魔族と呼ばれること F
ラックの頭から飛び出た三角形の猫のような耳。ラックは少し恥じらうような顔をしていたが、堂々と僕らを見渡した。
「見てくれ・・・コれが、獣人の証だ」
入学初日に抱いた、『ラックの耳を見てみたい。可能ならば触りたい』などと言った浮ついた気持ちは沸き上がってこなかった。僕らに獣耳を見せたことが、どれだけの覚悟を要したのかがわからない程に僕は朴念仁ではないつもりだった。
ラックの獣耳が埃を払うかのように小さく震えた。
「アギー・・・ドうだい?私の耳は」
「え・・・」
目の前で初めて見る獣耳。前世の日本ではそれこそ二次元世界に溢れかえっていたキャラクターだ。だが、改めて自分の目でそれを見るのは随分と印象が違っていた。
それは痛烈な違和感だった。人間の頭に獣の耳。本来あるはずのない場所にある肉体。その歪さに人が震えるのもわかる気がする。異形と言われ、魔族と言われる理由が理解できたような気がした。
だが、僕は努めて別の話をすることにした。
「・・・とりあえず。こっちの耳はどうなってるの?」
僕は自分の耳たぶを引っ張った。
「くふっ!」
ラックが噴き出した。
「気になったのはそこなのか?」
僕は小さく頷いた。
本当は他にも言いたいことがあった。意外と似合ってるとか、可愛らしい耳だとか、どれぐらい動かせるのかとか。ただ、ラックはその耳を『獣人の証』だと言った。耳の形の良さが美人の証だと言っていた。
獣人の文化をまるで知らない僕はその獣耳に言及していいものかどうかわからなかったのだ。
僕は怖かったのだ。差別され続けてきた獣人の心の奥に眠っている恨み辛みが吹き出てきそうで怖かったのだ。
ひとしきり笑ったラックは柔らかな笑顔を浮かべた。ラックのつり目がちの目元が緩む。それは悪夢に怯える子供を慰めるような笑顔だった。
「バカだなぁ・・・」
僕は自分の内面がラックには見え見えだったことを悟った。
それでも、ラックは律儀に僕の質問に答えてくれた。
「ホら、チゃんとこっちもある」
ラックが髪をかき分けるとそこには小ぶりな耳たぶがくっついていた。
「へー・・・どっちを中心に音を聞いてるの?」
「くくく、本当に・・・バカだな」
「そうかな?」
「ソうだよ」
そして、ラックは不意に表情を引き締めた。
「コれ以上、バカなことは言わなくていい」
「・・・・・・・」
「聞きたいこと。アるんだろ。オ前が無知なのは知ってる。気にするな」
僕は小さく息を吐き出した。それは、自分の中で覚悟を決めるためだった。
ラックは僕らを信用して耳を晒した。自分の大事な場所を見せて、踏み込んで来てくれたのだ。
だったら、それに応えなきゃならない。
僕は深く深呼吸をする。
僕は意を決してラックの獣耳に視線を向けた。
「ラック、右耳の先端の・・・その切れ込みってどうしたの」
ラックの右耳の先端には小さな切れ込みが入っていた。ここから見える傷口は既に塞がっており、かなり古い傷だと思われた。その傷に僕は最初に見た時から気がついていた。だが、僕はそれを努めて無視しようとしていたのだ。
「かなり古い傷みたいだけど」
ラックはその時いつものニヒルな笑みを見せた。
「・・・ソの質問が欲しかったんだ」
「じゃあ、やっぱり・・・」
「アあ、そうさ。コれは負の習慣だよ・・・」
ラックは自分の右耳の先を指でこねくり回す。耳を折り曲げ、捻る。
僕は他のみんなの表情を盗み見た。誰しもが無表情を保とうとしているかのような固い顔をしていた。
きっとみんなは知っているんだ。その傷の意味がどんなものなのか。
ラックが話そうとしている内容を受け止める覚悟が僕にあるのか自問自答する。僕は耳を塞いでしまいたい衝動にかられていた。
聖書を書いた歴史家を僕は批判する資格はないらしかった。
汚いものは見えない場所に、臭いものには蓋をする。不快なものを遠ざけたいという衝動が僕の中にも確かにあった。
僕は奥歯をかみしめてその思いを封じ込める。ここで一歩でも引いてしまったら、僕を信頼して耳を晒してくれたラックにあまりにも不誠実すぎる。
「ラック、教えてくれる?」
「イいよ。デも、コの耳のことは他の人に聞いた方が早かったと思うぞ。獣人のことを少しでも知っている人なら知ってる。モっとも、喋ってくれるかどうかはわかんないけど」
ラックはそう言って、ルルやベクトールへと視線を向けた。
ルルは申し訳なさそうに目を伏せていた。ベクトールも、悪戯をしかけた後の子供のような顔をして顔を背けていた。ボブズだけは固い顔のまま、どこか遠くを見つめていた。
「僕は、ラックの口から聞きたい」
そう言った僕はきっと情けない顔をしていただろう。
ラックの覚悟を受け止める準備ができないままに、僕は話を聞こうとしていた。
ラックはもう一度自分の右耳に触れた。
「・・・コの傷はな・・・戒めなんだ・・・過去に獣人の為に人の世に出ていった同志達を忘れないために・・・」
ラックは獣人の文化について語ってくれた。
「私達の国は・・・森の中にあるんだけど・・・塩が取れないんだ」
「塩?」
「アあ、岩塩が取れなくて、海もない。ドうしても他国と貿易をしなければいけないんだけど・・・獣人と交易してくれる商人なんかいなかった。誰もが教会の威光に恐れてたんだ」
塩は人間が生きていく上で必ず必要な栄養素だ。
だが、それ以上に大事なのが保存食としての役割だった。塩による肉や魚の保存は食べ物が消える冬には絶対に必要なものだった。野菜屋の息子としてそれぐらいは知っていた。
「ソんな中で、人の世に降りて商売をして・・・獣人の国に塩を卸そうと何人かの獣人が人里へと向かった・・・耳と尻尾を切り落とし、二度と故郷に帰られない覚悟で・・・」
「あ・・・・・」
「人の世に紛れて、獣人と悟られないように細心の注意を払って・・・死を覚悟しながら彼らは私達の国を今も繋いでいる・・・」
「今も?」
「ソうだよ・・・ダって、この帝国は今も私達の国と貿易をしてくれない・・・獣人を国民と認めていながら、結局何も変わらないんだ。あんた達人間は・・・私達を・・・魔族としか見ていない」
ラックはニヒルに笑おうとして失敗していた。噛み殺せない感情が声の端々に溢れていた。
「獣人の中には多いんだ・・・イろんな理由で人間の社会で生きなきゃならなくて・・・耳と尻尾を切って、人間の世界に紛れている人は多い・・・獣人はそのことを決して忘れてはならないと、産まれた子供の耳に切り込みを入れるんだ・・・アギー・・・ワかる?コの耳はね?獣人である証だ。ソして、人間達への憎しみの象徴なんだ・・・」
『わかるよ』なんて軽々しく言えるわけがなかった。
僕はわからない。この世界に産まれ落ちてなお、何不自由なく育った僕には彼女達が抱える苦悩などわかるわけもなかった。
「・・・じゃあ、なんで、耳を見せてくれたの?」
僕はそう尋ねた。ラックが覚悟を持って獣耳を見せてくれたのなら、そこにも必ず意味があるはずだ。
ラックとは短い付き合いだが、僕に泣き言を言うためだけに耳を見せるような人ではないことぐらい僕にもわかる。
「ラック、どうして?」
「・・・言ったろ?信頼してるからさ・・・」
ラックは顔をあげた。目元に浮かんだ水滴の意味が『憎しみ』なのか、それともそれ以外の感情なのかは僕にはわからなかった。
「・・・コの耳を・・・他の人種に見せることは、私達獣人の中ではほとんどないんだ・・・石を投げつけてくれって言ってるようなものだからね・・・ダから、耳を見せるのは・・・家族だけだと・・・ソう決まってる」
「・・・家族?」
「ソうさ・・・ダから入学初日に言われた時は焦ったよ」
僕はそのことを思い出し、一気に冷や汗が流れ落ちた。
あの時、僕はみんなの前で『耳を見せてくれ』と言った。
それがどんな意味を持っているのかんんて知りもしなかった。
「モしかして、プロポーズかと思ったけど・・・人前だろ?『コのクラスはみんな家族だ。コれから一緒に頑張ろう』なんて綺麗ごとを堂々と言っているんだと思ったんだ・・・デも、蓋を開けてみて驚いた・・・タだの無知な奴だった」
「あ・・・それは・・・ごめん!」
「今更だよ。そんなの」
ラックはそう言って気持ちのよさそうな笑い声をあげた。
「マぁ、ソのおかげで・・・私はこんないい友人に会えたんだ・・・耳を見せてもいいと思えるぐらいの友人達に・・・」
ラックはそう言ってみんなを見渡した。
「ナぁ、みんな・・・私が・・・家族に思っちゃ迷惑かな?」
ラックの顔に浮かんでいたのは年相応の女の子の顔だった。
友達を作りたいだけの、ただの女の子。彼女はこの新しい環境に不安を抱きながらも、一歩踏み出したのだ。
「そんなわけないじゃないですか」
ルルがそう言った。
「それに、私に最初に声をかけたのはラックの方ですよ・・・私は、あの瞬間からずっと友達です」
その場には僕も居合わせていた。
ラックが干し肉をルルに渡して、それを受け取った瞬間。
あの時、ラックはニヒルに笑っていた。内心の負の感情を飲み込んで笑っていたのだと、今ならわかる。
「・・・私も・・・いいの?」
「ベクトールは・・・ドうなんだ?」
「・・・別に・・・いい・・・」
いつもと変わらないベクトール。だけど、その顔には不快感は欠片もなかった。
こんな彼女だからこそ、ラックも自分の耳を見せる気になったのだろう。
「ボブズは・・・聞かなくていいか?」
「おいおい、どういう意味だよ。俺だってな、獣人に対して思うことはあるぞ・・・が、まぁ、耳見せてくれたんだ。義理には人情で応えるのが鬼人流だ」
「ソう言ってくれると思った・・・鬼人ってやつは、ミんな変わらないな」
「誉め言葉と受け取っとくよ」
最後にラックは僕の方に視線を向けた。
その瞳にはわずかな不安と、多大な信頼の色が浮かんでいた。
「アギーはどう?今の話を聞いて・・・ソれでも、ソれでも・・・友達でいてくれる?」
「・・・・・・」
「私は・・・人間が憎い・・・ソう教えられてきた。コの耳がその証・・・私はその気持ちを捨てられないかもしれない。それでも、アギーは・・・」
「当たり前だ」
僕はラックの言葉を遮ってそう言った。
「ラックが僕のことをどう思おうと、僕は気にしない・・・僕は、何度だって君を治す・・・擦り傷も、切り傷も・・・足の感覚がなくなるような大怪我だって・・・僕は治す」
入学初日にラックの怪我を治したのは『神魔法』を見せびらかしたかったというのは確かにあった。だが、彼女の怪我を治したいという気持ちに偽りがあったわけではない。
昨日の夜にラックが大怪我を負った時だってそうだ。怪我の原因が僕自身であろうが無かろうが、ラックが同じ状態に陥ったら必ず僕は自分の魔法を使う。
「・・・僕はラックと友達でいたい・・・この言葉、信用してくれる?」
そう言って、僕は笑った。
ラックに習ったニヒルな笑顔で笑ってみせた。
「・・・ハハ、変な顔だ」
「練習中だからね・・・」
やはり、そう簡単に上達するものではないらしかった。
「でも・・・ありがとう」
ラックは訛りの無い話し方でそう言った。
「ありがとう・・・アギー、ルル、ベクトール・・・本当にありがとう」
獣人が、人間やエルフ、ドワーフに向けた『ありがとう』
そこに込められた意味を僕は生涯忘れまいと心に誓ったのだった。




