感染の網 F
授業が一通り終わり、僕らはラックのいる病室に集合していた。貴族から敵視されているルルや鬼人のボブズからしてみれば、談話室よりここの方が居心地が良いのである。
友人達がそれぞれ魔法の練習や今日の復習に励む中、僕は手に箒を持ち、足元に桶と雑巾を置いて部屋の掃除をしていた。
「ナるほど。ソれでアギーが病室の掃除しているわけか」
ラックが病室のベッドの上に胡坐をかいてそう言った。
その隣ではルルも呆れたようにため息を吐いている。
「まったく、魔力を暴走させるなんて。初心者でもなかなかやりませんよ」
「しょうがないだろ!やっちゃったもんは!!」
僕は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、病室のベッドの下から顔をあげた。。
ザイラル先生の研究室の隣にある病室には6つのベッドがあるが、今使われているのはラックの使っている一つだけ。
残り5つのベッドは使っていないが、清潔を保つのは治癒の基本。定期的に掃除をしておくにこしたことはないとザイラル先生から言い渡された。
そんな雑事をどうして僕がこなしているかというと、今朝に起こした水魔法暴走事件の罰則だった。
一日の授業を終えた後、ダグ先生に呼び出しをくらい、軽く説教を受けて罰当番を言い渡されたのだ。
生活担当のダグ先生は終始苦笑いだった。
『事情はわかった。だが、事故とはいえ、処罰は受けてもらうぞ』
言い渡されたのは2週間の罰当番。ザイラル先生を始めとする治癒魔法科の講師陣の雑用全般を引き受けることだった。そしてさっそく、僕はこうしてザイラル先生に呼び出されて雑事を押し付けられていた。
ベッドの下のホコリを箒でかき集め、雑巾で水拭きをする。魔法を使えれば楽なのだが、雑用に魔法の使用は禁止するように精霊の契約書を書かされている。
「ソもそも、なんで食堂で水魔法なんか使ったんだ?」
ラックにそう尋ねられて僕は口を噤んだ。ラックに負けたくなくて練習していた結果こうなりました、なんて恥ずかしくて言い出せるわけがない。僕は言い訳を探す。
「それは・・・ちょっと水が飲みたい気分だったんだよ・・・その、綺麗な水が」
「魔法で作った水をですか?おいしくないのに?」
ルルが不思議そうにしている。そりゃそうだ。水というのはミネラルとか不純物が多少入っているからこそわずかな甘みや口当たりの良さが産まれる。魔法で生み出した水はそういったものが一切入っていないから、口を貫くような刺激があるのだ。透明なだけの魔法の水は主に生活用水には使われるが、飲み水としては正直いまいちなのだ。
船乗りや旅人なんかは重宝するらしいが、井戸水が使える町中ではあまり飲む人はいない。
だから、言い訳としては苦しいのはわかっている。でも他にどう言えばいいのだ。
「そういう気分だったんだんだよ!!」
「くっくっく・・・」
空いたベッドに腰かけてまたいつのものように水球を作っていたボブズが喉の奥で笑っていた。その前ではベクトールが『ハイキュア』を保ちながら不審な顔をしている。
「ボブズ・・・集中」
「わかってるって・・・よしっ!!」
僕は目線だけでボブズに「黙っててくれ」と頼む。すると、ボブズから意味ありげな目配せが返事として飛んできた。武士の情けで黙っていてくれるようだ。
「・・・・・・・・・」
だが、ラックは僕に疑うような視線を向けている。僕は素知らぬふりをして次のベッドの下を箒ではく。昨日の会話の流れから、ラックには僕が何をしようとしていたのか想像するのは簡単だろう。ベッドの下から顔をあげると、ラックはまだ僕の方を見ていた。
そして、目が合うと彼女はおもむろに口角を上げた笑みを浮かべた。彼女の頭上にある三角の耳が興奮したかのように小刻みに震えた。
「ラック、どうしました?」
「イや、ナんでもない」
ラックはやけに上機嫌にそう言った。僕は気恥ずかしくなり、雑巾を持って再びベッドの下に潜り込んだ。
「アギー」
外からラックに呼びかけられた。
「なんだよ・・・」
「ソう簡単に前に行かないでくれよ」
「ん?どういう意味だ?」
「ワかんないならいい。掃除頑張れよ」
「お、おい!」
僕は慌てて顔をあげようとして、ベッドの梁に頭をぶつける羽目になった。
「ぬぅおおお・・・」
声を押し殺してもだえる。これ以上、馬鹿を晒したくはなかった。
外にいる人達に気づかれることはなく、ラックとルルは今日の復習についての話を始めていた。僕は頭をおさえる。出血やコブができてはいない。
「いてて・・・でも、なんだよ前に行くなって・・・」
むしろ、前に進んでいるのはラックの方だと僕は思っている。僕は水球の魔法でも劣っているし、薬草学ではラックには間違いなく勝てない。獣人や鬼人の文化や風習や、教会のことついても僕はまるで知らない。僕が彼女に勝っている点なんて『神魔法』ぐらいだ。
僕は自分の胸の奥に魔力を集めた。その熱量を掌に移すと自分の手が淡い光を纏った。
この力は人の傷を癒すことはできる。他の人よりも何倍も早く。だが、毒を癒すことも、血を与えることも、風邪を治すことすらできない。
僕は手を握りしめて集めた魔力を霧散させた。
「・・・頑張ろ」
思い出していたのは野犬に襲われたあの夜のこと。野犬を追い払うこともできず、傷ついたラックに適切な治療を施すこともできない、無能な自分。ただ『神魔法』で尻拭いをしただけで感謝されるのはもう二度と御免だった。
その為にも今は『神魔法』以外の治癒魔法の習熟の練習だ。
僕は水拭きを終えて、ベッドの下から顔をあげた。
すでにラックはルルと本を挟んで向き合い、眉間に皺を寄せていた。
ダグ先生の人体構造学。脳みそから出てくる主要な神経とそれが通る頭蓋内の穴の図が教科書に記されていた。そして、どの神経がどんな役割を果たしていくのかを頭に叩き込まねばならない。
「・・・ソれ全部覚えるの?」
「はい。一緒に覚えましょう」
ルルはやけに涼しい笑顔でそう言ってのけていた。ラックは唇の端を痙攣させていた。良い笑顔を作ろうとして失敗している顔だった。正直言って僕もうんざりするほどの分量である。
ちょうどその時、隣の研究室へと続く窓からザイラル先生の声が聞こえてきた。
「おい、Mr.スマイト。掃除は中断だ。ちょっとこっちに来てくれ」
僕は雑巾を絞りながら、ため息を吐いた。
ただでさえ、学園の授業についていくために学ぶことが多いというのに、雑用で時間を取られるのはかなりの痛手だった。これが2週間続くのだ。しばらく睡眠不足が続くであろうことが予想されていた。
「いってらっしゃい」
「はいはい・・・」
ルルに見送られ、僕は隣の研究室へ続くドアを開けた。
「失礼しま・・・す」
そして僕はドアを開いた姿勢のまま、固まってしまった。研究室の中に見知らぬ男子生徒が座っていたのだ。彼は貴族特有の銀髪をしていた。髪は短く、癖であちらこちらに好き放題に跳ねている。こちらを見つめる青い瞳には不安気な色が宿り、貴族の傲慢さなどは欠片もない。彼は椅子の上で縮こまりながら、右手をかばうようように手を組んでいた。
「Mr.スマイト。早速で悪いが、そこの男子生徒の問診を取っておいてくれ」
「へ?」
間抜けな声が出ていた。
『問診』とは医師が患者を診察する際、まず、本人や家族の病歴、現在の病気の経過・状況などを尋ねることを指す。だが、そんな基本的な用語は正直どうでもいい。
「私は少し出かけてくる。さほど時間はかからないはずだ。お前はこの男性から話を聞き、症状を簡潔にまとめ、私がこの患者に対して何をしたらいいかがわかるような記録を取るんだ。いいな?」
「は、はぁ・・・」
「机の上の羊皮紙とインクは自由に使え。では、私は行く。しっかりな」
ザイラル先生はそれだけを言って手を振り、即座に研究室を出ていってしまった。
「え、えと・・・」
研究室に取り残された僕の頭の中は酷く混乱していた。
問診をとる?どうやって?話を聞く?え?なんて質問したらいいんだ?
と、とにかく、まずは患者と目を合わせよう。
僕は自分の気持ちを落ち着かせる時間を稼ぐために、研究室の中をできるだけゆっくりと移動し、ザイラル先生がいつも座っている椅子に腰を沈めた。
「・・・えと・・・」
そして、意味もなく羊皮紙や羽ペンの位置を調整する。とにかく、まずはすべきことがある。
「治癒魔法科、1年のアギリア・スマイトです。お名前を聞かせていただけますか」
「あ、はい・・・戦闘魔法科。2年目のクリス・ガンドレッドと言います」
「はい、クリス・ガンドレッド・・・ん?ガンドレッド?」
僕はその氏をどこかで聞いたような気がした。思えば、今目の前にいる男子生徒の顔にはどこか見覚えがあった。だが、そこから別の顔を連想しようと頭をいくら捻っても別の『ガンドレッド』の顔がまるで浮かんでこない。
「あ、腹違いの弟が治癒魔法科にいます。スマイトさんは・・・お知り合いでしょうか?」
「ガンドレッド・・・ガンドレッド・・・・・・・」
僕はもう一度記憶の海を探りながら、ガンドレッドさんの顔を見つめる。
だが、やはりわからない。僕は諦めて目を閉じ、氏の方の記憶を探った。
すると今度はすんなりとMr.ガンドレッドの顔が浮かんできたのだ。
「ああ!!あいつか!!」
入学初日にルルを侮辱し、僕が『竜の精霊』で完膚なきまでに叩きのめしたあいつである。
今目の前にいるこの人の気弱そうな容貌が、弟の『あいつ』とまるで被らなかったので全く連想できなかったのだ。
「ああ、ああ・・・あいつの・・・お兄さんですか?」
「はい・・・とはいえ、僕は出来損ないみたいなものですから」
「出来損ない?」
「・・・はい・・・あ、あの、それより怪我を見ていただけませんか?」
「は、はい!!」
少し会話をしたおかげで僕の方が落ち着きを取り戻していた。やることは僕が子供の頃に店先でやっていたことと変わらないはずだ。
怪我の場所を聞き、治療して、帰す。
「えーと・・・それじゃあ・・・」
そして、僕ははたと気が付いた。
これは罰当番の雑用にあたる業務になるはずだ。ということは『魔法を使ってはいけない』という契約書の内容は生きているということだ。それは『神魔法』といえども例外ではない。
ならば、怪我を治癒させるのはザイラル先生の仕事。
僕がすべきことは話を聞いて、ザイラル先生に伝えることに限定される。
「・・・どこを怪我しました」
「あ、はい。右手です」
それを聞き、僕は頷く。羊皮紙に「怪我の部位:右手」と書きつけた。
そして、そのままの姿勢で僕は固まってしまった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
気まずい沈黙が流れる。
今までの僕であれば、怪我の場所を聞き、そこに『神魔法』をかけ、終わりだった。
では、ザイラル先生が治癒魔法を行う場合、必要な情報はなんだ?どんなことを聞けばいい?どんなことを知っておきたい?
その時、僕はふと気づいた。
「あ・・・」
「どうかしましたか?」
「あ、いえ・・・なんでもないです」
僕は慌てて手を振りながら、ほとんど白紙の羊皮紙に視線を落とす。僕は何を聞いたらいいかわからない自分に半ば愕然としていた。
それは自分が何も成長していないことに他ならなかった。
最初の試験でダグ先生に『神魔法』をかけて満足していた自分から何も変わっていない。外傷以外にはまるで役にたたない『神魔法』のような自分から何の成長もしていない。
「はぁ・・・・・」
僕はガンドレッド先輩に聞こえないように細心の注意を払ってため息を吐きだした。
水魔法を2つ浮かべることに執着していた今朝からの自分がバカみたいだ。
もっと他に治癒魔法師になるためにすべきことがいくらでもある。
僕は吐き出したため息の代わりに新鮮な空気を肺に吸い込む。
この白紙の羊皮紙に書くべきことは何か。僕の頭の中に浮かんできたのはヴァンパイアの持つ毒の話だった。
「その怪我はどうやって起きたんですか?」
傷を見て、傷だけを見ててはいけないということを僕は学んだはずだった。
どこかにぶつけただけなのか、誤って剣で切ってしまったのか、毒草の棘が刺さったのか、獣に噛まれたのか。
傷ついたのならその原因は?経過は?現在傷口は膿んでいるのか?綺麗なままなのか?毒物の混入は無いか?異物が刺さったりしてないか?
今後、この患者にどういった魔法を使って治癒を行う必要があるのか。
僕は頭の中にこれからどういった質問をしたらいいのかをシミュレートする。
「実は・・・」
「はい」
「ネズミに・・・噛まれたんです・・・」
「・・・・・・・・はい?」
僕の脳裏に浮かんでいたのは昨日、ザイラル先生にこっぴどく冷たい態度をとられた戦闘魔法科の講師の顔だった。




