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15 吾輩は、猫である。

 そうして、その夜のことだ。

 ししゃもに戻った俺は、柊の言っていた言葉を頼りに、柊の机の一番上の引き出しを不器用な猫の手で何とか引き出そうとしていた。

 椅子に座ったまま身を乗り出して、ノートやら雑貨やら入っているその引き出しを、前足でごそごそ。


「何の音……? ししゃも……?」


 ちょうど風呂上がりの柊が、俺の姿を認めて、驚いた声を出す。


「な、何やってるの、ししゃも……どうしてそんなこと……? 何がしたいの?」


 俺がしたいこと。決まっている。

 探しているのは、一枚のはがきだ。


「ししゃも……? あなた……?」


 俺の双眼は、ようやく目的のものを見つけた。

 爪を立てると、器用にそのはがきをすくい上げて、端を口に咥える。


 そのまま、柊の前に椅子から飛び降りて、そのはがきを口から離し、前足でずずいっと柊の方に差し出した。

 それを見て、柊の黒目がちな瞳が、大きく見開かれる。


「ししゃも……あなた、本当にししゃも……なの? あなた、本当に……猫……なの?」


 最近では、個人情報の観点から、クラスの住所録が作られることは少なくなっているということで、疎遠なクラスメイトがどこに住んでいるのか、それを知る術はない。

 俺が子供だった頃に比べ、どんどん『友達』の存在が希薄になっていく社会のシステム。

 しかし、このはがきには、間違いなく、彼女の連絡先が書かれているはずだ。


 俺が差し出した一枚の手紙。

 それは、ゆかりの死を伝える、訃報の手紙だった。



◆◇◆


『貴様、本気か?』

「ああ。頼む、神。もう一度、俺を『ししゃも』に戻してくれ」

『このまま人間に戻ることもできるのだぞ? 何故そのような頼みをする』

「わからない。ただ、このままじゃ、いけないんだ。柊のためだけじゃない。それは、きっと俺にとっても、そうなんだ」

『理解しかねるな。貴様は何より、猫から人間に、社畜に戻りたがっていたではないか。それがいまさら、「猫にしてくれ」というのか? 貴様は馬鹿か?』

「ああ、自分でも馬鹿だと思うよ。でも、俺はそんな馬鹿になることすらできない人生を選んでいた大馬鹿野郎だ。だから――これはやり直しなんだ。馬鹿なことを、馬鹿だと思っても、やってみる。そんな冒険をするなんて、俺には考えもつかないことだった……だけど、それが必要であるならば……たとえそれが最善の答えではなくとも、最後まであがいてみることに価値があるんじゃないか? ……少なくとも、今の俺には、そう思えてならない」

『呆れたな。お前が「ししゃも」でいる時間が長いほど……ししゃもの死期が近づくに従って、「魂の切り離し」は難しくなる。一番最初に「ししゃも」から「明智正五郎」に戻ったときのことを覚えているか?』

「ああ。それが?」

『あのときは初めてししゃもから明智に戻るために、一日間の時間を要したのだぞ? 同様に、これからししゃもの身体に戻ったとして、一日でししゃもから抜け出して明智正五郎に戻れるとは限らない。そうなると、貴様の運命は、ししゃもと共に、死ぬことになる――その可能性は、決して低くない』

「……それでも、だ」

『何がお前にそうさせる?』

「俺自身が、だよ。俺は今まで、なにより自分自身から逃げ続けてきた。それを、柊が、柊達が教えてくれた。俺は、もう逃げたくない。逃げ出すことは賢いかも知れないが、正しくはないときもある。それが、自分を騙しているときは特にだ。たしかにな、正しいことが最善とは限らない。そう思っていた。だけどな、結局……自分を騙した答えばかりしてると、たとえ生きていても、それは死んでいると同じことなんだよ。青臭い青春の――ガキ共を見て、俺も、何かの答えにたどり着けるように、もがきたくなったんだ」

『馬鹿だな、貴様は。はじめにあったときから、大馬鹿者だ』

「返す言葉もねぇよ」

『だが、面白くはある。その命を賭けた選択、聞き届けてやろう。猫になったままでお前が最後に何ができるか、最後まであがいてみると良い』

「ああ、ありがとうな――神。初めてまともな会話ができたような気がするわ」

『私はいつでも本気だが?』

「なら、なおさら質がわりいよ。――俺を『ししゃも』にしてくれ」


◆◇◆


「ししゃも……あなたは……私に、ゆかりの所に行けというの?」

「にゃあ」

「でも、今更謝っても……」

「にゃあ」

「確かに、あの人が言っていたとおり、そうしないと、前に進めないのかも知れない。でも……あ……」


 柊は、形の良い眉を寄せて俺の顔をのぞき込むと、驚愕の顔で首をかしげた。


「おじさん……? ししゃもじゃない……。あなた、おじさんなの……?」

「…………」


 俺は何も言い返さない。

 「『ししゃも』が『明智正五郎』であると感づかれたら、『一生猫のまま』 」。

 そのルールは、いまだ生きていると思う。

 だが、そんな危険を冒してでも、俺は柊に前を向いて欲しかった。


 俺は前に、柊自身のお節介を『救世主願望メサイア・コンプレックスと呼んだ。

 それは本物じゃない。困っている人が困難を乗り越えるのを見て、自己満足に浸りたいだけなのだと。


 でも、それでも良かった。今は、柊に、柊の人生とまっすぐに向かい合って欲しかった。

 それを見届けることで、力を貸すことで、俺はなにがしかの答えを見つけられる気がしていたのだ。


「おじさん……?」

「にゃあ」

「私に、ゆかりに会いに行けというの? そう言いたいんだね」

「にゃあ」


 俺は、肯定した。

 柊はしばらく目をつむって、下を向いていたが、やがて顔を上げると、俺の頭を優しく、愛情を込めて、軽くなぞった。


「わかったよ。私、ゆかりに……会いに行く」

「にゃん」


 うん、それでいい。

 

 まあ、これで俺はずっと猫の――ししゃものままなんだろうな。

 でも、最後の最後で、俺は『生きられた』。

 後悔はしても、胸を張って自分の人生を受け入れられる。


 ――いや、最後の瞬間には、俺はそのことを決して後悔なんか、きっとしないだろう。

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