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3 とはいえ、いきなり暗雲が立ち込めました。

(しーーしゃーーもーー!)


 実に恨みがましい目で、柊がこちらを睨んでくる。

 おお怖い。

 だが涙目で情けないことこの上ない顔なので、年甲斐もなく少し萌えてしまったことは秘密だ。


 これ以上、西沢を騒ぎ立てさせるわけにはいないと思ったのか、柊はインターホンの受話器に手をかける。受話器を握った手は、微かに震えていた。

 柊は、大きく深呼吸をすると、勢いに任せて受話器を取った。


「ちょっと、落ち着いて。違うから。私、生きてるから!」


 しばらく、返ってきたのは沈黙だけだった。

 やがて、西沢が力が抜かせて扉にもたれかかるような音が感知できた。

 心から安堵したような声が聞こえる。


「よ、よかったああ! 立花さん、冗談きついよ」

「じょ、冗談なんて、ついてないし! 成り行きだし! そもそも勝手に勘違い――」

「……ほんとだよぉ……やっと、やっと、応えてくれたあ……」

「……っ。人の家の前で騒ぎ立てるから……!」


 押し付けがましくもなく被された言葉に、柊が憎まれ口を叩く。


「ずっと心配だったんだよ。本当に家にいるのかとか、まかり間違えて、既に……とか、勘ぐっちゃったことすらあるもん。西沢美玲(みれい)だよ。一年の時一緒だった。覚えてる?」

「まあ、その……」


 渋るような柊の声に対して、西沢は嬉しくて仕方ないような声を出す。


「元気だった? もー、一度休んじゃうと登校しづらくなっちゃうのわかるけどさ、少し頑張ってみようよ。みんな待ってるよ」

「…………」

「先生も、無理しなくていいから、顔出し程度に学校寄れって。授業の遅れとかは、ちゃんと補習するからって言ってくれてるし……」

「用件」

「ん?」

「用件は……?」

「あ、ああ、今日も学校でプリント配られてね。それで私……」

「……どうせさ」

「ん?」

「……どうせ、『私、クラス委員だから』、でしょ?」

「……え?」


 ……は?

 あ、いや、やばい返しだ、これ。

 捻くれるなよ、柊。チャンス作ってやったんだから、自分で沼にハマるなよ?


「それは、そうなんだけど……」

「ほらね、結局は点数稼ぎ」


 狼狽したような西沢の声に、柊は、駄々っ子のように低い声を上げる。


「一年の頃からそうだったよね。いつも西沢はクラスのトップでさ。誰にでも優しくて、聞き分けがよくて。本当にいい子ちゃんで。なに? 変な同情心出して、ぼっちの引きこもり女にお情けでも与えてやろうと思った?」

「そこまで……いうわけ?」


 西沢はさすがに憤ったようだ。

 それはそうだよな。柊、お前だって折角のチャンスだってことはわかってるだろう?

 引きこもりなんて、大人になりきれてないガキのやることだと。

 そこから脱出する機会をなんでそれを無駄にする?

 俺の苦労はどうなるんだ?

 俺の将来は?

 柊の言葉は腹が立つくらい馬鹿野郎の言い草だと思った。


 ――しかし。

 俺がイライラしながら振り返ると、柊は肩を震わせて唇をきつく噛み、目蓋を真っ赤にしていた。


「……人なんて、信じられるもんか」


 柊の様子に、怒りの矛先が雲散霧消し、俺はマヌケ面でぽかんと口を開けた。

 かろうじてインターホンを通じた柊の言葉に、西沢の重々しい溜息が重なる。


「……立花さん、たしかに、言いたいことはわかる。去年、あんなことがあったもんね」

「……」

「私だって、忘れてないよ。でも、乗り越えなきゃいけないことってないかな? 私もね、あの時は本当に打ちのめされたけど、その時お母さんが言ってくれたの。『人生には乗り越えられない困難もあるかもしれない。でも、それを乗り越えていくのも人生なんだ』って」


 去年? 去年何かあったのか?

 それにしても西沢。何だその分かったようなわからないような教えは。

 乗り越えられんもんは乗り越えられんだろう。

 それを乗り越えろっていうのは紛れもない社畜産業の精神論だぞ。

 あんたのお母さん、偉そうだけど、なんか違うぞ。

 でもまあ、慰めようとしていることはわからんでも……。


「なにそれ全然わからない」


 だーーーかーーーらーーー、ひいらぎーーーー!!!


 お前さ、友達に、仮にもひきこもりに声かけてくれる貴重な人間を無碍にしすぎだろ?

 なんなの? お前、ハリネズミの生まれ変わりなの? ショーペンハウアーの信者か何かなの? 気持ちはわかるけど一発論破しちゃって良いわけ?


「そっか、ごめん……」


 気落ちした声色で西沢が応え、その気配が扉から遠ざかっていくのがわかった。


 ――――やばいやばいやばい!!!


 俺は焦りに頭を高速回転させていた。

 これは非常にまずいぞ。柊のライフラインが、学校へとつなぐ唯一の接点が今、蜘蛛の糸が切れるように途絶えようとしている。『その事実』イコール、俺が生涯、猫畜生として生きていくことを余儀なくされることを意味するのだ。

 そんな未来を認めるわけにはいかない。


 とにもかくにも、ここで西沢を返してしまったらアウトだ!

 俺は矢も盾も止まらず、玄関脇の通路に面した部屋に入る。前足でサッシドアをスライドさせ、外に続く通路にジャンプする。玄関口から続く廊下を後にする際には、もちろん、浅はかすぎる柊にジト目を送ってくることを忘れなかった。

 ………だが、その時見た光景に――床に女の子座りで体を落とし、顔を覆って静かに泣いている柊を見て――俺はまたも怒りの矛先を失い、少し後悔すら覚えた。

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