7 佐々木と柊
翌日、俺は人間のままである自分を想像していたが、ちゃっかり体はししゃものそれに戻っていた。クソ、神の野郎め。
最も今日は人間でいるほうがディスアドバンテージかも知れない。
タイムリミットまであと二日。次の休みまでもあと二日だ。
柊の出す答えを見守るためにも、近くにいられる存在になれるのはむしろありがたいかも知れない。
柊はというと、やはりバスケ部エースの政宗のことなど見向きもしないかのように、いつものように屋外コートに足を運ぶ。
なんだよ、もう心積もりは決まっているんじゃねぇか。哀れ政宗、君の咬ませ犬ぶりはしっかり見届けた。
柊は、やや傾斜のある芝生に体育座りをし、フェンス越しにコートを見守る佐々木の姿を見つけると、その背中をぽん、と叩いた。
「よっ」
「……おう」
佐々木は先日までの柊を邪険にする態度をやや改めたのか、突っけんどんではあるが、素直に挨拶を受け入れる。
柊が座っている佐々木の隣に並んで立ち、その隣に俺はちょこんと尻をつけた。
「美玲がね……クラス委員の西沢、わかるよね? まあ、とにかくうるさいの。優良株かバスケ部のエースだかなんだか知らないけど、なんていうか私、イケメン好みじゃないのよね」
「そうか……」
じろりと柊を睨めつけて、佐々木は興味なさそうにつぶやく。
「……うん。まあ、友達としてはいいやつなんだよ、美玲って」
柊は少しはにかんだような顔をして下を向く。
「美玲には感謝してる。私の事を思っていてくれてるのが分かるから」
「ふん」
「……でも、クラスの子の中には勘違いでゲスのような考え巡らす奴もいるんだよね。美玲がバスケ部のエースに粉かけてる、調子乗ってる、みたいなことを耳にすることもあるくらい。勝手に勘違いしてレッテル張りして、勝手に人を貶める奴らもいるんだって最近思い知らされてる」
「……そんなヤツら、ぶん殴れよ」
「うん……でも、美玲はそれでもやめないんだよ。私のためにと思ったことをしてくれる。それが嬉しくてね」
「類友だな。お前みたいだ」
「は? 私?」
柊は目を丸くする。
佐々木は失言してしまったことを悔いるように、いつものように舌打ちした。
「西沢が大切なやつなら、お前も大切にすべきなんじゃねーの? それを邪魔するクズは殴ってやれよ」
「そっか、そうだよね。怒るべきだよね。友達のためだもん」
そこまでボソリとつぶやいて、「あ」と声を漏らす。
「そっか、美玲も同じふうに思ってくれてるのかな……? だから、こんなに強引に……私のクラスカーストを上げるようなことを……だとしたら悪いことしてるなあ、私」
「クソくだらねぇな。悪いと思うなら、謝れば?」
「ま、謝るべきなんだろうけどね。なんか変じゃない」
「まあ、な」
「うん……」
下を向いた柊を一瞥すると、佐々木はやや居心地が悪そうに体を正面に向き直す。
「でもよ、バスケ部のエースさんもまんざらじゃないんだろ? 実際、付き合ってみればお似合いかもしれねぇよ、お前ら。知らんけど」
「なんか、トゲのある言い方だね。政宗くんの事、嫌いなの?」
「別に。ただ、女って、みんな政宗政宗うるせえからよ」
「政宗くんがイケメンだから? もてはやされるのが男として気に食わない?」
「そうだよ、悪い?」
「んー、そうかなあ……」
柊は腰のあたりで後ろ手を組むと、靴先でコツコツと地面を叩いた。
「ホントはそうじゃないでしょ? 政宗くんはあなたが断念せざるを得なかったバスケットの……そう、『自分に成り代わったバスケ部のエース』がもてはやされるのが気に食わないのよ」
「……」
ふと、歪んだ顔で佐々木は柊を見上げた。
その視線を叱り受け止めると、柊は言葉を続ける。
「……だからバスケのことを気にしないであなたと関わっていた私が、『バスケ部のエース』に迫られていた時、咄嗟に間に入ってくれた。本当に何も思うところがなかったら、あなたの性格なら男女が何しようと、無視していたはずだと思う」
「……さあな」
「まあ、勝手な推測です。でも、その推測通りだったら、私、あなたのこと嫌いじゃないよ」
佐々木は眉を顰める。
「だけどさ」
「ん?」
「……出来損ないのポンコツより、輝いているスポーツマンの方が、価値があるだろ? お前だって、きっとそう思っている」
「それは、井上がそうだったから?」
「……何かと直球すぎるんだよ、お前」
柊は拗ねたように言う佐々木に、「あはは」と笑ってみせた。
「少なくとも私は、あなたがポンコツだなんて思っていないよ。あがいてるって、それだけ努力してるってことだもの。最近になるまで、そんな簡単なことにも気づけなかったけどね」
「……」
「だからさ。大切なものに執着するんじゃなくて、大切なものをそのまま大切にしようよ。『バスケをやってない俺はダメだ』じゃなくて、『俺はバスケが好きなんだ』って。そうすれば、後悔とか未練とかにくっついている妬みや恨みに目を奪われることはなくなる。少なくとも距離は置けるでしょう?」
「偉そうなこと言ってくれるじゃねぇか」
「……そうだね、ごめん」
佐々木は立ち上がると、フェンスを越えて落ちていた、汚れで黒くくすんだテニスボールを取り上げる。
小さなそれを、バスケットボールに見立て、胸に抱えると、右へ左へと体をスライドさせた。
「さあ、佐々木選手、ボールを受け取りました。そのまま華麗なドリブルでディフェンスを一枚……二枚、……かわしていく! そして、ゴール右45度の位置から、シュー……」
そこまで実況解説してシュートの体制を取ろうとすると、苦悶の表情を浮かべて右肩を押さえた。
「つッ……!」
佐々木の手を離れたテニスボールが、てんてん、と、フェンス側に転がっていく。
「ダメだな、やっぱり腕があがらねぇ」
一筋の脂汗を流して、へへっっと、柊に振り向く。
「完璧で無二のバスケマシーンは、もういないよな」
「……」
佐々木は、大きなため息を吐く。
「おまえさ、結局そんな口を叩きながら、政宗とデートするんだろ? あいつ、お前にかなり入れ込んでるって噂だぜ?」
「ん……。鈴木くんはともあれ、美玲の気持ちが嬉しいんだけどね……」
柊は困ったような顔をして、転がったテニスボールを取りに行く。
「でも……私、いつも成功してる人より、人としての弱さを知っている人とか、面倒くさいやつに惚れるタイプ……かな?」
そうして、手にしたテニスボールを、佐々木の手を取って握らせた。
「唯一無二のバスケマシーンはいなくなったかもしれない。ただ、佐々木くん、君という唯一無二の存在は、ここに確かにいるよ。好きだったもの、諦めなきゃいけなかったこと、そういう面倒くさいことをひっくるめて、君は立ち上がるべきなんだよ。まだ自分の中で終わらないことに、お別れをすべきなんだと思うよ」
その言葉に、一瞬佐々木は見とれたように柊の横顔を覗き込み、
「……ハッ」
乱暴に吐き捨てる。
「もっとも、これは私自身に言ってる言葉なんだけどね。『どんな人間にも、面白いところの一つや二つはあるもんだ、それが自分の好みに合うかどうかが違うだけ』ってね」
「なんだよ、それ」
「わけわからない言葉だけど、面白いでしょ? 少なくともその基準で見れば、私はあなたのことも面白いと思ってるよ?」
「くっだらねぇ……」
佐々木はぷいっと横に顔を向ける。
だが、顔に淡く種が差しているのは隠せない。
俺の目は、佐々木の『デレ』を敏感に感じ取った。
いいぞ、なんかしらんけどこの二人、すごくいい感じになっている!
「そ、そんならさ……」
よし、そうだ佐々木!
いけ佐々木! 柊、結構お前のこと好きっぽいぞ? 男は度胸! ここで決めろ!
佐々木は赤く色づいた頬をポリポリ掻きながら、ぶっきらぼうに言った。
「……なんつーか、明日の日曜、空いてるか?」
そうデートの誘いを受けた柊も、まんざらではない表情で、清々しい笑みを浮かべた。
「うーん、それは即答できないけど……そうだね、気が向いたらね」
そう言って後ろに手を回して腰を折ると、「べっ」と舌を出した。
や、やったああああ! やるじゃん柊、佐々木!
若者って素晴らしい! 青春万歳だよ!
カップル成立イコール、俺イコール猫回避!
何とかかんとか、今回の試練も無事クリアだぜ!
俺は思わず心の中で天に唾を吐き、ガッツポーズを繰り出していた。
神ざまあ。俺はやったぜ!
――そう、信じ込んでいたのだ。
タイムリミットが明日に迫った、その時までは。