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感染の網 H

ザイラル先生の研究室にやってきた患者をひたすら片付けていく。問診を取ってカルテを書き、先生が治癒をしていく手伝いをして、その時間の隙間にまた別の患者の問診を取っていく。

時刻が夕方に差し掛かるにつれ、怪我をして研究室を訪れる生徒は加速度的に増えていった。


そして、患者がようやく一区切りついたころには既に外は真っ暗闇になっていた。


「よし、Mr.スマイト。今日はもういいぞ」

「はい・・・」


僕は話をし過ぎてかすれてしまった声で返事をした。

ひたすらに質問をして、メモを取っていく作業は心身共に僕を疲弊させていた。しかも、一回ごとにザイラル先生から評定が入るものだから一度たりとも気を抜けない。

一応、最高成績は55点であったので、この一日で多少は成長したようだ。


疲れたため息を吐く僕にザイラル先生は表情を緩めた。


「ふっ、さすがに疲れたか」

「はい・・・」

「どうだ。お前が八百屋の店先でやっていたこととは大分違うだろ?」

「・・・そうですね・・・」


怪我の訴えがあり、その怪我さえ治せばいいわけではない。

全身を見て、本人が自覚していないところまで気を配らなければならない。もちろん、そこに見落としがあってはいけない。


「・・・あの、普段からこんなに患者って多いんですか?」

「ん?」


ザイラル先生は棚から紅茶の葉を取り出しながら、僕の方を振り返る。


「そんなわけないだろ。今日は特別さ・・・いや、『今』は特別というべきか」

「え?どういうことです?」


ザイラル先生は短く魔法語を呟き、火の玉を机の上に浮かべた。その上に鍋を置いてお湯を沸かし始める。


「Mr.スマイト。紅茶でも飲むか?」

「あ、はい・・・いただきます」

「隣の連中がまだいるなら呼んで来い。人数分淹れてやる」

「はい」


質問の返事を保留にされ、僕はいまいち納得のいかないまま病室の方を覗き込んだ。


「アギー、終わったのか?」


そこにはラックがベッドの上で図書館の本を広げているだけで、他の人達は見当たらない。


「あれ、他のみんなは帰っちゃった?」

「ははは、今何時だと思ってるんだ?トっくのとうに帰ったよ」

「え?」


僕は慌てて窓から星を見る。驚いたことにもう真夜中に迫ろうとしていた。

どうりで空腹を覚えるわけだ。僕は何も入っていない胃の中を少しでも満たそうと大きく息を吸い込んだ。

そして、ため息として全部吐き出す。


「腹減ったか?」

「うん・・・まぁね」


窓を前に項垂れる。紅茶があるのはいいが、今は食堂の方が恋しかった。

だが、紅茶は高級品だ。前世ではまだしも、こっちの世界ではなかなか口にできるものではない。せっかくザイラル先生が僕を労って紅茶を淹れてくれるのにそれを無碍にするわけにもいかないだろう。


「ホい」


そんな僕の頬に固いものが差し込まれた。反射的にそちらを向いた瞬間、口の中に何かが突っ込まれた。


「ング!」


独特の香り、確かな噛み応え。口元を見下ろせばラックの手が僕の口に干し肉を突っ込んでいた。


「上手いか?」


弾けたように笑うラックの顔が目の前にあった。


「・・・・・・」


僕は突っ込まれた干し肉をゆっくりと咀嚼する。肉を噛み崩すとすぐに口から鼻へと刺激的な臭いが沸き上がってきた。その臭いを嗅ぎ、僕は自分の口に突っ込まれた肉を理解した。


「・・・・むぅ・・・」


僕は肉を口に入れながら渋い顔をした。やはりデルエルの干し肉はあまり好きにはなれなかった


「ヤっぱりダメか・・・タく、ナんでこれの良さがわからないんだよ・・・」


肉を引き戻そうとするラック。だが、僕はその手を掴んで止めた。

そのまま干し肉にかぶりつく。無言で食べていく僕にラックは少々面食らったようだが、すぐに笑みを深めた。


「ナんだ。ヤっぱりいるのか。ホら食え食え」


再び僕の口に押し込まれていく干し肉。普段ならあまり嬉しくない状況だ。ただ、空腹は最高の調味料とでもいうように、今の僕にはその臭いすら食欲をそそるスパイスのように感じられた。

だが、感性が変わったわけではないのでやはり多少は渋い顔になってしまうのは仕方がない。


僕はそのまま犬のように干し肉に食いつき、ラックの手から肉を食べさせてもらった。


「ふぅ・・・」

「少しは腹の虫が収まったか?」

「うん。ありがと・・・」


でも、自分でお見舞いに持ってきた干し肉を自分で食べるという状況は少し複雑だった。

なんだか自分が厚顔な行いをしているような気分になる。


「デ、ナにしにきたんだ?」

「あっ、忘れてた」


僕はザイラル先生が紅茶を淹れていることをラックに伝えた。


「紅茶!・・・私、飲んだことない」

「・・・僕も」


もちろんこっちの世界で話に限るが。


「本当に紅茶淹れてくれるの?エゥノ?」

「え?えう?えうの?」

「あ、あああ、ソうじゃなくて!『嘘じゃないか』って意味?」

「あ、うん、そうらしいよ」


興奮のあまり母国語に戻るラックを前にして、僕はその反応に若干引き気味だった。

確かにこの世界で紅茶は高級品だ。

普段の食事を豆とパン。保存食を塩に頼るような食生活だ。嗜好品である紅茶を口にできる機会などそうはない。

だが、僕にはラックのように目を輝かせることができないのだ。

前世で120円あれば飲めた飲み物に高級感を見出せと言う方に無理がある。


「行こ行こ!アっ、でも・・・紅茶なら・・・ルル達も呼んだ方が・・・」


フードを被り、外に飛び出ていこうとするラック。

だが、その瞬間を見計らっていたかのように隣の研究室から鋭い声が飛んだ。


「呼ぶな!今が最高の湯加減なんだ!これ以上待てん!そのうちあいつらにも飲ませてやるからすぐに来い!」

「ワ、ワかりました。ホら、アギーも早く」

「あっ・・・うん・・・」


フードを被ったラックに腕を引かれ、僕は隣の研究室へと引っ張られていく。

興奮で獣耳を揺らすラックを見ながら、僕は一抹の寂しさを覚えていた。


転生ってのも、あながち良いことばかりじゃないや・・・



――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――



湯気の立つ木製のカップを受け取り、僕はそれを一口すする。


「・・・おう・・・」


それが、僕の最初の感想だった。

それは確かに一口で高級品だとわかる味と香りだったのだ。


しっかりとした茶葉で丁寧に沸騰させたお湯を使って淹れた紅茶というものはここまで違うのか。


僕は沸き立つ蒸気を鼻腔から再び吸い込む。それだけで、口の中の唾液が紅茶の味に代わりそうな程に濃厚な香りだった。


「ふぁあああ・・・」


隣ではフードを被ったラックが蕩けたような笑顔を浮かべていた。


「私、ヤっぱりこの学園に来てよかった」


そこまで言うか。


僕はそんなラックをどこか冷めた目で見つめてしまう。

確かに高級品だろう。確かに上質な物なのだろう。

だが、やはり前世の記憶のせいで僕には感動が薄い。


ザイラル先生は自分のカップに注いだ紅茶をすすり、普段の8割増しで柔らかな表情をしていた。


「フッ・・・治癒魔法師はなんだかんだ言って引く手あまただからな。頑張って一人前になれば、少し疲れた時に紅茶を飲もうと思うぐらに手近なものになるぞ」

「・・・ソうですよね」

「自分の魔法の才能に感謝することだ」


『才能』


その言葉が僕の胸の中に嫌な影を落とす。

自分の『神魔法』は確かに才能の一つだろう。魔法の覚えが早いのもやそれは『才能』の一つ。

だが、今の僕はその才能を十全に使いこなせているわけではない。


僕はザイラル先生に保留にしていた質問の答えを尋ねた。


「・・・先生、それで話を戻したいんですけど」

「ああ、患者が増えていることについてだったか?」

「はい」


隣に座るラックがフードの陰から視線を投げてくる。『何の話だ?』と目が訴えていた。


「・・・昨日もそうだったが、患者が続々と私の意見を求めたここに押し寄せる・・・正直、私も手一杯になりかけていた。お前が罰当番を食らって本当に助かっている」

「それは・・・どうもです」


その話をされ僕の表情は曖昧なまま固まった。あの失敗は自分の中でも黒歴史として葬り去りたい部類のものだ。


「・・・Mr.スマイト・・・今日来た患者、どんな患者だったか覚えているか?」

「え?はい・・・えーと・・・」


僕は今日問診を取った人の顔を順に思い浮かべていく。


「猫に引っかかれた人、木のささくれが刺さった人、毒草の棘に触れてしまった人、膝を柱で強打した人」

「そうだったな。皆、何を気にしていた?」

「そりゃ・・・」


僕は患者が開口一番に口にしていた言葉を思い出した。


「ヴァンパイ・・・」


ザイラル先生は1つため息を吐いて頷いた。


「そうだ。人心の中にヴァンパイの恐怖が影を落としている。暗がりや物影、自分の目が届かない場所で怪我をすれば、その全てに恐怖が蘇る・・・ヴァンパイアは存在そのものが人を疲弊させていくんだ」


僕はいつの間にか手にしたコップを強く握りしめていた。


「町の方はおそらくここの比じゃない患者が押し掛けてきていることだろう」

「教会は・・・大丈夫でしょうか?」

「私達が心配するまでもないさ。神父やシスターの数だけみれば、我ら学園卒の治癒魔法師よりはるかに多い。それでも、寝る間もないことになっているだろう。なにせ、ヴァンパイアに噛まれたか否かなど、実際に見なければ絶対に判別できないのだからな」


神出鬼没な『闇の精霊』を操るアンデット。無形の恐怖は人々の心の奥底に潜み続ける。それはただの木片すらヴァンパイアの牙に見せてしまう。


「・・・ヴァンパイアに狙われた町は必ずこうなる・・・そして、治癒を行う者は次第に疲弊していく。そしてそれを待っていたかのように。始まるんだよ」

「始まる?」


疑問の声をあげたのはラックだった。僕はザイラル先生が言わんとしていることを察し、息を飲んでいた。


「ナにが始まるんです?」

「・・・決まってる・・・ヴァンパイアが、眷属を数体送るだけでこの都を諦めると思うか?必ずどこかで始まるんだ・・・奴の本格的な進行・・・眷属を増やしながら町を蹂躙していくヴァンパイアの夜・・・爆発感染パンデミックがな」


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