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幸せは猫とともに

 白いものの混じった髪をぴっしりと後ろに回した役員らしき面接官が、口を開いた。


「こんなことを面接のさなかに言うのも何だが、うん、君は、経歴や態度に関しても、なかなか良いね。縁があったら、是非うちで働いてもらい所だが……」

「ありがとうございます」


 お、このまま採用の流れ?

 俺は高鳴る胸の鼓動を抑えきれずに、前のめりになって頷いた。


「最後に、ちょっと変わった質問をさせてもらうよ。いいかな?」

「はい」


 俺は、姿勢を正す。これを切り抜ければ、きっと再就職確定だ。


「ええとね、君の配属された部署で、上司と部下でも、同僚同士でもいいですが、微妙な雰囲気の二人がいるとする。あなたなら、そんなとき、どうしますか?」

「そうですね……」


 協調性を見る質問だ。

 わかっている。

 社会人としてなら、唯々諾々と、波風を立てずに、なあなあと付き合うのが、最適解じゃないか。

 

 当然ながら、俺は答えた。


「二人に、本音で、本気でぶつかり合うようにサポートします」

「具体的には、どうやって?」

「声をかけます」

「どんな?」

「どんな言葉でもいいと思います。それがいかに不器用だって、意味の通らないことだっていいです。ただ声をかけるだけで……人は、一歩進むことができるのではないではないでしょうか?」


 うーん、と面接官が唸った。


「例えばそれが正しいとして、それでぶつかり合った二人の仲が、結果として険悪になってもいい、というのかな?」

「それでもかまわないと思います。本当に大切なことは、人の指示に従ってただ流されるより、自分自身を持つことです。そして、そこから生まれた絆は、きっと、かけがえのないものになると思います。その相手とわかり合えなくても、本当の自分をわかってくれる人が一人でもできれば、人は何とかなるものだと思います」

「ううん、そうですか……職場に波風を立ててまで、そうしたい、と。……少し理想論というか……若い人の考えのような気もしますがね」

「本当に、自分でもその通りだと思います」


 面接官は顎に指を当てると、再び考え込むような仕草をした。


「それは、仕事全般に対しても、そういうアプローチを採る、ということかな?」

「はい。確かに、社会人としては、未熟すぎる答えかも知れません。ただ、仕事や人生を、一人の自分のパートナーと見なしたとき、それが本気でぶつかり合える相手でなければ、自分を殺していくことになります。それは、結果的に――双方を傷つけ合い、侮辱し、お互いの価値を貶めていくことになります。ですから、今回の転職に関しまして、私はその点を譲るつもりはございません」


 うんうん、という態度で、面接官は頷いていたが、やがて履歴書を放るかのように机の上に投げた。


「ありがとございました。面接は以上です。結果は、追ってお知らせいたします」



(落ちたな)


 確信すると共に、俺はそう言い切れた自分自身に、妙にすがすがしい気持ちになって、「ありがとうございました」と、笑顔を浮かべた。


◆◇◆


 面接の帰り道。


「あー、落ちた落ちた。また良いとこさがすべ。負けるな、俺。負けるな元社畜」


 自虐的に言って、そのくだらなさに笑う。早咲きの桜が、その花びらを散らして、俺を包み込んだ。


「まあ、またコンビニでビールでも買って……おでんでもたべるかなあ……」


 そう、誰とはなしにぼやく。

 

 ――と、背後から、俺の足下を追い越していく影が見えた。

 その影は、そのまま俺に先行すると、唐突に振り返って、その場に座り込む。

 

 猫だ。

 灰色の毛皮の。

 ふさふさの。


「お? ……あ、あれ? お前……?」

「にゃあ」


 なんでだよ? 何でこいつがいる?

 死んだんじゃないの? 俺が魂の切り離しに無事に成功して、そのままこいつだけ、天に召されたんじゃないわけ?


 狼狽していると、続けて背中から、鈴を転がすような声がかけられる。


「……やっとみつけた。おじさん!」


 振り返ると、そこには、ややあどけない顔立ちながら、硬質の美貌を持った、見慣れた美少女の姿があった。

 俺は息を飲み……次いでその再会を、何でも無い風を装って、飄々と問いかけて見せた。


「……おまえ、こんなところで何をしているの? ストーカー?」

「変わらないなあ・・・・・・。前に私から会いに行った時と同じような事を言うんだね」


 そう言って、柊が相好を崩す。


「ししゃもが――この猫がね、付いてこいって。それで、ししゃもの後をずうっとついて歩いてきたんだけど、そしたら、あなたに会えたんだ」

「……って、やっぱりこいつししゃもか? なんで? 死んだんじゃないの?」


 柊は、目をパチパチとして小首をかしげた。


「う……ん、もう寿命だって、クリスマスに一時期危ない時期もあったんだけど……」

「あったんだけど?」

「うん、なんか、神様に、『ししゃもを死なせないで』って必死で願ってたら、急に調子が回復して……」


 ――は? 神に祈ったら? ししゃもが死ななかった?




 あまりにもチョロすぎるだろ! 神ぃぃぃぃぃ!!!!




 俺は身もだえして、神を糾弾する。

 そんな俺に不思議そうな顔をしたものの、後ろ手を組んだ柊は、上半身をかがめてこちらを下から覗き込んできた。


「でも、なんでそんなことをおじさんが知ってるの?」

「え? あ〜……あれだ。猫のこと、ちょっとかじったやつなら、猫の死相ってのがわかるんだよ。……今回は、外れたがな」

「――ふぅん、そんなものなのかな?」


 訝しげに、柊は眉を寄せる。


「そ、そんなもんだよ。はははっ!」


 背筋に季節はずれの汗をかきながら、俺は苦しい言い訳をする。

 が、その甲斐あってなんとか説得することに成功したようだ。

 柊は、若干首をひねりつつも、うんうん頷いている。


「ところでおじさん、今、仕事中かな?」

「……いや、現在、絶賛無職中なんだ。……とにかく、この足元にまとわりついてる猫をどうにかしてくれ。スーツに毛が付く」


 柊は小さく頬を膨らませて、ししゃもを抱き上げる。


「ししゃもは、幸運を運んでくれる猫なんだよ。おじさんの再就職にもご利益があるかも」

「……勘弁してくれ。猫という生き物には、大変な目に遭ってきてる人生なんだ」

「そう? 私には、たくさんの幸せを運んできてくれてるよ。……そう。たくさん、たくさん、話したいことがあったんだ。おじさん、無職だったら暇だね」


 なんか柊には酷い言われようをされたが、間違ってはいない。

 俺は肩をすくめて、軽口を叩いた。


「不本意ながらな。以前不登校ぎみだったJKと同じ立場になってる」


 柊は、その言葉に、嬉しそうに表情を崩すと、うりうりと肩を寄せてくる。


「それなら、現役JKとお話ししようぜー」


 だから、近いっつーの。ひっつくな。


「なにその『神』並みの理不尽さ」

「なんで神? バチ当たるよ」

「バチならもういやというほど当たってるよ」

「あはは、無職ニートの刑ってやつ?」

「ニートではない。就職活動やってるからな」


 俺は強調した。


「まあ、まあ。――でも、神様って、私信じるけどな。あなたはどう?」

「さあね。もしいるとしたら、今頃色々な人の少しばかりの幸せに貢献できるように、むりやり社畜を猫のように働かせてるかもな」

「なにそれ?」


 柊は呆れたように言い、ぷっと吹き出す。

 ――そんなあどけない仕草に、思わずドキリとしてしまったことは、俺だけの秘密だ。



 無くしたものは取り戻せないし、過ぎてしまった時間を巻き戻すこともできないけど。

 これからの時間とチャンスと偶然は、前を向いて歩きだした者に対して開かれている。

 きっと、そんな胸の奥底の確信を隠しながら、俺たちは生きていく。

 大人になっていく。


「まあ、何にせよ、未来は青春真っ盛りの若者にも、失業中のアラサーにも、平等に開かれているってこと」


 俺は肩をすくめておどけてみせると、柊の腕の中に収まった猫の頭をグリグリなでた。


「よう、久しぶりだな、ししゃも。お前とお前の周りの奴らは、今、幸せか?」


 俺の問い掛けに、ししゃもは誇らしげに、とても生意気な鳴き声をあげてみせた。



『もちろんだよ、おじさん。あなたを含めてね』





  ――『吾輩が、猫ですかっ?! ~幸せは猫とともに~」  了


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