魔族と呼ばれること D
その男は黒づくめの法衣を着て、モノクルを顔にかけていた。全体的に細長く、背の高いザイラル先生を軽く見下ろす位置に顔があった。彼は産まれて一度も笑ったことのなさそうな顔でザイラル先生を見ていた。対するザイラル先生もまた眉間に深い皺を刻んでいる。
二人の雰囲気は見るからに険悪そうなものだ。僕らはそれを前に廊下で立ち止まってしまっていた。
「ディスダム神父・・・」
ルルがそう言った。
「ディスダム神父?」
「帝都教会で祭司を務める神父です。今8人いる教皇の椅子が空いたとき、真っ先に座るのはあの人だと目されています」
ルルはそう言って一歩身を引いた。身体の大きなボブズの後ろに隠れるような場所に移動する。その様子が、狐に怯える子ウサギのように僕には見えた。
そして盾代わりとなったボブズはというと、逃げも隠れもせずに鼻から大きく息を吐き出していた。
「鬼人の間でも有名な神父だ。俺でも顔を知ってる。『迫害のモノクル』ってな。ガチガチの聖典主義者さ・・・何人の鬼人があいつのせいで石を投げられて殺されたことか・・・」
僕らは小声で話をしながら、ザイラル先生の声に耳を傾けていた。
「相変わらず、人を治すのは教会の聖魔法だけに限定すべきだとかわけのわからない説教を聞かせにきてくれたのか?」
ザイラル先生の声は聴くだけで背筋が伸びそうになるほどに強張っている。だが、それを真正面から受けながらディスダム神父は平然としていた。
「この学園が異端か否かについての結論はもう出ている・・・もっとも、教会の上層部は目をつぶるおつもりらしいですが」
「そりゃ結構。だったら用はないだろ。さっさと消えろ」
「そうはいかない・・・何分、ヴァンパイアの眷属の侵入をこの学園が許したのだ。ここは帝国最高の魔術学園。王城と教会に次ぐ守りの要だ。そこが破られたとあれば、我々の援助が必要と思われてな・・・私が実態の調査に派遣されたというわけだ」
「なら、私の研究室で油を売る暇などないだろ。さっさと自分の仕事に戻れ」
「言われずともそうする。ただ、ちょっと見ておきたかったのだよ。異端審問会を唯一生き延びた女がのうのうと生きている様をな・・・」
ザイラル先生の眉間の皺が一層深くなる。
「私の人生での唯一にして無二の汚点だ。私の前に立った異端者を処刑し損ねた・・・今でも貴様の首が断頭台から転がり落ちる光景を夢見る・・・夢見としては悪くないが、朝起きた時に捧げる祈りに身が入らない・・・」
「そりゃ結構だ。それが聞けただけで私はよく眠れそうだ」
2人の間に火花が散る。だが、僕らはそれどころではなかった。
「異端審問会を・・・生き延びたって?」
その情報が僕らを驚嘆させていた。
「信じられません・・・あの拷問裁判をどうやって・・・」
ルルがそう言った。
教会の異端審問会と言えば、処刑率100%の出来レースだ。
信心深くない子供を嚇す代名詞であり、異端者の嫌疑をかけられた者が最期に光を見ることができる場所でもある。
僕も何度も親にそれを持ち出して叱られたことか。
「・・・それで、私の顔を見て気が済んだか?」
ザイラル先生が嫌悪感を隠そうともせずにそう言った。
「ああ、改めて殺してやらなければならないと確信したよ。この学園では『異端』が『授業』としてまかり通っている。こんな現実がいつまでも許されると思うなよ」
「・・・『人を救えるのは神のみである』か・・・神聖魔法でどれほどの病を治せるというんだ・・・精霊魔法や強化魔法を使いこなしてもまだ、救えない命があるというのに・・・」
「神聖魔法で救えぬ命があるなら、それは天命ですよ。無理に人が理を曲げれば、訪れるのは身の破滅です」
天命?
僕はその言葉にわずかながらに反感を覚えた。
全てを賭けて治せない者がいるのは事実だ。その果てに『天命』という言葉で人を納得させるのは決して間違ってはいないだろう。
だけど、神聖魔法だけで人が治らなかったら天命?
ふざけた話じゃないか。それなら、この学園であらゆる術をもって治癒を模索している治癒魔法師の存在価値は一体どうなる。治癒魔法師が傍にいれば助かった人を前に同じ台詞を吐いてみろってんだ。
「身の破滅か・・・なら、おかしいじゃないか。私はさんざん異端行為をしてきたわけだ」
ザイラル先生は両手を広げて、空を見上げた。
芝居がかった仕草をする先生は珍しい。
「それで、天罰はいつになったら私のところに来てくれるんだ?」
その時、初めてディスダム神父の氷像のような顔が変化した。口角だけが上がった笑みに僕は息を飲んだ。冷たい視線、凍った頬。歪な口元だけが不協和音のようにその顔に張り付いていた。
「・・・天罰を執行するのもまた教会の役目ですよ。お忘れなく」
殺気に歪んだ笑みというのはこういうことを言うのだろうか。僕は背筋に氷を流し込まれたような怖気を感じていた。
ディスダム神父はザイラル先生に向けて、静かに頭を下げた。彼が顔を上げた時、その顔はさっきまでの無表情に戻っていた。
「では、失礼」
「ああ、本当に失礼な奴だよ。お前は」
ディスダム神父は滑るように廊下を歩きだした。
「やべ・・・」
ボブズがそう呟いたのは、ディスダム神父がこちらに向かってきたからだ。
だが、今更隠れるわけにもいかない。
「おや・・・」
ディスダム神父は僕らの前で足を止めた。
近づいてみると、神父の背の高さが際立つ。僕らよりも頭一つ高い位置にある頭を僕は見上げた。
「これはこれは・・・ルルーシア・フォン・シルフィード様ではありませんか。ご機嫌麗しう存じます」
ディスダム神父はそう言ってルルに頭を下げた。
ディスダム神父の態度に僕が驚く隣で、ルルは覚悟を決めた顔でボブズの後ろから出てきた。
「あなたも、お元気そうですね・・・ディスダム神父様・・・」
「ええ、御父上はよくしていただいておりますので。どうです、今度お食事でも・・・」
「結構です・・・勉学が忙しいので」
「左様ですか」
そして、ディスダム神父はボブズやベクトールなどまるでいないかのように視線を巡らせ、僕のところで止めた。
「シルフィード様・・・こちらの方を紹介していただけますか?」
僕に掌を向け、ルルにそう言ったディスダム神父。ルルはハッとしたように顔をあげ、表情を曇らせた。
唇を真一文字に結んだ彼女の顔からは今どうすべきかを考えて必死に頭を回している様子が伺えた。
ルルは僕が教会を避けてきていたことを知っている。だが、問題はそこではない。
教会に奇跡だ何だと称されて『神魔法』なんて認定を受けている僕が、教会権力者のディスダム神父と邂逅することが一体どういう結果を産むのか。これが良い出会いになるとは到底思えない。
沈黙をもって答えるルルにディスダム神父が再度口を開いた。
「シルフィード様。ご友人を御紹介して、いただけますかな?」
ディスダム神父の声はさっきよりも一段と感情が消えていた。零よりも低い温度を纏った声音にルルの身体が一瞬震える。
「なんでしたら、他のご友人も一緒に紹介いただきましょうか・・・ここで会ったのも何かの縁ですし」
ルルの身体に動揺が走った。
ディスダム神父はあからさまにベクトールの方を向いてそう言っている。
だが、その意図するところはわかりきっていた。ルルの立場を僕はよく知らないが、ルルが教会となんらかの関わりがあるのはわかる。なら、鬼人と友人関係にあるなんて話が愉快な結末を招くわけがないのだ。
ボブズのこめかみに青筋が立った音がした。
だが、ボブズは何も言わない。暴言を吐けば事態が悪化することがわからない男じゃないのだ。滞った感情は握りこぶしの中に固められていた。
「ルル・・・」
僕はルルを呼んだ。ルルが泣きそうな目で僕を見ていた。
大丈夫だから
そう伝えたくて、僕は小さく頷いた。
「っ・・・・」
ルルはそれでもしばらく黙っていた。だが、沈黙の時間は何も解決してくれない。ルルは痛みに耐えるかのように顔を歪ませた。彼女は目を伏せ、小さな声で僕の紹介を始めた。
「・・・こちら・・・私の友人のアギリア・スマイトです・・・」
「おぉ、かの有名な・・・一度お会いしたく思っていましたよ」
ディスダム神父は大仰な仕草で僕の方に顔を向けた。だが、その表情はさっきまでと何も変わらないままだ。
無表情といえばベクトールもそうだが、彼女は普通に笑うし、怒るし、悲しむ。ただ、その動きがあまりに小さくいものだから、他人からわかりにくいだけだ。
だが、この神父はそれとはまるで違う。
感情が本当に読めない。顔の表情筋が全て停止しているんじゃないかと思う程だ。
モノクルの奥にある生気を感じさせない目が僕を見ていた。
「有名ですか?・・・僕は?」
「ええ、『神魔法』の認定を受けた奇跡の人だと聞いておりますよ。類ない『神聖魔法』の使い手だそうで。サンギアの町では教会以外の場所で治癒を許された唯一の方だとお聞きしております」
「そう・・・ですね。店の仕事の合間に軒先でよく人を治していましたけど」
「素晴らしい。才能に奢らず、『神聖魔法』による治癒を多くの人に分け与える姿こそ、真の聖職者にふさわしい・・・ぜひ、握手をしていただきたい。シルフィード様の御友人であるなら、これからお会いすることも多いでしょうし」
ここでルルの名前を出すかよ。
僕は奥歯をかみしめた。ここで僕が手を出さなければ、間に立って紹介をしたルルの面子が潰れることになる。僕はともすれば拒否しようと思っていた握手に応じる他なかった。
掴んだディスダム神父の手は想像通りの冷え切った手だった。
僕はなるべく早く手を離したかったが、ディスダム神父は僕をモノクルの奥から見つめながら、長い間手を握っていた。
間近で見る神父の表情に僕は背筋に粟が立つのを感じていた。単なる無表情だと思った彼の顔。だがそれは精巧な仮面を前にしたような不気味さがあった。
僕にはこの感覚に覚えがあった。『不気味の谷』というやつだ。ロボットの顔を人間に似せれば似せるほどに気味が悪く見えるという現象。前世で体験した記憶が蘇る。
ディスダム神父から僕が感じていたのは、人間でない何かが人の形を取っているかのような強烈な違和感だった。
僕はその場から逃げ出したい程の嫌悪感に苛まれ続けていたが、僕は目を逸らすことはせずに神父を睨み返し続けた。
ただ、どんな表情をすべきかがわからなかった。
ラックなら挑発的な目をするだろう。ボブズならきっと退屈だと言わんばかりの顔をするだろう。
僕は結局、怒りを表現するしかできなかった。
我ながら幼稚だと思う。
賛同することはできない。拒否すればルルの面目が潰れる。愛想笑いで誤魔化せるほど大人にはなれない。無表情を取り繕えるほどに自分を制御できない。
結局、自分がこの人をどう受け止めて、何を返せばいいのかわからないから感情をストレートに表現するしかない。
ようやく、ディスダム神父が僕の手を離した。
彼は僕とルルに小さく会釈をした。
「では、またいずれ」
ディスダム神父は法衣を翻し、足音をほとんど鳴らさずに廊下を歩いていった。
彼が角を曲がるまで、僕ら4人はその背中を見ていた。
ルルは半ば怯えながら、ベクトールはいつもの無表情を5割増しにして、ボブズは小馬鹿にするような顔をしていた。
そして僕は・・・
「・・・ほんと・・・教会に行かなくて正解だったよ」
ディスダム神父と距離を置けたことに胸をなでおろしながら、彼の法衣が消えるのを見ていた。




