を見るたびに魔法語を呟きそうになる自分がいるのだ。

両手が自由であれば、間違いなく両手を打ち合わせて『竜の精霊』を使っていただろう。正直なところ、今だって腹の奥では溢れんばかりの熱量がくすぶっている。


「アギー・・・落ち着きましたか?」


ルルのその質問も今日で5度目だった。

ルルは僕の両手首十字にクロスさせ、その手首を風の力で縛り上げていた。これでは両手を合わせて詠唱することはできないが、羽ペンでメモを取ることはできる。決闘はできないが、勉学には励める。彼女の配慮は嬉しいが、正直今は感謝する気にはなれなかった。


「・・・落ち着いたよ。だから外してくれ」

「本当ですか?」

「本当だよ。それに、もうここじゃ相手もいないしさ」


背もたれによりかかり、誰もいなくなった教室を見渡す。

ラックやボブズに加え、魔法の暴走という話題に事欠かない僕だ。一緒の教室に長く残りたい人はそういないだろう。

力を抜いた僕にルルも爆発の危険はないと思ってくれたのだろう。ルルは腕を一払いして僕の『手錠』を外してくれた。


「まったく、アギーは少しは自重してください」

「自重ね・・・それはあの糞貴族に言うべきなんじゃないのか?」


僕の口調が随分と荒くなってしまっている。ルルに八つ当たりしているという自覚はあったが、このささくれ立った気持ちを収めることは簡単ではなかった。

そんな僕をラックが呆れたように見下ろしていた。


「マったく、ナんで私より先にアギーの方が爆発するのさ。アギーは『人間』だ。別に私らがこういう扱いを受けたところで、アギーにとっては関係ないだろ?」

「そういうわけにはいかないだろ!」


僕はそう言ってラックとボブズを見上げた。教室内の夕焼けに照らされた二人は呆れたように苦笑し、それでいてどこか嬉しそうな顔をしていた。

ボブズが僕の隣に勢いよく腰かける。


「あのなアギー。俺達はこいうのは慣れてる。だからアギーは黙ってやり過ごせばいいだろうが。というかな、そうやって『人間』に弁護される方がこそばゆいんだけど?」


ボブズは面白い冗談でも言ったかのように笑い、顔の火傷痕を自分の爪で掻いていた。

その態度が、今の僕には癪に障った。本当に怒るべきなのはボブズやラックじゃないのかという思いが一気に溢れてきた。胸の内に燻ぶった火が感情の箍を簡単に外してしまう。

普段なら決して口にしないであろうことまで喉から飛び出してしまう。


「なんだよそれ!間違っているものは間違ってるんじゃないのか!」


その瞬間、ボブズは笑うことを止めた。息を飲むほどに鋭い眼光が僕を射抜いた。


「そんなこと俺が一番知ってる」


彼の目の奥で揺らめく光は夕焼けが反射して見せる光ではなかった。それはボブズが僕に始めて見せた、彼の中の憤りの欠片だったのかもしれない。

それは今まで見てきたどんなボブズの表情よりも雄弁に彼の内面を物語っていた。僕は威圧され、押し黙ってしまう。

ボブズは僕から目を逸らし、前を見つめた。


「間違っていようと、正しかろうとそんなことは世間様にとってはどうでもいいんだ。鬼人や獣人は『魔族』の片棒を担ぐ『悪者』なんだ・・・叩いて潰せる弱い存在。そういうのがな絶対必要なんだよ。魔族に脅威があるうちはその図式は永遠に変わらない。お前達『人間』も『エルフ』も『ドワーフ』もずっとそうやってきて、これからもずっとそうだろうさ」


吐き捨てるようにそう言ったボブズ。

その瞳に反射する夕陽の光。それが、彼の目の奥に炎を灯したような錯覚に陥らせる。こういった話題では常に笑顔を見せるボブズの本当の内面が垣間見えたような気がして、僕は息を飲んだ。

だが、次の瞬間にはボブズは僕に満面の笑顔を向けてきた。先程の炎など幻影だったかのように思える程に見事な変貌ぶりだった。


「まぁ、個人的にはお前が怒ってくれるのは結構嬉しかったりするんだがなっ!」


ボブズはそう言って僕の肩を力強く叩いた。肩が抜けそうになるかのような衝撃を受け、僕は椅子の上でよろめく。


「いって!」

「いやぁ、本当にこの学園に来てよかったよ。お前みたいな変わり者に出会えたからな。ラックもそう思うだろ」

「えっ?あ、マぁ・・・ね・・・」


突然話題を振られたラックは少し面食らったような顔をして、すぐに明後日の方向に顔を背けてしまった。フードの影で彼女の表情が見えなくなる。頭に突き出た二本の耳もほとんど動いておらず、ラックの感情は僕からは読み取れなかった。


「・・・くすくす・・・」

「ナっ、ナに笑ってんだよルル!」

「いえ、別に。なんでもありませんよ」


ルルはそう言って、僕の方を見る。


「え?なに?」

「いえ、アギーは本当に面白い人ですね」

「は?」


ルルはそう言うとまたくすぐったそうに笑った。僕は意味がわからず小首を傾げることしかできない。

そんな僕の肩にボブズが腕を乗せてくる。


「本当に面白いぜ。『鬼人』や『獣人』に対して鈍感なくせに、俺達への迫害に関してはやけに敏感で。そんな奴に俺は会ったことないぞ」

「・・・・まぁ・・・ね」

「だからさ。ああいう態度にも鈍感になれ。受け入れろとは言わねぇから。あ、これな鬼人が子供に対して世間の渡り方を教える時によく使う言い回しなんだよ」

「・・・僕は子供か?」

「大差ねぇぞ。お前」

「・・・・・・・」


正直、否定はできなかった。


とりあえず、今の僕の行動はボブズやラックに不快に思われているわけではないらしい。なら、無理に変えることはないか。


僕はそう結論付けて腹の奥の最後の残り火をため息にして吐き出した。


「はぁ・・・」


僕が力を抜いたのが皆にも伝わったのか、友人達の表情も緩んだ。ベクトールだけはいつもと変わらない仏頂面であったが。


僕は冷静さを取り戻した頭でさっきの一連の自分の行動を見直す。反省することができるのは人の特権である。自分の褒められない行動、相手の許せない行動。一つ一つを整理して頭の中に小分けにしておく。そうすれば、次に似たようなことが起きた時により良い行動ができるのだと、そう言っていたのは前世の母であった。


「・・・そういえば・・・」


そして、冷静な頭で観察すれば自ずと不自然なことが目についたりもする。


「ガンドレッドの奴、どうして急にラックに突っかかってきたりなんかしたんだ?随分といきなりだったけど」


思えばその内容もどこかおかしい。『ヴァンパイアのもとに帰らなくていいのか?』とか聞いていた。

ラックが眷属になったっていう噂でも信じていたのだろうか?

だが、それなら逆に近寄らないようにするのが利口な選択肢だろうに。


そんな僕の思考を遮るようにラックが言った。


「ソんなの、決まってるだろ?」


ラックはいつも通りのニヒルな笑顔を見せていた。彼女の口元からのぞく八重歯が鋭く光る。


「どういうこと?」

「アギー。アいつはきっと私がヴァンパイアの眷属になってないか確かめたかったんだよ」

「なんのためにさ?」

「そりゃ、決まってる。あいつは自分でも眷属を倒したいんだ」


言われた意味がわからずに僕は何度も瞬きを繰り返す。


「え?つまり・・・ラックが眷属になってたらそれを殺すつもりだったと?」

「ソう言っただろ?アいつ、アンデットを判別する魔法を目に宿してた」

「・・・・・・いや・・・まさか」

「ソの『まさか』だと、私は思うよ」

「ははは・・・いやいやいや・・・」


僕の口からは乾いた笑いしか出てこない。そんなの面白くもない冗談だ。


先日のヴァンパイアの眷属との戦いは忘れたくても忘れられない。

僕の不用意な『神魔法』が全ての発端である上に、眷属相手に『竜の精霊』はまるで歯が立たなかった。ダグ先生とザイラル先生がいなければ皆殺しになっていたのは間違いない。

魔法使いとして自信もプライドも何もかもが打ち砕かれた出来事だ。


「僕に決闘で負けたあいつが?眷属を倒す?無茶にも程がある」

「デも、貴族の考えそうなことだとは思わないか?最初の試験で評価されたのも、眷属騒ぎの中心にいるのも私達だ。自意識と自己顕示欲の塊のような奴らにとっては面白くない話さ。だろ?」


ラックはそう言って水を向けたのはルルの方だ。


「・・・確かに・・・貴族にはそういう方は多いですけど・・・ですが・・・それはあまりにも馬鹿げてますよ」


ルルもラックの意見には懐疑的であった。


「いくら、自己顕示欲が高い方々でもそこまで愚かではありませんよ」

「ソうかな。私の知っている『貴族』はそういう奴らばっかりだったけど?」


ラックはそう言って悪戯を企む猫のように唇を舐めた。


「特に、コのクラスの貴族って、コの学園に来てから一度も高評価受けてないんだぞ」

「・・・・・・・・そう・・・だっけ?」


僕はこのクラスの授業の記憶をたどる。だが、残念なことに貴族の成績評価など全く思い出すことができなかった。そもそもが気にくわない相手なのだ。むしろ記憶からシャットアウトしてるぐらいだった。

頭を悩ませる僕に対し、ボブズはさもあんなりというように頷いた。


「ああ、そういやそうだな。貴族様ならそろそろ爆発してもおかしくねぇか」

「ボブズも貴族の成績とか覚えているの?」

「そりゃな。『貴族』と『神父』の言動はしっかり見張っとかねぇと、いつ殺されるかわからねぇからな」

「・・・・・・・」


警戒しすぎじゃないのか、と口から出かけたがすぐに思い直す。

ここは『魔法学園』なのだ。学生の誰もが魔法を使える。誰もが一回の詠唱で小動物を爆発させるぐらいはやってのける。


僕は皆の意見に閉口せざるを得なかった。

『ありえない』という思いと、『まさか』という気持ちがせめぎ合っていた。

ヴァンパイアに自分達から接触するなど、死にに行くようなものだ。


確かに貴族連中は気にくわない。

特にあのガンドレッドはいつか地の底に蹴り落としてやりたいと思っている。

だけど『死んで欲しい』とまでは思わない。

それは治癒魔法師を目指す上で絶対に許してはいけない思いだ。


「・・・ふぅ・・・」


どこからかため息が降ってくる。見上げると、ラックの眉がハの字になっている。笑顔ではいるのだが、眉間にはわずかに皺が寄っている。それはまるで手のかかる子供でも見ているような表情だった。


「なに?」

「いや・・・ナんでもない」


ラックは何かを諦めたかのように首を小さく横に振った。一瞬、フードの下に彼女の表情が隠れる。


「・・・・ほんと・・・なんでもない」


小さく呟くラック。教室内に風が吹く。

彼女のフードが揺れ、僕は彼女の顔を垣間見た。


「え・・・」


すぐに彼女は顔を上げる。そこにはいつものニヒルな笑顔を浮かべるラックが戻ってきていた。


「ソうだ。私、今日は町に行くけど。誰か一緒に行かない?」

「おっ、いいね。ラックの快癒祝いだ」


ボブズが賛同して立ち上がる。


「いいですね。ただし!デルエルの屋台はなしで!」


ルルが真っ先に釘を刺し、ラックがブーイングをする。


「えぇ!ナんでさ!私の快癒祝いだろ!ダったら私を優先しろ!」


牙を剥くラック。それをベクトールが静かに制した。


「・・・だめ・・ラックは私達に祝われる・・・私達がお祝いの内容を考える」

「ソんなの詭弁だ!」


皆はワイワイと騒ぎながら教室を後にしようとする。


「アギー、行かないの?」

「・・・・・・」


僕の方を振り返るラックの表情からは何も読み取れない。


「もちろん行くよ。決まってるじゃん」


僕は努めて笑顔を作ってそう言った。

鞄を担ぎ、ラックの背中を追いかける。


「・・・・・・・」


先程、ラックのフードの下から垣間見えた彼女の目。

多分、真正面にしかいなかった僕からしか見えなかった彼女の表情。


獲物を狙うかのように歪められた目元。

短刀のように突き出た彼女の八重歯。

そして、鮮血の月のように輝く彼女の赤い瞳。


それは、まるで血に飢える野生の獣のようだった。


「・・・・・・」


僕は皆の後ろを歩きながら、一抹の不安が駆け抜けるのを止められなかった。

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