棘 B
休日を図書館に詰めて過ごした僕は週明けの早朝、欠伸を噛み殺しながら食堂でパンをスープに浸して食事をしていた。
結局、血液の補充には水の精霊魔法を使うようだった。通常の水属性の魔法の中に土魔法により抽出した岩塩の成分を混ぜて患者の体内に流し込む方法がおよそ400年前より行われていたという記述を見つけた。
他にも魔族の一部が使う『血』の魔術も見つけたが、これは『闇の精霊』の領分。人間が普通たどり着けない『神の精霊』への干渉が必要だった。
「オはよ」
「おはよう」
眠そうに目をこすりながらラックが僕の前の席に座った。
その仕草は顔を洗う猫のようにも見える。
「宿題終わった?」
「ナんとかな・・・デも、あんまり自信ない」
それは僕も似たようなものだった。
特に『水』に対する『土』の割合がどの程度なのかはいくら調べても出てこなかった。
挙げ句の果てに「治癒魔法師の口伝によって伝えられるのみ」とかいう記述が出てきて、何もかも投げ出してしまった。
「ソれより、聞いたか?」
「何を?」
ラックは左右に視線を巡らせ、顔を寄せてきた。
「北の蛮族との戦線、敗北して後退したらしいぞ」
「北・・・」
「アギーって、確かサンギアの街の産まれだったろ?知らせておこうと思って」
「うん・・・ありがと」
僕の産まれたサンギアはこの帝都より北の地にある。前線とは距離があるが、ここより危険な場所であることは間違いなかった。
この世界には大きく分けて2つの勢力がある。
人間、エルフ、ドワーフなどの複数の国による人族の連合国家。
魔王により統治されている魔族国家。
両者は北の大平原にて度重なる戦争を繰り返し、一進一退を繰り返している。
ただ、魔族達は魔族国家にのみ存在しているわけではない。
北東の湖沼地帯は未だ未踏の地が複数あり、東の森の中ではエルフが常に魔族と小規模戦を繰り返している。帝国領内でも魔族の群れが複数動き回っているのが確認されており、度々討伐部隊が組織されている。だが、我が帝国ですらそれを撃滅させることができていない。
魔族の密度は北に向かえば向かうほど濃くなっており、北西に広がる黒森などは既に魔族の領土といっても差し支えなかった。
西の地にも魔族国家があると学んでいたが、実はそれは鬼人と獣人が中心の国だと知ったのは最近だ。
そして、その北の戦線が後退したという。
大平原に城を築かれたりしたら、魔族はこちらに攻め込む為の足がかりを得ることになる。
北の平原からの魔王軍、北東の湖沼地帯、北西の黒森、これらが呼応して一度に攻めてくるようなことになれば危険なのは一目瞭然であった。
その時、僕の産まれのサンギアの街は戦場になる可能性は低くはない。
「手紙でも・・・書いておこうかな」
サンギアの街にいる両親や兄妹、幼馴染の友人達の顔が浮かんできた。
魔術学園に来て2ヶ月、そろそろホームシックにかかりそうであった。
生憎とこの世界には郵便なんて便利な技術は無いが、風魔法による速達技術は発達していた。
大きな街同士では風魔法で手紙をやり取りする『速達屋』が存在している。
そこから、小さな街や村に行く行商人などに手紙が渡り、家族の元へと届けられるのだ。
ただ、バカ高い。それはもう非常に高い。
手紙1つ送るだけで肉の丸焼きが食えるぐらい高い。
そのため、ほとんどが貴族同士の連絡や教会の緊急通信程度にしか使われない。
一般市民は手紙を送りたい土地の方に行く行商人に手紙を渡して、いつか自分の村に届くことを祈りながら待つだけだ。
「ナら、私がいい行商人を紹介してやるよ」
「で、いくら?」
「アははは・・・・これぐらいでどう?」
最近、ラックの行動原理がわかってきた。
ラックはけっこう守銭奴的なところがある。
そのお金の取り立ては友人間でも容赦がない。いや、友人間だからこそ厳しくお金を稼ごうとする。
もちろん、一切奢ってくれないというわけでもないし、無駄遣いのノリが悪いわけでもない。
それは彼女の習慣というか、獣人の文化の1つなのだろうと僕は理解していた。
「オッケー、それぐらいならいいかな。手紙ができたらよろしく頼むよ」
「ナら、ハやく書いてくれよ」
「はいはい」
2人で食事を取っていると、今度はボブズが勢いよく僕の隣に座った。
「おはよっ!」
「オ前、ヤけに元気だな」
「徹夜したからな、テンション一周してる」
ああ、これ最初の講義で既にキツい奴だと僕は思う。
徹夜明けは講義を受けてると、電池が切れたように動かなくなる瞬間が必ずくる。
僕はボブズの為にもなるべく多くのメモを残そうと思う。
「それより聞いたか!」
「北の戦線の話?」
僕はそう聞くと、ボブズの方が驚いたような顔をした。
「なんだそれ?」
僕がラックに視線を送り、彼女が簡潔に説明する。
「ふんふん、へぇー・・・結構危なくないか、それ」
「マぁね、デも、私達じゃどうにもできないし。ソれより、ボブズの話はなんだったんだ?」
「ああ、こっちもなかなかぶっ飛んだ話だぞ。実はな・・・」
ボブズが指をクイクイと折り曲げる。
僕とラックはボブズに耳を寄せた。
「ヴァンパイアが出たらしい」
「ドこにだ!?」
ラックは素早く反応した。その声音には側から聞いていてもわかるくらいの恐怖が染み付いていた。
「ヴァンパイア・・・」
ヴァンパイアの話はこっちでも寝物語の1つとして聞かされていた。
アンデッドの王、魔族の支配層、血と影を操る闇の貴族。
この世に生まれたアンデッドの中で『闇の精霊』に干渉することができたものだけが『ヴァンパイア』と呼ばれる。
何よりも怖いのはヴァンパイアは姿をほとんど表さないことにある。
奴はコウモリになって城壁を超え、ネズミとなって路地を抜け、影となって人々の間に潜む。
誰もいないはずの場所から突然現れるアンデッドの王。
一度捕らえられたら、血を奪われて眷属となるか、その場で惨殺されるかの二択でしかない。
ヴァンパイア一体に街1つが落され、それが戦争の敗因になった歴史が人類には存在する。
そして、僕の世界のヴァンパイアと異なるのが、ほとんど弱点が無い点だった。
ニンニクに弱い、十字架に弱い、川を渡れない、招かれないと民家に入れない。
そんな話などどこ吹く風とでも言いたげに、ヴァンパイアは街を蹂躙できる。
「ドこだ?西の方じゃないよな」
「違うけど、あんまりいい知らせじゃないぞ。帝都のすぐ近くだ。帝都周囲にある古城群を転々としてるって噂だ」
僕らは怪談話でもするように頬寄せ合った。
「ボブズはそれ、どこで聞いたの?」
「明け方にな、図書館から帰って来た時にザイラル先生が話してるのを聞いたんだ。そんで『講義内容を前倒しした方がいいかもな』って言ってた。きっと、ヴァンパイアにやられた人の治療方法とか優先するんじゃないないのか?」
そうなると話題の信頼性は五分五分という気がした。ヴァンパイアが生まれたら帝都の専門部隊が動き出すという。それが動き出したら確実だろう。
「デも、それが本当なら本格的に怖いな・・・」
ラックが神妙な顔でそう言った。
遠く離れた戦線は不利の一途を辿り、帝都近辺には危険な魔族が出現する。
内と外に同時に強大な敵が現れるというのは決して楽観視できる状況じゃなかった。
「・・・ねぇ」
ふと、声をかけられた。
振り返ると、ドワーフ女子のベクトールが朝食を手にこっちを見ていた。
「・・・ルル、知らない?」
「いや、今日は見てないけど」
僕はラックとボブズに視線で尋ねるが、二人は首を横に振った。
「どうかした?」
「・・・今朝、朝起きたらいなかった・・・どこにもいないから、ちょっと心配」
「え?ベクトールとルルって同室だったの?」
むしろ僕はそこに驚いていた。
ラックは「アれ、言ってなかったっけ?」とあっけらかんと言ってくれたが、完全に初耳であった。
しかし、どんな会話をしているのだろうか。
全く想像ができなかった。
「・・・うん・・・ルルはよく喋る・・・私はあんまり返事しないけど・・・」
「ああ、うん。だいたい想像ついた」
ルルが頑張って間を持たせようと喋り、ベクトールの反応に一喜一憂している絵が浮かんできていた。
「ベクトール、朝ご飯まだなら一緒にどう?」
「・・・・・・」
ベクトールは誘われたことが意外だったかのような反応を見せた。
目が大きく見開かれ、瞬きを繰り返している。
そして、ベクトールは他の面子へと顔を向けた。
ボブズはもう自分の朝食に夢中になっており、ラックは優しげな表情をしていた。
「・・・・では・・・」
ベクトールはそう言って机を周り、ラックの隣に座った。
少し居心地が悪そうにはしていたが、嫌そうにはしていない。
ただ、食事に手を付ける気配がなかった。
どうかしたのか、と思っているとベクトールはおもむろに口を開いた。
「・・・自己紹介・・・しましょうか?」
今度は僕ら3人が意外なものを見た反応を返す番だった。
「そういや、してなかったな」と、ボブズが言った。
「2か月間近くの席に座ってたから、すっかり・・・忘れてたね」と、僕も頭をかく
「マぁ、チょうどいい機会だね」と、ラックも苦笑いだった。
僕らはそれぞれ挨拶を交わした。
ベクトールは特に鬼人や獣人に対して反応を見せなかった。
ザイラル先生の試験を普通に合格しているベクトールに対してもともとそんな心配はしていなかったが。
「あっ、皆さん。珍しいですね。ここでお揃いなんて」
そうこうしているうちにルルも食堂にやってくる。
「ルル、ベクトールが心配してたよ」
「あっ、すみません。ちょっと所用で出かけてまして、一声かけるべきでしたね」
「・・・・・・別にいい・・・」
ベクトールはそう言っていたが、ルルが『どこにもいない』と言っていたのだ。
多分、めぼしい場所は探したのだろう。なんだかんだ、律儀な奴らしかった。
俺達は5人で食卓を囲み、朝食をとったのだった。