棘 K
僕は全てを話していた。
森で傷ついた野犬をみつけたこと。それが、今回のヴァンパイア騒動の原因であったこと。
話をしているうちに罪悪感が肩にのしかかってきた。僕の姿勢は自然と項垂れるものになっていく。
顔をあげられなかった。ダグ先生の呆れかえった顔が浮かんだ。ザイラル先生が眉間に皺を寄せている様子が手に取るようにわかった。
なによりも、ラックがどんな顔をしているのかを見るのが怖かった。
自分の手と足が小刻みに震えていた。底冷えするような寒さがどこからか忍び込んできていた。
だが、涙を流して許しを請うことだけはするまいと心に誓っていた。自分が被害者面するわけにはいかないことぐらいは理解していた。
「・・・そういうわけなんです。だから、今回の事件は・・・」
「ああ、そういうことか。なるほどな・・・」
そう言ったダグ先生の声に思わず僕の顔があがった。
その声の感じが、僕が予想していた以上に軽い感じに聞こえたからだ。
僕の隣に座っていたダグ先生は「まいったな」と言いながら、頭をかいていた。
「いや、それは仕方がない。とにかく、奴が侵入した方法がわかったのは行幸だ。対策としては練りようのない話ではあるが」
「え?」
ダグ先生に僕を責めるような感じはまるでない。
「Mr.スマイト」
ザイラル先生に声をかけら、顔をそちらに向けた。
「お前は本当に・・・警戒心というものを知らんな」
「・・・・・」
反論の余地がなく、僕は口を噤んでしまった。
「だが、こればかりは仕方ない。無知であることが災いしたな。やはり早めにヴァンパイアの講義を行うべきだった」
ザイラル先生は手近な椅子を引き寄せて腰かけ、そう言った。
誰も僕を責めようとはしていない。その空気が僕には不思議でならなかった。
僕は騒ぎの原因となったヴァンパイアを校内で治癒してしまったというのに。
ラックのベッドに目を向ける。そこには疲れ果てたようにため息をはくラックがいた。
「ラック・・・」
「ナるほど・・・サっきからアギーがずっと痛そうな顔をしてたのはそのせいか。クだらない」
「く、くだらない!?」
その台詞に僕は席を立つ。
「くだらないって・・・だって、僕は・・・」
「アギー。確かにアギーは今回の騒動の一因かもしれないけど。ソんなの、タまたまだっただけの話さ」
「でも・・・僕は・・・」
僕はあの時のことを思い出す。僕が野犬を治癒したのが純粋な親切心でないことは僕自身が一番わかっていた。
宿題と授業に追われ、今まで崇めたてられていた『神魔法』がまるで役に立たないと突きつけられる中で、鬱憤が溜まっていたのは間違いなかったんだ。
誰も治さない犬っころ。僕だけがあの犬を治してやれる。僕だけが特別なんだ。
そんな自分のアイデンティティを守るために僕は治癒魔法を使った。
「僕は・・・」
僕の胸の中には最初の試験で刺しこまれた『自分の無能さ』という棘がずっと居座っていた。
その結果がこの有様なのだ。しかも、その棘が傷つけたのは自分じゃない。
「ラックを・・・危うく殺しかけた・・・」
「ソれは私が森で寝てたのが問題だっただけだ。アギーが責任を感じなくてもいい」
「でも・・・」
「アギー!」
ラックの鋭い声に僕は驚いて懺悔の言葉を飲み込んだ。
「ヴァンパイアに出会っちゃったのは私だ。この傷は・・・」
ラックは布団の上から自分の足に手を置いた。その下には僕が治した傷がある。痕跡一つ残さず治しても、その場所を槍が貫いたという事実はなくならない。
「私が変な意地を張った結果だ・・・差別を笑い飛ばしていながら、やっぱりどこか割り切れなくて、アギーやルルを信用しなかった私の落ち度だ。モし、アギーがヴァンパイアを治してなくてもいつか似たようなことになって、シっぺ返しを食らっていたんだ。ソれがたまたま今回だっただけ。ソして、ソの結果、私は五体満足でここに寝てる・・・治してくれたのはザイラル先生と、アギーだ。ソれでいいじゃん。アギーが苦しむことはない」
「・・・・・・・・」
「ソれでも、アギーが罪悪感を感じるなら・・・悪いけどそれはアギー自身の問題だよ。私が許しを与えるのは筋違いだしね」
僕はその言葉に息を飲んだ。
「僕の問題・・・」
「ソうそう・・・厳しい言葉にするなら『私に甘えようとするな』ってとこかな」
「・・・・・・・」
ラックはそう言って、唇の端で笑う。
「デ、ドうしても辛かったら、コうやって笑って誤魔化すんだ。カッコよく見えるだろ?」
ラックはいつもの不敵な笑みを浮かべてみせた。
暗がりの中、フードの下からのぞく彼女の笑顔。吊り目がちの瞳が怪しく細まり、唇の端からのぞく八重歯が笑顔を際立たせる。どんな逆境も笑顔で乗り越えてやるという凄みがそこにあった。
僕はその笑顔に胸を突かれたような気分になっていた。
僕はラックの強さの一片を垣間見た気がした。
ラックは理不尽な差別も、不幸な偶然も、全て自分の中で笑って消化して自分の血肉にしてきたのだろう。彼女はそうやって誰にも責任を押し付けることなく生きてきた。
じゃあ、僕はどうだろう?
「・・・・・・・そう、だね」
「ソうだよ」
僕にもできるだろうか。
この息苦しい程の罪の意識の中で無理にでも笑ってみせられるのだろうか。
僕は唇の端を強引に歪めてみる。
「マあまあだな」
ラックのようにニヒルな笑顔を見せられるのはまだ先になりそうだった。
「あぁ、青春しているところ悪いが、ちょっといいか?」
ザイラル先生がそう言った。
「あ・・・・」
ザイラル先生は呆れたように、ダグ先生はどこか楽しそうに僕らを見ていた。僕は気恥ずかしくなって視線を背け、ラックは楽しそうに笑い声をあげた。
「Mr.スマイト。今回の事件の経緯はだいたいわかった。その上で、お前はお咎めなしでいい」
「はい・・・」
「そもそも、お前が治さずともあの野犬は勝手に自分で怪我を治して、この校内で暴れていただろう。それをお前が速めただけのことだ」
そう言われてしまえば、僕に反論の余地はなかった。
あれがヴァンパイアなら、僕が治癒魔法をかけた相手は不死のアンデットだ。あの程度の傷など僕が何かをするまでもなかっただろう。
「アの、一つ聞いてもいいですか?」
ラックがそう言った。
「なんだ?」
「コの学園って確かアンデットみたいな魔物を寄せ付けないような守りが施されているって聞いてるんですけど。ドうやって、ヴァンパイアはこの中に入ったんでしょうか?」
「そんなことか。決まっている。この学園に入ってきたとき、まだあの犬っころはヴァンパイアではなかったということだ」
「ン?ドういう・・・」
ラックの顔には疑問符が浮かんでいた。多分、僕の顔にも浮かんでいる。
学園に入ってきた時はあの犬はヴァンパイアじゃなかった。でも、今日の夜にはヴァンパイアになっていた。
その間に何があったというのか?
「お前ら、ヴァンパイアの定義を言ってみろ」
その質問には僕が答えた。
「え、えと・・・『神の精霊』である『闇の精霊』に干渉できるアンデットの総称・・・ですよね」
「そうだ。ヴァンパイアは『アンデット』なんだ。死体の中に過剰な魔力の暴走が起きて本能のままに行動している魔物・・・つまり、肉体が死体でないヴァンパイアは存在しない」
僕はその言葉に思い当たる節があった。
「・・・僕が治した時、あの犬は生きてた・・・」
あの犬の身体から噴き出す血や体温を僕は思い出した。
「そうだ。その後、校内の森を彷徨っているうちに肉体が死んでヴァンパイアと化したんだろう」
「ナるほど・・・エ、デも・・・ソれじゃあ、犬の死体が偶然アンデットになって、ソれが偶然ヴァンパイアに覚醒したってこと?」
「もちろんそういう偶然が起こる可能性もゼロじゃない・・・が・・・」
ザイラル先生はそう言ってダグ先生の方を向いた。
そして「やれやれ」と言った感じで首を横に振った。ダグ先生も肩をすくめてそれに応えた。
「はぁ・・・やはりさっさと講義をすべきだったな。ヴァンパイアに対する一般人の知識というのはこんなものか」
「仕方あるまい。聖典にはヴァンパイアに関する記述はほとんどないんだ。親から聞かされる寝物語での知識ぐらいしかない」
「そういうもんか・・・」
ザイラル先生は足を組み、講義の時と同じようなしかめっ面を見せた。
周囲の空気が急に張り詰めたものになる。ザイラル先生の講義特有の緊張感が病室の中に広がった。
その中でザイラル先生が言い放つ。
「まずは一つ訂正しておこう。お前が治癒し、今回校内で暴れたあの野犬は・・・ヴァンパイアではない」
『ヴァンパイアじゃない』
その一言に僕とラックは少なからず衝撃を受けていた。
「正確に言えば、ヴァンパイア本体ではない。あれは眷属だ。本物のヴァンパイアが首を折られたぐらいで死ぬものか」
僕とラックは顔を見合わせた。お互いの顔には「知ってた?」という質問と「知らなかった」という答えが同居していた。
「ヴァンパイアは自分の血を相手の身体に流し込むことで眷属を増やすとされているが。あれは正確には意味合いが異なる。ヴァンパイアの血はそもそもが毒なのだ・・・致死性のな」
「そっか・・・毒で相手を殺して、死んだ身体が『闇の精霊』を操る『アンデット』となって・・・ヴァンパイアと呼ばれるようになる」
「そうだ。つまり、あの犬が校内に入り込んだ時点ではまだ毒が身体にまわりきる前で生きていた。時間が経過して毒で肉体が死に、『ヴァンパイア』として蘇ったわけだ」
「ワ、私は?」
ラックが勢いよくそう尋ねた。その声の端にわずかに恐怖心が乗っていた。
「お前はその毒が全身を殺す前に浄化することができたからな。傷を受けても数時間以内なら可能な処置だ。だからおそらく大丈夫だろう。だが、少しでも毒が残存していれば今後悪化する可能性がある。だから、しばらくここで寝泊まりしてもらうわけだ」
「ナる・・・ほど・・・」
そういえば、街でヴァンパイアに噛まれたと騒いだあの男は首に噛まれた創があった。
あれは犬に噛まれたような痕じゃない。どちらかといえば、人間に噛みつかれたような痕だった。
「じゃあ・・・つまり・・・」
「ああ、本体のヴァンパイアはまだ生きている・・・おそらく、この帝都周辺で今も息を潜めているだろう。噂では帝都の極光騎士団が動きだすそうだ」
「極光騎士団・・・」
それは田舎者の僕でも名を聞いたことのある騎士団の一つだ。
その騎士団の入隊条件が『光の精霊』に干渉できるものに限られるというエリート集団だという。
「だが、どうなるかね」
ザイラル先生がため息を吐きながら、窓の外へと視線を向けた。
僕とラックもその視線に釣られて外へと向けられた。
窓の外では月の無い夜が間もなく明けようとしていた。
――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
東の空が白みはじめていた。草原を吹き抜ける風が朝焼けの中で冷たい空気を運んでいく。
そして、薄っすらとした霧の中を切り裂いて、太陽が姿を現した。
太陽の光を反射し、草の葉に付いた露が光輝く。それは草原を行く行商人や遊牧民だけが見ることができる、大地にちりばめられた宝石の絨毯であった。
その光の中に古い砦が佇んでいた。
塀も堀も長い月日が消滅させ、今も残るのは砦の中心だけであった。
砦の壁は蔦が絡みつき、あちこちが風雨に晒されて削り取られている。次の嵐がやってきたら、崩れ去ってしまいそうな程に朽ち果てた古砦だ。
風が吹く。だが、それは砦の手前で不意に掻き消えた。
まるで見えない壁に阻まれたかのように風が死ぬ。砦の中は不思議なほどに生き物の気配が消えていた。
虫の音も、鳥のさえずりも、獣の呼吸音でさえ聞こえない。
砦の中の大広間。かつて、人々が集っていたその場所には今は死が満ちていた。
ネズミの死骸が至るところに転がていた。野犬の群れが亡骸となって壁沿いに積み重ねられていた。力尽きた鳥がシャンデリアの下に散らっていた。
そして、人間の死体が一つ。
「・・・・・・・・・・」
黒いフードで顔を隠し、丈の長いローブに身を包んだ死体。袖の下から突き出された腕は木の枝のように細く、肌は蝋のように白く変色していた。
その腕が動く。白くなった爪がどこかを示すように砦の外を指さした。
その途端に大広間に散らばっていた死体の数々がもぞりと動き出す。
ネズミが立ち上がり、犬が起き上がり、鳥が羽ばたいた。
瞳孔の開いた光の無い目が指先を追って砦の外へと向けられた。
動き出した『アンデット』達がゆっくりと大広間の中を歩いていき、そして消えた。
大広間に残ったのは人間の身体をした『ヴァンパイア』のみ。
フードの影から口元がのぞく。
そこには長すぎる八重歯と共に歪んだ笑みが張り付いていた。




