6 アラサー、JKの恋愛相談に乗る
タイムリミット三日前に突入する深夜の夢。
いつものごとく、爽快なまでに能天気な声が脳に直接聴こえてくる。
『待ちに待った人間戻りチャーンス!』
「なんだよ、いつも突然だが、今回はタイミングも脈絡もなくやってきやがったな」
『貴様にチャンスをやろう』
「チャンス? 何企んでやがる?」
『柊がバスケ部のエースをとるかロクデナシをとるかの助言を与えるチャンス』
「あー、いや、その話ならもういいっすよ。いいじゃん佐々木で。柊、政宗のことキモいって言ってたし」
『あんなロクデナシでいいというのか?』
「いや、柊もあいつの方が良さそうな感じだし。少し変な方向に突っ走ってるけど、いい雰囲気にはなってるぞ」
『言い忘れたが』
「なんだよ」
『柊が不幸になったら、貴様は一生猫のまま』
「理不尽すぎる!」
『そもそもが、柊がロクデナシを選んだら、今日を含めたあと三日で柊にデートをさせることができるのか?』
「ぐ、痛いところを……」
『そんな貴様に柊を勧誘するチャンスをくれてやろうというのだ』
「勧誘とか、かどわかすわけじゃないからね? そもそも、明日平日じゃん、どうやって人間の姿で会えばいいわけ?」
『柊は、毎日のように、放課後には『あの公園』に足を運んでいるではないか? ……よもや貴様、その理由すらわからないというのか?』
「なん……だって? 意味はあるのかと思っていたが……それは一体何だというんだ?」
『知りたいか?』
「――ああ」
『バカめ、こちらが知りたいくらいだ!』
「なんなんだよ、結局お前も知らないんじゃねぇか!」
『そんなわけで、なんとか頑張って柊にデートをさせてやってくれ』
「あ〜、はいはい、頑張りますよ。それにしても、本当に都合よく人間に戻したり猫にしたり……くそ……」
『残りの三日間、ししゃものままのほうがいいか?』
「ごめんなさい、人間の体に戻してください」
『それでは明智よ。目を覚ますが良い。チート能力がいろいろ付加された人間に体に』
「ご都合主義のチート能力つけられるほどの力があるなら、俺に試練なんかさせる意味ないと思うんだよなぁ……」
そんなボヤキを呟くと、周囲の暖かい暗闇に、光が差してきた。
◇◇◇
放課後の時刻を待って、『あの公園』のあのベンチの端に座っていると、柊が姿を現す。
ししゃもは連れてきておらず、俺の姿に気づくと、一瞬びっくりしたような顔になり、ついで相好を崩し、最後につんけんしたように口を尖らせる。顔芸の忙しいやつだ。
「ひさしぶり、おじさん。私のこと、覚えてる?」
「クラスメイトの自殺を止めたJKだろ? 印象強すぎて、忘れるほうが難しいよ」
「私が止めたというよりおじさんが止めたんじゃない」
「それについては忘れた」
俺が肩をすくめると、柊はベンチの俺とは反対側の端に座り――思い直したように立ち上がると、ベンチの真ん中まで移動して腰を下ろした。
前にあった時よりは心を許してくれているということだろうか? なんにせよ、佐々木か政宗にけしかける影響力を持った立ち位置になれているといえるかもしれないことに、俺は胸をなでおろした。
「おじさん」
「なんだよ」
「今日休み?」
「休職中」
「求職? ニート?」
「漢字がちげぇよ。こう見えて社畜だ。現在ぶっ倒れて休暇中」
「ふーん、大人って大変なんだ」
「まあ、押し並べて大人は大変なもんだ。子供も子供なりに大変なもんだとは思うがな」
そう答えると、柊は目をぱちくりした。少し興味深そうな、いたずらっぽい笑みを浮かべて唇に人差し指を置く。
「やっぱりおじさんだ」
「おじさんといっても、まだ27だぞ? まあ、おっさんだが」
「そういう意味じゃないよ。面白い大人だなって思ってるの」
「よく知ってみれば、人間なんてたいてい、面白いところのひとつやふたつあるもんだ。それが自分の趣向合うかどうかでしかない」
「なら、おじさんは私の好みのストライクゾーンだよ」
「は? どこが?」
「学校の男子より、包容力があって、理解力があるもん。なんか落ち着く」
「そりゃどうも」
「……それに、大人のくせに、特におじさんの場合はね……」
「なんだ?」
「どことなく捻くれてる。芸人みたいで話してて面白い」
「お、おう……」
いや、なんか甘い会話っぽいけど、27で女子高生とか、そういう選択肢ないから。
中高生の頃は大人になってからJKと……? という、いわゆる『妄想劇』だな、そういうのは考えたことあるが、実際にこの年になると、若さというのは価値というよりも壁になってくるんだよな。実際こいつら、何考えて生きているかわからないし。
柊は足をブラブラさせながら、視線を地面に泳がせた。
「おじさん。ちょっと、自慢めいたこと言っていい?」
「自慢? この前と比べて、リア充に近づきでもしたか?」
「そうかもしれない。相談だよ。受け付けてるんでしょ、若者相談?」
「……俺も若いけどな。実際はおっさんではない」
「お兄さんって呼んだほうがいい?」
「やめろ、背筋に虫が這う」
柊はプッと吹き出し、ベンチに両手を着くと、淡い笑顔になって前を見据える。
「なんか、私今ね、バスケ部のエースとデートするか、ちょっと気になる奴と付き合うか、選択を迫られているというか。そんな贅沢な悩みを抱える乙女なんだ」
「いいご身分じゃないか。何を悩む?」
「んー……? そう……だよね」
「いいんじゃないの? 青春だわ。俺の黒歴史とは対称的」
「どんな黒歴史だったか、興味ある」
「俺の右手に封印されし黒炎龍を解放しようとするな」
「なんとなく想像付いたよ」
柊は軽く苦笑し、「あのね」と繋げる。
「今度の休み、どちらかの誘い……一人は本気で誘っているかどうかわからないんだけど? まあ、デートといいますか? 一緒に出かけることになるのかな?」
「なんで疑問系がそんなに多いわけ? 自分の行動をいちいち懐疑しなきゃいけないわけ? 何お前、カントなの?」
「カントって誰だっけ?」
「なんか難しいこと考えた哲学者だよ。哲学者だから難しいこと考えたのかもしれないけどな」
まあ、高校生なら、カントくらい知っておけ。戯言紛れに俺は毒づく。年齢、つまり常識の壁って、こういうところで出てくるんだよな。だから、年の差というのはフィクションなどで見るより、ずっと難しい問題なんだよ。
俺は続ける。
「どんな奴らなんだ、そのエースと、気になるやつって」
「バスケ部のエースの方はね、女子の人気があって、優しくて今時のイケメン。ちょっと圧は感じるけど、悪い人……というわけではないみたい」
「なんか引っかかる言い方だな」
「ぶっちゃけちゃうと、出来過ぎててキモい」
なるほど、政宗は出来過ぎてて、それを自覚した上で異性と接してるところあるもんな。そういうところは確かに気持ち悪いかも知れない。ナルシシズムというか。
「もうひとりの方は?」
軽く振ってみると、柊は少し神妙な顔つきになって、押し黙った。
「バスケをやっていた……奴だった。今はできなくなっちゃったみたいだけどね。目つきも態度も悪くて、あなた、どこの不良さん? どこで壊れたの、オーふれんず? って感じ」
「レベッカとかなんかとてつもなく古いネタをさらりとぶっ込んできやがったな。流石に俺でもスルーするところだったぞ」
「お母さんが好きなんだよ、レベッカ」
「まあ、俺も親族の影響で知っていただけだがな。で、そいつに興味はあるの? ぶっちゃけ、あるから悩んでるんだろ?」
「んー……まあ、そうなんだけどね。……なんかそいつ、悩んでるんだよ。少し前の……ううん、今の私と同じ。自分の大切なもの、信念を奪い取られて、ポッキリ折れそうなんだよ。だから、あまりに痛々しくて、それを見てると……」
柊はそこまで言って、自分のやや薄い胸に拳を当てた。
「ここがね、きゅっと締め付けられるの。変だよね」
柊、それって、恋っていうのかもしれない。
――そういうふうに、他のやつらなら言うだろうな。
だが違う、柊、それは恋じゃねえよ。いずれ恋に発展するかもしれないが、お前は自らの心の痛みと向き合う代わりに、他の奴が自分自身と向き合う姿を見ていたいだけなんだ。
『ししゃも』として、お前のことを一番近くで見てきた俺だから、断言できる。
お前はチキンだ。そして、他人が強くなるその過程で、自分が頼られることで、自分が必要とされることで、自分の罪を覆い隠し、自分の価値を感じられるようになりたいんだ。
――自分には何もないが、ただ、『優しさ』がある。人の幸せは、自分の幸せなんだ。
欺瞞だ。人生には金では買えない大切なもの――心とか、真理とか言うものがあるのだと。
かなり前に流行った自己啓発セミナーに集まり、そのアイデンティティを保とうとするがために、洗脳された若者たちがいかに多かったか。
「私さ……どちらを選べばいいのかな? そもそも、恋しているかどうかもわからないのに、デートなんてするものなの? 大人の意見を聞かせて」
俺は肩をすくめ、首を振った。
柊の感情が押し付けがましい『優しさ』であろうが、本当の恋でなかろうが、はっきり言って俺には関係がない。
お前が後3日以内に『デート』をしないと、問答無用で俺は猫として生きなけりゃいけない。
つまりだ、好きでなくてもなんでもいいから、デートしろ。俺のために。
そのためのひと押しなら、俺がしてやる。
「さあね、知らんよ。だが、デートしてみて分かることもある。だから、どっちとデートしてもいいんじゃねーの?」
「とりあえずどちらでもいいからデートしてみろって? ひどいな、これ、私の人生の初デートだよ?」
「初めては好きな人とっていう希望は確かにわかるんだがなあ……まあ、人っていうのは付き合ってみてはじめてわかるものだっていうこと。外面も、内面もな。だから、おっさんとしては、性の乱れとかクソみたいなこと言ってないで、若者はどんどんデートすべきなんだよ。それで、自分と合う異性を見つけようとする方が、よっぽど健全だ」
「そんなもんかなあ……純愛とか、柄にもなく憧れるけど」
「残念ながら、そんなもんさ。だいたいが、恋って、打算とか妥協とか全てひっくるめた上で、感情に従ってするものだろ?」
「よくわからないよ」
柊は形の良い眉根を寄せて、頭一つ下の位置から俺を覗き込む。
おれは「はっ」と両手をややわざとらしく広げて見せた。
「大人になるとな、『好き』だけでは一緒にいられないってことに気づくんだ。現実がどんどん見えてきて、相手のイヤのなところも受け入れて、それでもやっていけないようじゃ、長くは続かない。もちろんそれは性格であるとか容姿だけじゃないぞ? 収入も、家族関係もひっくるめた上でのことだ。試行錯誤なんだよ、大人もな」
毎日の仕事に追われ、彼女いない歴がどころか女性と接する機会すら奪われていた社畜の俺がよく言ったもんだ。
まあ、実家のオカンには「あんたの友達、結婚したんでしょ? あんたにもいい人がいればねぇ……その結婚した男友達の奥さんつながりで女の人を紹介してもらったらどうかしら?」などと屈辱のプレッシャーをうけ、油汗を流すくらい肩身の狭い思いをしているのが俺なわけだが
俺は頭を振って、雑念を振り切った。
そして、柊のほうを向くと、ややぎこちないが、爽やかな笑顔を作って言う。
「でもな、そんな面倒くさいことは、結局は大人になってから知ればいい。だからさ、よく言うように、大事なのはひとつだけなんだよ」
「ひとつ?」
柊は興味……いや、疑惑の瞳で俺を眺めやる。
なんだよ、俺なりに精一杯清々しさを演出してやったのに。やっぱ、キモかった?
まあ、ここはハッタリだ。勢いで畳み掛けよう。
じぃぃっとこちらの一挙手一投足を見守る柊に、俺は自分の胸を拳でトントンと叩いてみせる。
「迷ったら、ここに聴け。若者の答えっていうのは、それでいいんだよ」
我ながら臭いな、と思いつつ、俺は曖昧な笑顔で、複雑な表情の柊に応える。
「それが、恋ってもんだろ? たぶんな」




