3 予兆
佐々木と仲が良くなってから、柊は再テストのための勉強をカフェテラスで一緒にやるようになった。俺はといえば、テーブルを挟んで椅子に座る二人の足下あたりに、ちょこんと尻を下ろしている。
いうまでもないが柊は元不登校児。学業のブランクがあったわけで、再テストになることもまあ理解できる。そして佐々木はといえば……よく言えばバスケができない身体になったトラウマからか、それとも元がそれなりだったのか……ハンデ期間のあった柊の方が勉強を教えているところを見ると、何か後者のような気もするが、とにもかくにも放課後はちょこちょこと共に時間を過ごすことが多い。
しばらく教科書とノートを矯めつ眇めつした後、柊は口を開いた。
「ねえ、なんか最近さ。嫌な感じがしない? うちのクラスとか」
「は? 嫌な感じ? 俺、友達いねーし。お前もいねーだろ? なんでわかるんだ?」
「いや、まあ、そうなんだけどね。……はっきり言っちゃうよ。美玲のことなんだ」
「ああ……」
佐々木はツンツン立った髪をガリガリと掻いた。
美玲を取り巻く、周囲の空気が、最近微妙になっている。
それは別段気遣いが巧いものが感じるような特別なものではなく、どちらかと言えばそういう空気に疎い佐々木ですら気づくようなことだった。
曰く、最近、クラスの外れもの達と仲良くしている。
曰く、皆にいい顔をしているが、実は点数稼ぎの腹黒女である。
曰く、バスケ部のイケメンに色目を使っている。
曰く、母親が若い男を連れて歩いているのが見かけられた。
「例えば私達と付き合っていることとか、実際にその通りで、申し訳ないこともある。だけど、その大部分は聞いていて気持ちの良くない憶測の混じった悪口だよ」
柊は静かな怒りを湛えながら、そう低い声で訴えた。
「まあ、お前の気持ちもわからないでもないけどな。だからといって、下手に動くと、西沢のためにならないと思うぜ」
柊の話や、先日猫耳パラボラアンテナで捉えたところなどによると、どうも西沢はクラスで孤立しそうな方向にシフトして行っているらしい。
柊は「んー」と唸ると、続けて「無力だ」とがっくり肩を落とした。
「ねえ、佐々木君」
「なんだよ」
「助けてあげたい人がいたとして、どうして欲しいか聞いてもいいものなのかな? 佐々木くんの時はどうだった?」
「そう聞いているお前は、ずかずかと俺の領域に踏み込んできたと思うんだが」
「そういうのひっくるめてだよ。やっぱり迷惑だった?」
「そりゃまあ、迷惑だった。さらに言うとウザかった」
「ショックだなあ……友達の縁切ろうか?」
「ばっか。切りたい縁なら最初から願い下げだって言うの。確かにウザかったよ。でも……一人で悩んでいたら、今こうして馬鹿話している自分自身なんて、想像すらできなかったからな」
「それって良いこと?」
「どうだかな」
佐々木は少し照れたように眉を上げて、ごまかし気味に腕を組む。
「でもまあ、俺の場合ははともかく、人に聞かれたくないことでも、実際に聞いてもらうことで、少しだけでも救われることあるよな」
「あ、それ、少しわかる」
「なんでそのところが『少し』なのかがわからねぇんだよなあ……」
そりゃそうだよな。佐々木は、柊のお節介で、深く自分の内面を聞いてもらうことで前を向くことができたのだから。
話を聴いていた当人がそれを自覚していないのは質が悪すぎる。
「まあ……」
佐々木が釈然としない顔をしながらも、俺の頭をぽんとたたいて言葉を濁す。
「……誰にでも、『話をする』って言うことが大切なのかもな。たとえば、それが猫だとしても、少しは救われることもある」
「……あ」
柊は、驚いたように佐々木を見やる。
「そう! そうなんだよね、ししゃもでもいいし……ししゃもっぽい人に話しても、自分の中で考えがどんどん整理されて、背中を押されている感じになるときもある」
「『ししゃもっぽい人』って言うのが謎すぎる。人面犬の類いかよ」
「あ……あはは、それは、まあ……」
柊ははにかんだようにうつむいて、鼻の頭を掻いた。
俺のことを話すのがそんなに後ろめたいのか、ちくしょう。
そもそも俺って「ししゃもっぽい人」って言う認識なのな。ダブルでショックだわ。
いや、これが恋愛対象とかなら、もっと困るんだが。あり得ないか。
佐々木は俺の耳たぶをウリウリとつまむ。
やめろ、俺の耳で遊ぶな。いや、俺も人間の時やったけどな。あれを嫌がる猫の気持ちが今ようやくわかったわ。
俺は佐々木の煩わしい手に前足パンチをして軽くなぎ払った。
「っていうか、いつも思うんだが、ここに猫がいていいもんなのか?」
それに答える柊は、あっけらかんとしたものだ。
「ししゃもは妙に頭いいから。見咎めるような誰か来たら、隠れると思う」
「……天才かよ、この猫? それにしても、端から見たら、かなりシュールな光景だぜ?」
「まあ、ね……」
柊はシャーペンを手のひらの上で器用に回した。
「それはそれとして。んー、そっか。それで美玲との友達関係にヒビが入るんじゃないかとか、心配してたけど、そんな娘じゃないもんね。こんなことを考えて、一番美玲の心を貶めていたは、私の方だったかもしれない。心読めないな、私……凹むなあ……」
柊はため続けていた黒いわだかまりと共にか、大きく重いため息をつく。
そんな柊の様子を見て、佐々木は眉を顰めてみせた。
心なしか、顔がわずかばかり紅潮し、呼吸音が高くなった気がする。
「そ、そんなことないと思うぜ?」
「えー? だってさ……」
「世の中には、お節介で救われてる奴だっているんだ。俺だって、お前に……」
「――私?」
きょとんとして首をかしげる柊に、苦虫をかみつぶした顔で佐々木が横を向いた。
「な、なんでもねーよ!」
その顔は、夕日に照らされたように真っ赤で。
そんな光景を見せつけられているこちらの方が赤面してしまうほどだった。
なんとまあ、わかりやすいことで。青春ってやつ、なんだろうな。
……何はともあれ、試練に関しては進展なし。
というか、どうすればいいわけ、今回の試練って? 『トラウマを解消する』とか、言うのは簡単だけど、全然具体性ないからね?
どうすんの? もう?




