入学初日 C
腰をぬかして、その場にへたりこむ貴族に暴風が迫る。
「・・・やめて」
低い声が聞こえた。
その直後、俺が起こした暴風は強烈な火柱にさえぎられていた。
天井まで届かんとする巨大な火柱は地面から噴き出すように現れ、俺の風をかき消していく。
盾となった火柱は俺の魔法を全て防ぎ、地に吸い込まれるように消えていった。
火柱の向こうには泣きべそで顔をぐしゃぐしゃにした貴族が五体満足のままへたり込んでいた。
どうやら、かすり傷一つ負わせることができなかったらしい。
誰の魔法だ?
少なくともこの腰抜け貴族のものではないことは確かだった。
「・・・・・・」
そして、貴族の後ろの人垣の中から前に出てきたのは、先程と変わらずに不機嫌そうな顔をしているドワーフの女の子だった。
その肩には魔法で生み出されたであろう、炎をまとったハンマーが担がれていた。
「・・・・・迷惑、やめて」
「ベクトール・・・」
彼女は貴族には一瞥もくれずにこちらを見ていた。
「・・・・・やめないなら・・・」
そして、彼女はハンマーを構えた。
「・・・・・あたしが・・・あんたをズタボロにする」
その視線は責めているというものではない。『本気で迷惑だから』という心の声が聞こえてきそうだった。
どうやら、彼女は貴族を庇いだてするつもりはなさそうだった。
どちらかというと、貴族の後ろで巻き込まれそうになっている他の生徒を守ろうとしているのだろう。
正直に言うと、俺は後ろの連中には多少被害が出ても構わないと思っていた。傷つけたら、治せばいいと短絡的に思っていたのだ。
「ふぅー・・・・」
ただ、ベクトールの登場は俺の頭に幾分かの冷静さを取り戻してくれた。
身体の力を抜き、俺は背中の翼を小さく畳んだ。
一度目を閉じて、気持ちを落ち着ける。腹の底は今も煮えくり返っていたが、表層ぐらい取り繕う余裕は出てきた。次第に糞貴族しか見えていなかった視野が広がった。
後ろの人垣の中にはルルに対する誹謗中傷には関わりのない人たちもいる。その中には震えているような人達も垣間見える。その人達に痛い思いをさせるのは確かに俺の本意ではなかった。
いくら治療を行っても、傷ついた瞬間の痛みや恐怖は決してなくならないことは僕自身も身をもって知っている。
「・・・・・はぁ・・」
自分がしようとしていたことは褒められる類のものではない。
どうやら、他の人達を守ってくれたベクトールは『僕』の尊厳も同時に守ってくれたらしかった。
「ベクトールとの決闘は、勘弁願いたいかな・・・」
僕はその台詞と一緒に様々な感情を吐き出し、魔力を霧散させた。
吹き荒れていた風が収まり、廊下に静寂が戻ってくる。
それを確認し、ベクトールもハンマーを一振りして消し去った。
「・・・・・ならいい」
そして、場の緊張感が切れると同時に彼女は踵を返して生徒の人垣の向こうに消えていってしまう。
本当に決闘を止めるためだけに前に出てきてくれたようだった。
ありがとう、と言いそびれたな。それと、ごめんなさいも
そんなことを思いながら、僕は今なおへたり込んでいる貴族に視線を向けた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「おい、そこのくそ野郎」
「ひっ!」
自分の中の怒りはベクトールの登場である程度ガス抜きがされてしまっていたが、やはりコイツを目の前にすると込み上げてくるものがあった。
「よかったな。天の助けがあったみたいだ。これに懲りたら、自分のでっかいお屋敷に帰って今夜の寝小便の心配でもしてろ。次に突っかかってきたら、今度は容赦しねぇからな」
僕はいまだ泣き止まない貴族に背を向け、ルルに声をかけた。
「ルル、行こう・・・」
「え・・・あ・・・」
僕は彼女の手を掴んで廊下を足早に歩き出した。
それはルルを慮るというより、あそこに長くいたら僕が再び爆発しそうだったからだ。今でさえ、思い出して腹の底が煮え返りそうになっている。一刻も早く離れないと何かに八つ当たりをしてしまいそうだった。
僕らは食堂を通り過ぎ、ロビーを抜け、魔法学園の校舎から出れば、外は日も暮れかけだった。
「今日は、外で食べない?門限までなら外出は許可されてるしね」
早口でそう言うと、ルルが微かに頷く気配があった。
僕はルルを引っ張るようにして校門へと歩いて行く。
木々が植えられた大きな通りは夕暮れを前にわずかに橙色を帯びていた。街から少し離れた位置に建てられていることもあって、校内は妙に静かだった。
道を半分ぐらい歩いた頃、ようやく僕の方も落ち着きを取り戻せていた。
その間、ルルはずっと無言だった。僕は一度振りかえった。彼女は俯いたまま引っ張られるままに歩いていた。表情は前髪で隠れて良く見えず、頰に涙が伝っているのかもよくわからない。ただ、握りしめた彼女の手の冷たさが、全てを物語っているような気がしていた。
「ねぇ、ルル・・・」
「・・・・・・」
「ルルがどうして、あんなふうに嫌われているのか、僕はよく知らない。正直、知りたくもない」
「・・・・・・」
「もし、その原因がルルにあったとしても、あの物言いをされて黙っていることはないと思う。あれは、刃と同じだ。そういう類の言葉だ。あえて受け止めてやる必要はない」
「・・・・・・」
「それでも、ルルが黙っているっていうんだったらそれでもいい・・・でも、僕は違うよ。君があんなことを言われたら、僕はまた暴れるだろうし、ブチ切れると思う」
「・・・・・・それは、やめてください」
「だったら止めてみてよ。僕が暴れる前にルルがあの貴族を自分でどうにかしてもいいし、僕が暴れてから羽交い絞めにしてもいい」
ふと、腕が引っ張られた。
足を止めて、振り返る。
ルルは俯き、立ち止まっていた。
少し、強い風が吹いた。それが彼女の金色の髪を揺らした。ふわりと髪が舞い上がる。
それは、風に金を溶かし込んだような、そんな光景だった。
風がやみ、静かな沈黙が流れる。
そして、彼女は顔をあげた。
彼女は眼尻に涙を浮かべて、はにかむように笑っていた
「アギーを羽交い絞めにするのなんて、私一人じゃ無理ですよ」
そう言われ、僕もつられるように笑顔を浮かべていた。
「そうかな?ルルって、結構いい腕してるんじゃないの?」
「レイピアと弓には自信はありますけど、締め技はちょっと・・・」
「それも、そっか」
僕はルルの笑顔の強張っていた頬の筋肉がほぐされていくのを自覚していた。
あまり人と衝突せず穏やかに生きてきたのだ。あそこまで憤ったのは前世以来だった。そのせいか、妙に気疲れしてしまっていたらしい。僕の腹の虫が急に泣き出していた。
僕は、ルルの手を離し、頭の上で腕を組む。
「あぁあ、おなかすいたよ」
「はい。私もです」
歩き出した僕の隣にルルが小走りで並ぶ。
「晩飯は屋台ですまさない?おいしい店は何件か開拓してるんだけど。それとも、エルフのお姫様のお口には庶民の食べ物は合いませんかな?」
「あら、これでも旅ができるように生活訓練はしています。ニシンの頭だって食べれますので、ご心配なく」
すまし顔を作りながらルルはそう答えた。彼女の顔には自然な笑顔が戻ってきていた。
「へえ・・・というか旅?」
「はい、エルフの風習でして、精霊と対話するためには森の中だけでは不十分であると考えているのです。エルフは齢30を越えた頃に100年程の旅に出るのです。外の世界でも困らないよう、30までに森の里で手に職をつけるのがエルフの習わしです」
「へぇ・・・」
「アギーはあまりそのあたりのことに詳しくないのですね」
「ああ・・・そうだね、僕の周りにはエルフもドワーフもいなかったし、田舎だったから、教えてもらえることも少なかった。そういう意味では、結構無知だと・・・思い知らされている最中だよ」
獣人の耳とか尻尾の意味も知らないし、エルフの習慣なんて聞いたこともなかった。
もしかしたら、ルルがあんな態度をとられるのも一般的には常識なのかもしれない。
そういう意味では、僕は外の世界のことをほとんど知らないと言ってもいい。
「教会でのお説教などは聞かれなかったのですか?」
「ああ・・・なるほど・・・そこで学ぶのか・・・」
残念ながら、治癒魔法が発現してからというもの教会はむしろ意図的に避けてしまっていた。
「あ・・・もしかして、アギーはあまり教会には通ってなかったのですか」
「恥ずかしながらね」
「い、いえ!それは決して恥に思うことではありません!!」
「え、そ、そう?」
「はいっ!!」
なぜか力強く頷かれてしまった。
もしかして、ルルが拒絶される理由もそこら辺にあるのだろうか。
『教会で磔にされて飾られる方が居心地が良いのではないですか?』
あの貴族野郎もそんなことを言っていた。
そのうち、調べてみるか・・・
そんなことを頭の片隅に残していると、ルルは意気込んで話を続けた。
「それに、エルフのことでしたら、私が教えて差し上げますから」
「それはありがたい。もしかしたら、エルフにとって失礼なこととかポロっと言っちゃうかもしれないからね」
エルフにはエルフの文化があり、風習がある。
人間だって街ごとに決まりがあり、独特の生活のリズムがある。
そんな当たり前のことすら僕は気づいてなかったのだ。
「・・・ところで、一つ聞いていい?」
「はい?」
「ルルって、何歳?」
あまり女性に歳を尋ねるものではないのはどこでも一緒であるが、どうしても聞かずにはいられなかった。
だが、ルルはあっけらかんと答えてくれた。
「ん?16ですよ?」
「え?あっ、そんなもんなんだ?」
意外だった。
日本の文化に毒されたせいか。エルフは見た目不相応の年齢だと思っていたのだ。
それを察したのか、ルルは喉の奥で笑っていた。
「さっき言ったじゃないですか。エルフは30までに手に職をつけて旅に出ると。私は治癒魔法師という職を手に付けるためにこの学園に来たのです」
「そっか、それもそうか」
言われてみれば当たり前の理屈だった。
「そうですよ。まぁ、エルフの容姿は20前後から変わらなくなるので、人間には年齢を見分けにくいと思いますけどね」
「エルフ同士だとわかるんだ」
「ええ、でもなんとなくですし。若く見える方や老けて見える方もいるので間違うこともあります。そのあたりは人間と変わりありません」
「へぇ・・・」
そんな話をしているうちに僕らはいつの間にか繁華街の方まで歩いてきていた。
夕暮れ時で酒場が賑わいだす頃合いだ。街に出ている屋台も繁盛しているようだった。
僕はお気に入りのパンを出す店へと足を向けた。
この世界での食事事情は概ねに言って、最悪であった。
自分の産まれた街では肉など高級すぎて滅多に食べられず、パンと豆が主食だった。食べられたとしても、ゴムのような硬さの薫製肉だ。香辛料の類があまり発達していないため、塩と香草によるシンプルを通り越してほとんど素材の味しかない料理しかない。僕が治癒魔法で稼いだ金はあったが、前も言った通り、両親は僕の教育にばかり使っていたのだ。
それでも、帝都に来れば多少はマシかと思っていたがやはりそうでもない。
肉は酒場の最高級料理であり、屋台にならぶのは豆を挟んだパンぐらいだ。
だが、慣れとは恐ろしいもので、産まれた時からこの世界にいれば特に問題なく食べれてくる。時々、前世を思い出して、豚骨ラーメンとか焼肉とか食べたくなる瞬間もあるが、まぁ、我慢するしかない。
その中でも、僕が気に入っているのがこの屋台だった。
多少値は張るが、パンが比較的柔らかく、豆も上手い。そしてなにより、ベーコンが挟まっているのだ。
ベーコンの味はお世辞にも良いとはいえないが、それでも良質な肉である。前世を思い出す味わいからか、僕はしょっちゅうこの店に来ていた。
そんな屋台の列に並んだ時だった。
「ン?アギーとルルーシアだ。二人とも、今から晩御飯?」
「ラック、なにしてんの?」
僕らに声をかけてきたのは獣人のラックだった。彼女は器用に片手で焼きたてのパンを3つも持ちながら、薫製肉を頬張っていた。
「ミてわかるだろ?晩御飯だよ」
そして、ラックは意外と上品な仕草で肉を噛みちぎる。安い薫製肉だと唾液でふやかしながら食べるものだが、ラックの持つそれは随分と柔らかそうだった。
僕は口の中に溜まった生唾を飲み込んだ。既に腹の虫が限界にきている。
そんな僕の隣でルルは少し遠慮がちにラックに声をかけた。
「ず、随分はやいですね。解散してからまだそんなに経ってませんよ」
「アあ、校舎の中はもうほとんど知り尽くしてたからさ。途中で抜けて出てきたんだよ。オかげで最高の薫製肉をゲットできた」
そう言いながら残っていた薫製肉を丸ごと口に放り込むラック。
なんて、大胆な。薫製肉などなるべく腹持ちさせるために一欠片をひたすら噛み続けのが当たり前だと言うのに。この人はどこまで僕の食欲中枢を刺激してくれれば気が済むのだ。
そんな食欲ボケしていた僕の頭。それが突然警戒音を響かせた。
ラックの表情が変わっていた。
彼女の目線がわずかに細くなり、目元に険が宿る。それだけで、ラックの印象が獰猛な豹のように変貌する。
その視線の先はルルだった。
「ケど、意外だね。エルフの姫さんがこんな街のど真ん中に来るなんて」
その台詞にピクリと震えたのは僕の肩だった。自分の顔が一気に強張るのを自覚する。
反応が過剰である自覚も同時にあったが、さっきのことが尾を引いていたのだ。
僕は瞬時に闘争心を剥き出しにしてしまっていた。
「は、はい・・・で、でも・・・エルフも人前に出ることは・・・ありますよ」
「ふーん」
ルルの表情を横目に見る。怯えたような様子は無かったが、それでも固く結ばれた唇に緊張が見て取れた。
僕はローブの下で拳骨を固めていた。場合によっては先制攻撃も辞さない構えだった。
そんな僕らの様子など知ってか知らずか、ラックはどこからかもう一枚薫製肉を取り出していた。
ラックはそれをひっくり返したり、少し伸ばしたりして質を確かめる。
そして、不意に彼女はそれをルルに差し出した。
「んっ」
「え?」
「ソんなに固くならないで欲しいな。私はあなたのことを恨んでもいないし、怒ってもいない。ソれなのに、緊張したまま接されるのは私としても息苦しい。ダからこれは、ちょっとした友好の証。アなたが、シルフィードでも、ルルーシアでも、私は気にしてない」
「・・・・・・・」
固まるルル。それに対して、目の前のラックはどこか不安を抱えた苦笑いをしていた。
僕は闘志をため息とともにこっそり吐き出す。
どうやら、1日に二度も三度も決闘まがいのことをしなくて済みそうだった。
僕は横目でルルの様子を眺める。
あとは、彼女の問題である。
ルルはしばし逡巡するように薫製肉とラックの間を視線を行き来させていた。
ラックもまた、急かすことなどせずルルの答えを待っていた。
「では・・・」
そして、ルルは最後にはその薫製肉に手を伸ばした。
二人の手が触れ、肉が手渡される。
「ありがとう・・・ございます」
ルルは薫製肉を受け取った。
まるで、大事な宝石を譲渡されたかのように態度だった。
ルルはすぐに肉を口に運ぶ。掌程度の肉を彼女の小さな口で引きちぎり、頬張る。
「はふっ、はふっ!」
彼女は肉を噛み締める。ゆっくりと、まるで凝り固まった肉をほぐすようにゆっくりと。
そして、肉を全て咀嚼するのをラックは最後まで待っていた。
「オいしいだろ?」
ラックがそう尋ねる。
「・・・はいっ・・・」
ルルは眼尻に小さな涙を浮かべながら、照れたように笑っていた。
その返事を聞き、ラックも向日葵が咲いたかのように満面の笑みを見せたのだった。
「・・・・・・・」
そんな二人を前にして僕は安堵する。
だが、それと同時に自分が本当に田舎者であったことも実感していた。
学校で二次方程式を使って頂点に立ったつもりでいた。魔法も剣技も一流だと太鼓判をもらい、『神魔法』と呼ばれる魔法を手にして、こんな学園など通過点に過ぎないと思っていた。
だが、なかなどうして。自分には学ぶべきことが沢山あるようだった。
この世界のことを僕は本当に何も知らない。
野菜屋の息子がいくら田舎の学校に通ってもわからないことが、この世界には五万とあるらしかった。