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棘 F

襲われた3年の先輩とは面識はなかったが、そんなことは重要ではなかった。僕らが衝撃を受けていたのは1日に2件ものヴァンパイア事件に遭遇したことの方だ。


僕らは周囲から入ってくる話に聞き耳を立てながら、市場から買ってきた食事を口に運んでいた。


話を統合すると、今日の夕刻に魔法の触媒に使われる魔草の栽培中に襲われたらしい。その人は腕を噛まれ、助けを求める声を聞きつけた他の人がザイラル先生を呼んだとのことだった。

噛まれた瞬間を見た人はおらず、ヴァンパイアを目撃した人はいない。


とはいえ、「揺れる黒マントをトイレで見た」とか、「図書館にいたら濃厚な血の匂いがした」とか七不思議のような怪談話はあちこちで囁かれていた。


輪を作って食事をしている僕らの表情はどうしても『親睦会』という雰囲気にはできなかった。


「・・・どうやら、市場の騒ぎはまだ噂になってないみたいだな」


ボブズがそう言いながら、鶏肉の燻製を頬張る。皆の手元には食堂からくすねてきた豆のスープがあった。


「教会の方に連れていかれましたからね。こちらには情報が流れてこないのでしょう」


ルルもまたスープをすすりながらそう言った。


「でも、問題はそこじゃありません。この学園の教会をヴァンパイアに突破されているということの方が・・・」


この学園はこの帝都の中でも多大な守りの力が割かれている。

大図書館に眠る英知、数多くの魔法研究、それらを支える人的資源。

ここは人間達の知的財産の最後の砦でもあるのだ。

魔族を探知する魔法障壁や自動迎撃機能を備えた青銅像などが要所に配置され、魔族は入ることすらできないはずだった。


それらを乗り越えてこの学園内にヴァンパイアが侵入している。皆の顔の不安が一際強いのはそのためだった。


「・・・コれじゃあ、夜も安心して眠れない」


ラックがそう呟いた。


これこそがヴァンパイアの真の恐怖だった。


どこから現れるかわからない。この世の影が全て危険地帯に変わるのだ。

砦の中であろうと、王城の中であろうと安全な場所がどこにもなくなる。ヴァンパイアが単体で城を落とすことができる最たる理由はその予想不能の恐怖によるものだった。


中にいる人間を恐怖で次第に疲弊させ、自滅の道をたどらせる。


その時、談話室の扉が盛大に開かれた。


「諸君!今すぐ食堂に集合せよ!!」


ダグ先生が大声でそれだけを言った。


僕らは顔を見合わせ、目の前に残っていた食事を急いで腹に詰め込んだのだった。



――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― 



食堂には学園中の生徒が集められていた。自分達の治癒魔法科だけではなく、魔術研究科、考古学科、戦闘魔法科などの学生が集合していた。

僕らの入学式には在校生は出席していないので、ここまで人数が揃ったのを見たのは初めてだった。


魔法学園の講師陣は既に勢ぞろいしている。その顔はどれも真剣そのものであったが、ザイラル先生だけが特に緊張感もなく欠伸をしていた。

僕はそれだけで、どこか安心していくのを感じた。


ヴァンパイアに襲われた生徒はザイラル先生の治療を受けたという。そのザイラル先生があれほど余裕であるなら、大丈夫だろうと思えた。もし、仮にヴァンパイアに襲われたとしても、大声をあげてザイラル先生を呼べばいいのだ。


そして、食堂の前方に配置された仮設の台座の上に中年の小太りの男が立ち上がった。この世界でも学園長の話は長いというお約束を教えてくれたお人だ。だが、今日は学園長の長い話を聞き漏らす生徒はいない。


学園長はしきりに額に浮かぶ汗をぬぐいながら話し出した。


「えぇ、君たち。学園内にてヴァンパイアが出現したという噂は既に皆が知っているだろう。だが、不確定な推測を信じてはならない・・・我らが魔法学園内にヴァンパイアが出現したというのは許しがたい事態だ。ついてはこれより、講師陣による学園内の巡回活動を行うものとする。みなも不安だと思うが、決して慌てず騒がずに行動してほしい。なお、ヴァンパイアは世間一般で言われている通り、どこにでも出現する・・・というわけはない!」


一同にざわめきが沸く。だが、それは食堂の半分程であった。


「高学年の学生は知っているであろう。特に戦闘魔法科の学生は知っていなければならないことだ。ヴァンパイアは影に潜ることはできる。だがそれは、月の影のものに限定されている。太陽や松明や魔法で作り出した炎の影には潜むことはできないのだ・・・もちろん、月が昇れば建物の中は相対的に全て月の影になってしまう。だが、今日の月は先程沈んだ。今宵はもう影を恐れる必要はない」


僕は隣にいたルルの顔を見た。


「そうなの?」

「・・・知りませんでした」


なんでもかんでも僕だけが知らないことだらけというわけではないらしかった。


「君ら学生ではヴァンパイアが門から入ろうと、影から出てこようと目の前に現れたら太刀打ちができないことはこちらも理解している。そのために寮の前にも護衛として講師陣を配置し万全の体制を整えることとする。君たちはゆっくりと休んで欲しい。なお、校内で不審人物や、不審な獣を見た場合は常に報告するよように。具体的には人間から逃げないネズミやコウモリなど、隠れようとしない生き物だ。それらを見つけた場合は速やかにそこから離れて声を上げること。近くにいる講師が対応する」


食堂の中に少しだけ安堵のため息が聞こえ始めた。


「それと、夜間の外出は禁止とする。君たちの安全を守るためでもあり、講師陣の誤認を防ぐ目的でもある。夜間に巡回している講師陣に悪戯を仕掛けて、消し炭にされたとしてもこちらとしては一切責任を負いかねるので注意してもらおう」


さすがにそんなことをする生徒はいないだろう。

まさか、ヴァンパイアを自分の手で捕まえたいと望む学生もいるまいし。


「それでは・・・今日はこのあたりで・・・」


学園長はそして、汗を拭いていた手ぬぐいをしまった。


「私がヴァンパイアに遭遇した経験談でも・・・」


今日ばかりは講師陣が必死に止めに入っていた。さすがに今から長話を聞かされるわけにはいかなかった。


その後、食堂から解散となり、僕らはまっすぐに談話室へと戻ってきていた。さっき急いで腹に詰め込んだせいもあって、あまり食べた気がしなかったので食堂からパンを人数分持ってきていた。

僕らは談話室でさっきまで座っていた場所に陣取り、夕食のとりなおしをしていた。


食堂での説明のせいもあって、既に随分と遅い時間になっていた。多くの生徒は談話室には居残らずに、寮へと直行している。談話室にいる学生は随分とまばらだった。

その中には銀髪の貴族連中もおり、皆で額を寄せ合ってひそひと何かを話していた。


僕は比較的貴族連中に近い位置に座った。その辺りはベクトールも理解していたらしく、ベクトールも僕の隣に座る。貴族の不躾な視線からラックやボブズ、ルルを守るための談話室での座り方だ。


「・・・とりあえず、一安心ですね」


ルルがそう言った。僕らも同じように気を緩めていた。寮の中にいればとりあえずは大丈夫なのだろう。それに、朝が来ればヴァンパイアの行動は鈍くなる。まともに太陽を浴びれない身体である上に、影に潜めなくなるのならなんとかなりそうだった。


軽口を叩きあう僕ら。そんな中でラックが呟くように言った。


「・・・デも。ソれはどうかな」

「え?」


皆の視線がラックに集まる。彼女の顔には今も何かに耐えるかのような緊張感が浮かんでいた。

彼女はフードの下の耳をしきりに動かしていた。


「・・・どういうこと?」


ベクトールがそう言ったが、ラックはしきりに視線を左右に動かすばかり。彼女の耳もフードの下でせわしなく動き続けている。


「ラック?どうしたの?」

「ア・・・イや・・・ナんでもない」


ラックはそう言って、小さく首を振った。


「忘れてくれ。チょっと、気が張ってるんだ・・・私の故郷はヴァンパイアに襲われたことがあったからさ。あれの怖さが身に染みてるんだよ」


ラックはそう言ってパンを大袈裟に飲み込んだ。だが、それは他に言いたいことがあったのを飲み込んでいるようにしか見えなかった。

パンを食べ終えたラックは口の周りをぬぐい、皆を見渡した。そこにはいつものニヒルに笑うラックが戻ってきていた。


それじゃあ、今一瞬見せたラックの不安気な顔は一体なんだったのだろう。


そんな空気を打ち破るようにラックは言った。


「ソれより、チューズでもしないか?散々潰されちゃったけど、親睦会っぽいことも少しはしようじゃないか」


僕らはそれぞれ顔を見合わせた。


僕の中では正直遠慮しておきたかった。ヴァンパイア事件があった直後なのだ。そういう気分にはどうしてもなれない。だけど、そう思ったのは僕だけだったようだ。


「・・・・・・・やる」


と、ベクトールがまず同意した。


「え、やるの?」

「・・・今日は・・・みんなが笑って寝るべき・・・」


ベクトールがそう言った。

彼女が市場で言っていたことを思い出す。


辛い時にこそ、食べて笑って飲んで寝る。そして、また明日から頑張る。


すると、ボブズが自分の膝を叩いた。


「そうだな。ここでビビッてても仕方ねぇや。俺達は学生らしく、馬鹿らしいことで夜更かしをしようぜ。疲れ果てりゃ、ベッドに入ってからびくびくする間もなく眠れんだろ」


その考え方に僕は「なるほど」と思ってしまった。

相部屋で同じ部屋に人がいるとはいえ、眠る直前は常に一人だ。ベッドに入ってすぐに眠りにつけるに越したことはないだろう。


「私もそう思います。こういう時はいつも通りに過ごしましょう」


ルルまで笑顔で同意していた。

この中で一番神経が細いのはどうやら僕らしい。


僕も最後にみんなに賛成する。


その日、その時になってベクトールとの親睦会はようやく開催できたのだ。


そこでわかったことだが、ベクトールはチューズが無茶苦茶に強かった。僕ら相手に戦って無敗の4連勝。それはいつも通り食事を賭けての勝負であったが、途中からはベクトールをいかに打ち負かすかに考えがシフトしていっていた。


それでもベクトールは淡々と僕らの相手をこなし、当たり前のように勝利していった。


「・・・チョイス」

「うっ!」


僕らの中では一番強かったルルが2戦目も敗北し、ベクトールの強さが決定的なものになる。

僕らの中での新王者誕生の瞬間であった。

ちなみに、ルルの下に僕とラックがほぼ同列の強さで勝ったり負けたりしており、ボブズはしょっちゅう負けている。


チューズをしながら夜は更けていく。


僕らが解散したのは深夜を回って1時間も過ぎたころだった。


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