最初の試練 E
ザイラル先生の試験。それは、クラスの人達を一人、また一人と個別に呼び出して続けられた。彼らは一様に「内容は言えない」と言いながらも、その態度は様々だった。
ルルのように疲弊しつつ夕方に帰ってくる奴もいれば、面白くもなんともないという顔でものの3時間程度で帰ってくる奴もいる。貴族連中はあからさまに不機嫌な様子をしていたのが、妙に印象的だった。
そして、遂に自分の番が来た。
「Mr.スマイト。来い」
いつものように、基礎ばかりの授業を終えた昼休み。昼食をとりにいこうと立ち上がった矢先のことだった。
「・・・はい」
ザイラル先生が僕に「運の良い奴」と言ってから、あの人が僕に再度接触してくることはなかった。
そして、教会の本をいくらひも解いても『転生者』に関する記述は出てこない。他にも『マナーのいろは』から『貴族世界の偏移』まで、果ては『古今東西夢物語』まで読み込んだものの、やはり『転生者』がタブー視されていたり、危険視されている様子はなかった。
もちろん、『転生者っぽいな、こいつ』という人物は何人か見つけたりもした。
ここまで来ると、『運が良い奴』というのは別の意味なのではないかと勘繰りたくなる。
だが、僕にとっての幸運はこの『神魔法』だけであり、他の要素は何一つない。
「それじゃあ、行ってくるよ」
いつものメンバーに向かって手を軽く振る。
「オう、頑張れよ」と、ラックが敬礼のポーズでおどける。
「落ち着いてやれば大丈夫ですから」と、ルルが笑顔で励ましてくれる。
「あっ、そうだ。お前の昼飯どうする?とっといてやろうか?」と、ボブズが少しズレたことを言った。
僕はボブズに「いいよ。後で自分で食堂行くから」と残し、鞄を持ってザイラル先生のもとへと向かった。
彼女は僕を軽く睥睨し、すぐに背を向けて歩き出した。
講義室を出るときに友人たちに軽く手を振り、僕は気を引き締める。
ザイラル先生に連れられてやってきたのは、まだ一度も使ったことのない講義室であった。
「入れ」
「・・・はい」
一歩入ると、その講義室のつくりは他と大差なかった。
すり鉢状の講義室の一番低いところに教壇があり、その後ろに巨大な黒板が鎮座している。
唯一違うことと言えば、教壇の横に診察台のようなテーブルが置かれていることだった。
「ここで少し待て、患者を連れてくる」
ザイラル先生はそう言って、講師用の出入り口から出ていった。
『患者』
その言葉に僕は唾を飲み込んだ。予想以上に自分が緊張していることを自覚した。
落ち着け。怪我人なんて今まで何人も治してきただろう。今までとやることは変わらない、大丈夫だ。
自分に何度も言い聞かせるが、それが自分の手のわずかな震えを止めてくれることはなかった。
この学園にきて、初めてまともに回復魔法を使うのだ。入学初日のパフォーマンスとは違う。講師に評価され、自分の実力を評価される。
他者とは違う圧倒的な速度の回復魔法を持っている自分でも、試験を前にした時の漠然とした不安は拭い去ることはできない。
僕は落ち着かない体を諫めるように教室内を前後に往復する。時折、格闘技っぽいことをやって「アチョー」とか言ってみる。
完全に浮足立っていた。
だが、それも再び扉が開くまでの短い時間だった。
「・・・・よし!」
何の覚悟も決まっていないが、頬を叩いて気を引き締める。
さぁ、ドンとこい!
胸の中だけでそう叫ぶ。
講師用の扉から、ザイラル先生が入ってきた。
そしてその後ろから現れたのは『鎖』だった。
「・・・・・・え?」
黒光する重厚な鎖。それは手枷と足枷につながっていた。
僕は思わず目を見開いた。
やや緑色に染まった肌と顎が突き出たような骨格。鬼人だ。
だが、彼はボブズとはまるで違った。
身長は2mに達するだろう。鋼鉄の手枷がつけられた腕は丸太のように太い。むき出しの大腿部はルルの腰ぐらいあるんじゃないかと思うぐらいの筋肉を備えている。胸板は僕が見た中の誰よりも分厚く、首にいたる筋肉はどんな鈍器でも折れないのではないかという程に発達していた。
筋骨隆々の大男だ。彼は黒ずんだ腰布のみをまとい、上半身裸のまま連れてこられていた。彼はきっと囚人だろう。
もし、ボブズに会ってなかったら間違いなく僕は彼のことを『魔族』だと思ってしまっていたはずだ。
だが、僕が本当に驚いたのはそこではない。
彼はあまりにも傷だらけだった。
剣で袈裟切りに切られたのか、肩から腹にかけて大きな切り傷が走り、今も緑色の血が滴り落ちている。
右の肩口には何かに刺し貫かれたような跡がある。遠くて見えずらいが矢でも貫通したのだろうか。
左の前腕は緑の血にまみれていた。皮膚をすり下ろされたかのような怪我をしていることがこの距離でもわかる。
背中には鞭で叩かれたかのような、緑色の線が何本も走っていた。
その他にも小さな切り傷、刺し傷、擦り傷が無数にある。
まるで拷問でも受けた後のようだ。
「Mr.スマイト。予想できていると思うが、治癒魔法師としての貴様の実力を把握するための試験だ。この男を治療しろ。だが、貴様はまだ入学したばかりで碌に治癒魔法に関する授業も行われていないことは我々も理解している。貴様のできる範囲でいい。できないのなら、できないと言って今すぐ講義室を出ていっても構わん・・・ここまでは理解できたか?」
「はい・・・」
「では、はじめろ」
「はいっ!!」
ザイラル先生は何かを呟いたかと思うと、鎖の先を石の壁にくっつけた。鎖は徐々に石壁に埋め込まれていき、固定される。『土』の魔法でも使ったのだろう。
僕は一度深呼吸をした。
「本当に・・・ボブズに会ってて良かったな・・・」
僕は口の中だけで呟く。
もし、彼に会ってなかったら僕は相手が鬼人だと萎縮していたかもしれない。
彼らの過去を知らなかったら、囚人ということで嫌悪感を抱いていたかもしれない。
だが、今は違う。
鬼人の歴史は冤罪の歴史でもあったことを僕はもう知っている。彼が囚人であったとしても、本当に罪人だったとは限らない。彼が何をしたかを知らないうちから彼を忌諱する理由は僕の中にはなかった。
例え真の犯罪者だとしても、彼は弱り切っており、手枷足枷でこちらに危害を加えることはできないだろう。
だったら、やることをは変わらない。
怪我人を前にしたことで僕は逆に冷静さを取り戻していた。
僕は講義室を確かな足取りで歩き、鬼人の前に立った。
彼はその巨体に似合わぬ、クリっとした目をしていた。
「僕の名前はアギリア・スマイトです。お名前を聞かせてくれますか?」
「・・・ダグ・・・ダグ=ミリシャだ」
彼はつぶやくようにそう言った。
ミリシャとは、なかなか可愛らしい氏である。
僕は自分の中の魔力の存在を確認する。自分の胸の中心、心臓の鼓動をしっかりと聞きながら、そこに熱を集める感覚はもう慣れ親しんだものだった。
その熱を腕から手に、そして指先に集める。
自分の指先が仄かに白い光をともした。
「楽な姿勢でいいですよ。横になりますか?」
「・・・座っていいか?」
「はい!」
彼は特に暴れることもなく、その場に腰を下ろした。
本当は横になってもらいたかったが、やはり背中の傷が痛いのだろうか。
とにかく、今一番に治すべきは胸の切り傷だ。
今もなお血が滴り落ちており、傷も派手だ。
「・・・・・・・・」
僕は意識をその傷に集中する。
傷を上からなぞるように動かす。
だが、ダメだった。
触れた場所は少し傷がふさがったようにも見えるが、いまだ傷は開いたまま。出血も少量にはなってきたが、まだ止まらない。指先程度の魔力じゃどうにもならない。
僕はさらに強く魔力を練り上げた。体の奥に焼き鏝でも放り込まれたかのような熱量が心臓に襲い掛かる。
だが、この程度なら造作もない。
僕は心臓に貯めた力を掌全体に流し込む。現れた光は先程とは比べ物にならない程に強い光だ。
これが、『神の後光』とまで称された、僕の全力だった。
その掌を傷口にあてる。光は傷全体を覆うように形を変え、傷の治癒を始める。
「ほぉ・・・」
感嘆の声がどこからか聞こえてきたが、僕はそれを聞き届ける余裕はなかった。
さすがに全力の治癒を片手間にできるほど、僕は器用ではない。
光を当てた場所の出血が止まり、切断されていた筋肉が修復をはじめ、傷を覆うように薄皮がはっていく。
その様子を見ながら、僕は他の傷にも視線を巡らせた。
次に出血が多いのは肩の刺し傷か、腕の擦り傷だ。どちらを優先するかを考えたが、必要ないかと思い直す。
僕が手をどけた時、袈裟切りにつけられていた切り傷は跡形もなく消失していた。
よほど怪我に精通していないと、傷があったかどうかもわからないだろう。
僕は更に魔力を練り上げる。そして、心臓に溜まった魔力を両手に分散させた。
「腕を出してください」
「お、おう・・・・」
彼は何かに気を取られていた様子だった。
まぁ、僕がこれから行おうとしていることは、教会でもできる人などいないという話だ。
つまり、両手を使った2か所の傷の同時治癒だ。
僕は左手を彼の腕に、右手を彼の肩口に置く。
回復魔法はすぐに効果をしめし、傷は両方共みるみるうちに治癒をはじめた。
大きな傷はこれで全部だ。
後は背中の鞭の痕と、全身の傷だ。
彼の背中に回り、傷を確認する。鞭の傷というのは初めて見るが、擦り傷と打撲が合わさったような傷だった。さすがに内出血をすぐに治療することはできないので表面の傷の治癒に専念する。
これもまた、指先の治療では間に合わないと思い、僕は掌に魔力を集めた。
背中に手をあてたとき、鬼人は軽く「うっ」とうめき声をあげた。彼の背中が緊張で収縮する。
やはり痛みがあるのだろう。だが、それも僕が掌を当てているうちに次第に和らいでいく。
僕が背中から手を放した時、彼の背中の傷はそのほとんどが消失していた。やや青緑色の部分は内出血の痕だろう。
残るは全身の切り傷・擦り傷だ。
この程度なら指先で十分だ。
僕は再び心臓に魔力を貯めこんだ。
――――――― ※ ――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
全ての傷の治癒を終え、アギリアは講義室を出て行った。
かかった時間はおよそ30分。
「さすがに、『神魔法』と称されるだけはあるか」
講師であるザイラルはそう呟いて、懐中時計から目を離した。
「それで、ダグ。お前はどう感じた?」
ザイラルはそう言って、治療を受けた鬼人へと視線を向ける。
彼はもう手枷も足枷もつけられてはいなかった。
わずかに痣になった手首をかばいながら胡坐をかき、ザイラルを見上げる。
「そうさな・・・俺を見ても対した動揺もしなかった。治癒魔法を使うのに躊躇いもなさそうだ。どうやら、教会のスパイというわけではなさそうだ」
「演じている可能性は?」
「ないな。回復魔法から嫌悪感は微塵も感じなかった」
ダグは深い声で流暢に喋りながら鎖を束にして持ち上げる。
「だが・・・あれは・・・『運が良かった』だけだな」
「ああ、まったくだ」
二人はそう言って講義室をあとにする。
誰もいなくなった講義室には傾いた太陽が夕陽となって差し込んでいた。