入学初日 A
「首席入学 アギリア・スマイト」
「はいっ!!」
名前を呼ばれ、席を立つ。
階段状になっている講堂の椅子。その最前列から立ち上がり、壇上に登る。
煌々と燃えるシャンデリアからの灯りに照らされた僕に下から色とりどりの視線が突き上げてきた。
エルフ特有のエメラルド色の瞳、ドワーフのルビーのような赤い瞳、貴族によく見かける青い瞳、その他にも個性に溢れた色の瞳が自分に向けられていた。
そして、僅かなざわめきも聴こえてくる。
「聞いた・・・あれが噂の・・・」
「神の手の持ち主・・・」
「黒髪に黒目けっこう普通な見た目なのね」
「ただの田舎者じゃないか」
興味・羨望・嫉妬
様々な種類の雑音が静かな講堂に響き渡る。
だが、そのざわめきは僕の咳払い一つで静まり返った。
再び全員から注がれる視線。
正直、こういった注目される場所での発表というのは苦手だった。
今だって手先が僅かに震え、足元が覚束なかったりする。
だけど、そういった感情を押し殺し、僕は平静をなんとか装った。
学生用ローブの下に手を入れ、巻いた羊皮紙を取り出す。
そこにはあらかじめ用意していた原稿が書かれていた。
原稿の中身は入学試験を首席で通ってしまったがための弊害。
入学者代表のお言葉というやつだった。
どの世界にもこういった意味のない風習は存在するらしい。
正直、「学長の言葉は長い」という風習も変わらない法則だったのはウンザリだった。
僕は一度深呼吸をする。
「入学生代表・・・アギリア・スマイト」
この一週間でひたすら練習し続けたおかげで、一度読み始めれば滞ることなく文が出てくる。
入学者の誰よりも早く寮に入り、学長を名乗った頭がツルピカのおっさんと格闘して練り上げた「代表の御言葉」は当たり障りのないものに仕上がっていた。
はっきり言って退屈であったが、もう諦めるしかない。
僕は数多くの学生の視線を受け止めつつ、周囲を見回すことにした。
国中の才能が集まるとされるナルグバード魔術学園には様々な種族が所属している。
僕が産まれ育ったサンシアの街は基本的に人属しかおらず、エルフやドワーフを見るのは初めてだった。
新入生の席で一際目立っていたのは純白のローブを纏ったエルフの女の子だ。
流れるような金色の髪と、透ける程に白い肌に金色の刺繍がよく映えている。
だが、何よりも美しいのはそのエメラルド色の瞳だった。
過去にその瞳を奪うために戦争が起きたといわれる程の美しさ。
それが今は軽い興奮で輝きながらこっちを見ていた。
ふと、キラリと光るものが見えたようにして反射的にそちらを見る。
すると吊り目気味の瞳とかち合った。縦に切れた特徴的な瞳孔がこれだけ離れていてもはっきり見える。
着崩したローブの下から丈の短い服装と小麦色の肌が見え隠れしていた。
そして、フードを被った頭には三角の耳の形が浮かび上がっていた。
獣人と呼ばれる亜人だろう。
その子は僕と目が合ったのがわかったのかニカッと笑い、小さく手を振ってきた。
なんだか、気恥ずかしくなり目を背ける。
そして次に抱いた感想は「・・・なんか、不機嫌そうな目がある」だった。
最前列、ちょうど僕が座っていた席と反対の位置にいる少女が僕のことを睨むように見ていた。
ただ、その子の身長はあまりにも小さかった。制服のローブがまるで防寒着のようになってる。
彼女は灰色がかった堅そうな髪をツインテールにしていた。
多分、ドワーフだ。
ルビーのようだと称される赤い瞳が品定めするかのように僕のことを凝視している。
正直、少し圧迫感があった。
なんなんだろうか。
そんなことをしているうちに原稿は終盤に差し掛かり、僕は終わりの言葉をもって締めくくりとした。
形だけは盛大な拍手を浴び、降段して席に戻った。
「ふぅ・・・」
席につき、息を吐く。
ローブの襟元を緩めたいところだったが、まだ式典中だ。
そういうわけにもいかなかった。
「続きまして、魔術研究所所長の祝辞です」
まだ、終わらないのか。
あまりの式典の長さに、眠ってしまいそうであった。
式典も一通り終わり、僕らは教室へと移動することとなった。
だが、指定された席に座るやいなや
「あなたが、神の手を持つお方ですか」
あまりの剣幕に思わず身を引いてしまった。
それほど近い位置にエルフの整った顔があったのだ。
「お噂はお聴きしておりました。今年の入学者の中に聖教会に直々に認められた『神魔法』の使い手がいると。あなたがそうなのでしょう」
机から身を乗り出すようにして僕の顔を覗き込むエルフ。
目の前でエメラルド色の瞳が興奮で星屑のように輝いていた。
壇上で見た時とはまるで違う。
グリーンの鮮やかな色合いが日の光と彼女の感情で常に変化し続けているのだ。
この瞳をめぐる戦争の歴史が決して嘘ではないと、僕は納得せざるを得なかった。
「あ、うん。そうだよ」
「怪我を一瞬で治せるとのお話は本当なのですか!」
「まぁ・・・」
あまりに近いところにある彼女の顔から背けるように、視線を横に逃す。
「・・・・あ」
周囲全てが僕を見ていた。
完全に注目を集めている。
壇上で感じた視線がさらに近い距離に集まっている。肌に感じる感情も一段と強烈になっていた。
「あっ!これは、はしたないところをお見せしました」
エルフの彼女も僕の態度に気づいてくれたのか、少し距離を置き、改めて咳払いをした。
「おほん、改めまして。わたくし、東国の森より参りました。ルルーシア・フォン・シルフィードと申します」
その瞬間、ざわり、とした動揺の波が教室内に広がった。
ただそれは、あまり気分の良いものではなさそうな感じだった。
言うなれば、それは悪意の伝播。
黒い波が満ちるかのように教室内を満たしていった。
彼女もそれを感じ取っているのか、彼女の瞳がどこか陰りが見えていた。
そして、どこか寂しそうな表情も。
僕は顔をしかめた。
こういう空気は好きじゃない。僕はそのざわめきを無視することにした。
「ルルーシアって呼べばいい?それともシルフィード?」
何気ない感じを装い、僕はそう言った。
その瞬間の彼女の変化はまさに劇的であった。
「ルルーシアです!親しい人はルルと呼びます!よろしくお願いします。Mr.スマイト!」
花がほころぶという表現では足りない。
大輪の花が100年ぶりに開いた。
そう思わせるほどに彼女の表情が一気に明るいものへと変わった。
それを見ることができただけでも、周囲を無視した甲斐があったというものだ。
「僕はアギリア・・・アギーでいいよ」
「はい、アギー!よろしくお願いします」
手を差し出すと、彼女は躊躇うことなく握手に応じてくれた。
その時、あれ?と、思った。
握った彼女の手が想像とまるで違ったのだ。
ローブの下から差し出された手は確かに小さく女性らしい手であったが、その掌にはタコの跡がいくつかあった。弓ダコと剣ダコだ。似たようなタコが僕の掌にもある。
「どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでもない」
キョトンと小首を傾げるルルだが、そのお淑やかな顔に似合わず剣や弓の練習を重ねているようであった。
「それで、話を戻しますけど。あなたの『神魔法』というものを見せていただけますか」
「いいけど、それは怪我してる人がいないと・・・って、ちょっと待って!」
「なにか?」
「刃物をしまって、今すぐに。いい?ゆっくりだ。ゆっくりだからね」
なんでこの世界の人は傷を作ることに躊躇いがないのだろうか。
それとも、僕の周りの人達の頭がおかしいのだろうか。
「怪我をしてもアギーが治してくださるんではないのですか?」
「それとこれは話が別だよ。目の前で人が傷つくのを見て気分の良い人はいないでしょ」
「それもそうですね『自らを傷つける者は何者も救えない』とは聖典にもあります」
「・・・・・そうだね」
知らなかった。
元々、信心深い方ではなかったし。教会は僕の魔法を利用する気が透けて見えていたから、あまり近寄らないようにしていたのだ。
「ですが、どうすれば・・・そうだ、アギー、あなたがわたくしを刺してくださいませんか!」
「なんの解決にもなってないからね!」
ルルが再び取り出しかけた短刀をしまうように言う。
「だいたい、なんで短刀持ってるの」
「これ、宝石が埋め込まれている銀製の短刀なんです。もしもの時に売ってお金にするようにと森を出る時に渡されました」
「余計に血に染めちゃダメだと思うんだけど」
その後も切る、切らないの繰り返しでいよいよ押し問答になりかけた時だった。
「ソれじゃあ、私の怪我を治してくれないか。」
机の上にドン、と褐色の肌をした掌が叩きつけられた。
その手の甲には擦りむいたような怪我が剥き出しになっていた。
「ナおせるんだろ?」
その手の持ち主は不敵な笑みを浮かべてこっちを見下ろしていた。
式典で手を振ってくれた獣人の女の子だ。近くでみると、吊り目気味の瞳と大きな八重歯が悪戯好きな猫を想像させた。教室にも関わらず被ったままのフードの下からは燃えるような赤髪がのぞいていた。
「アんたの魔法、見てみたいと思ってたんだ。ナぁ、いいだろ?」
彼女は不思議なアクセントのある話し方をしていた。
「僕はいいけど・・・これ、どうしたの?」
「ン?あぁ・・・サっき校舎の中探検してたらちょっとすっ転んじゃてさ」
恥ずかしそうに笑う彼女だったが、その目はこちらに注がれたままだ。
品定めのつもりだろうか。
いいだろう、ならしっかりとその目に焼き付けてもらおう。
クラスでの自己紹介としてはいいタイミングでもあるし。
「それじゃあ、やるよ」
「アあ、頼むよ」
僕は魔法の力を自分の指先に集中する。
この程度の怪我であれば、手を当てるまでもない。
「オい、その程度でできるのか?」
「まぁ、見てなって」
僕は彼女の手を取った。
思った以上に柔らかい手であったが、掌の厚みが彼女の活発さを表しているようだった。
僕は指先を手の甲の傷にあてる。
そして、そのまま傷に沿わせるようにサッとひと撫でした。
それだけで十分だった。
「はい、終わり」
「エっ!もう終わったって・・・」
獣人の子が自分の手をマジマジと見た。
「本当だ・・・」
その手の甲には傷一つ残っていなかった。
「どう?」
「いや・・・驚いた・・・」
ふと、周囲を見渡すとあちこちから驚嘆の視線が向けられていた。
そして、いつのまにか教室からは言葉が消えていた。
人は真に驚嘆を受けた時に言葉を失うというが、本当のことのようだ。
この世界の回復魔法は驚くほどに時間がかかる。この程度の傷でさえ30分はかかるのだ。
それがものの数秒で治った衝撃はやはり強烈なものだったのだろう。
「オ前、時間を巻き戻せるのか?」
そう思われても仕方ないかもしれなかった。
だが、僕は肩を竦めるしかない。
「そんなことできたら、僕はもっと有名人だと思うよ」
「ソれもそうか・・」
一応、自分でも昔試したことはあったが、溶けた氷が元に戻ることはなかったし、割れた花瓶が直ったりはしなかった。
だが、それでもこの世界では十分に通用するものだった。
「いや、でも、スごいな。噂通り一瞬じゃないか・・・」
「わ、わたしにも見せてください」
その時、獣人の子の手をルルが横から奪うように掻っ攫った。
「本当ですね・・・跡すら残ってません・・・本当に、本当にすごいです!これが『神魔法』と認定された力なんですね!」
「まぁね。それより、獣人の子が困ってるみたいだけど」
「えっ、ああ、すみません!私ったら・・・不快・・・でしたか?」
「ハは、気にしなくていいよ。興奮する気持ちはわかるしね」
獣人の子は改めてこっちを見下ろしてきた。フードの下で陰になっている瞳が一際強く輝いていた。
「自己紹介がまだだったな、私はラックだ。私の一族には性がないから普通にラックって呼んでくれるか」
「ああ、僕は・・・」
「アギリアだろ。アギーでいいか?」
「うん、これからよろしくね」
「ああ」
握手を交わすと、大きく分厚い掌にに包まれる。
興奮しているせいか熱を持った彼女の手は力強くこちらを握り返してきた。
「それで、あの、一つ聞きたいんだけど」
「ナんだ?」
「なんで、フード取らないの?」
「えっ!あ・・・ああ・・・」
その途端、ラックは急に顔を赤くして目線を逸らしてしまった。
終始、積極的にこっちに詰め寄ってきていた彼女が急に身を引いたのは意外だった。
「マぁ・・・その・・・見たいか?」
そりゃ、見たいか見たくないかで言われたら当然『見たい』そして贅沢を言うなら、触ってみたかった。
フードで隠れてはいるが、彼女の三角の耳は魅力的だ。というか、獣人の尻尾や耳に興味のない奴はいないと思う。
そして、その耳は動揺からか忙しなく揺れていた。
「見たい・・・けど、なにかまずいの?」
「ソういうわけじゃないけど・・・」
ラックは照れたようにチラチラとこちらを見ては、目を逸らして頰をかくということを繰り返していた。
なんだか、不思議な空気だった。
「うー・・・キょ、今日は勘弁してくれ・・・」
「いいけど・・・そのうち見せてくれる?」
「ソ、そのうちな」
そして、ラックはまるで逃げるように僕の席を離れていった。
「ねぇ、ルル。僕なにか変なこと言ったかな」
「アギーさんは獣人の方にお会いしたのは初めてなのですか?」
「え、ああ、うん・・・」
「今度から、獣人の耳や尻尾を要求するのは控えた方がよろしいと思いますよ」
「え?」
「その・・・ちょと、大胆ですから」
「それってどういう・・・」
「それは・・・私の口からは言えません・・・」
ちょうどその時、教室に講師が入ってきた。
「あっ、そろそろ始まりますね。それではこれからよろしくお願いしますね」
「うん、よろしく」
獣人の文化についてもう少し聞きたかったが、今後も聞く機会はあるだろう。
僕は浮かしかけた腰を席に下ろした。
「・・・よろしく」
「え?」
低い声が聞こえた。
それは、隣の席からだった。そこには、小さな女の子が不機嫌そうに目を細めて前を向いていた。灰色の髪と着膨れた格好のドワーフの女の子だ。あまりに小さな声だったので、聞き間違いかとも思ったが、彼女は『返事は?』とでも言いたげに僕を見てきた。
「えと、よろしく」
「・・・・・・・ん」
彼女は小さく頷き、そのまま前を向いてしまった。
いったいなんなんだ?
そんな僕の心の疑問に答えるように、彼女は小さな口を開いた。
「・・・ベクトール」
「え?ああ、名前?ベクトール?」
彼女は前を向いたまま、小さく頷いた。
「僕はアギリア、アギーって呼んで・・・くれる?」
そう言って手を差し出す。
だが、彼女は前を向いたまま小さく頷いただけで握手には応えてくれない。
「あ、うん・・・これからよろしく」
行方のなくなった手を引っ込めるのと、講師がこの学校での校則を説明するのは同時だった。
ベクトールは僕との会話など最初からなかったかのように、講師の話を聞いている。
僕はそんなベクトールを横目で見ながら、講師の方にようやく注目を向けたのだった。