魔族と呼ばれること A
僕がラックの病室から出た時にはもうすでに東の空から太陽が顔を出していた。
ヴァンパイアの眷属である野犬が出現した夜がようやく明けた。その朝日のまぶしさに目を細めつつ、僕は朝食の並んでいるはずの大広間へと向かった。
歩きはじめると全身に酷い痛みがあった。特に痛みが強いのは右肘であった。転がりまわった拍子にどこか打ち付けてしまったのだろうか。僕は廊下を歩きながら、自分に治癒魔法を施す。
僕の『神魔法』はすぐに肘の痛みを取ってくれる。
「はぁ・・・なにもかもこんなふうに治せたらいいのにな」
怪我や病気、人の意識のあり方や心の傷さえも治せる魔法であれば何の世話もなかったというのに。
僕は大きく欠伸をした。いくら身体の痛みを癒しても根本的な疲労感は解決しない。正直言って今すぐにでも寮のベッドに戻って惰眠をむさぼりたくてしょうがなかった。ザイラル先生のヴァンパイアの講義が今日でなければ仮病でも使っていたところだろう。
だが、不思議なことに自分の意識だけは妙に冴えわたっていた。身体は疲れ果てているのに頭の中だけは今も興奮状態にあるようだった。
僕は大広間の扉を開く。朝早いにも関わらず、少なくない生徒達がそこかしこで朝食を取っていた。
方々から昨日の事件に関する噂話が聞こえてくる。
「昨日、犬型のヴァンパイアが出たらしいぞ!夜中に治癒魔法科の寮に突撃してきたらしい!」
「寝てたの?あの物音聞かなかったの?すごかったよ!私、現物見たけど牛みたいな大きさだった」
「血の魔法を初めてこの目で見たよ。あれは恐ろしいな・・・『闇の精霊』の領分だって一目でわかった」
興奮と恐怖の入り混じったざわめきが聞こえてくる。あれだけの騒ぎになれば広まるのも早い。そのうちの何人が今回の事件の真相を知っているのかははなはだ疑問であった。
僕は大広間の中に見知った友人達を見つけ、足を向けた。
その直後、徹夜明けでハイになった頭が聞きたくもない噂話を拾い上げてしまった。
「・・・でもどうやって入ってきたんだ?」
「獣人が引き入れたって話だよ」
僕は思わず止めそうになる足を強引に前に踏み出した。自分の掌に汗が滲むのを感じた。
「やっぱり獣人かよ・・・騒ぎを起こして火事場泥棒でもする気だったのかね」
「やっぱり怖いわ・・・なんで、この学園には獣人と鬼人の入学が認められてるのよ」
「国王の政策だろ。差別主義の撤廃とか言ってるけどさ、結局『魔族』と『人間』は相いれないんだよ」
周囲から聞こえる話声は無視しようとすればするほどに耳朶の奥に突き刺さってくる。
僕は叫びだしたい衝動をこらえるのに必死だった。
『あの野犬を治癒したのは僕だ』と訴えてしまいたかった。
『ヴァンパイアの眷属だと知らずに誰にも報告しなかったのは僕だ』と大声で宣言してしまいたかった。
いつもはすぐにたどり着くはずの大広間の机がやけに遠く感じる。針の筵の上を歩かされている気分だった。
ラックなら『こういう時こそニヒルに笑え』と言うのだろう。だが、それを実践するのはやはり僕には簡単にできそうもなかった。
獣人や鬼人への差別意識。
僕が今まで気が付かなかったのは、それが表に出ていなかったからだという僕の予想は当たってしまっていたらしい。昨日の市場での騒ぎがいい例だった。
結局のところ、学園の外だろうが中だろうがこの世界が抱えるものが変わるわけがないのだ。
国王が差別撤廃を宣言した以上、表向きにはラックやボブズも人間の種族であると皆が認めているような言動を取る。だが、それは上辺だけのもの。何か一つきっかけがあれば幼い頃から聖典で刷り込まれ、親に教え込まれた先入観が噴出する。
『差別』というものを本当の意味で僕が理解したのはこの時だったのかもしれない。
「おはようございます。ラックは大丈夫でしたか?」
焦燥と心配が乗った声に僕は我に返った。気が付けば、友人達の座るテーブルのすぐそばまで歩いてきていた。ルルが僕を真っすぐに見つめてくる。彼女のエメラルド色の瞳が涙がこぼれる直前のように揺れていた。
「うん。ザイラル先生も万が一のことを考えての安静だって言ってた。本人は元気だったよ」
「はぁ・・・良かったです・・・」
ルルの目元には寝不足で腫れ、隈が出来ていた。
「・・・・・・そうだよね。心配だよね」
「当たり前です!友達なんですから」
エルフのルルは心外だとでも言うように僕の方を睨みつけてくる。
それがどれだけ貴重なことであるのか、今までの僕は知らなかった。
「なんだよアギー、変な顔になってるぞ」
「・・・・・・ちょっと、疲れたかな」
ボブズの軽口が今の僕にはとても重い。
僕は曖昧な笑顔を浮かべて、みんなの中に座った。
「・・・なぁ、ボブズ・・・」
「ん?どうした?神妙な顔で」
ボブズはいつも通りだった。小憎らしいぐらいにいつも通りだった。
ラックがあんなことになってからまだ数時間も経っていない。昨日の夜の出来事で一番の働きをしたのはボブズだというのにまるで何事もなかったかのようにそこにいる。
本当にいい肝の据わり方をしている奴だ。
「ボブズは・・・すごいね」
「なんだよ、藪から棒に・・・って、もしかしてあれか?」
ボブズはそう言って、フォークで近くのテーブルにいる人達を指した。
それは今も『獣人と鬼人』について議論を交わしているテーブルだった
「しょうがねぇよ。これぐらい俺も覚悟してこの帝都に来てるんだ。多少のことで怯むようなら最初から入学なんかしないさ」
そう言いながらボブズはフォークをサラダの中に突き刺した。
彼の火傷顔が退屈そうにしている。まるで、つまらない人形劇を見ているかのような顔だった。
「こんなのただの噂話だ。すぐに収まる。一々気にしてなんかいられるかよ」
「・・・・・・・・」
噂の被害者であるボブズがこうあっけらかんととしている。彼を前に僕は口を閉ざすことしかできなかった。ボブズはボブズで人からの悪意を受け止めて、その身に受け入れてきたのだ。
それは僕が口を出せる領域ではないし、慰めの言葉をかけるのも筋違いだと思った。
ボブズは昨日言っていた。
『自分の舞台は自分で決めると』
ボブズはこんな理不尽なステージの上でずっと踊ってきたのだ。今更、この程度で揺らぐ精神力ではないんだろう。
それに対して僕はどうだ?
ふと、自分の手元に視線を落とした。
ラックのように笑顔を取り繕うこともできず、ボブズのように堂々と受け止めることもできない。
直接の被害を受けているわけでもないのに、差別という現実が直視できていない。
そりゃ、弱いだろう。
僕はラックやボブズとの精神的落差にため息をついた。
「・・・アギー、何かあったの?」
「え?」
声をかけてきたのはベクトールだった。彼女は小さく千切ったパンを口に運んでいた。
「・・・なんだか・・・変」
「そうかな。そんなことないよ」
僕はパンの乗ったバスケットからなるべく柔らかいものを探して取り出した。
「・・・ラックに・・・何かあった?」
「なんにもないさ。ザイラル先生が治癒魔法を行ったんだよ。万が一なんて早々起きないって」
ベクトールは眉間に皺を寄せていた。納得していないような顔であったが、僕はこれ以上のことを話すつもりはなかった。
これば僕自身の問題だった。この世界で生きていく上で乗り越えていかなければならない問題だ。
誰かの力を借りることはできない。
僕はラックに習ったことをもう一度頑張って実践してみた。
「まぁ、ちょっと疲れたかな」
頑張って笑ってみたが、効果があったかどうかは正直怪しいところだった。
ベクトールが気味の悪い虫でも見かけたかのような顔で僕を見ていた。
「アギー、大丈夫ですか?少し眠った方がいいのでは?」
ルルが心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。その優しさが今は僕には辛かった。
僕はニヒルを気取った笑みを引っ込めた。顔に残っているのは徹夜明けの疲れた顔だけだ。
「平気だよ、一日二日徹夜したぐらいで潰れちゃうのような軟な身体じゃないし」
「でも、昨日は普通の夜ではありませんでしたし。休んだ方がいいのでは?」
僕は静かに首を横に振った。
ここで休んでいては、ボブズやラックにいつまでたっても追いつけないような気がするのだ。
僕は彼らのようにタフな生き方を身につけたい。この世界に産まれたからにはいつまでも日本人でいることはできないのだと、僕は心の底から思っていた。
「アギー、俺達は一応、ヴァンパイアからラックの命を救ったんだ。今日休んでも誰も文句言わないぞ。ザイラル先生はどうだかわかんねぇけどな」
「でも、休みたくないんだ。今日はちょっと無理を通したい」
「ふぅん・・・ほどほどにしとけよ。人はもろいんだから、俺達と違って・・・なんてな」
ボブズはそう言って僕の皿にパンを取り分けた。『飯食って力尽けろ』とでも言いたげだった。
それを見てルルやベクトールも同じように僕の皿に食事を注いでくれる。
「そうですよ。人はエルフと違って病弱なんです。御飯だけでもしっかりとってください」
「・・・・・人は・・・食が細い・・・もっと食べれば頑丈になる・・・ドワーフみたいに」
何も言わなくても、みんなには僕の考えていることなど筒抜けなのかもしれないと思った。
すぐに僕の皿には山盛りの朝食が乗っていた。疲れた体にこの食事量は重い。
僕は頑張ってもう一度『ニヒルな笑顔』というのに挑戦してみた。だが、自分が引き攣った笑顔しか浮かべられていないことはみんなの顔を見ればわかった。
「まぁ、頑張って食えよ。まだ朝早いからな、待っててやるよ」
ボブズがそう言って笑った。
「そうですね・・・あぁ、でも私ちょっと図書館に行きたいので、あんまり遅いと困りますよ」
ルルがそう言って金色の髪を揺らして笑った。
「・・・私はちょっと・・・ギリギリまで寝たい・・・だから、食べ終わったら起こして」
ベクトールは驚いたことにその場でツインテールをほどいて椅子にもたれかかった。彼女はすぐに規則正しい寝息を立てはじめた。冗談かと思ったが、本当に寝ているようだった。
ボブズがベクトールの顔の前で手を振ったが完全に無反応だった。
「すごいですね・・・」
「ああ、まったくだ」
ルルとボブズも驚愕している。
「・・・・・・・・」
だが、ここにいる僕の友人は僕が食事を終えるまで待っていてくれるらしい。
そのことが、今は無性に嬉しかった。
「・・・・ほんと・・・『運がよかったな』・・・僕は」
それは『神魔法』なんてアドバンテージの話でも、子供の頃に重症患者に遭遇しなかったことでもない。
こんな良い友人に巡り合えたことこそが、本当の『神様からの贈り物』のような気がする朝食のひと時だった。




