2 最後の試練
師走の慌ただしい雰囲気が街を騒々しく染め上げる頃。
いつものように、マンガでよくある、「結界」を張ったときにできるような日常にありながら異質な空間の中で、俺は神の声と対峙することになった。
『お待ちかねの試練たーいむ♪』
「あー、無駄に高いテンションとかいいから。たしか、最後の試練になるんだったよな」
『そんなことを話した記憶はございません』
「いや言ってたろ? そこら辺は曖昧にしちゃいけないからな?」
『全て秘書が言ったこととはいえ、私の監督不行き届きを深刻に受け止めています』
「どっかの政治家かよ! 秘書じゃなかったからね! あきらかにお前自身だから! そもそも神に秘書っているの?」
『些末なことは気にするな』
「気にするわ! これが最後の試練になるかどうかの瀬戸際なんだからな」
『そんなに人間に未練があるのか、卑しいやつめ』
「いや、なんかおかしいからね、お前の論法? 人間に戻ることを願って、何がいけないの?」
『人間に戻るなら良い。だが、貴様が戻るのは、しょせんが「社畜」という「畜生」だ。今と何の変わりがある?』
「それは……」
『同じ畜生なら、今の体の方がはるかにホワイトだろう。やったね! 三食昼寝つき! まっさらホワイトな環境だよ!』
「残念ながら、冗談に付き合う気分じゃないんだ。それでも戻りたいんだよ、俺は。確かに俺は、人間の尊厳が奪われていたのかも知れない。本当に、畜生として扱われてたんだと思う。でもな、だからこそ、また人間に戻りたいんだ」
『なにか、思うところがあるようだな』
「まだ、言葉にもできない『何か』だがな」
『ふむ……日々仕事に追われ、それだけが人生だった貴様だが、なかなかどうして……今までの闇雲に戻りたいのとは、また違った感じを受ける』
「まあ、な。それで? 今回の試練は?」
『うむ、最後の試練だがな』
「ああ」
『教えてやらない』
「だから、何でお前はそういう大事なところで威厳を落とすの? おかしいからね? 今のシリアスな流れで、そういうのいらないから!」
『柊のトラウマを解決しよう』
「は?」
『柊のトラウマを解決しよう』
「へ? それが、試練?」
『そういってるではないか』
「え? また無茶ぶりすぎる。柊のトラウマとか知らないんだが。ゆかりとかいうやつのこと? そもそも、柊は今、だいたい幸せにやってるよ? わざわざトラウマを引っ張り出してやぶ蛇にするとか、鬼の所業じゃない? 思い出さなくていい過去だって、あるんじゃないか?」
『やけに柊のことを心配するな。貴様は「試練」を淡々とこなして人間に戻れれば、柊のことは知ったことではなかったのではないのか?』
「それは……今も変わらないさ。俺は、人間に戻れれば、ガキどもの青春など、どうなろうとかまわない。だが、今回の『試練』は……今までとは明らかに違う。『今』を、前に進んでいくことじゃなくて、過去の傷口をえぐり出すことに、そんな残酷なことに、無頓着でいられるかよ」
『どうなろうとかまわないと言いながら、色々考えているようではないか。馬鹿な奴め』
「ああ、馬鹿だと思うよ。でもな、俺は仮にも大人だからわかるんだ。青春のあれこれで迷うのはいい。ただ、過去を漁り、再び自分を傷つけることに、意味を見いだせというのか? 俺自身が信じていないことを、柊に押しつけるのか?」
『ふむ?』
「『今』が良いというのは、本当に大切なことだと思う。それに、人は『今』を生きることで精一杯で、それが、大人になると言うことだと思う。人間は、それでいい。トラウマなんて、わざわざ掘り返す必要は無いんだ」
『今回は、やけに食い下がるではないか』
「意味が見いだせないからな」
『今までは、「試練」に意味を見いだしていたのか?』
「いや、まったく。たださ。なんというか……柊が手に入れてきた、『今』を壊してしまいたくはない……そう思うんだ」
意外なことに、神がため息をついたような感じがした。
『それこそたしかに「今は」、な――大切なことだ。だが、それでは貴様に課せられた「使命」を達成することはできんのだ』
「『使命』? 『試練』とはまた違うやつか? どう違うの?」
『すぐにわかる』
「……あー、まあ、わかったよ。了解。それで、今回の期限は?」
『そ、そんなこと、長い付き合いなんだから、察してくれてもいいじゃない!』
「なんでいきなりツンデレ? いや、察しろとか、無理だから! お前とは絶対わかり合えないから!」
『今回のタイムリミットは』
「お、おう、それな。いつもハラハラさせられるんだよ。今回も、ちゃんと言っておいてくれ」
『前回、残された時間は少ないと言ったはずだ』
「ああ、まあ確かに。そんなこと言っていたっけ?」
『今回のタイムリミットは』
「おう、タイムリミットは?」
『二週間後。ししゃもが死ぬ、十二月二十五日の深夜までにだ』
「…………は?」
俺は思わず、間抜けすぎる声を上げてしまった。