もう一つの棘 A
ヴァンパイアの眷属にラックが襲われてから1週間が過ぎた。
教室内の空気は落ち着きを取り戻しているように見えるが、それが上辺だけであることを僕は知っている。なにせ、ザイラル先生の仕事が一向に減る機会がない。僕の罰当番はまだ続いており、その内容はもっぱらザイラル先生について問診を取る日々だった。
僕は教室で定位置となった椅子に座りながら授業の準備をしていた。
「ヨっ」
声をかけられ、そちらに顔を向ける。そこにはフードを被った姿で片手をあげて朝の挨拶をするラックがいた。教室で彼女の姿を見るのは随分と久しぶりだった。彼女はそのまま僕の隣の席に腰を下ろした。
「ようやく復帰だね」
「ヤっと外に出られたー・・・」
ラックは机の上に身体をつけ、大きく前に伸びをした。その姿はまるで大きな猫だ。
「でも、授業サボれて楽だったんじゃないの?」
「ソのせいでこっちは自習の毎日だよ。買い食いにも行けないし」
「デルエルの干し肉は?」
「アれは・・・マぁ、大事に食べる・・・」
フードの下でラックの頬が仄かに赤くなる。
干し肉は日持ちがいい。ラックはできるだけデルエルの干し肉を保存しておくつもりらしい。見舞いを持っていった自分としてはそこまで大事に食べてくれるのは嬉しい限りだった。
そして、続々と他の友人達も教室にやってくる。
「ラック!もういいんですか?」
「オう、ルル。ヨうやくお許しが出たんだよ。今日からルルの部屋に移動になってるから、よろしくな」
「はい!ベクトールの荷物はもう移動させてますから、いつでもいいですよ!これからよろしくお願いします」
「アあ、そっか。ベクトールも引っ越しさせちゃったんだったな。大丈夫だったか?」
「別に・・・」
「ソっか」
皆は話をしながらそれぞれの定位置に座る。
ルルが僕の前、ベクトールが僕の反対側。ボブズはラックの隣だ。
「いやぁ、ラックが復帰してくれて助かったぞ」
ボブズがそう言いながらラックの肩に肘を置いた。
その瞬間、嫌な波が教室内に広がった気がした。僕は視線を険しくする。
周囲を目だけで見渡すと、思っていた通りの反応が周囲に溢れかえっていた。
「助かった?ナんでだ?」
「この教室に鬼人一人は結構辛いんだよ。嫌味な視線が分散してくれると・・・少しは助かるんだが・・・やっぱ、そう甘くないか」
教室内にいた他の生徒達もラックの存在に気付き始めていた。周囲で声を潜める気配が伝わってくる。人々の口の端にあがる内容はこの1週間で何度も耳にした噂話。
「・・・きたぞ・・・あれが・・・あの犬の」
「ヴァンパイアの・・・」
「・・・やめてなかったのか・・・」
周囲から聞こえる声に眉を顰めボブズはラックに耳打ちをした。
「気をつけろよ・・・ラックに対する当たりは・・・ちょっと今までとは違うぞ」
「・・・ミたいだな」
ラックはフードの下で不敵に笑ってみせる。彼女の口元から八重歯がのぞく。
「ソれで?今流れてる噂話はどんなのがあるんだ?」
「教室内で流れてたのは『お前がヴァンパイアの眷属になって既に殺された』とか、『ザイラル先生に隔離されている』とか、『もうとっくのとうに国外逃亡してる』とか、そんなんだ」
「ナるほど、私はもういない方がいいみたいだな」
ラックはそう言って喉の奥で笑う。こんな噂話程度で凹むような女性じゃないことはわかっている。
だが、僕らが懸念している問題はそこじゃないのだ。
「でも・・・これでもここはマシなんだからな」
「エ?」
「俺達はザイラル先生からヴァンパイアの詳しい講義を受けてる。ヴァンパイアについてかなり勉強させられているんだ・・・だけど、他の科の生徒はそういうわけじゃない」
「アあ・・・フューラ・・・ダいたいわかったよ・・・」
『フューラ』とは獣人の言葉で『万事解決』『all right』的な意味だそうだ。
最近、ラックはよく自分の国の言語を口走るようになっていた。
「私がヴァンパイアをこの学園に入れた犯人で、ヴァンパイアの仲間だと思われてるわけだ」
「そういうわけだ。噂話程度ならいいんだが、変に殺気立ってる奴もいる。特に戦闘魔法科の連中の話は本当に聞いてて虫唾が走るぞ。『今すぐ魔族の血を全て抜き取っておくべきだ』ってな」
「オお、コわ」
ラックはおどけたように肩をすくめる。そのフードの下にはそんな噂話など笑い飛ばしてやると言わんばかりの笑顔が浮かんでいた。そんなラックをルルが心配そうに見上げていた。
「ラック・・・でも、冗談じゃないんですよ。最近は本当に学園全体の気が立ってるんです・・・本当に・・・『疑わしきは罰する』と言った雰囲気で・・・」
ルルの声音にさすがのラックも真顔になった。
「ラック、しばらくは一人で食堂とかには行かない方がいいです・・・本当に・・・」
今度はラックも不敵な笑顔を見せることはしなかった。
以前ならきっと笑いながら適当にはぐらかしたりしていただろう。だが、今のラックは友人の心配を無碍にしたりはしない。
「うん、ワかった」
そんな小さな態度の変化が嬉しく思う。
そんな時だった。
ふと、教室が静まり返った。
「ん?」
それはあまりにも唐突に表れた沈黙。講師が入ってきたとか、誰かがあまりにもつまらない冗談を言ったとか、異質な何かが場を凍り付かせた沈黙だった。
その原因はすぐにわかった。
「・・・・・・・・・」
長い銀髪、憎々しげな碧眼。Mr.ガンドレッドだ。彼が席を立ち、こちらに向かって歩いてくる。
その鋭利な刃物のような尖った顔立ちを見ながら、僕は先日出会った彼の兄のことを思い出していた。気弱そうで愛嬌のある兄の顔とは雲泥の差だ。氏が同じでなければ、兄弟だと言ってもにわかには信じられないであろう。
彼と僕の目線は決して合わない。ガンドレッドの目は僕ではなく、ラックの方に向いていた。
「おい・・・」
「ん?どうしたアギー?」
僕はガンドレッドを指差した。ボブズとラックが振り向き、そのままの姿勢で固まった。
僕から二人の表情は見えないが、どんな顔をしているのかはわかる。きっとラックはニヒルに笑い、ボブズは面白そうに笑っているのだろう。
僕もそうやって笑えればいいのかもしれない。だが、この教室に満ちる緊張感が表情筋を強張らせる。
ルルがそんな僕を見上げていた。
「・・・アギー」
「わかってる、暴れたりしないよ」
ガンドレッドが妙なことを言わない限りはね。
心の中の独白が聞こえたわけではないだろうが、ルルは僕のことを叱るような顔をした。
釘を刺された僕は先制攻撃を諦め、ガンドレッドの出方を伺うことにした。
ガンドレッドはそのままボブズの手前まで歩いてきて、ラックの方を睨みつける。
高い位置にある彼の碧眼が汚物でも見るかのように細められていた。
「おい獣人・・・一つ聞きたいことがある」
『獣人』
僕は反射的に立ち上がりそうなった腰を押しとどめる。
「だめです。アギーはこれ以上問題を起こしたら・・・」
ルルが僕のことを必死に目で制していた。
僕は出そうになった罵詈雑言をなんとか口の中で抑え込んだ。
確かに、初日に決闘騒ぎ、ついこの間に魔力暴走を起こした。これ以上魔法で問題を起こせば処罰が重くなることは目に見えている。
だが、それを頭で理解した上でも身体の巡る血潮は制御できない。
入学するまでは『獣人』なんて呼び方を特に気にすることはしなかった。だが、様々な差別を見聞きし、その言葉に含まれる侮蔑の意味合いを理解した今では、ラックやボブズを『獣人』や『鬼人』と呼ぶことは僕にとってもう許容できることではなかった。
周囲の偏見による噂話ならまだ感情を抑えることもできる。だが、入学初日から相当に気にくわないこの糞貴族にこう言われては我慢できるはずもなかった。
そんな僕のことに気が付いたのか、ラックがわずかに振り返る。
彼女は無言で僕にニヒルな笑みを見せてきた。
『こんな時こそニヒルに笑え』
彼女の声が聞こえてきそうだった。
既に飛び出しそうになっている僕をよそに、ラックは視線を戻し、平然とした口調で言った。
「私か?ナんだ?」
ラックは『何が来ても笑ってやる』とでも言うように腕を組み、足を組んで胸を張った。彼女の控えめながらも確かに膨らんだ胸元が強調される。
それを冷たい目で見下ろしながら、ガンドレッドは言った。
「なんでまだこの教室にいる?ヴァンパイアのもとに帰らなくていいのか?」
教室内に言葉にできない動揺が広がった気がした。
そして『俺』はというと、自分の肌に鳥肌が走るのを自覚した時にはもうガンドレッドに掴みかかろうとしていた。
「てめっ!」
「だめ・・・」
「ぐおっ!!」
後ろにいたベクトールにローブを思いっきり引っ張られて俺は自分の席に戻される。
「ごほっ!ごほっ!ベクトール!!てめぇっ!!」
「アギー・・・こんなとこでやったら・・・今度はズタボロ・・・」
「・・・・・・・」
ここは教室内だ。他の生徒がすぐそばにいる。『竜の精霊』でも使おうものなら、それこそ本当に退学になりかねない。
「だったら、拳だけでいい・・・それならどうだよ?えぇ?」
ガンドレッドはいきり立つ俺に一度視線を向けた。
「すぐに感情的になる。これだから田舎者は」
「その田舎者に決闘で泣きべそかかされた貴族がいるらしいじゃねぇか?えぇ?てめぇとよく似た面で、『ガンドレッド』とかいう苗字らしいんだけどよ。お前知らないか?」
「酷い言葉遣いだ。聞いてて頭の悪さが滲み出てる」
俺のこめかみあたりで何かが切れる音がした。
「決闘の申し込みか?そうなんだろ?そうなんだよな!?さっさと表出ろや!てめぇの小さな小さな火の粉を見せてみろよ!!」
「貴様に用はないんだ。少し黙っててくれないか?」
再び掴みかかろとした俺の服はベクトールとルルによって抑え込まれる。
再びひどく喉を締められることになった俺は咳き込みながら自分の席に戻らざるおえなかった。
そんな俺を一瞥し、ガンドレッドはラックに視線を戻す。ラックは相も変わらずニヒルな笑みを崩さない。
「それで、どうなんだ?獣人?」
「・・・ナんで私にそんなことを聞いてくるのかわかんないね。私はそのヴァンパイアに襲われた。危うく死にかけた。マぁ、貴族様には私達みたいな獣人がどうなったかなんて興味ないんでしょうけど?」
「それで?」
それでもそんなことを繰り返すガンドレッドにラックは喉の奥で笑ってみせた。
「くっくっくっく・・・」
「・・・・・・・・・・」
そして、ラックはたっぷりと間を置いた。
何をするでもなく、ただニヒルな笑顔でガンドレッドを見上げ続ける。
教室が沈黙に包まれる。誰しもがこの二人のやり取りを見つめていた。
「・・・・・・おい」
そして、その沈黙に耐えきれなくなったのはガンドレッドの方だった。
ラックは獲物を前にした猫のように唇を舐める。
「ナにを焦ってるんですか?貴族さま?」
「・・・質問に答えろよ。お前なんか僕の一声でこの国を追い出すこともできるんだぞ」
「ソれは怖いね」
ラックはそう言って再び黙る。2度目の黙秘にガンドレッドは先程のように我慢することはできなかった。
「おい!!」
「あははは、ヴァンパイアの居場所が知りたいんだろ?」
ガンドレッドは何も答えない。
「そんなの知らないよ。知りません、知ったこっちゃない、知るわけがない」
ラックは『知らない』と何度も繰り返す。ガンドレッドの表情は氷のように変わらない。
「ソれに、ソんな挑発で私から答えが聞き出せるわけがないじゃないか。私が『魔族』なら、同族の居場所を教えるわけでしょ」
「何の話だ。僕はお前がまだこんなとこにいる理由を聞きたかっただけだ。人間に混ざっている魔族に居場所がないことがはっきりしたんじゃないのか?」
「サて?私の居場所がない?変だね、私には寮に部屋がある。ベッドもある。食事も出てくる。ついでに授業も受けられる。さて、私の居場所がないのはどこなんでしょう」
ラックが眉を上げておどけてみせる。そんな彼女を前にガンドレッドは小さく舌打ちをした。
そして、ガンドレッドは僕らを見渡し、鼻で笑ってみせた。
「居場所か・・・ふん・・・類が友を呼んでいるんだけだろ」
ガンドレッドは軽蔑するような目で順に僕らを見渡す。
「『獣人』『鬼人』・・・田舎者が2人に・・・教会の『白河童』だ。傷の舐めあいは楽しいか?」
「なぁ、なぁ、本当に決闘しなくていいのか?おい?やろうぜ、今すぐ!!ここで!!」
自分の前世を含め、ここまで頭に血が上ったのは初めてだった。
目の前のこいつを完膚なきまでに叩き潰して俺の足を舐めさせたらさぞ痛快だろう。
俺は鼻息を荒くしながら、椅子から立ち上がろうともがく。
だが、いつの間にか俺の身体は強烈な風圧と石の枷によって完璧に固定されていた。
とりあえず、ルルとベクトールにはあとでたっぷり話したいことがある。
「こんな連中を認めるこの学園も随分とまぁ落ちたものだよ・・・貴様らなど・・・卒業できるわけないんだ。せいぜい、この教室にいれる間に僕達と同じ教育を受けておくことだ」
「うぅうううう!!!ううむうううううううううう!!」
ついに猿轡までされてしまった。これでは先制攻撃で魔法を叩き込むこともできない。
もし口が動いていたら確実に詠唱を開始していた。俺のことをベクトールはよく理解してくれているらしい。これっぽっちも嬉しくない気遣いだったが。
捨て台詞を吐いて去っていくガンドレッド。
俺は無言でも魔法を放てるようにならないか全力で試している最中だった。
そして、ガンドレッドが席についたのを見計らったかのようにダグ先生が教室に姿を見せた。
いつものことだが、鬼人であるダグ先生が教室に入ってくると、教室全体に嫌悪感を含む緊張感が走る。
そんな空気をものともせず、ダグ先生は朗らかな笑顔を教室内に向けた。
「おはよう。ん?なんか妙な空気だな・・・あぁ・・・それと・・・なんでアギリアは4種類の魔法で雁字搦めにされてるんだ?」
「暴れる患者を押さえつける魔法を検証する練習台になってもらってました~」
ボブズが悪びれもせずにそう言うのを聞きながら、俺はなんとか怒りを鎮めようと深呼吸を繰り返していた。




