棘 C
その日の講義は予定通り行われた。
ダグ先生は血管走行や骨の違いと、それによる各種族の急所の違いなどを説明していた。
骨の太さと大血管の位置の問題でドワーフと鬼人は脇の下が急所にならないというのはなかなか面白い話だった。エルフは肋骨の幅が狭いから、胸部を狙っても剣や矢が臓器まで届かないなんて話もあった。獣人は他の種族より骨盤の血流が分散しているので損傷しても軽傷で済むことが多く、また難産が少ないという。
種族間の差というのは色々と興味深い。
というわけで、宿題が増えた。
ザイラル先生の講義の方は水魔法と土魔法の割合の解説に終始していた。
水魔法で体内に水分を送る方法、血液の代わりとして使用する時の注意事項、そして、基本的な水魔法と土魔法の配合割合全6種類の効能と使用する状況、注意すべき副作用などなど
というわけで、覚えることが増えた。
今日の唯一の癒しであった魔術史で僕とボブズとラックはルルにメモを任せて惰眠を貪ることとなった。
そんな1週間の始まりであった。
「ふゃー・・・・」
変な声をあげて猫のように伸びをしたのはラックだった。
「魔術史はどこまで行った?」
僕は寝ぼけてまなこをこすりながらルルのメモを覗き込む。
そろそろ、カルシウの登場あたりまで行っただろうか。
「次の講義でカルシウについてやるって言ってました」
「それは良かった。次もまだ眠れそうだね」
「魔術史の時間にお昼寝するの、やめませんか?」
ルルは苦笑いでそう言ったが、それには物言いが3方向から入った。
「ルルと違って俺らは勉強が遅いんだよ!俺らがどんだけ睡眠時間削って宿題に取り組んでると思ってんだ、」と、ボブズ。
「僕らの貴重な貴重な睡眠時間なんだよ。ここでちゃんと寝とかないと夜の勉強が効率良くできないんだ」と、僕が言った。
「・・・・・・別に全部覚えてますから、不要な時間です」と、ベクトールが言った。
ちなみにラックはまだ眠そうにしていて、話に不参加であった。
そう、ベクトールも魔術史の時間には昼寝している。
最初にそれに遭遇した時は病気で寝込んでいるんじゃないかと心配したぐらいだ。
無口で無愛想だから誤解されやすいだけで、ベクトールも僕らと同じ学生なのだと思う瞬間であった。
「ベクトールは外で食べたりするの?」
「・・・・・・別に・・・食事なら食堂で事足りる」
今日はベクトールと自己紹介を交わしたこともあり、僕らは皆ベクトールをほとんど質問ぜめにしていた。
本人は少し鬱陶しそうな顔をしていたが、概ね受け答えはしてくれていた。
「エっ、それはもったいない。コの街には美味しいお店がいっぱいあるんだから」
「・・・人が多いところは苦手」
「ヨし、ミんな。今日はベクトールとの自己紹介記念に街に繰り出そう!」
ラックの音頭に「おー」と返事をする。
今更、記念も何もない気はしたが断る理由もない。
「・・・・私は・・・別に」
少し躊躇うベクトールを4人で立たせて廊下に押し出す。
身体が小さいので割と簡単だった。
だが、あまりにも嫌なら強制するのは悪い。
そう思っていたが、ベクトールは最後には小さく頷いてくれた。
「・・・・しょうがないな」
その時、僕はベクトールが笑ったところを始めて見た気がした。
僕らは玄関ホールを抜けて、外に出る。
僕は前に犬を助けた茂みへと目を向けたが、やはりそこには何もいなかった。
別に恩返しが欲しいなどとは期待していないが、やはり気にはなっている。
その茂みのそばまで寄ってみたが、森の奥にも獣の気配は無かった。
僕は諦めて、他のみんなと歩幅を合わせた。
「ねぇ、ベクトール」
「・・・なに?」
「前に僕の喧嘩を止めた時のこと覚えてる?」
ベクトールは少し小首を傾げたが、すぐに思い当たったのか頷いた。
「・・・・・・アギーがみんなを殺そうとした時」
「僕はそこまでやる気無かったよ」
今思えば、なかなか危ない思考であった。
『傷つけたら、治してやる』
治せない怪我を負わせた時のことを考えていない時点で余程頭にきていたんだろう。
まぁ、また同じような現場になっても同じことをしてしまいそうな気はするが。
「・・・あれが、どうしたの?」
「いや、まだちゃんとお礼言ってなかったなって思って」
「・・・別に・・・」
「でも、僕が本当にヤバいことせずに済んだのはベクトールのおかげだから。ありがとう」
「・・・・・・・」
ベクトールは小さく頷いて応えてくれた。
その頰が少し赤く見えるのは照れているからだろうか。
「ところで、あの炎のハンマーって僕は見たことなかったけど、あれってどういう魔法なの?」
「・・・あれは、ドワーフ族が最初に覚える魔法・・・炉の精霊に呼びかける」
「『炉の精霊』か・・・」
ドワーフ族がよく干渉する精霊というのは知っていたが、僕はほとんど使わない。
魔力の調整がかなりピーキーで扱いにくいのだ。
「・・・炉の精霊は鉄を打つかのように鍛えるべし・・・極めれば『竜の精霊』に匹敵する」
「・・・確かに」
実際にベクトールは僕の『竜の精霊』の魔法をかき消してみせた。
相性の問題もあったが、それを差し引いても半端な力で可能なことではない。
ベクトールの魔力はかなり鍛え上げられたものなのだろう。
「・・・だから・・・次にアギーが見境なく暴れたら・・・全力でぶち込む」
「ははは、覚えとくよ」
次はもう少し周りを見てから決闘をすることにしようと心に誓う。
「サて、ドこの店に行こうか?」
街に入り、ラックがそう言った。
「ベクトールは嫌いなものとかない?」
「・・・特にない」
「じゃあ、ゼットのパン屋は?」
僕の意見にみんなは首をひねる。
「地味じゃね?」
ボブズがそう言った。
「せっかくの友達記念日だろ?もうちっと奮発してもいいじゃねぇか。だから俺はアルベガの屋台を推すね」
アルベガの屋台とは大きく出たものだ。
あそこは屋台の中でも屈指の肉焼きを出すが、その分値段が張るのだ。
出せない価格ではないが、勇気がいる。
「さ、さすがに奮発しすぎじゃないでしょうか?」
ルルがそう言った。御嬢様のような見た目の割にルルの財布事情は僕らとそう変わらない。
「・・・そうなのか?・・・さすがにそれは・・・」
当人であるベクトールも嫌がる姿勢を見せたのでボブズの意見は却下になる。
「ジゃあ、間を取ってデルエルの燻製焼きに・・・」
「却下!」
僕とボブズとルルの3人がほぼ同時にそう言った。
あそこの燻製焼きはスモークの燻しが独特で皆苦手なのだ。ラックだけは「最高だ」と言ってはばからないので、いかにあそこに足を向けさせないかが最近の僕たちの課題であった。
更に意見を皆で出し合ったが、なかなか決まらない。見かねたベクトールが「・・・私はなんでもいい・・・・その地味な店でも」とゼットの店の話を持ちだした。
ボブズがそれに首をひねる。
「いやぁ、あそこは地味すぎるだろ。普段食べてるところじゃねぇか」
ルルもまた眉をハの字にして悩んだ。
「そうですね、せっかくなのであんまり地味なのはちょっと」
ラックは頭の上に手を組んで目を細めた。
「トいうか、食べ飽きてるんだよね。ソこそこ美味くて地味に安いのはあそこだけだし」
みんなの意見を聞いて提案者の僕は苦笑いをするしかなかった。
「みんな、あんまり地味地味言わないほうがいいんじゃないのかな?ほら、もうすぐゼットの屋台だし、聞こえちゃうよ・・・」
この市場のざわめきにの中ではそう聞こえることはないだろうが、あんまり連呼しすぎるのはかわいそうである。確かに地味ではあるのだが。
その時だった。
「キャァァァアアアアアアアアアアアアア!」
絹を裂くような悲鳴が市場の中に響き渡った。
その方向に僕ら5人の視線が向かう。
悲鳴はすぐ近くからあがっていた。
まず僕が、続いてラックとボブズが走り出した。
「み、みなさん!」
「・・・行こ、ルル」
後ろから一歩遅れてルルとベクトールが続く。
僕が走り出したのは単純に「何かできることがあるかも」と思ったからだ。
子供の頃から『神魔法』で人の痛みを取ることができる力があった。そのせいか、人が傷ついたような場所にすぐに駆け寄る癖がついていた。
もちろん、野次馬根性がないわけではなかったが。
人込みを押しのけ、悲鳴をあげた人の場所に近づく。
野次馬が集まろうとしているのか、人の流れがあった。
だが、それも次の声があがるまでだった。
「ヴァンパイアだ!ヴァンパイアが出たぞ!」
それは悪夢を生む情報だった。
『ヴァンパイア』という単語が市場の中に恐怖の波として伝播していく。
次に起こることを僕は瞬時に察していた。
「うわぁぁぁあああ!逃げろぉぉおおお!」
「殺されるぞぉおおおお!助けてくれぇぇぇええええ!」
方々で悲鳴や怒声があがり、人々の流れが180度回転た。最初に悲鳴が上がった場所から人込みが一気に流れてくる。押し合いへし合い、我先にと逃げる人々。誰かが転んでも助け起す余裕はなく、倒れた人を踏み越えて人が流れていく。その勢いは屋台や出店を押しつぶさんほどだ。
市場は突如としてパニックに陥った。
「くっそ、このっ・・・」
僕は前からくる人に跳ね飛ばされないようにするので精一杯だった。
もし、ここで転ぼうものなら大量の人の流れに踏みつけられることになる。1人2人に踏まれてもどうってことはないが、迫り来る人はもはや羊の大群と同じだ。これに足蹴にされれば間違いなくただでは済まない。
「だめか・・・」
このままではあまりにも危ない。
僕がそう諦めかけた時だった。
「アギー!肩借りるよ!!」
「え・・・」
返事をする前に、両肩に体重がかかった。そのまま誰かが僕の背中を何かが駆け上がった。肩から腰にかけて1人分の体重がのしかかる。ラックが僕の肩に足を乗せ、器用に立ち上がっていた。
「スぐそこ!スぐそこの屋台の隙間だ!モうすぐ人の流れが切れる!もうちょっと耐えろ!」
ありがたい情報だった。
「だったらな、なんとか」
「なるよなぁっ!!」
ボブズが僕の前に立った。その太い両腕で人をかき分け、隙間に身体をねじ込んでいく。
「ラック、いつまで乗ってるの!?」
「アは、ソうだね」
ラックは軽々と僕の肩から降り、僕の後ろに並ぶ。
僕らはボブズを先頭にして人込みをかき分けていった。
そして、ようやく人垣が切れたところには・・・
「うぁ・・・うあぁぁ・・・誰か・・・誰か助けてくれぇええ!」
首に何か噛まれた痕がある男が幽鬼のように手を突き出し、助けを求めていた。




