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感染の網 C

市場の路地をのぞきこみながら帰る道のりは思ったより時間がかかってしまった。

デルエルの屋台が学園から遠い位置にあるのが問題なのだが、それは最初からわかっていたことだ。

あまり遅いと、ラックの夕食に間に合ない。日持ちのする燻製肉であるので、別に明日でも良いのかもしれないが『気持ちと金を返すのは早い方がいい』と、この世界では言わているのだ。


僕は市場の中心であり、帝都の名所でもある大広場にたどり着いた。そこには水時計が正確な時刻を表示していた。1日を12分割して1刻、1刻を2分割して1時間、1時間を60分割して1分、それを更に60分割して1秒。この世界の時刻の数え方が前世と同じなのは喜ばしいことだった。


時刻を見ればもう6時になろうとしている。予定していた時間よりも大分遅れてしまっていた。

僕は足早に大広場を通り抜けようとする。


「おいっ!極光騎士団が帰ってきたぞぉ!!」


その大広場がその一声で沸き返った。広場の中が瞬時に興奮で包まれた。

そして、僕もまたその声に引き付けられた1人であった。


「極光騎士団・・・」


それはヴァンパイアの恐怖におびえる人々の救世主であった。町の遠くから、はやくも歓声が聞こえてくる。

僕はその場で足を止めた。学園へ戻る道と、大通りへと進む道。


「・・・・・・」


わずかな葛藤の末、僕は大通りへと向かう道へと足を向けた。晩飯には間に合わないかもしれないが、土産話を乗せることで満足してもらおうと考えることにする。

僕は人の流れに乗って大通りへと向かった。


大通りはすでに人でごった返していた。上を見上げれば建物の上の階から人々が顔をのぞかせている。僕は小脇に抱えたデルエルの燻製肉を守りながら人込みの中に身体をねじ込んでいく。幼い頃から剣を振って鍛えてきた肉体がこういうところで役に立つ。

僕は人々から迷惑そうな視線を受けながらもなんとか見える位置を確保した。


人々の歓声はすぐそばまで迫ってきていた。頭一つ抜けたところに極光騎士団の旗が翻っている。赤地の旗に黄色の糸で日輪の輝きとそこから降り注ぐ光が表現されている。

僕は大通りを覗き込んだ。


「・・・あれが・・・」


最初に目に飛び込んできたのは輝くような茜色だった。

凱旋するかのように堂々と道を進んでくる極光騎士団。彼らは純白に近い銀色の甲冑を着こんでいた。それが夕焼けの光を反射して、赤く染まっているのだ。

その先頭を行くのは長い銀髪を背中まで流している男だった。瞳の色は青。この地の貴族特有の容姿をしていた。彼は人好きのする柔らかな笑顔を浮かべていた。彼の甘いマスクに黄色い歓声があがる。彼はそれに応えるかのように手を振り返す。貴族にしては物腰の柔らかな人だと僕は思った。『光の精霊』に干渉できる者だけの騎士団である極光騎士団。親の七光りだけで入れる代物ではないのだから、あの人は正真正銘の実力者なのだろう。

実際に兜を取った極光騎士団の中には様々な人がいた。黒髪の一般人、金髪のエルフ、筋骨隆々のドワーフ。人々の声援が一瞬消えたような気がしたのは極光騎士団の中に緑の傷跡を持つ鬼人がいたからだろう。


その極光騎士団が徐々に近づいてくる。周囲から声が沸き上がる中、僕はその姿をつぶさに観察していた。

極光騎士団が対ヴァンパイアの為に招集されたという話はやはり本当だったらしい。

だが、彼らはもともと戦場の最前線にいた。彼らの鎧にはその痕跡があちこちについていた。鎧は磨かれてはいるものの、無数の傷跡や血痕が見え隠れしてる。よくよく見れば怪我人も多い。腕や足を釣っている人が多く、彼らのうちの一人は右腕が無くなっていた。


『神の精霊』である『光の精霊』はあの『闇の精霊』と対になる存在であり、その戦闘能力も同等のものだ。それを操る極光騎士団が前線から帰ってきたということがどういうことか。


僕はそのことに一抹の不安を覚えていた。


北の戦線が後退したという話を僕は思い出していた。

魔族との戦線を放棄してまで、極光騎士団を呼び戻した判断は正しいのか否か。僕は国王ではないのでそんなことを議論してもしょうがないのだが、どうしても考えてしまう。


北には僕の故郷がある。


この世界で僕を育て、愛してくれた家族がいる。前世の家族と同様に彼らも僕の両親であり、兄弟姉妹だ。

北の平原の戦況は大丈夫なのだろうか。


僕は過ぎ去っていく極光騎士団を見ながらそんなことを考えていた。



――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――



帝都の町並みは美しい。整備された石畳、理路整然と並んだ建物。だが、光あるところに必ず闇は出来上がる。帝都中心から離れ、城壁に近づけば近づくほどにそれは顕著になる。

町の南側。常に城壁の影がおちる一角はその象徴でもあった。


「おらっ!!いい加減に金返せよ!」

「か、勘弁してください・・・」

「できねぇってのならわかってんだろうな?てめぇの店に行こうじゃねぇか、あるものは全部持ってかせてもらうからな・・・確か嫁と息子がいたよな」

「そ、それだけは。どうか、あと10日!いや、1週間で・・・5日でいい!頼む少しだけ!!」

「うるせぇっ!!」


路地裏に蹴り飛ばされる男性。その顔を革の靴で踏みつけ、男達が唾を吐きかける。


「てめぇには散々猶予を与えたはずだ。それをことごとく裏切ってきたのはてめぇの方だ。安心しろよ、息子はこれからもてめぇと一緒だ。鉱山でついこの間落盤があって、人が大分減ってるんだ。働いてもらうぜ」

「そ、それだけは・・・か、勘弁してください!お金は・・・お金は必ず!!」

「それがもう待てねぇって言ってんだよ!!」


すがりつく男を蹴り飛ばし、側溝に叩き込む。糞尿の臭いが周囲に噴き出る。だが、このごみ溜めに今更そんなことを気にする者はいない。


「おらっ、鉱山の仕事はこんなもんじゃねぇぞ!!」


男達は溝に嵌った男に対して何度も蹴りをいれる。彼の腹を潰し、顎を蹴り上げる。肉を叩く音が周囲に響く。そんな路地裏に1対の小さな赤い目が現れた。小さな体躯、灰色の毛並み、細い尻尾。1匹のネズミが溝の隙間に身体を置いて静かにその場を眺めていた。


「あんまりやり過ぎるなよ。こいつには身体を使ってもらわなきゃならねぇんだからな」


彼らの中で一際体格の良い男が酒を片手にそう言った。


「わかってますよ、親分」


残りの連中はそう言いながらも蹴りを止めることはない。溝に落ちた男の顔や腕が腫れあがり、汚水で汚れていく。


「ひゅっ・・・ひゅっ・・・」


彼等はその男が息も絶え絶えになるまで暴行を続けた。

彼等のうちの1人がその男の髪を掴んで汚水の溜まった溝の中に顔を叩きつけた。

下卑た笑いがあがる。


それを見つめる瞳が増えていた。男達は気づかない。


「さて、そろそろ行くか・・・」

「お、おねがい・・・しま・・・す」


襟首をつかまれ、地面に引きずられながらも縋りつく男。

その隣に一匹のネズミがすり寄ってきた。


「・・・なんだ?やけにネズミが多いな。お前の肉を漁りにきたのかもな。やっぱここで死んどくか?」

「やめろ、これ以上損失を出してどうする」

「わかってますよ。冗談ですって・・・」


地面に倒れる男の傍にまた一匹のネズミが寄ってきた。

この場所でネズミは別に珍しいものではない。明るい場所を嫌う日陰者が集う場所は人も獣もそう変わらない。


「って・・・なんだこいつら・・・」


ネズミが地面に這いつくばる男の背中に乗っていた。

いつの間にか3匹に増えていた。


「・・・おら、どっか行けよ!!」


蹴り飛ばされるネズミ。だが、すぐに別のネズミがその場に陣取る。そんなネズミが1匹、また1匹と増えていく。


ここまで人を怖がらないネズミも珍しい。ネズミの歯は想像以上固く、鋭い。迂闊に手を伸ばせないことを知る男達は足でネズミを追い払おうとした。だが、いくら払えどもネズミ達はいなくならない。むしろ数がどんどん増えていっていた。


「お、おい!!」

「どうしました、親分」


男達は降り帰る。そして、戦慄した。


「な・・・・」

「なんだよこれ!!なんだよこれ!!お前らなんとかしろ!!」


その路地裏はいつの間にか赤い瞳に埋め尽くされていた。

彼等を取り囲むネズミの目。その1つ1つが男達に注がれていた。


「こんのぉ!くそネズミめ!!」


親分と呼ばれた男は近くのネズミに足を振り下ろす。だが、ネズミは素早い動きで蹴りをよけ、あろうことかその男の足を駆け上がってきた。


「うわっ!うわっ!寄るな寄るな!!」


慌てて払い落す。だが、周囲は既に足の踏み場もない程にネズミに覆いつくされていた。

男達は路地裏に取り囲まれ、逃げることもできない。

地面に倒れている男は既にネズミに埋もれて姿を見ることすらできなかった。

彼等に向けてネズミ達がゆっくと近づいてくる。男たちは後退り、袋小路に追い詰められていった。


「この野郎!!」


親分がやぶれかぶれに酒樽を投げつける。その時、不思議なことが起きた。酒樽がネズミに触れる前に空中で炸裂したのだ。


「なっ・・・」


男達は絶句する。酒樽が木片となって飛び散っていた。まるで鋭利な刃物で切り刻まれたかのような切り口だった。


「お、お前ら!このネズミをはやくなんとかしやがれ!!」

「そ、そんなこと言ったって・・・」

「おらっ!なんとかしてこい!!」


親分が1人をネズミ達の方へと押しやった。


その瞬間だった。


ネズミがその男の身体に一気に駆け上がった。1匹や2匹ではない、そこいいる無数のネズミ達が死肉にたかるかのようにその男へと群がったのだ。


「うわっ!うわっ!!やめろやめろ!!いてっ!こいつ、噛みやがっ・・・や、やめろぉおおおお!!うわぁぁああああああ!!」


男はネズミを全身にまとうような姿になった絶叫をあげた。だが、その声が路地の外に漏れることはない。例え漏れたとしても誰も気にしない。ここはそういう場所なのだ。

ネズミに覆われた男が地面に倒れる。その身体にさらにネズミが群がる。


男達はその惨状に全身を震わせていた。自分達の末路を想像してしまったのだ。


「お前ら、壁だ!壁を壊せ!!」


親分は自分達を閉じ込める木造の家の板壁を示した。前には逃げられないのなら、後ろしかない。

男達はすぐに頷きあい、壁を蹴りだす。その間にもネズミ達は様子を見るようにしながら男達に近づいていった。

大の男達の本気の蹴りだ。木造の壁を壊すのにさほど時間はかからない。しばらくして、木が裂ける音がして人一人が通れるぐらいの穴ができた。


「よし、俺が先に行くぞ!!」

「そ、そんな。親分!!」

「うるせぇええ!!」


親分はできた穴に顔を突っ込み、身体をねじ込んでいく。必死に足をかき、穴を抜ける。

親分が入り込んだそこは廃屋であった。ここら一帯はこういった人の住んでいない家がいくらでもある。

薄暗い廃屋の中には天井にある隙間から細い光がある程度で、部屋の中を見渡すことができない。


「よし・・・これなら・・・お前ら・・・早く来い!!」


親分は穴の向こうに声をかける。

だが、返事はない。


「おい・・・おいっ!!!」


次の瞬間。壁に誰かが激突するような音が聞こえた。その音に驚き、親分は床に尻もちをついた。次いであがる悲鳴。親分は外で何が起きているかを悟った。膝が震え、歯の奥がカチカチと鳴る。あまりの恐怖に自分が失禁していることにも気づかなかった。

親分は自分が通ってきた穴から必死に離れようとする。だが、腰が抜けて立ち上がれない。尻で床を擦って少しでも遠くへと逃げる。


その背中が何かにあたった。木造の机が揺れる音がした。

親分は反射的に顔を上に向けた。


そこに1対の赤い瞳があった。


恐怖に息が引き攣る。「ひゅっ」と音がして親分の呼吸が止まった。

そこにあった瞳はネズミのものよりも一回り大きかった。

吐きかけられる吐息は冬風のように冷たい。


「あ・・・ああ・・・・・」


暗がりでもわかる巨体。黒い毛並みに力強い四肢。犬だった。


「あああぁあああああああ!!!」


親分は四つん這いになりながらその机から離れる。向かう先はこの廃屋の中に唯一ある光。つまり、自分が抜けてきた穴だった。


「あ・・・・・」


その穴を通って誰かが入ってきた。

頭がねじ込まれ、肩が抜け、胴体が姿を現す。


親分は自分の子飼いの部下の誰かが抜けてきたのかと思った。

だが、その男の容姿がその考えを否定する。黒く長い髪、異様なまでに細い肉体、まとった服は襤褸同然のローブだ。しかし、親分にとってはこの際そんなことはどうでもよかった。この暗闇に自分以外の人がいることだけがこの恐怖に打ち勝つ方法だった。


「お、おい。助けてくれ。金をやる!いくらでもやる!!だから、俺を・・・俺を助けて・・・」


だが、親分の声は途中で急に途切れた。穴を抜けた男が彼を見ていたのだ。紅い瞳で彼を見ていたのだ。


「あ・・・・ああ・・・・・」


彼の口元からは人間とは思えない程の長い八重歯がのぞいていた。


次の瞬間、親分の首筋に犬の牙が突き立った。

悲鳴を上げる暇もなく、その男の身体から血が噴き出した。


1対の赤い瞳がそれを無感動にみつめていた。


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