魔族と呼ばれること E
ディスダム神父の姿が完全に見えなくなり、僕らは改めてザイラル先生の研究室を訪れた。
隣の病室ではなく、研究室側の扉を僕はノックした。
「入れ」
「失礼します」
ザイラル先生の研究室に入るのは初めてであった。昨晩は隣の病室で話をしただけで、こちら側には足を踏み入れてはいない。ザイラル先生の研究室は思っていた以上に簡素で平凡であった。木製のデスクと大量の本、部屋の片隅には鍵付きの本棚を備えるぐらいで、ことさら変わったものはない。
治癒魔法師の研究室というぐらいだから、死体のホルマリン漬けぐらいあってもおかしくないかと想像していた僕の予想は見事に裏切られた。
部屋の主であるザイラル先生は窓際に座って、白湯をすすっていた。魔法で生み出した炎の上に乗った小さな鍋から湯気があがっている。
「災難だったな」
ザイラル先生は開口一番にそう言った。
「ディスダム神父と鉢合わせるとはな。Mr.スマイトの幸運もここに尽きたというやつか」
研究室のザイラル先生は教壇に立っているよりも数段雰囲気が柔らかいように感じた。
そんなザイラル先生を前に僕らはお互いの顔を見合わせる。
先程のディスダム神父とのやり取りについて、聞きたいことが山ほどあった。だが、異端審問会に関わる話に簡単に首を突っ込めるはずもなかった。
そんな僕らの態度を見て、ザイラル先生は軽く微笑んだ。
「ふっ・・・私の過去が気になるか?」
「あっ・・・ええ・・・まぁ」
僕らは曖昧な返事をするにとどめた。
「なに、別にたいしたことじゃない。教会が聖魔法以外の魔法による治癒を快く思っていないのは知っているな?」
その質問は僕個人に向けられたようなものだった。
僕は「はい」とはっきり返事をしておいた。本当はついさっきまで知らなかったのだが。
「私のやり方は聖魔法よりも精霊魔法、強化魔法による治癒を優先して考える理論構築をしている。それが教会の目に留まってな。異端審問会にかけられた。その時、私を告発したのがあのディスダム神父だったというわけだ」
それぐらいの話は予想ができていた。問題はどうやってザイラル先生が生き残ったのか、ということだが。
「聖典の基本は隣人愛だ。見ず知らずの他人に救いの手を差し伸べることこそ、神の愛だ。私はその辺りを中心に理論を並べたにすぎないよ・・・まぁ、運が良かったのも確かだがな・・・ふふふ・・・」
ザイラル先生は何かを思い出したかのように笑った。
「私が・・・死にかけた教皇の命を救ったんだ」
ザイラル先生は楽しそうにそう言った。
「その場にいた全員が神に祈りを捧げ続ける中で、私が聖魔法を使ってでさっさと教皇を救ってしまったからな。私が異端であると言及できる雰囲気ではなくなってしまったのだよ。わかりやすいだろ?」
「あ、あの・・・」
ルルが教室で質問をする時のように手をあげた。
「なんだ、Ms.シルフィード」
「その教皇様って・・・誰ですか?」
「そうか。お前は気になるだろうな。ガトー・スラインだよ。わかるか?あのディスダム神父の後見人だ」
ザイラル先生は白湯の入った木のコップを揺らす。
先生は「これほど愉快な話があるか?」と前置きしてから話を続けた。
「あの男は私を心底憎んでいるのだよ。私は異端者であり、同時にあいつの恩人でもある。神に逆らう行為をしておきながら、神の魔法で聖職者を救った。ディスダム神父からしてみれば私の存在そのものが矛盾の塊なのだ。生きていることが許せなくなる気持ちもわからなくはない」
ザイラル先生は嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「さて、お前ら。Ms.ラックに会いに来たんだろ」
「あ、はい」
ザイラル先生はコップで隣の部屋へと続くドアを指した。
「会ってやれ。暇そうにしている」
「先生、ラックの様子は?」
「問題ない。大人しくしているよ。既に2度程説教したがな・・・」
それが冗談なのかどうか判断がつかず、僕らは曖昧に笑った。
「あともう1週間はこのまま安静だ。お前らが講義の内容をしっかり教え込んでやれ。お前たちの復習にもなる」
「はい」
僕らは先生に促されるまま、隣の部屋へと続く扉を開けた。
「・・・ラック?いる?」
病床の並んだ部屋は昨晩来た時とさほど変化はなかった。
ラックのベッドには布団を頭まで被った人が丸くなっていた。
「ラック?」
僕はもう一度ラックを呼ぶ。やはり返事はない。ただ、布団の中から規則正しい寝息が聞こえてきていた。
眠っているのだろうか。
僕はどうしたものかとルルを振り返った。
ラックは女子だ。そう易々と僕らが触れるのは問題だろう。
手持ち無沙汰になってしまった僕を見て、ルルはその辺りのことを悟ってくれたようだった。
ルルはその布団のふくらみの上に手を置いた。
「ラック、もう夕方ですよ。そろそろ起きてください」
「ン・・・・あぁ・・・・」
布団の奥からそんなうめき声が聞こえてくる。
「ラック」
「ンー・・・ルル?」
くぐもった声が聞こえた。ラックの声はいつもと変わらないようで、そのことにまず安堵する。
僕はどうしてもヴァンパイアに怪我を負わされた事実を無視することができなかった。万が一程度の確率であることは頭では理解している。それでも、可能性が残っている限り不安は残る。
僕は最悪の時に備えていた心構えを弛緩させていった。
「そうです。私ですよ。みんなで様子を見に来たんです。どうします?寝起きですし顔を洗いますか?」
「ん・・・んー・・・・チょっと・・・待って・・・」
布団の中で衣ずれの音がした。もぞもぞと動く姿は芋虫がのたうっているようで、なまめかしさや色気などは欠片もない。
「ふぁぁ・・・・」
そして、欠伸をしながらラックの顔が出てきた。
彼女はいつものフードを頭にかぶったままであった。布団の中でそのフードを身に付けていたのだと想像がついた。
「ミんな・・・来てくれたんだ。アりがと」
ラックが寝ぼけまなこをこすりながらそう言った。いつもと変わらないラックだったが、僕はその声音の裏をどうしても勘繰ってしまっていた。
ラックは『僕らを少しは信用することにする』と言っていた。だが、僕には本当にそんなことができるのか不安であったのだ。ラックが差別の中でどう生きてきたのかを僕は知らない。
簡単に僕達みたいな人を信用できるようになるのだとうかという疑問は尽きない。
僕の不安をよそにルルは少し怒ったようにラックを見下ろした。
「そりゃ、来ますよ・・・心配ですし」
「友達だもんな」
「はい、そうです。ラックは大事なお友達です」
真っすぐに言い切ったルル。それを見てラックは微笑んだ。ニヒルを気取ったものではない。それは柔らか笑顔で、取り繕ったようなものには見えなかった。
「ソうだ、ルル・・・私、今度からルルと同室になりそうだから」
「えっ?そうなんですか?でも、どうして突然・・・」
ラックは一瞬僕の方を見た。多分、僕の顔にはラックに対する不安が浮かんでいたのだろう。そんな僕に彼女はウィンクをしてみせた。
「実は私・・・」
そして、ラックはあっさりと自分のことを語った。同室拒否されたこと、素直に部屋を変えて欲しいと言い出せなかったこと、僕らを本当は信用していなかったこと。その話をルルやベクトールは真剣な顔で頷きながら聞いていた。
僕よりも世間のことを知っている二人だ。驚きは少なかったようで、僕の心配はまるっきり杞憂に終わっていた。
「・・・そうですか。わかりました」
「悪いね」
「何言ってるんですか。ラックと同室なんて私は気にしません」
「ウん、ソう言ってくれるって思ってたよ・・・ベクトールは平気か?新しい人と同室なんて・・・」
確かに。ルルからすれば同室が友人から別の友人に変わるだけだ。それに対して、ベクトールはほとんど喋ったことのない相手が同室になるのだ。
だが、ベクトールは普段と変わらない顔で言った。
「・・・気にしない」
「ソっか」
淡泊な答えに逆にラックは安心したようだった。
和やかな雰囲気の女子3人。彼女たちの方は問題なさそうであった。
「なるほどな」
僕の隣でボブズが何かに納得したように一人で頷いていた。
「どうしたの?」
「お前が今朝からなんか様子がおかしいと思ったら、こういうことだったんだな」
「あ・・・」
確かに今朝から急に差別だのなんだのに意識を向け始めた僕を見たら、何かあったと思うのが自然だろう。
僕は素直に頷いた。
「うん・・・」
「お前が世間知らずだってのは重々承知してたつもりだったけど。まさか、同室拒否の現実まで知らないなんてな・・・お前の住んでたとこ、どんだけ田舎なんだよ」
「あ・・・うう・・・」
どちらかというと、興味の方向を向けずに自分の実力を高める子供時代の考え方に問題があった気もする。
精神年齢が中途半端に青年だったが為に、知的好奇心がかなり限定されてしまっていたのだ。
ただ、いろんなところに目を向けていたら、僕も差別主義者になっていたかもしれないと思うと複雑な心境だ。
一番良いのは現実を知った上で獣人や鬼人を受け入れられるようになることなのだろうが、僕にそれが出来たかどうかは正直自信がなかった。
「っていうか、今更それ言い出すか。ホント・・・気にしてた俺が完全にバカじゃねぇか」
「あ、やっぱり気にしてたんだ」
「当たり前だ。一週間過ぎたあたりで完全に諦めたけどな。俺の隣で本当に無防備で寝れる人間がいるんだって、すげぇ驚いてたんだぞ」
「ああ・・・それは・・・なんか・・ごめん」
寮生活が始まった後も『気のいい友人ができた』程度にしか考えずに爆睡していた自分がなんとも恥ずかしい。
「寝言のたびにびくついてた俺の睡眠時間を返せ」
「・・・もしかして、今もそんな感じ?」
「あん?そんなわけあるか・・・お前が信用して熟睡してんだ。俺も信用してやるのが筋ってもんじゃねぇか。ったく、今更この程度踏み込むのにビビッてんじゃねぇよ。そんなことなら、俺と初めて会った時にビビれ」
「め、面目ない・・・」
その時、病室に笑い声があがった。いつの間にか女子達は僕の話を聞いていたらしい。僕は顔が熱くなるのを感じた。
「アギーは純粋に育ったんですね・・・いいことだと思いますよ」
「・・・バカにしてない?」
「そんなことありません」
ボブズは適当な椅子を引き寄せて座った。
ボブズが僕のことを見上げてくる。
「お前はそのままでいてくれよ。頼むから」
瞳の中に真剣な光を感じて僕は表情を引き締めた。
「ディスダム神父にほだされて、今更聖典狂にでもなられたら・・・なんか、立ち直れなさそうにねぇ。さっきもな、お前がディスダム神父と握手してるとき、結構不安だったんだぞ・・・」
「それは・・・」
「お前が友達だって割と本気で思ってたんだなって、自覚したよ。友達に裏切られるのは・・・本当につらいからさ」
「・・・・・・」
目を伏せたボブズ。心なしか彼の身体縮んだかのように見えた。
「わかってるよ」
「本当だろうな?」
ボブズはもう一度僕と目を合わせてきた。
僕はそれを見返し、しっかりと頷いた。
「・・・うん。わかってる」
どうせ僕には差別主義は相いれないことはわかっていた。そもそも僕にはその考え方が理解できない。
宗教も人種差別も今まで経験したことがないのが日本人の良いところでもあり、悪いところなのだ。
「わかってる。僕は種族で、人を判断することなんてしない・・・できない」
「そうか・・・」
ボブズはそう言って唇の端を歪めて笑った。彼の火傷の痕に皺が寄った。
「ホんと、アギーは変わってるよな」
ラックがそう言った。
「そう?」
「アあ、変わってる。何でそんなに色眼鏡もなく私たちを見れるんだ?」
「・・・それは・・・」
転生者だから。
そう言ってしまうのは簡単だが、それはラックの質問の答えにはなっていないような気がした。
僕には獣人や鬼人が特別他の人種という考え方ができないのだ。
なにせ、僕にとってはエルフもドワーフも等しく『異世界の住人』なのだ。下手したら普通の人でさえ別世界の存在だと僕はどこかで思っている。
だからこそ、逆に全部平等に見えるのかもしれない。
それを口にして説明しようと思ったが、上手いこと話す自信がなかった。
結局、僕は「そういう性分だから」と言っておくに留めておいた。
ラックやボブズはあまり納得していないようだったが、それ以上踏み込んでくることはなかった。
「アギー・・・ルル・・・ベクトール・・・それと、ボブズも・・・」
ラックはベッドから起き上がって、僕達を呼んだ。
僕らは彼女の方を見た。注目を集めたラックはフードの下で何かを決意したような顔をしていた。
「・・・信用・・・シてるからな」
「・・・おい・・・まさか!!」
ボブズが真っ先に驚愕の声をあげた。ボブズにはラックがこれから何をしようとしているのかがわかったのだ。次いでルルとベクトールもほぼ同時に息を飲んだ。わからないのはやはり僕だけだった。
「・・・いいん・・・ですか?」
「アあ、見て欲しいんだ・・・」
そしてラックは両手を頭の上に持っていった。
そして、僕もようやくラックが何をしようとしてるのかに気が付いた。
ラックは自分のフードに手をかけ、そして後ろへと持っていく。
彼女の艶のある赤毛が徐々に光の中に現れる。それは日本で見た紅葉のような鮮やかな『赤』をしていた。
そして、フードがラックの頭の頂点を過ぎたあたりで、ついにそれが現れた。
髪の中に付き立った二本の三角形。髪と同じ赤毛の耳。その内側には柔らかそうな白い産毛が生えていた。
ラックの頭に生えた獣の耳。その全容をラックは僕らに見せていた。
「・・・見て・・・コれが、私が獣人である・・・証だよ・・・」




