最初の試練 G
「Mr.スマイト・・・40点」
ため息が出た。合格だ。そのことに安堵する。
「・・・・・くそっ」
だが、僕の口から出てきたのは短い悪態の言葉だった。
心の平穏はほんの一瞬。次いで湧き上がったのは、失意と憤怒だった。
合格した。だが、この点はなんだ・・・
合格ラインの最低点じゃないか・・・
握りしめた爪が掌に食い込む。身体の中で炎が燃えていた。不当ではないかと胸の内で叫ぶ。僕は人より速く傷を治したはずだ。なのにこの点数はあんまりではないか。
いざ、点数が表示されると、さっきまで心臓だの、腹痛だのという話は頭の片隅に追いやられてしまった。
点数の内訳を聞きたかった。僕の『神魔法』がどうしてこの程度の点数なのかを問い詰めてしまいたかった。
「Mr.スマイト!!」
「はい!!」
反射的に背筋が伸びる。
ザイラル先生の視線が僕を射抜いた。
「貴様が合格ラインに立てた理由はわかるか?」
「・・・・・っ!」
言いたいことが喉仏まで到達し、沈んでいく。
ザイラル先生の目が明確に物語っていた。
『お前はこんなもんだ』
ザイラル先生の圧に押しつぶされたかのように、口の奥が閉じてしまった。背中に一筋の汗が流れる。
「ちなみに本来の合格ラインの60点は、患者を救えていた者に与えられる。それ以下のものは患者であったダグを殺していたと考えてもらおう」
ザイラル先生の言葉が胸の中にズドンと落ち込んだ気がした。
『患者を殺していた』
その言葉が石のように胃袋の中に落とし込まれる。
隣ではボブズが「たはは・・・」と乾いた笑いをしていた。
「では、40点をギリギリ越えられたお前が持っていたものは何だと思う?」
僕が持っていて、他の人になかったもの・・・
そんなのは・・・
「どうせ、『神魔法』だろ」
講義室のどこかでそんな声が聞こえた。
その言葉をきっかけに体に絡みつくような視線が集中する。
『妬み』『羨み』『蔑み』
様々なものがないまぜとなった視線はまるで鎖にように巻き付き、身体にのしかかる。
まただ。また、これか・・・
他人の悪意に身体が、頭が、心が凍る。
反論など口に出せるわけもない。なにせ、自分自身ですらそう思っていたのだ。
『運の良い奴め』『あいつは何の努力もしてないのに』『田舎もんが』
声の無い批判が突き刺さる。僕はその場で唇を噛み締めることしかできなかった。
そんな空気を打ち破るかのように、一発の舌打ちが放たれた。
「・・・・・・・ナにが『神魔法』だ・・・」
その台詞は僕の隣の方から発せられていた。
ラックだった。
「・・・まったくだ。幻視魔法とかで疑ってたのはどこのどいつだってんだ」
ボブズがそうぼやいていた。
ふと、自分がゆっくり呼吸しているのに気づく。握りしめていた手がいつの間にかほどけていた。
「ふざけるなぁっ!!」
激しい怒声が鳴り響いた。ザイラル先生の声だ。
皆の視線が一気に教壇へと集中する。
「『神魔法』だぁ?そんなもの関係があるかぁ!!我々のMr.スマイトに対する評価の理由は・・・」
ザイラル先生は息継ぎをするかのように、言葉を区切った。
「それは、最低限の礼儀がなっていたことだ!」
ふと、あの試験の日を思い出した。
「貴様らはダグを前にして名乗ったか!?名を聞いたか!!貴様らが治癒魔法師を目指すなら、治す相手に対する礼儀というものをわきまえろ!貴様らが治療する相手は誰だ!?魔族討伐部隊の連中か?街に住む市民か?貴族相手に商売でもするのか?いずれにしろ、治す相手と人間関係を築けない治癒魔法師はクソだ!ゴミの役にもたたん!」
あの日、この講義室で僕は最初に何と言った?
『僕の名前はアギリア・スマイトです。お名前を聞かせてくれますか?』
『・・・ダグ・・・ダグ=ミリシャだ』
それは店先で『神魔法』で人を治していたからこそ身に付いた癖のようなものだった。
あそこには様々な人がきていた。顔見知りも、旅の人も、噂を聞きつけてやってきた人もいた。
名前を名乗り、名前を聞く。ただ、それだけ。
つまり、僕がこの学園で最初に受けた評価は結局のところ・・・
「貴様らはまず人のしての礼儀から叩き直せ!!」
『アギー!初対面の人にあったらまずご挨拶でしょ!!」
『は、はーい・・・』
母に叱ってもらった、あの日のおかげだった。
その後、教室が静まり返るのを待ち、ザイラル先生は咳払いをした。
「わかったか。治癒魔法師にまず必要なことはどんな相手に対しても、冷静に対処する能力だ。それは、貴様らが治癒魔法師になるための最低条件だ。教会の古臭い教義にしがみつき、歴史の波の中で溺れたいのなら止めはしない。そういう人達には今すぐこの講義室から出て行くことを勧める」
ザイラル先生はしばしの間を置いた。
誰か立ち上がらないか待っている様子であったが、席を立つ者はいない。
そりゃそうだ。どんな、経緯であれこの治癒魔法科を卒業さえできればどんな人間でも権力中枢に絡む権利が得られる。貴族出身はもとより、一般人であってもこの程度の暴言で手放す奴はいないだろう。
「今後より、本格的な治癒魔法師としての講義が始まる。私は治癒に関する部分を担当する。そして、ダグには人体の構造について抗議してもらう。引き続き、魔法基礎は続けるので各員留意しておくように。以上だ、何か質問はあるか?」
講義室の中で沈黙が流れた。
「それでは、今日は解散と・・・」
「待ってください」
声があがった。一人の生徒が銀髪を振りかざして立ち上がっていた。
「Mr.ガンドレッド・・・なんだ?」
忘れもしない。ルルを侮辱し、僕が『竜の精霊』で吹っ飛ばそうとしたあの貴族だ。
彼は自分の中に鉄棒でも仕込んでいるかのような程に地面に垂直に立っていた。『気を付け!』という命令を教科書に乗せるとしたら、こいつの写真でいいんじゃないかと思う程だ。
彼は何時ぞやと違い、随分と上品な声音で言った。
「私も心臓と腹痛の治療はほどこしたはずです。なのに合格者の名前の欄に私の名前が無いのはどうしてでしょうか?」
僕の胃袋の中に沈んだ石がまた一個増えたような気がした。
『あいつ』でさえ、わかっていたのだという思いが自分の胸を締め付ける。
「名前を入れ忘れたなどとは言わないでくださいよ。それは私に対する侮辱で・・・」
「貴様は不合格だ。間違いない」
その時、僕は悔しいことに彼に親近感を抱いてしまっていた。
その理由はザイラル先生の目だった。
また、あの目をしていたのだ。
『お前はこんなもんだ』
思いあがっている人間を蔑み、そしてどこかで憐れんでいる。
暗く、冷たい中に一滴の慈悲を流し込んだようなそんな目だ。
「他の連中と一緒だよ。鬼人を平然と軽蔑し、傷の手当のみに集中する。一刻でも早く離れたいという顔をしながらな」
ザイラル先生は周りを見渡し静かに続けた。
「他の連中も聞いておけ。さっきも言ったが、Mr.スマイトと他の連中の差はそれだ。ダグを相手に一切怯むこともなく、傷が全てふさがるまでダグから一切目を逸らさなかった」
その視線が僕のところで止まる。
目を逸らしたい願望に襲われたが、腹を据えて耐えた。
ザイラル先生は唇の端でわずかに笑い、視線をMr.ガンドレッドに戻した。
「お前がどんなに功績を上げようと、どんな難病を治そうと、お前が自分を改めない限り、我々学園側は永遠に貴様を評価しない。それを頭にいれておけ・・・貴様の父が革新派を名乗っているのだ。少しは父は見習うがいい。教会の聖典を真っ向から否定しているじゃないか」
「父は!鬼人と獣人を認めたわけではない!!」
「そうか、それは知らなかった。ガンドレッド卿の演説は長いのでな、いつも途中で飽きてしまう。今度、論文にでもして送ってくれるように頼んでくれ。教壇の裏にでも張り付けておいてやる」
ザイラル先生はそう言って「他にないか?」と言って話を強引に打ち切ってしまった。
Mr.ガンドレッドはまだ立って何か言おうとしていたようだが、相手にされないのを悟ったらしい。
彼はゆっくりと席に座った。
僕はそんな彼をわずかに盗み見た。
目は血走り、歯は唇に立てられ、頬は真っ赤に染まっていた。
「・・・ないようだな。それは今日は解散とする。明日以降、講義の内容は加速度的に難しくなる。ついてこれんもんは容赦なく捨てていくので覚悟するように」
厳しい言葉だ。厳しすぎる鞭だ。
だが、隣のダグ先生がすぐにフォローを入れた。
「ああ、だからと言って皆の質問を受け付けんわけではないぞ!わからんことがあったら素直に聞きに来るがいい。それすら怠るような奴は知らん、という意味だからな」
飴と鞭という奴だろうか。
だが、鞭役が人間で、飴役が鬼人というのもなんとも奇妙な組み合わせだった。
講師二人が講義室から出てゆき、次第に人のざわめきが大きくなっていった。
次第に生徒も講義室を後にし、雑多な音が講義室を満たしていった。
僕はというと、改めて自分の点数をかみしめていた。
「40点・・・か・・・」
だが、実質は不合格と一緒だった。
ため息が止められなかった。
その時、ポン、と肩を叩かれた。
「アギー、なんか怖い顔になってるぞ」
ボブズだった。
「そうかな?・・・いや、そうかも・・・」
「なんだよ、『神魔法』が評価されなかったのが、そんなに悔しかったか?」
胸の奥に何か棘が刺さったような痛みが走った。
図星だった。
反対側の肩が軽く叩かれる。
ベクトールが席を立ちながら、僕の肩を叩いていた。
「・・・勉強すればいい」
「え・・・」
「・・・今はだめでも・・・勉強すればいい」
ベクトールはそれだけを言って、すぐに行ってしまった。
背の低い彼女の姿は机と人に紛れて見えなくなった。
「・・・・・・・勉強・・・か」
そりゃ、ショックだったに決まっている。
自分はずっとこの世界では1番だと思っていたのだ。自分なら何でも治せる、学ぶことなど何もない。
だけど、そんなことはなかった・・・
心臓?腹痛?そんなもの知らなかった。
僕は店先で怪我をした人を治していただけだった。
僕は前世の貯金で勉強ができてただけのただの小僧だと突きつけられたのだ。
尖がった鼻先を見事にへし折られたのだ。
「あ、あの・・・アギー、元気出してください。初めての試験じゃないですか!これからですよ!」
「ソうだよ。ダいたい、コの学園で4年も勉強するんだ。学ぶことがなかったら、オ前ここにいる意味なかったろうに」
そうだ。僕はここにいる意味なんかないと思ってたんだ。ここはただの通過点だと思ってた。
でも、そうじゃなかったんだ・・・
「ほら、しゃんとしろ!」
太鼓でも叩いたのではないかという音が響いた。背中に強い張り手をもらったのだ。
「っ~~~~!!!」
声にならない悲鳴が出た。
生半可な力ではない。皮膚がはじけ飛んだかと思った。
「ボ、ボブズ!やりすぎですよ!!」
「そうか?加減したぞ」
今のでも加減されてたのか・・・
やはり、鬼人は鬼人だったらしい。
「おまえな~・・・」
涙目になりながら、にらみつける。
ボブズは火傷の痕を盛大にゆがませて笑っていた。
「バカ野郎、いつまでも落ち込んでるな。今のお前、貴族連中と変わらないぞ」
「なっ・・・」
「自分の力を過信して暴れて、評価されなきゃ不当だと訴える。最悪だぞ」
「・・・・・・」
ボブズの説教にぐぅの音もでなかった。
「自分が大したことない奴だってわかっただけだろうが。だったら、これから大した奴になればいいだろ」
これから・・・か・・・
僕は自分の掌を見つめた。この手に宿った『神魔法』。それが消えたわけではない。
僕はその掌を頬に叩きつけた。
ボブズの張り手と比べると随分控えめな音がした。
「・・・だな」
僕が笑顔を見せると、周りの人達もホッとしたように頬を緩めた。
「よし、今日は早上がりになったから。屋台にでも行かない?」
僕の提案にみんなは賛同してくれた。
「イいね。アっ、そうだ。私達試験上位者に下位者からの奉納金はないのかな?」
「えっ、ちょっ、ラック何言ってるんですか!そんなもの・・・」
「だってさ。アギーどうする?俺は払ってもいいけど?」
「ほどほどに頼むよ」
僕らはそんな話をしながら、講義室の扉をくぐる。
その日、僕は2つのことを無視した。
そして、それを僕は後日とても後悔することになる。
1つ。僕の心にはまだ棘が刺さってた。『神魔法』が評価されなかった、という棘が。僕はその痛みを無視してしまっていた。
2つ。その日の講義室にはMr.ガンドレッドが最後まで残っていたのだ・・・そう、目を血走らせ、唇を血が出る程に噛み締めたまま・・・僕は講義室を出る時に確かに目にしたのだった・・・
僕は無視すべきではなかった。
僕は向き合うべきだった。
僕はこの日、逃げたのだった。