感染の網 A
病室でラックに今日の講義の復習をしているうちに外はもう夕刻が迫ってきていた。
「・・・ぐぐぐ、むずい」
「・・・むぅ・・・」
僕とルルで講義内容を解説している隣ではボブズとベクトールが魔法の練習中であった。
ボブズの作り上げた水球は空中に浮かんではいるが、その表面は常に揺れ動いて均一にはならない。今にも破裂しそうな球形から、やけに太い水の糸が伸びていた。
僕はもう一度アドバイスを繰り返した。
「ボブズ、糸をより上げるようなイメージだよ」
「これでもやってんだよ!って、あぁ!!」
怒鳴った拍子に水球が破裂して空中に霧散する。
「あっ・・・・」
その水球の中に浄化魔法を注ぎ続けていたベクトールが斜目になってボブズを睨みつけていた。
その視線に耐えかねて、ボブズは苦虫を噛み潰したような顔で軽く頭を下げた。
「わ、わるい」
「・・・次、出して」
「はい・・・」
魔法の練習がまだ終わらないことを悟ったボブズは拳を握りしめた。
その拳を自らの胸の前で突き合わせる。拳法家のような姿勢がボブズが集中するのに自然なスタイルなのだ。
ボブズはもう一度空中に水球を出現させた。
さらにその中心地点に魔力の核を作り上げる。僕が教えた方法はボブズには合っていたらしい。だが、その核の魔力量が不安定なせいで水球の表層部分が安定しないのだろう。だが、こればっかりは慣れるしかない。
僕はボブズがそこから水の糸を伸ばす様子を眺めていた。
その隣では、ラックとルルが今日の内容の総括をしていた。
「ヨし、コんなもんか・・・」
「いいえ、もっと頑張ってください。ラックは魔法史と人体構造学を疎かにしすぎです」
「覚えるのは苦手なんだよ」
「薬学の内容を覚えきれるなら可能なはずですよ」
「アれは・・・獣人の基礎知識みたいなもんだし・・・」
ラックはそう言って、フードを被ってルルから目を背けた。
「タく、ルルは本当にスパルタなんだから・・・」
「しっかり友情を確認できましたからね。もう遠慮しません」
ルルはそう言って柔らかに微笑んだ。流れるような金の髪が夕焼けに染まって赤くきらめく。元の顔立ちもあってルルは瞬時に聖母のような美しさを見せた。だが、僕からすればその笑顔は怖い。なんだか、獲物を見つけた狩人のような笑みに感じるのだ。ラックも同じことを思ったらしく、フードの下の獣耳が警戒するかのように動いていた。
「ヤっぱり私、エルフは嫌いかも」
「な、なんでですか!!」
ルルの微笑みが消えて、焦りだす。顔を仄かに上気させて、髪があちこちに跳ねた。
ラックはそんな様子を見て声をあげて笑っていた。
そんな時、病室の廊下側の扉が開いた。
入ってきたのは恰幅の良く背の低い女性だった。食堂でたびたび見かける人で、この学園の台所を預かっている一人なのだろう。頭巾の下からのぞく灰褐色の髪質は堅そうで、おそらくドワーフだろう。
「はーい、夕食ですよー・・・って、あら、お友達かい?言ってくれれば、人数分持ってきたんだがね」
「いえいえいえ、ちょうど俺達もお開きにしようと思ってたとこですから!!」
勢いよくそう言ったのは水球作りに苦戦していたボブズだった。
ボブズは瞬時に魔法を霧散させ、腰をあげた。
「ってわけだ。ベクトール、練習は終わり!飯に行こう!!」
「・・・・・・逃げた」
「逃げてない。飯の時間なんだ」
ボブズは堂々と言い切った。ベクトールとの魔法の練習で余程ストレスが溜まっていたのだろう。
食堂のおばちゃんはラックの分の食事を置いて、すぐに出ていった。
今日のメニューは豆のスープとパン、そしてニシンの切り身であった。
魚料理があるのは日本産まれの僕としては嬉しい。だが、味噌と醤油が恋しくなるのはどうしようもなかった。
荷物を片付ける僕らだったが、ベクトールはボブズを半目になって睨んでいた。
表情筋の動きが悪いベクトールにとってはこれでも感情を顕わにした方であった。
「・・・じゃあ、終わったら続きやる」
「えっ!!それは・・・それは、俺とじゃなくてもいいんじゃないか?」
「・・・みんなはもうできる・・・時間の無駄・・・」
「いや・・・そうだけど・・・」
「・・・ボブズ、水球できない・・・私、浄化魔法できない・・・一緒に練習すれば効率がいい」
「・・・・そうだけどさ・・・」
確かにベクトールの言うことは正論であった。ボブズは助けを求めるようにこっちに視線を送ってきたが、僕らは苦笑いを返すしかなかった。
魔法の習得は他人が教えられることは限られるのだ。魔法は最初から『できる』か『できない』かがはっきりしており、『できない』魔法は練習して精霊への干渉に慣れ、コントロールのコツをつかんで『できる』魔法にしていくしかない。
魔法使いの才能は最初から『できる』魔法の数の多さによる先天的なものと、『できない』魔法をいかに効率よく習得していくかの後天的なものの二つに分けられる。
ちなみに僕は後天的な才能の方が高かった。
その点、ボブズはどうやら逆らしい。土魔法や火魔法に関しては僕よりもはるかに楽に使える魔法が多いわりに、他の種類の魔法を覚えるのがとことん遅い。
「・・・あぁ・・・くっそ・・・鬱になりそうだ」
「・・・だったら・・・たくさん食べとくべき」
「あぁ、はいはい・・・ドワーフの考え方は楽でいいな」
その点だけに関して言えば、ボブズもあまり変わらないのだが、僕は何も言わなかった。
疲れて機嫌の悪いボブズを突いて火を吐かせる趣味は僕にはない。
僕は渋面を浮かべるボブズから離れるように席を立った。僕は隣の研究室に続く扉に向かった。帰るのなら、一応ザイラル先生に一声かけようと思っていたのだ。僕は扉をノックした。
「失礼します」
「おう、帰るか?」
「はい」
「勉強はできたんだろうな?」
そう言ったザイラル先生の雰囲気は教壇に立っている時と同じもので、僕は自分の顔を引き締めた。
「もちろんです」
「ならいいさ」
満足そうに微笑んだザイラル先生。ふと、僕は研究室の壁に隣の部屋を覗くための小窓が軽く開いているのを見つけた。隣は病室で、ザイラル先生は治癒魔法師なのだ。患者の様子を逐一観察するためのものがあるのは当然だった。
つまり、僕らの声など先生には丸聞こえだったわけだ。
もし病室で喋っているだけで今日一日を終わらせていたら何を言われたのか考えたくもなかった。
きっと、出来の悪い生徒を見る時の冷たい視線が僕に飛んできていたんだろう。
「それでは失礼します」
「また明日も来てやれよ。無理にとは言わんがな」
「わかってますって」
僕は病室に戻ろうと足を下げた。だが、その前に聞きたいことがあったことを思い出した。
「あっ、そうだ。一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「確か3年の先輩もヴァンパイアに噛まれたと噂があったんですが。その人はここで寝てないんですか?」
この学園の最初の犠牲者のことを僕はよく知らない。
ただ、血の槍で足を貫かれたラックが1週間安静で、噛まれた3年の先輩がこの病室にいないことが僕は気にかかっていたのだ。
ザイラル先生は僕の質問にはほとんど興味を示さずに手元の羊皮紙に視線を落とした。
「ああ、Ms.ケシーのことか・・・あれは帰った」
「帰った?寮にですか?」
「いや、実家だ」
「えっ」
実家という言葉を聞き、僕は真っ先に徒歩で2週間ぐらいかかるような道のりを思い浮かべた。
実際、僕の生まれ故郷であるサンギアからこの地までそれぐらいかかるのだ。僕はここに来る時は乗合馬車に乗ったので、1週間程で済んだが、この世界の移動手段はなかなかに不便である。
魔法でなんとかならないかと研究している人達もいるらしいが、風魔法では身体を浮かべる浮力を得た上で速度を出すのは難しいし、水魔法で大地を滑るにも限界がある。
転移魔法など『神の精霊』である、『闇の精霊』の中でも最奥にある領域だ。存在は確認されていても正気を保ったまま使用できた人は発見されていない。
「とはいえ、この帝都内の屋敷に移っただけだがな」
「ああ、なるほど。でも、危なくないんですか?もし、状態が悪化したら・・・」
「その時は教会の神父を呼ぶとぬかしやがったよ」
「それは・・・」
ザイラル先生は苦虫を10匹程まとめて噛み潰したような顔でそう言った。
さっきのディスダム神父とザイラル先生の確執を見ていると、その苦悩もわかってしまう。
「教会と学園って、ずっと対立してるんですか?」
「そうだな。以前から教会と学園は対立があってな。ここは貴族の子弟が多い上に講師も貴族の息のかかった魔法師が多い。貴族と元老院の椅子を奪い合っている教会からすれば、ここは敵地も同然なのだろう。治癒魔法科が成立してからはその対立に大義名分を得たとばかりに教会の『嫌がらせ』は結構ある。もっとも、巷では聖魔法だけでは治せない多くの人を治癒魔法師が救っている。そこまで露骨なことはしてこない。あいつらも、治癒魔法師がゼロになったら困るということは理解しているらしい」
「へぇ・・・」
どこの世界に行っても権力争いというのは変わらないらしかった。
「患者の奪い合いとかもあるんですか?」
「あるさ。それにこれから顕著になると思うぞ。特にヴァンパイアに襲われた人間は聖魔法でも治癒が可能な上に派手だからな。教会の宣伝のためにもぜひとも確保したいわけだ」
「ああ・・・」
僕は昨日市場でヴァンパイアに襲われた人を教会に引き渡した時のことを思い出した。
「僕も邪見にされましたよ。患者を取られたくなかったんですね」
ふと、ザイラル先生は羽ペンを止めた。
そして、書類から僕へと視線を移した。
「何かあったのか?」
「え・・・知らないんですか?実は・・・」
僕は昨日の市場でのヴァンパイア騒ぎについて話をした。
ザイラル先生は最初驚いたように目を見開いていた。どうやら、本当に市場でのことは知らなかったようだ。教会と学園では情報交換などされてはいないらしい。そして、僕の話が終わるころにはザイラル先生は難解な問題を前にしたかのように眉間に皺を寄せていた。
「あの・・・ザイラル先生?なにか問題がありましたか?」
「・・・・・・・・」
僕はザイラル先生が何を考えているのかはわからなかったが、ヴァンパイアに襲われた人の対応が間違っていないかどうかだけは心配だった。
患者に『スリープ』を使った判断と、ベクトールの『石棺』の魔法についての意見は今後の為にも聞いておきたい。
それと、そう言った状況で最良の魔法があるならぜひとも聞いておきたかった。
「あの・・・」
だが、ザイラル先生は完全に自分の世界に入ってしまったようで、反応が一切なくなっていた。
「ザイラル先生・・・その、僕らの対応はどうでしたか・・・何か・・・」
「・・・そういうことか」
ザイラル先生は何かの結論に達したのか、納得したように頷いた。
「・・・先生?」
「いやなに、この学園の視察にディスダム神父なんて大物をよこした理由がいまいち納得いかなかったんだが、おかげで線がつながった」
「え?」
疑問符ばかり浮かべる僕にザイラル先生は手を振って追い払うような仕草をした。
「つまらん話だ。お前は知る必要はない。さっさと飯を食いに行け」
「は、はぁ」
納得いかないような僕にザイラル先生は続けて言った。
「権力沙汰のごたごたに怯えるのはこの学園を卒業できてからにしろ。今はそんなこと気にせずに目の前のすべきことをやれ」
「はい」
「ああ、それと。『スリープ』を使ったのは上等だ。『石棺』を使うのも良いが、それは『スリープ』を使うためのつなぎとして使うべきだ。お前らが『スリープ』を素早く患者に投与できるようになるまでは覚えておいて損はない。もちろん、加減はできるようにしておけよ」
ベクトールの対応は決して間違っていたわけではないらしかった。
僕は言われたことを頭に叩き込む。
その時、病室の方からルルの声が聞こえてきた。
「それじゃあラック、また明日来ますね」
「アあ、ナんなら病人に差し入れを持ってきてくれてもいいぞ」
「考えておきます」
病室から皆が出ていく物音が聞こえてくる。
僕もそれに続こうとザイラル先生に軽く会釈をした。
「それでは、失礼します」
「はいよ」
ザイラル先生の研究室を後にして、僕は皆と一緒に病室を出た。
僕らはラックへの土産をどうしようか話し合いながら食堂へと向かった。




