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8 これだから犬畜生は度しがたい

 それから2日ほど経つが、結局西沢は柊たちとカフェテリアで合流することはなくなっていた。


「美玲、大丈夫かな。お昼はどこに行ってるんだろう……」

「教室にもいなかったしな」

「まあ、食べようと思えば、どこででもぼっち飯はできるけど。僕は旧校舎の屋上を使っていたくらいなんだから」


 若しくは以前のようにクラスのトップカーストに返り咲いて、かつての友達と一緒に食を一緒にしたり、行動を共にしているのかも知れないと思ったが、柊たちの会話を聞く限り、世の中はそんなにスイーツにはできていないようだ。

 いったん広まった黒い噂は、現実の足を執拗に引っ張る。

 一度失敗すると、容易には這い上がれない。それが人生というものなのだから。


「でも、以前の友達に相手にされないからって、私たちのグループに戻ってくるほど美玲はプライド低くないような気もするのよね。自分が手を差し伸べるときは、スクールカーストとか、そんなのなんか気にしないくせに……馬鹿なんだから」

「……違うな。トップカーストにいるときは、逆に余裕があるから、カーストを気にせずにいられるんだよ」


 佐々木がぶっきらぼうに言う。

 その通りかも知れない。人は余裕があって初めて人に手を差し伸べられるし、人に寛容になれる。逆説的にカースト下位に落とされたものは人と交わることを『ステータス』として強く意識してしまうが故に、カースト上位・下位にこだわり、人の輪に入っていけず、孤立するのだ。

 西沢は、今、カースト下位に落とされた苦しみを、そう捉えているのだろうか? またカースト上位に返り咲きたいと? そのためには、柊たちが手を差し伸べても、その手をはねのけなければいけないだろう。

 

 西沢の性格なら、そんなことはしない。

 そう言い切れるほど、思春期のカースト意識は単純ではないのだろうと思う。

落ちたからこそ、気づいてしまう闇がある。闇に気づくと、闇に捕らわれ、闇の中でもがくと、闇に沈んでいく。

 その悪魔のサイクルに、西沢が陥らないとは、誰にも保証できない。

 少なくとも、今の西沢が孤立しているのは確かなのだから。


「待つ……しかないのかな……なんか偉そうだね、私」


 柊がため息をつくと、佐々木は腕を組み、槻谷は頭を人差し指でコリコリ掻いた。

 いるべきものが一人欠けただけの食卓は、何故か人一人では埋められないほどの寂寥感を押し込めていて。冷たく、重い空気がただ、カフェテリアのその一角に(よど)んでいた。


◆◇◆


「ししゃも……結局、美玲とは話せないままね……」

「みゅう」


 落ち込みながら帰途につく柊に並んで歩きながら、俺は相槌の声を上げた。

 とりあえず、西沢のことも心配だが、俺の目下の課題は「柊のトラウマを解消すること」なんだよな。それができなかったら、ししゃもと一緒に、俺は死ぬ。

 可及的速やかに『試練』を乗り越えなくてはならない立場にいるわけだ。

 まったく、あのクソ神め。食えない奴ではあるが、憎めない奴ではない(・・・・)

 むしろ大いに憎んでいる。

 悪態をつきながらも、しかし、一方で考えるのは、何はともあれ、柊のトラウマと今回のケースは重なっているということ。

 今まで経験してきたのと同じように、西沢の問題は柊の問題にオーバーラップしているのではないか、という予感。

 希望的観測かも知れない。だが、タイムリミットが10日を切った今は、その希望にすがりつく以外、俺に未来は残されていないのだ。


「ねぇ……ししゃも……」

「みゅう」


 柊は、胸に拳を当て、一言一言を一生懸命頑張って押し出すように、話し始めた。


「去年ね、うちのクラスでいじめがあったの」

「みゅ……?」


 柊が、ゆっくりと過去を話し始めた。

 どこで繋がっているのかは把握できなかったが、今回の西沢の境遇が、柊のトラウマを触発するものだったのなら。

 俺の勘は、見事に当たっていたのかも知れない。


「いじめは良くない、そう言って、私はいじめられっ子、ゆかりを助けた。ううん、助けようとした」

「…………みゅう」

「まえにもいったかな? そしたらね、私がいじめられるようになった。よくある話だよね。でも……」

「…………」


 柊は、大切なものを吐きだそうとしているのか、大きく息を吸い込んだ。


「……でも、いじめられる役が交代したとき、ゆかりは私をいじめる側の人間として、あいつらの中に、当然のように取り込まれていた。……だから、私は人を信じられなくなった……」

「みゅう……」


 うん、そこまでは知っている。もしかして、それがトラウマなのだろうか? でも、それなら、柊のトラウマは西沢と関わるようになって、すでに解消されているのではないだろうか?


「でも、それから、また……私は人間の醜さを知ることになった」

「…………?」

「私をいじめる側にゆかりが立てたのは、一瞬のことだったのかも知れない。しょせん弱者は弱者なんだよね。世間は、そこから抜け出そうとする人間を、決して見逃そうとはしない。それで……」

「…………!」


 そうか。そうなのだ。

 トラウマがいじめられっ子を救ったら、逆にいじめられるようになった、その程度のことなら、とうにそれは解消されている。


 だが、それなら、何で『ゆかりは死んだ』んだ!?

 どうして『柊が殺した』という文脈にまで繋がるんだ?

 それがわからない限り、トラウマの解消に手を貸そうにも、貸せる手立てがない。

 うかつすぎた。

 俺は自らの愚かさを呪った。


「あは……吐き出しちゃってるね。黒いなあ、私も……」

「みゃあ」


 いいのだ、もっと吐き出しても、いいんだ。

 俺はそう、促す。

 するとそれが伝わったのか、柊はひとつ、俺に頷き返した。

 

 ここからが、柊の話の本番。柊の過去と直面することに、俺は気を引き締めた。


◆◇◆


 柊は、意を決したように顔を上げた。


「それでね、ししゃも……」

「みゅ……」


 ――しかし次の瞬間、俺は超絶的な危機感を感じ取ることになる。

 まさに、「……ゃあ」と泣き終えるか否か瞬間の出来事だった。


「ハッッッッ! ハッッッッ! ハッッッッ! ばう! ばう!」

「ごめんなさーい! その子を捕まえてください!」


 こちらに爆走してくるシェパードと、手を離れた長いリードに、なんとか追いつこうとしている飼い主らしきメガネの女性。


 ちょ、まて。この犬野郎、尻尾を振りながらまっすぐこっちへ向かってるぞ?

 ターゲット、俺?

 

 いやいやいや、何でこうやって、重要なタイミングでこういう邪魔が入るの?

 誰かの悪意としか思えないんですけど! 十中八九というか、100%、あの神の差し金のような気がするのは、俺の心が曇っているからなんですか!? ちくしょう!


「だめ!」

 

 突然の出来事にフリーズしている俺の前に立ち、いち早く行動に出た柊は両手を広げる。

 少し足を震わせながらも、柊は必死にシェパードを通せんぼしようとする。

 それから、焦って裏返り気味な声で、俺に命令した。


「ししゃも逃げて! はやく!」


 女の子の影に隠れるというのは男の矜恃に反するが、今の俺は男じゃない。

 オスだ。

 か弱き一匹の猫なのだ。

 『試練』達成に、またしても邪魔が入ったことに歯がみしつつ――そう、猫のくせに、俺は「脱兎のごとく」その危機から全力で逃げた。


「あ、だ、だめ! だめだって!」


 後ろで、柊の狼狽する声が聞こえる。

 ちらりと振り返ると、シェパードは柊に軽くタックルをかまして、その隙に柊の堤防をすり抜けたところだった。

 そして、ちぎれんばかりに尻尾を振りつつ、そのまま俺を追いかけてくる。

 

 ……やばいぞ、これ! 洒落にならない!

 俺は道を右に左に駆け回る。

 今、どこを走っているのかなんてわからない。そのとき、俺はとにかく、タイムリミット以前に命の危険にさらされ、生きることに粉骨砕身していた。

 

 そしてとうとう、大型のシェパードには入り込めない、小さな隙間的な路地に入り込んだ。


「ばうっ! ばうっ!」


 首を突っ込むようにして、こちらを見据えるシェパード。

 

 ぜーーーーはーーーーーー。

 ぜ、ぜぇぜぇ……わ、わは、わはは……負け犬の遠吠えか。馬鹿犬め。


 半ばヤケになって勝ち誇る。

 いや、もう体力限界。たとえ物語の冒頭で激怒しても、ここまで走るアラサーって言うのは、そうそういないだろう。メロスはアラサーじゃないか。


 まあ、当面の危機は去った。

 とはいえ、元来た道を塞がれた俺は、ため息混じりに、隙間路地を前進する。

 どこをどう走ってきたのかは、まるで覚えていない。でも、とりあえず前進するしか選択肢がないんだよな。


 路地を出ると、そこは異世界ではないものの、やはり見知らぬ町並み。


 さてどうしたものかと、流石に心細くなって道の脇にしゃがみこむ。


「みゅううう……」


 つい、哀れっぽい嘆き声を上げてしまう。

 しょうが無いじゃない。男の子だって、不安になったら泣き言くらい言うよ。男女平等。不幸は男女共に、平等に背負うべきだと思う!

 

 ……はあ、ここ、どこだろう?

 犬と同様に、猫にも帰巣本能はあるということだが、それは個体差が激しいと聞きかじったことがある。少なくとも、俺は今どこにいるか見当もつかない。

 

 俺、ここからお家帰れないよ? どうすんの?

 

 前足で顔を洗って、ヒゲレーダーの感度を上げてみようと試みる。

 それも、イマイチ効果らしきものは体感できない。

 

 ふと、ズキンと後ろ右足が痛んだ。

 首を巡らせてみてみると、どこで引っ掛けたか、わずかばかりの切り傷を負っており、毛皮にぽつんと血の染みが滲んでいた。

 

 ずきん、ずきん。

 意識すると、とたんに痛くなる。

 ああ、ついてない。詰んだな、これ。

 軽く舐めてみると、さびた鉄の匂いが口の中いっぱいに広がり、思わず顔を顰めた。

 絶望に、再び物悲しい声がこぼれ出る。


 ――その時の出来事だった。


「あ、あれ……、柊の……?」


 聞き覚えのある女子の声。振り返ると、そこにはやや明るいセミロングの髪の、楚々とした風情。

 告白しかけた柊といい、あの馬鹿犬といい、今日は何かと偶然に出くわす日のようだな。


「ししゃもくん……」

「みゅう」


 すがるような声を上げると、西沢の目が見開かれた。


「……あ。……怪我してるんだね」


 そのとおり、手負いの獣のどうも私です。

 

 まあ、偶然とはいえ、西沢に出会えたのは渡りに船だ。彼女の現状も、やはり把握しておきたいものだしな。

 頭の中のコンピューターをフル回転させながら、スマートな答えに行き着く。うん、これだ。

 俺は「助けてアピール」のために、西沢の足にまとわりつくことにした。ひたすら哀れっぽい声を上げ、じっと西沢の顔を見つめる。これぞ最適解。


「みゅう……」


 なにはともあれ。

 ごめんなさい。恥も外聞も捨てます。助けてください。

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