感染の網 B
翌日、ラックへのお土産はデルエルの燻製焼きに決まった。例のラックだけが好物だと言っている燻製焼きだ。キムチと干物を混ぜ合わせたかのような臭いの燻製は一体何の木片を使って燻しているのか非常に気になるところだった。
僕は1人、町中へと買い物に出ていた。手には皆から預かったお金がある。
「はぁ・・・勉強ができるって時々すごく損だよな・・・」
ボブズとベクトールは昨日に引き続き魔法の習得の練習であり、ルルも基礎魔法学で出た宿題に苦戦中であった。
結果として僕が買い物に出かけることになった。
ルルは水、風、土は十分に扱えるのだが、火の精霊との相性がとことん悪いのだ。
今日出た炎の明かりに指向性を持たせてランプ代わりにする魔法にかなり苦戦しているようだった。
炎を懐中電灯代わりに使える上に、光が収束して強い明かりになるから便利な魔法ではあるが、夜道を歩くなら普通に周囲を照らせる火球を浮かべる方が便利だ。この魔法はどちらかというと、何かを強く照らしたい時に使う。
僕は市場の方へと足を向ける。
ヴァンパイアに噛まれた騒ぎから2日経った。ふと見渡すだけでは何も変わらないように見える。
だが、変化は確かに起こっているようだった。
パニックで壊された屋台の修復がところどころで行われているのは当然だが、それ以上に人々の意識が『ヴァンパイア』に向いているのだろうと思われることが起きていた。
街角で人だかりを見つけたら、聖職者の恰好をした人達が献金を募っているところだった。
「この町の近くにヴァンパイアが出たという話がありますが、何も恐れることはありません」
「神はいつも我々を見てくださる。祈りを捧げましょう。祝福があなた方にも必ずあるでしょう」
献金用の杯は置いているが『金をくれ』とは一言も言わないあたりが聖職者らしいところだ。
この世界で正式に祈りを捧げる手順は銀の杯の中に聖水を満たし、そこに銀貨を3枚落として両手を組んで膝をつく。
何もせずとも、聖職者が杯に水を入れているだけで金が入ってくるのだ。
なかなかよくできたシステムである。
とはいえ一般人に銀貨3枚はそう易々と出せるものではないので、銅貨で代用されることが多く、杯の中は褐色の金属で満ちていた。
僕はそれを横目に後ろを通り過ぎる。
祈りを捧げる人々の顔は一様に真剣であった。実際にヴァンパイアに噛まれた人が出ているのだ。噂は瞬く間に広がっているのだろう。
「安いよ安いよ!!ニンニクが大量にありますよぉ!!アンデットが嫌う臭いだよ!」
「そこの人!この香草はいかがです?ネズミよけになりますぜ!」
「夜闇が怖い人の為に!松明用の松の根を大量入荷しました!!」
周囲から聞こえる声に耳を澄ませば、いつもとは違う売り子の声が大きい。
その声に引かれて人々が集っていくあたり、商売人の嗅覚と行動力には感心する。
裏路地をのぞき込めば、家々の隙間には香草が置かれていたり、塩が盛られていたりとネズミや小動物を寄せ付けないような工夫がみられた。不自然な水たまりができたりしていた場所があったが、おそらく聖水でもぶちまけたのだろう。
普通のネズミ相手ならこれで対策になるのだろう。
でも、と僕は考える。
もし、ネズミが僕らを襲ったあの野犬のようにアンデット化したヴァンパイアの眷属だった時、これがどれほどの訳に立つのだろうか。もしくはネズミに化けたヴァンパイア本人だったらそれこそ無意味なのではないだろうか。
そんなことを考えているうちにデルエルの屋台へとたどり着いていた。
デルエルの屋台の周囲はいつも人が少ない。僕はその独特の匂いに閉口する。この店はこの匂いが大好きだと言う一定の顧客のためだけに存在している。よくもまあ潰れないものだとは思うが、僕の前にも誰かが燻製肉を大量に購入している。
好きな人にはたまらないものなのだろう。僕には理解できないが。
「へい、いらっしゃい」
店の主人は筋骨隆々の腕と毛深い身体を持ったおっさんだ。
僕は一瞬その頭部に目を向けた。もしかして、この匂いは獣人が好むものなのかもしれないと思ったのだ。だが、短い髪の隙間からは獣人の耳は見えない。切り落とした痕もない。
この店の主人は普通の人間のようだった。
「燻製肉を・・・これで買えるだけ」
「はいよ!」
僕はテーブルの上に皆から預かったお金に自分の分を加えて並べる。
全部銅貨ばかりだが、一人前には多い量が買えるだろう。
僕は店の主人が肉を用意している間に周囲を眺めた。
ここは一昨日、ヴァンパイアに噛まれた男がいた場所の近くだった。
僕はその場所を見やる。そこは人避けの結界でも張られているかのようだった。
人で溢れる夕方の市場の中でそこだけがぽっかりと欠けていた。
あの人が流した血は綺麗に拭い去られ、聖魔法による浄化のせいかところどころに妙に色の薄い場所があった。
「・・・あの人、何に噛まれたんだろ・・・」
疑問が口をついて出ていた。
あの人が噛まれたのは首筋だった。ヴァンパイア本体に噛まれたと考えるのが自然なのだろうけど。
それじゃあ、あの場所にいたのだろうか。闇の貴族がこんなところにいたのだろうか。
そして1人に噛みついて、すぐに姿をくらました。その間にも野犬を眷属化して解き放っている。
ヴァンパイアは何がしたかったのだろうか。ザイラル先生の授業で習ったように、町に恐怖をばらまきに来ただけなのだろうか。人々に恐怖を与えて、疲弊させ、町を内側から崩壊させるための最初の毒なのだろうか。
だが、おかげで教会と学園というこの帝都における二大医療機関がヴァンパイアの存在を感知していち早く動きだしている。それとも、それを含めてヴァンパイアの思惑なのか。
考えれば考える程にわからなくなる。こういう時に自分の無知が腹立たしいのだ。
この世界に来てから魔法と剣技だけに興味を向けていた代償である。
しょうがないだろ。男の子としてその二つに夢中になるなと言う方に無理がある。
誰に対してかわからない言い訳をしてみる。
「兄ちゃん、ちょっと待ってくださいね。少しこの肉は・・・交換した方がいいな」
「お構いなく」
背を向けて肉を見比べる店主に声をかけ、僕は再び人のいない空間へと視線を戻した。
その時だった。僕の目が何かを見つけた。具体的な何かはわからない。だが、視界の中に何か違和感があった。
「なんだ?」
視界を左右に向ける。何かが視界の中にある。だが、それがわからない。
間違い探しをするかのように僕はあちこちに目を向けた。腕に怖気が走っていた、なぜか気持ちが焦っていた。
そして、何かが動いた気配を捉えた。
僕はついにそれを見つけた。人の欠けた空間のその奥。家と家に挟まれた小さな隙間。その奥に1対の赤い光があった。
「・・・ネズミ?」
僕の目は暗闇の中に潜む一匹のネズミを捉えていた。毛の色合いも、正確な大きさもこの距離ではわからない。だが、その目だけが闇の中で光る松明のようにはっきりと見えていた。
ネズミ自体は珍しくはない。だが、そうじゃない。ネズミが珍しいのではない。これだけネズミ除けがなされたこの市場にネズミがいることがおかしいのだ。
じゃあ、あれは・・・
「・・・・・・・」
僕は身体が震えるのを感じた。歯の奥が恐怖でカチカチとなる。
たかが、ネズミ。
だが、もしあれが眷属ならば使われる魔法は『闇の精霊』だ。血の魔法だ。僕の中に、野犬に襲われた夜が蘇る。もしここであれだけの血の槍が放たれたら。
市場が地獄絵図に変わる瞬間がありありと想像できた。
柏手のような強い音がした。僕が自分の手を打ち合わせた音だと気づいた時には僕は無意識に詠唱を開始していた。
「おいっ!兄ちゃん!!」
肩を叩かれた。身体が一気に硬直する。僕は反射的に後ろを振り返った。
「燻製肉お待ち・・・って、どうしたい?顔色がものすっごく悪いぞ?なんだ?金を払い過ぎたか?い、今なら、へ、返品でもいいぞ?」
目の前には心配そうに僕の顔をのぞきこむ屋台の店主がいた。
自分の心臓の音と呼吸の音が異常なまでに大きく聞こえていた。額からは汗が流れ落ち、自分のシャツがぐっしょりと濡れていた。
僕はハッとして、もう一度さっきの家の隙間へと目を向けた。
だが、そこはただの暗闇があるだけで何もいない。
「・・・・・・・・・」
「兄ちゃん?どうした?幽霊でも見たか?」
「いえ・・・なんでも、ないです」
僕は店主から差し出された燻製肉の入った包みを受け取った。
手に取った自分の掌に焼けるような痛みが残っている。さっき、強く手を打ち合わせた時のものだろう。
その痛みがさっき見た光景が現実のものだと教えてくれている。
「・・・・・まいど」
「はい、どうも・・・」
屋台から離れる。しばらく自分の背に主人の視線が刺さっているのを感じていたが、すぐに店主の「へいらっしゃい」という声が聞こえてきた。
本当になんであの店は行列は客が絶えずに来るんだろうか?
僕はその疑問を頭を振って頭の片隅に追いやる。僕は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
僕は念のために、さっきの場所の近くまで行き、奥を覗き込んだ。やはりそこには何もいない。
念のために火の精霊に呼びかけ、火球を浮かべてみる。何かが光っていた。よく目をこらせば、そこに小さな水たまりができていて、炎の光が水面に反射していた。昨日、教会の祓魔師が盛大に浄化魔法をした時の残りだろう。
「・・・・・・・・」
この光の反射を見間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。
そう思う気持ちがある一方で、冷静に思い出せば思い出すほどに見間違いのような気もしてくる。
「・・・・・・・・」
だが、これ以上ここにいても仕方がない。
僕はラックへのお土産を抱えなおして、その場から顔をあげた。
ふと周りを見渡すと、何人かが僕のことを見ていた。
ヴァンパイアに噛まれた人がいた場所をのぞき込んでいるのだから注目されるのも当然だろう。
僕は一つ咳払いをして、堂々と学園へ戻る道を歩き出した。
人の奇異なものを見る目線には既に慣れてしまった。
僕はまだ汗で湿るシャツに風をいれつつ歩く。
途中、市場の隙間を何度も覗き込んだが、やはりどこにもネズミなどいなかった。
だが、僕はあの1対の赤い目がただの見間違えだったと確信することはどうしてもできなかった。




