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16 ゆかりに会いに

 そうして翌日、迎えたクリスマスイブ。

 乾燥した冷気が吐く息を凍らせる。

 ホワイトクリスマス、ということにはならなそうだが、十分すぎるほどの冷え込みを見せていた。


 柊の学校は、昨日からすでに休みに入っている。だからこそ昨日は『明智正五郎』として話すことができたのだが……今も、俺はししゃもの中に入っている明智正五郎として認識されているのだろうか? 神からは何の通告もないのだが……あの神、仕事してるのか怪しいしな。


 冬物のブレザーに着替え、コートを着込んだ柊は、黙々と道を歩む。

 行き先には、昨日電話を入れていたようだ。

 ゆかりの家には、意外なことに抵抗なく受け入れられたらしい。


「ししゃも……ごめん、ついてきてくれるよね。私の勇気を、背中を押してください」

 神妙な顔で俺に語りかけた柊の選択を、俺はもちろん最後まで見守るつもりだった。


 やがて、やや急勾配の坂とは反して垂直に立てられた、木造の小綺麗な家にたどり着いた。

 柊は、インターホンを押して、反応を待つ。


 ややあって、柔らかい女性の声が聞こえてきた。


「はい」

「あ、私、立花と言います。生前のゆかりさんと同じクラスで学ばせていただいていました。連絡を差し上げたと思うのですが」

「ああ、立花さんね。ちょっと待っててくださいね」


 それからパタパタと廊下を歩いているような足音に続いて、玄関のドアが開いた。

 柊が、慌てて頭を下げる。


「立花柊です。今回は突然押しかけてしまい、すみません」

「ゆかりの母です。あらあら、どうしましょう、こんなにかわいらしい娘なのね。どうぞ、上がっていただけるかしら」

「あ、はい。それと……」

「にゃあ」


 俺は存在をアピールし、ゆかり母の足下にまとわりつく。


「あらあら、可愛い猫さんね」

「あの……脚は拭きますので、一緒に上がってもよろしいでしょうか?』

「もちろん。何も問題は無いわ」


 母親は、そう言うと、コロコロと微笑んだ。


「それじゃ、ゆかりに会っていってくださいな。あの子、誰も来てくれなくて、本当にさみしがっているから」

「……はい」


 柊は、一つ決心したように頷くと、前を向いて、玄関の敷居をまたいだ。


◆◇◆


 線香の煙の染みついた部屋は、独特の良い香りに満たされている。

 畳敷きの部屋の隅には立派な仏壇が置かれ、その中央に、まだあどけなく、容姿としては十人並みの女の子が、学生服姿で笑顔を送っていた。


「お線香を上げさせていただいて、よろしいでしょうか?」

「もちろん。ゆかりも喜ぶと思うわ」


 柊はその言葉に、少しいぶかしげな表情を浮かべたが、線香を用意すると、それに火をつけて反対の手で仰いだ。火を消すと、それを供えて、おりんを鳴らす。


 そうして、手を合わせると、深く、深く遺影に頭を下げた。


「ありがとう、立花さん」

「いえ、こちらの台詞です。……でも、お母さん、ご存じのはずでしょう? 私がゆかりさんにしたこと……です」


 仏壇から席を立って、用意された座布団に座り直すと、柊はじっとゆかりの母を見つめた。

 ゆかりの母は何度も頷いて、軽く微笑んだ。


「あの子にはね、高校生まで生きてきて、『友達』と呼べる存在が、ほとんどできなかったの」

「…………」

「だから、逆に感謝しているのよ。あなたは、ゆかりのたった一人の友達だった。例え、それが、ひとときであってもね」

「でも……ゆかりさんは、私を恨んでいると思います」


 沈痛そうに、柊は俯く。

 しかし、ゆかりの母は、「うん」と頷くと、言葉をつなげた。


「そうかも知れない。ただね、あなたがいることは、ゆかりが生きていたことの証明に他ならない。あなたがゆかりを思い出してくれるなら、ゆかりは決して、生きてきて無意味だったことにはならないのよ」

「…………」

「ごめんなさいね、あなたには、とても重い重荷を背負わせているのかも知れない。私はあなたに、あの子の負の記憶を背負って生きて欲しいって言っているのだものね。とても残酷な要求を、今、私はしているのよ」

「…………はい」


 そこまで話すと、ゆかりの母は、そっと目尻を綺麗なハンカチで押さえた。


「私はあの子を死に追いやったあなたたちを決して許さない」

「……はい」


 柊が唇をかむ。


「でも、あなたは別。別なのよ、立花さん」

「――え?」


 驚愕の表情を浮かべる柊に、ゆかりの母は笑顔で答える。

 

「あなたのおかげで、あの子は生きることの痛み以外の感情を、例え一瞬でも得ることができたと思うの。あの子がね、言ってたの。『私、最底辺なのに、助けてくれる人がいる。人生はもっと真っ黒だと思ってた』って。最後の最後になっちゃったけど、あの子はちゃんと、『人を信じる』ことの素晴らしさに気づくことができた。ただ生きていても、そのことを知らない人生なんかより、よほど意味があるわ」

「……本当に、そう思うんですか?」

「まさか。そう言い聞かせているのよ。あの子が死んだとき、それは落ち込んだわ。だけど、それでも人は前を向いていかなきゃいけないこと、そして、人を許さなくてはいけないことに、ふと気づいたの。――だって」

「……だって?」

「それが青春ってものじゃない?」

「……そんな台詞、私ももらったことがあります」

「大人になるとね、誰でも言ってみたくなる台詞なの」


 ゆかりの母がいたずらっぽく笑い、柊も苦笑いで返す。

 柊は、大きく息を吸い込むと、息を吐きながら肩の力を抜いて、姿勢を正す。


「ここに来るまで、本当に遠回りしました。償える罪じゃないし、私の自己満足かもしれないけど……でも」

「……ええ」


 柊は、仏壇を振り返る。


「やっと、ゆかりさんと向き合う決心ができました。ごめんね、ゆかり。私はあなたにもっと向き合うべきだった。今更向き合おうとするなんて卑怯かも知れないけど、どうかあなたと向き合わせて。今まで、ずっと謝れなかったよね。許してなんて言えないけど、ごめんなさい」


 ゆかりの母は、何度も頷くと、柊にいたわりの声をかけた。


「ありがとう、立花さん」

「いいえ、すごく申し訳ないです。謝っても謝りきれないけど、お母さんにも、お詫びいたします」

「良いのよ……訃報なんだけどね、あなた以外のクラスメイトには送ってないの」

「……え?」

「つまりね、あの子が小学校以来、『友達だ』って言ってたのは、あなただけなのよ」

「――――」

「だから、いいの。あの子は、少なくとも……少しだけでも、救われていたのだから」

「……お母さん」

「なあに?」

「ごめんなさい。私……泣くべきなんでしょうけど、自分勝手で……卑怯で……自分が許されることばかり考えて、泣くことができないんです」

「ええ」

「……私は、本当にちっぽけな存在です。自分の保身を考えて、打算して、そのくせ向こう見ずで。そんな馬鹿で、汚い、どうしようもない――存在なん……です」

「ええ」

「……だから……でも、……こんな私でも、見守ってくれる人がいて……背中を押してくれる人がいて……彼らともっと早く出会えれば、ゆかりさんとも、きっと――!」


 柊は、最後まで言い切ることができなかった。

 静かに肩をふるわせ、嗚咽する。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 何度も何度も。

 自分の過去を、断罪するように。そして、今の自分を、決して否定しないように。


 なんだ。ししゃもの言うとおりだ。

 柊は、もうひとりで歩いて行っている。

 自分で考え、決心し、行動する。そして、それをなすために、周囲の人間がいてくれることを、感謝を、決して忘れない。

 当たり前だけど、とても大変なこと。

 でも、それができている奴なんて、年を食った『大人』にもいるかどうか。


 柊、やっぱりお前……すげぇよ。

 俺が高校の頃なんて、てんでガキだったぞ。


 だが今は、そんな自分を否定する気持ちを表に出さないように、俺はギュッと目をつむる。

 自殺したゆかりに同情することも、柊の心にトラウマを残した事について非難することも、俺の仕事じゃない。ただ、青春半ばで散っていったゆかりの無念に、せめて心のなかだけでも心を込めて、手を合わせることにした。


 柊が、自分を、今を肯定するのならば、俺も卑屈になることなく、今を迎え入れよう。


 だがそれは、社畜として、理不尽な現実を受け入れていた、過去の俺とは全く異なる。


 自分を騙すために肯定するのではなく、自分を信じるための肯定だ。


 そんな単純な答え。

 ただ、そこに行き着くまで、俺自身も長い回り道をしたものだ、と嘆息を漏らさずを得なかった。


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