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棘 J

ザイラル先生はラックの応急処置を終えた後、ダグ先生に頼んでタンカを持ってこさせた。

僕らはザイラル先生の指示を受けてそれにラックを乗せる。


「・・・ラック、すまないがしばらく隔離させてもらう。治癒はほどこした。だが、万が一お前がヴァンパイアの眷属にならないとも限らないからな」


タンカの上に寝かされたラックの表情が少し強張った。


「そんな顔をするな。私が治癒が施したんだ。そんなのはほとんどあり得ない。まぁ、念のためだ」


ザイラル先生はそう言って、ラックの頭部の耳をフードで隠した。


「・・・隔離とはいえ、見舞いは許可する。お前らも余裕があったら会いにきてやれ。東棟の奥、私の研究室の隣だ」

「はい」


ルルがそう返事をした。

ボブズとベクトールは気が抜けたのか、力尽きたように椅子にへたり込んだままだった。

談話室の中では他の講師が部屋に飛び散った血液の浄化を行っていた。


「それと、Mr.スマイト」

「は、はい・・・」

「お前、ついてこい。色々と手伝え」

「・・・はい」


身体は疲れていた。全身が気だるく、瞼は今にも落ちてきそうだった。

だが、それでも僕は休みたいとは思わなかった。自分がしでかしてしまった罪悪感がそれを拒否していた。


「アギー・・・大丈夫ですか?」

「うん。ルルは休んで。また明日」

「・・・はい」


心配そうなルルの視線から僕は逃げるようにザイラル先生の後を追いかけた。

ラックを運ぶのはダグ先生と見知らぬドワーフの先生だった。その隣に僕とザイラル先生が縦に並んで歩いている。ラックの頭元の隣に僕はいた。

僕は盗み見るようにラックを見下ろした。彼女の顔や体の血液は全て綺麗に洗い流されていた。

ラックは運ばれていく天井をぼんやりと眺めていた。そんな彼女の油断している表情を見たのも、これが初めてのような気がした。


「ラック。ついたぞ」


ダグ先生がそう言った。運ばれた部屋はベッドが6つ程備え付けられた大部屋だった。

そのうちの1つは使われた形跡があったが、他のベッドは木組みだけ残されており、布団すら置かれていない。この治癒魔法科の病床はこれで全部なのだろうか。


「Mr.スマイト。手伝え」


ザイラル先生は部屋の奥の戸を開く。そこには布団が積み重ねてある。

そのために僕が呼ばれたのだろう。

僕は駆け足で荷物を運び出した。ザイラル先生が手早くベッドを整え、ダグ先生達がラックをそこに移す。


「ガンドル、助かった。あとは任せてくれ」

「うむ」


ガンドルと呼ばれたドワーフの先生は言葉少なくそう言って、部屋を後にした。

去り際に僕に興味のありそうな目線を向けていたが、今の僕にはそれを受け止めることはできなかった。

その足音が遠ざかる。ザイラル先生はもう一度ラックの状態を確認していた。ダグ先生はそれを遠巻きに見ている。僕はその少し後ろに立っていた。


「まぁ、今日はゆっくり休め・・・・と、言いたいところだが」


ザイラル先生はそう言ってラックを見下ろした。


「Ms.ラック。お前はこれから数日安静だ。授業はない、宿題はあるがな・・・だから、今日一日多少無理を押しても問題ないだろう?」

「・・・はい」


何の話だろう?


僕は後ろからダグ先生の顔色をうかがう。ダグ先生の眉間には鋭い皺が刻まれていた。だが、その肌は普通のやや青みがかった色に戻っており、興奮しているわけではないようだった。


「・・・あ、あの・・・いったい何の話で・・・」

「Mr.スマイト」

「は、はい」


ザイラル先生の硬い声に背筋が伸びた。


「お前が不勉強なのは私はよく知っている。理由はMs.シルフィードから聞いた。お前、教会にほとんど行ったことがないらしいな」

「・・・はい・・・」

「それで、ようやく納得がいったよ。お前の浮世離れした他者に対する警戒心の無さにな。最初の試験の時もそうだった。お前は世の悪意というのに触れたことがないんだろう。聖典に出てくる悪者というのがいかに人の成長に大事かといういい例だ」

「・・・・・・」


それは多分、平和な日本に生きて人格が形成された影響が大きいように思う。

前世ではほとんど他人を警戒して生活するということがなかった。例え少し汚い身なりの人に道を聞かれても素直に応えてしまうのが日本という国だ。


「だから、学んでおけ。世の中の差別のありようってものをな」

「え・・・」

「Ms.ラック・・・言いたくないかもしれないが。一応、聞かせてくれ。今日、なぜお前は森になんか行ったんだ?外出は禁止されているはずだったろ」


ベッドの上のラックは苦笑いを浮かべて僕の方を向いていた。

それは自分の過去の失敗を暴露された時のような顔だった。


「・・・ザイラル先生、ソれでアギーを連れてきたんですか?」

「ああ。この世間知らずは知っておいた方がいい話だ。こいつの勉強だと思って聞かせてやってくれ。もちろん、どうしても嫌というなら・・・」

「イえ、いいです・・・私も、イい加減にしようと思ってましたし」


ラックはそう言って僕に向けて笑った。それはいつものニヒルな笑顔だ。


「アギー、信用してるからな」

「・・・・・・」


どういう意味だ。


僕はそう聞きたくて出かかった言葉を飲み込んだ。既にラックはザイラル先生の方を見て話を始めていた。


「私、イつも森で寝てたから今日もそうしようとしただけです」

「え?」

「コの学園に来た時の部屋割りの時に・・・マぁ、よくあることですけど、同室拒否されちゃって」


僕は自分の呼吸が止まるのを感じた。


「同室拒否?よくあること?」

「ソうだよアギー。普通は獣人とか鬼人とかと宿屋で相室になるなって絶対に許されないんだよ・・・普通はね。ダからアギーはおかしいんだ。ボブズと同室でも嫌な顔一つしてないんだから」


ラックはそう言っていつも通りに笑う。面白い冗談でも言ったかのように笑う。

僕はまた自分の拳が固く締まっていくのを感じた。


「・・・お前の同室は誰だ?」

「ルミス=ブル・・・ブル・・・ナんでしたっけ?家名が出てこないです・・・」

「ブルフェンスキーだ」


ダグ先生がそう答える。僕はそのクラスメイトの顔を思い出そうとする。だが、今一つ顔が浮かんでこない。


「一般家庭の出の子だったか。最初の試験の時に診療拒否したからな。よく覚えている」


ダグ先生が思い出すようにそう言った。ザイラル先生が鼻を大きく鳴らした。


「ああ、あれか・・・栗毛の」

「そうだ」


貴族じゃない一般の人。それが僕の中の衝撃を大きくする。


「ソれで、入学してからずっと森で寝泊まりしてたんですけど。今晩はちょっと・・・アのヴァンパイアに見つかっちゃって」

「森の中のハンモックはお前のか。管理している連中が驚いていたぞ」

「アははは・・・撤去とかされないですよね」

「するに決まってるだろ。あそこは学園の所有している森だ」

「エえぇ、ソれじゃあ、私どこで寝ればいいんですか?」


ラックはザイラル先生に軽口を叩き続けているが、僕は受けた衝撃から立ち直れずにいた。

獣人と鬼人に対する差別意識を今日だけで何度も目の当たりにした。いや、本当はずっと周りにあったものだったのだ。ボブズと初めて会った時の態度も、最初の試験の時もそうだ。それでなくたって、普段からみんながボブズやラック向ける視線を少しでも考えればわかったことだったはずだ。


それを僕は気づこうともしていなかった。


僕は自分が本当の意味でラックやボブズを見ていなかったんじゃないかと思ってしまった。


「なんにも・・・なんにもできやしねぇ・・・」


口の奥から言葉がこぼれる。歯の隙間から無力感が滲み出てしまう。

『神魔法』なんてもんがあっても、この世の差別を消すことなんてできない。

自分がいかにちっぽけな存在なのかを叩きつけられているような気分だった。


その隣でザイラル先生の説教は続く。


「そもそもだ。そんな状況になっているなら部屋割りの変更を願い出れば良かっただろう」

「・・・・・・・ソうなんですけど」


ふと、ラックの視線を受けて顔を上げた。

ラックは僕と目が合うとすぐにザイラル先生へと視線を移した。彼女の口元には自嘲の笑みを浮かんでいた。


「私と一緒の部屋で寝てもいいって人がいるわけないって・・・ソう思ってたんですよね」

「そんなことはないだろ?Ms.シルフィードやMs.フルとお前の関係は極めて良好に思えるぞ」

「・・・・・ソう、デすね」


ラックは小さく息を吐き出した。それがため息だと気づくのに数舜かかった。


「私は・・・信用してなかったんです」

「え・・・」

「ルルも、ベクトールも、アギーも・・・本当のことを言うと信用してなかった。今日みんなが私の為に命を投げうって、本当の友達を救うように助けにきてくれたのを見て・・・ヨうやく少し・・・信じられるかな・・・って・・・思って」

「・・・・・・・やはり、獣人だな・・・お前は」

「ソりゃそうでしょ。長年の迫害を忘れられるほど、私はできた人じゃないです」


差別を受ける側が僕たちをどう見ているか。これはその告白だった。

僕らが忌諱の目で彼女らを見れば、獣人や鬼人が僕らをどう見るのか。

信頼なんかできるはずがない。一緒に寝るなんてのは、彼女からしても御免だったのかもしれない。

寝てる間に『魔族』と称されて殺されることも考えられるんだから。


「だが、今日で変わったのか?」

「・・・ドうですかね・・・私もよくわからないです」


ラックはそう言って、視線を天井に向けた。ラックの口元には今も自嘲の笑みが残っていた。

友達と思っていたのは僕だけだったのか。なんの忌憚もなく付き合っていると勘違いしているのは僕だけだったのだろうか。

ラックだけでなく、ボブズと笑いあった日々ですら霞んでしまいそうだった。

自然と俯いてしまった僕の目には薄汚れた自分のローブがうつっていた。


「デも、今なら・・・」


その言葉に顔をあげる。ラックが自然な表情でザイラル先生を見上げていた。


「ルルとベクトールぐらいなら一緒の部屋にしてって・・・言ってもいいかなって思います・・・信用してますから」


そして、ラックは僕の方を見た。

耳に残っていた彼女の声が、鼓膜の内側で響いた。


『信用しているからな』


彼女は僕にそう言った。


「アっ、でも。ベクトールと同室にされたら、ルルが他の人と一緒になりますよね。ソれは、チょっとルルが困ったことになるかも・・・」

「生徒の生活担当はダグだ。ダグ、どうだ?」

「ふむ、それならラックとルルーシアを同室にした方がいいな。すると、ベクトールとルミスが同室か・・・まぁ大丈夫だろう。また今度手配しておく」

「本当に?」

「嘘をついてどうする。せっかくの寮生活だ。一人でハンモック生活させてたのに気づいてやれなくてすまんな・・・」

「イえ・・・カモフラージュは得意なもんで」


そう言ったラックの表情は本当に嬉しそうだった。

その言葉に胸が締め付けられる。


彼女が僕らを信用するきっかけはが今日の事件だというのなら。その笑顔を生んだ発端は僕にある。

ヴァンパイア騒ぎを思い、胸の奥が苦しくなる。


「あの!ザイラル先生!ダグ先生・・・」


もう、僕は黙っていることがきなかった。

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