棘 G
僕はベットの上で目を覚ました。
外はまだ暗い。今は何時ぐらいだろう。
寝ぼけ眼で起き上がり、窓から星を見上げる。今は夜中の2時過ぎだ。まだ眠りについてから1時間も経っていなかった。
普段は眠りは深い方だ。一度眠ったらそうそう朝まで目覚めることはない。なんで目が覚めてしまったんだろうか。僕は大きく欠伸をした。
もう一度寝ようかと思ったが、口の中が猛烈に乾燥している。
談話室で水でも飲もうと思い、僕は上着を羽織った。隣のベッドではボブズが大口をあけて寝息を立てている。
少し悪戯してやろうかと思ったが、後が怖いのでやめておいた。
僕は靴を履いて静かに部屋を抜け出る。
階段をおり、談話室に向かう。
静かな寮の中に自分の足跡だけが響く。ふと、頭の片隅にヴァンパイアのことがよぎった。
ヴァンパイアは獣に化け、影の中に潜る。
僕は自分の歩幅が急に小さくなったのを自覚した。
安全策がとられていることは頭でわかっていても、恐怖という感情は簡単にコントロールはできないようだった。
階段を降りて談話室に入ると、そこは妙に暖かかった。
誰もいないのに、暖炉の火が煌々と燃えている。僕らが上にあがった時には誰も談話室に残っていなかったはず。あれから1時間はたっている。薪を足さずに火がここまで燃え続けていることはまずありえない。
さっきまで誰かが談話室にいたということだろうか。
周りを見渡すと、僕らが座っていた席にチューズの盤が残されていた。
僕は首をひねる。それはラックが最後に残って片付けたはずだ。
盤上では詰めチューズでもやっていたのか、5つぐらいの駒が並んでいた。
「・・・・・・・・ふーん」
僕は水差しを手にとって、喉を潤しながら考える。
そして、最初の一手を動かした。
この盤を使っていた持ち主はどこに行ったのだろうか。
談話室には誰もいない。
パキリ、と音がして暖炉の中の薪が折れた。
その音にも少し身体がビクリと硬直してしまう。
案外自分が小心者であることがわかる一瞬であった。
静かな談話室に薪が燃え盛る音だけがやけに大きく響いていた。
「・・・・ふぁあ・・・」
また欠伸が出た。いい加減寝るとしよう。早く寝ないと明日が辛くなる。
僕はもう一度時間を確かめようと窓際に立った。
「ん?」
その視界の隅を掠めるものがあった。
談話室からは校舎周囲の雑木林がよく見える。その森の中に何か光るものが見えたのだ。誰かがランプを持って森に入ろうとしていた。それが見慣れない人物であれば僕は無視を決め込んだであろう。巡回中の講師かもしれないし、噂のヴァンパイアかもしれない。どっちにしろ、窓から離れて寮に戻るのが正解であった。
だが、僕が視界にとらえとたのは明らかに見覚えのある人物だった。
「ラック?」
その明かりに照らされていたのはラックがよく着ているフード付きのローブだった。一瞬でわかりにくかったが、頭上に三角の耳も見えた気がする。
そのランプの明かりは森の中に消え、そして見えなくなった。
「・・・・・・・・・・どうする?」
僕は1人で自問自答していた。
今見えたのは多分ラックだ。彼女が雑木林にいったい何をしに行ったのだろう?
いつも持ち歩いている薬草の補充だろうか?いや、こんな夜中に出て行く理由はない。
じゃあ、見間違いだろうか?その可能性は十分にあったが、思い返せばするほどにあれがラックだったように思えてくる。
ヴァンパイアの変装という線も疑ったが、ヴァンパイアには小動物に化ける能力はあっても他人に姿を変えることなないと言われている。
しばらく、窓際で僕はランプの明かりが消えた方向を眺めていた。
そもそもどうやってあそこに森に向かったんだろうか?
出入り口は講師陣がずっと寝ずの番をしているんじゃなかっただろうか。
僕は談話室の出入り口である木戸をこっそりと開けてみた。
講師の背中が見えている。見覚えのない講師だ。多分、別の科の人なのだろう。
僕は静かに戸を閉じた。
談話室の真ん中で再び悩む。
やっぱり見間違いだったんだろうか。
考えてみれば獣人の講師が見回りしていただけかもしれない。そんな講師がこの学園にいるかどうかはわからないが、僕もこの学園の講師を全て把握しているわけではない。
きっとそうだろう。
自分を納得させようと、何度も頷く。
だが、心の隅は「そんなわけがない」とずっと訴えていた。
「・・・・だいたい、どうやって出るっていうんだ。窓ははめ殺しだし、出入り口は固めてられてるし・・・」
僕はラックらしき人物を見かけた窓に触れた。
カタリと音がした。窓を軽く持ち上げる。窓は簡単に外れてしまった。
「・・・・・・・・・・・」
嫌な予感が猛烈に走り抜けていた。
そして、同時に好奇心が一雫溢れ出る
今、森に消えたのがラックだとして、彼女は何をしに行ったのだろうか。
いつも飄々としながらニヒルに笑うラックのことを思い浮かべる。
僕は窓に足をかけた。
「・・・・・・・・アギー」
「え、あっ、アギー。こんな時間に何をしてるんですか?」
聞き覚えのある声を聞き、僕は後ろを振り返った。
寝間着の上からガウンを羽織ったベクトールとルルが降りてきていたところだった。
「・・・やぁ」
僕は窓際に足をかけたままそう言ったのだった。
ベクトールがトイレに行きたくなったのでルルが付き添って降りてきたらしい。
ベクトールも無表情の下ではヴァンパイアを怖がっていたようだ。僕も階段をおりながら似たような恐怖に襲われていたので、とやかくは言わなかった。
僕が2人に森に消えたラックらしき影のことを話した。2人は僕と同じように見回りしている講師を見たのではないかと言いだした。
「・・・そうなんだけど、なんか気になって。ラックが部屋で寝ててくれてたらいいんだけど」
僕は男子でラックは女子。性別の壁を越えて寮に突撃する勇気は僕にはなかった。
「ラックって誰と同室なの?」
僕がそう聞くと、2人はお互いに顔を見合わせた。
「・・・・・・・知らない」
「え?」
「知らないんです。ラックはいつも答えてくれなくて、談話室から寮にあがるのもいつもラックが最後でしたし」
「・・・・・」
そういえば、と思い返す。
ラックは率先してチューズや机の片付けを引き受けていた。勉強でもいつも最後まで談話室に残り、図書館に缶詰めしてることもよくあった。
思えばこの2ヶ月の間、ラックが寮の階段を登っていくのを僕はほとんど見たことが無かった。
「でも、ほら、最初に入室した時に名札が部屋の前に出されてたじゃない?その時にラックの部屋を見なかった?」
「・・・私は見てない」
ベクトールとは入学初日はあまり関わりがなかった。知らなくてもしょうがない。
だけどルルは確か入学初日にラックと共に寮の階段を上がっていったはずだ。
「ラックは私を部屋まで送ってそのまま行ってしまいましたから・・・私は気分が悪くて自分に『フィアー』を用いて治癒を・・・」
『フィアー』とは戦闘意欲を減退させる魔法だ。それが人間の神経に働きかける魔法であることを最近本で読んだ。効果まではいまいち把握しきれていないが、『フィアー』には消化を助ける働きがあったはずだ。
あの日、ルルは食べすぎで気分を悪くしていたから多分その治癒を行なっていたのだろう。
「・・・じゃあ、本当にラックが誰と一緒の部屋なのか誰も知らないの?」
ベクトールとルルは小さく頷いた。
僕は再窓から外を眺める。
外は星明かりのみでほとんど暗闇であり、雑木林がかろうじて見える程度だ。
そこに消えたランプの灯りが消えてからどれぐらい経ったのだろう。
「・・・・・行ってみる?」
ベクトールがそう言ったが、どうにも僕らは踏み切ることができない。
さっきまでの僕ならその提案に乗っていただろう。だが、間を置いたことで好奇心による高揚感が薄れてしまっていた。
「明日、ラックに会ったら聞いてみよう。今日の夜に何をしてたのか」
「そうですね。今から森に行くのはちょっと・・・怖いですし」
だが、その怖い場所にラックが向かった可能性があるのだ。
僕らは皆森の方向を眺めた。
その時だった。
「あれ・・・あれだよ!あの光だ!」
雑木林の中からランプの光が現れたのだった。
それは随分と上下に激しく揺れている。その光は雑木林の奥からこっちに向かっているようだった。
その光に照らされてランプを持つ人物の影が浮かび上がる。
「やっぱり・・・ラックだ」
「でも、様子がおかしいですよ」
ラックはランプを抱えて走っていた。後ろを何度も振り返り、フードが今にも外れそうに揺れている。
そして彼女は窓際にいる僕らを見つけたようだった。
彼女の目が驚きに見開かれ、次いで焦ったように口を動かしだす。
だが、僕にはなんと言っているのかわからない。
「・・・開けて、って」
「え?」
「・・・ラックが『開けて』って言ってる」
一瞬何のことかわからなかったがすぐに窓のことだと気がついた。
僕は慌てて窓を持ち上げて、内側に引き抜いた。
その瞬間、ラックの大声が夜の静寂を切り裂いた。
「ミんなぁ!逃げろぉ!ヴァンパイアだ!」
切迫した叫び声。
ゾクリ、と悪寒が走り抜けた。
ベクトールとルルがその声に驚いて一歩引く。
だが、僕がとった行動はまるで逆だった。
何を考えていたのか自分でもわからない。
何かあれば駆けつける。子供の頃に染み付いた癖がまた出てしまっていたのだろうと分析したのはもっと後になってからだ。
この時の僕は頭の中を驚愕と恐怖でいっぱいにしながらも、動く身体に任せて談話室の外に飛び出していた。
「ラック!早くこっちに!」
「バ、バカぁ!中に戻れぇ!!」
ラックの焦った顔がランプに照らされていた。
ラックが雑木林から飛び出る。そして、僕はその背後に迫るものを見た。
犬だ。全身から黒い血を滴らせ、大型の野犬がラックの後ろから迫っていた。
「・・・なんだ、あれ?」
犬が流した黒い血の筋が空中に蛇のように持ち上がり、その先端を尖らせていた。
まるで、血で作り出した槍だ。宙に浮かんだそれがラックに向けて振り下ろされる。
「ラック!」
間一髪、ラックは小さく横に飛んで回避する。
すぐに次の血の槍が横に薙ぐように振り切られた。ラックはそれもスライディングで回避。そのまま地面を這うように転がって姿勢を立て直す。ラックは後ろを一切振り返らずに気配だけでかわしていた。
談話室の灯りが届く距離になり、ラックはランプを投げ捨てる。
「中に戻って!ハやく!!」
ラックが身振り手振りで僕に戻るように指示する。
だが、僕の頭には逃げるという選択肢がまるで浮かんでいなかった。
ラックと野犬はかなり接近していた。あれではラックが飛び込んできても、窓を締める余裕がない。
僕は両手を合わせ、魔法語を紡ぐ。
ここは屋外だ。そして、相手はヴァンパイアだ。加減の必要はない。
だったら、僕は戦える。
『竜の精霊』に呼びかけ、風の翼を背中に現出させる。
それを見て、ラックは表情を引き締めた。
彼女はもう戻れとは言わなかった。
「ルル!ベクトール!手を貸して!野犬とラックを引き離す!」
「は、はい!」
背後から2人の詠唱が聞こえてくる。何の精霊に呼びかけているかを把握する余裕はなかった。
「ラック!打ち込むよ!」
「モう!勝手にしろぉ!」
僕は凝り固まった筋肉を動かすように竜の翼を羽ばたかせた。
一度羽ばたくごとに巻き起こる風が唸りをあげる。僕の周囲で砂利や小石を吹き上げて風が舞う。
狙いはラックの後方。
寸分の狂いでラックに直撃してしまう位置。
だが、当てる自信は僕にはあった。
僕は前かがみになり、竜の背中を折りたたむ。翼に魔力を集中し、強烈な空気の塊を纏わせ、力を溜める。足を踏み込み、背中を反らせ、翼を大きく広げた。
「ラック!」
ラックは覚悟を決めた顔で大きく頷いた。
翼を叩きつけ、魔力を解き放った。
ほぼ同時に僕の後ろから風と炎の塊が放たれてる。
僕の風は左右に分かれ、ラックを挟み込むように迫る。
後方から飛んだ魔法は白い風と赤い炎となってラックの頭上めがけて落下していた。
ラックが魔法の着弾点に差し掛かる。
急げ急げ!走り抜けろ!
僕は心の中で叫んだ。
魔法が迫る、後ろから野犬も迫る。
ラックはスピードを緩めることなく駆け抜けた。
そして、3人分の魔法が直撃する。
野犬がその魔法の渦に飲み込まれた。




