感染の網 G
ガンドレッド先輩が怪我をした状況を聞いた結果はこうだ。
戦闘魔法科の講義を終え、一人自主練をしていた。その後、荷物を片付けようと倉庫に行ったところ、暗がりの中に黄色く浮かび上がる瞳がそこにあったとのこと。その目は獣特有の細長い瞳孔をしているのをはっきりと覚えていて、体躯は猫ぐらい。
その瞳の持ち主は「ふしゅー」と威嚇の声をあげながら、ガンドレッド先輩を睨みつけた。先輩は目の前にいる獣がヴァンパイアの眷属である可能性を考えて、剣を抜き、大声をあげた。その声に驚いたのか、その獣は先輩にとびかかって、そのまま逃走した。
右手の怪我はその時にできたもの。騒ぎをききつけて、やってきた治癒魔法科の先生の指示に従い、ザイラル先生の病室へと向かわされた。
「・・・それで、あなたを襲った獣の特徴はなにかありますか?」
「それが、猫のような目をして、猫のような声をあげ、猫のような身のこなしで僕に襲い掛かってきたネズミです」
「はい・・・」
それは猫なんじゃないだろうかと思ったが、僕は口に出すことはしなかった。
多くの人がそうであるように、自分の信じることを真っ向から否定されれば人は余計に頑なになる。
「どうして、ネズミと思ったんですか?」
「・・・いや、ですから。ネズミだったんです。おそらく、ヴァンパイアの眷属となって猫並みの体躯と身のこなしを手に入れたのでしょう!」
「・・・・・・」
あまりに自信満々に言い切ったガンドレッド先輩を目の前にして、僕は呆れたような顔を隠すのに苦労することになった。
眷属になった獣は人間から逃げることはまずないとザイラル先生は言っていた。
そしてそのことを戦闘魔法科の学生が知らないってのは果たして良いのだろうか。
だいたい、本当にヴァンパイアの眷属がそこにいたのなら駆け寄ってきた先生達が学生を一人でここに送り込むなんてことはしないだろう。
「それでは、傷を見せてください」
「あ、はい、これです」
右手を差し出してくるガンドレッド先輩。彼の手の甲には軽く血の滲んだ切り傷が3本走っていた。傷口は汚れておらず、化膿してることもない。ただ、その手は恐怖で震えているかのように小刻みに震えていた。
「あっ、傷には触らないでください!ヴァンパイアにつけられた傷なんですから!」
「・・・・はい」
言われなくてもわかってる。
僕はそう言いたいのをグッと堪えた。そもそも、この傷が本当にヴァンパイアの眷属によるものなのか怪しいものだった。
僕は羊皮紙に傷の状態について書き連ねていく。ザイラル先生の研究室に羽根ペンの走る音が響く。
その間もガンドレッド先輩は痛みを必死に堪えているかのように、右手を抑えて泣きそうな顔をしていた。
「あの・・・やはり、僕は、もう、ヴァンパイアの眷属と化してしまうんでしょうか・・・」
「・・・・・・・」
まるでこの世で最も苦悩しているのは自分だとでも言いたげだった。
僕は胸の奥から湧き上がってきそうな百万語を飲み込むのに苦労した。
僕はついこの間、ヴァンパイアの眷属の放った血の槍で太腿をぶち抜かれた友人を見た。あの時のラックは泣きそうになりながらも、気丈に笑ってみせようとした。
それと比べてこの男の情けない様といったら・・・
「大丈夫ですよ。ザイラル先生なら、適切な治癒を施してくれます」
きっと『適切』な治癒を行なってくれるだろう。
僕は少しは記述の増えた羊皮紙を目の前に次に何を聞くかで頭を悩ませる。
あと、聞いておくべきことはなんだ?
自分の記述を客観的に眺めるというのはやはり難しく、どこに過不足があるかがよくわからないのだ。
それに・・・・
「くっ・・・痛い・・・」
傷を抑える先輩を傍目に僕は一抹の不安があることを否定できなかった。
十中八九先輩が遭遇したのはただの野良猫だと思うが、完全にヴァンパイアの眷属である可能性を否定することができないのだ。
ヴァンパイアの毒を受けた傷がどうなって、その後どんな症状が出るのかがわからないと判断ができない。
その時、廊下へと続くドアが開き、ザイラル先生が戻ってきた。
「どうだ。話は聞けたか?」
「あ、はい。一通り」
僕は自然と息をついていた。自分一人で患者を診るという心細さから解放された瞬間だった。
ザイラル先生は普段と変わらない鋭い目線で僕の書いた羊皮紙を取り上げた。
「ふむ・・・」
ザイラル先生の目が羊皮紙の上を左右に移動する。
僕の気分は判決を待つ罪人だった。これは自分が最初の試験からどれだけ成長したのかを示す瞬間なのである。
「傷を見せてみろ」
ザイラル先生は羊皮紙から目を離して、ガンドレッド先輩の手をとった。ザイラル先生の手にはいつの間にか水の膜が張られていた。
ザイラル先生は傷口を水で洗って、傷の中身を確認していた。
「傷に痛みはあるか?」
「は、はい。ひりつくような痛みがあります」
「・・・吐き気や頭痛、腹の痛みとかはどうだ?」
「あ、言われてみれば吐き気が少しあります。あと、なんだか意識が遠のきそうな・・・」
「熱っぽさはあるか?」
「はい、なんだか身体が少し熱い気がします」
僕はそれを聞き内心で「しまった」と声をあげた。
傷ばかりに注目して他の症状がないか、まるで聞かなかったのだ。
ほぞを噛む僕のことをまるで見透かしたかのように、ザイラル先生が僅かにこちらに視線を投げた。
「42点」
「はい・・・」
最初の試験から2点の上昇。成長と言えなくはないが、湧き上がるため息の一つは許して欲しかった。
そんな僕を見て、ザイラル先生は唇の端で笑っていた。先生が笑顔を見せるのは珍しいとはいえ、それを目撃できたことに対する喜びは薄かった。
ザイラル先生はすぐにいつもの鬼軍曹のような表情に戻り、ガンドレッド先輩を見据えた。
そして、ザイラル先生は魔法語を呟き、水球を空中に浮かべた。
「あ、あの。何するんですか?僕に浄化魔法をかけるんですか!」
「違う。いくつか調べたいことがあるだけだ。魔法を体内にいれると拒絶反応はでるか?」
「いえ、ないです・・・いえ、そうでなくて・・・それって確か、水の針を・・・刺すんですよね」
顔を青くするガンドレッド。
「自分、痛いの苦手なんです」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
ザイラル先生の顔から表情が無くなっていた。自分の顔からも表情が消えているのを自覚した。
それでいいのか、戦闘魔法科。
ザイラル先生は無言でガンドレッド先輩の腕を風の魔法で縛り上げて、血管を浮かび上がらせながら固定した。
「はい。少しじっとしてろ」
「あっ、ああ、ああっ!」
鋭く尖らせた水魔法の先端が皮膚を突き破った。その瞬間から目を背ける先輩を見ながら僕は「情けない」と感想を漏らした。ザイラル先生は血管と繋いだ水球を見上げた。
ザイラル先生はその宙に浮かんだ水球から何事かを読み取ったかのようだった。僕も同じく水球を見ていたが、正直言ってなにもわからなかった。
ザイラル先生は無表情のまま、ガンドレッド先輩へと目線を戻した。
「さて、Mr.ガンドレッド」
「は、はい」
「傷を洗ったら帰れ。お前に怪我を負わせたのはビックサ先生の飼っていた猫であることは既に証明されている」
「へ?」
その時のガンドレッド先輩の表情は随分と間抜けだった。目が点になっており、口が半開きで固まっていた。僕と同じ学年にいるこの先輩の弟も同じような表情をするのだろか。
もし、それなら一度拝んでみたいものである。
僕は半ば現実逃避でもすつかのようにそんなことを考えていた。
「戦闘魔法科の4年生が追跡術の訓練代わりに追跡して発見したそうだ。一応、破傷風に対して治癒魔法は施してやるから。さっさと帰れ」
「えっ、あ、あの!」
「なんだ?」
ザイラル先生は「ギロリ」という効果音を響かせそうな様子で先輩を睨みつける。
「じゃ、じゃあ。この傷のひりつくような痛みはどう説明するんです。ヴァンパイアの毒じゃないんですか?」
「切り傷で多少の腫れと痛みがあるのは当然だ」
「じゃあ、この吐き気と意識が遠のく感じは!?」
「怪我にビビって心臓の動きが悪くなったせいだ。血の気が引いてるだけと言えばわかりやすいか?」
「体が熱っぽいのは!?」
「気分の問題だろ。そもそも、貴様は今平熱だ」
ここまで言い切られるとなかなか哀れであった。
「そもそも、ヴァンパイアの毒を受けた傷はそう簡単に出血が止まらん。ついでに言うと目の充血や口腔内の出血が出る。そして最も特徴的なのは傷を負った場所から広がる紅斑だ」
ザイラル先生の説明はガンドレッド先輩に向けられたものであったが、どちらかと言えば僕の為に喋っているかのようだった。
そして、説目を受けたガンドレッド先輩の方は、先程までの泣きそうな顔から一転していた。
「・・・それじゃあ、僕は・・・生きて・・・いられるんですか?」
嬉し涙を流すガンドレッド先輩。
音がした。主にザイラル先生のこめかみのあたりから。
正直、僕にもザイラル先生の気持ちが分かる気がした。
「・・・いいから・・・傷を洗ってやるから!それが終わったらとっとと帰れ!!」
響き渡る怒声。ザイラル先生の行動を先読みして耳を塞いでおいて良かったと思う今日この頃であった。
その後、ザイラル先生は小さな水球を出し、治癒魔法を入れて先輩の腕に流し込んだ。おそらく破傷風を浄化する魔法だろう。ザイラル先生は先輩をベッドに寝かせるようなこともしなかった。
素早く点滴を流し込み、追い払うようにガンドレッド先輩を追い出したのだった。
「あ、今回は本当にありがとうございま・・・」
ザイラル先生はガンドレッド先輩の丁寧なお辞儀など見向きもせずにドアを素早く閉じた。
「まったく、戦闘魔法科の最優秀生徒が聞いて呆れる!!」
ザイラル先生は憤懣やるかたなしと言った様子で自分の椅子にその身を沈めた、
対して僕は別の机で羊皮紙に今回の症例のまとめを書かされていた。
何を疑って何の検査をして、何の症状から何の診断に至り、それに対してどう治療を施し、今後どうするのか。
一般的に『カルテ』と呼ばれる診療記録である。
「・・・・・・・・」
僕はそれを見ながら、ザイラル先生のやっていたことを理解しようとしていた。
ザイラル先生はあの短時間に体温、血液状態、脈拍、呼吸状態を素早く確認していたのだ。
患者の状態を素早く確認して診断に至る手腕は流石の一言だった。
僕は自分が書き上げたものを見直した。
「さて、Mr.スマイト。書けたか?」
「はい、一応・・・」
「どれ・・・ふん、どれ、見せてみろ」
だが、僕がその羊皮紙をザイラル先生に渡した瞬間。
「ザイラル先生!指が指が!美しいこの僕の指が!ヴァンパイアにやられたかもしれません!」
「先生!助けてください!花壇で何かに噛みつかれました!」
「膝が痛いぃぃ!助けてぇぇ!」
次から次になだれ込んでくる人々。
そのどれもが一眼でわかる軽傷である。
だが、ヴァンパイアにやられた可能性は必ずゼロにならない。
「Mr.スマイト。問診を取れ」
「・・・はい」
僕の雑用はまだ終わりそうになかった。




