5 本当のこと
放課後、柊と俺はいつものように佐々木が毎日時間を潰しているコートに向かった。
コートには、以前述べたように体育館裏を通っていかなければいけないのだが……どうもこういう時に限って、目的ではない人間にエンカウントする率が高いよな、俺。
体育館の壁に背をもたれ掛からせて、サラサラヘアのバスケ部エース、政宗が、組んでいた腕を解いて、片手をあげる。
「ちょっと、女子の噂話を聞いたんだ。柊さんが、よく屋外コートに足を運んでるようだって」
「どこ情報なの? あそこのコート外は人がほとんど通らないし、その情報網は怖すぎる」
「まあ、女の子はそういうのに敏感なのかもしれないね。昨日の今日でなんだけど、柊さんは佐々木狙いなの? 俺に、チャンスはないのかな?」
「いえ、別にあなたのことを嫌いとかではないんだけど……」
「俺以上に、佐々木に夢中?」
政宗は柊との距離を詰めると、ゆっくり顔を近づけていきながら、囁くように言う。
「君みたいな女の子、久しぶりなんだ。媚びなくて可愛くて……ちょっと俺、心が傾きかけてるかもしれないな」
「ちょ……近いよ、顔」
そう言いつつ、柊は顔を紅潮させて凍りついたままだ。
恐らく恥ずかしいのもあるのだろうが、俺から見るに、異性慣れしていない柊は、蛇に睨まれたカエルのように恐怖を押し殺しているに違いない。コミュ障だしな。よく見ると肩がふるふる震えている。
「俺のこと、嫌い……?」
「だから、そうじゃ……」
「なら、好き……?」
「ちょ、ちょっと、まって! やりすぎ……」
「大丈夫。気持ちに正直になれば……」
「そいつ、嫌がってるじゃねぇか。政宗、ちょっと控えろよ」
柊が硬直しつつも声を荒げると、不意にぶっきらぼうな声がかかった。
政宗は声のした方向を見ると、不快そうに顔を歪めた。
「なんだよ、佐々木。べつに俺は無理強いはしてねぇぞ?」
「強引なんだよ。そいつ、つい最近まで引きこもりだった奴だぞ。どう見ても男慣れしてねぇ。手加減してやれよ」
政宗は一瞬、心底腹立たしそうな顔をしたが、大きく息をついて肩をすくめると、柊に申し訳なさそうに謝罪した。
「ごめん、柊さん、ちょっと調子に乗りすぎたみたいだ。今度の休みのデート、楽しみにしてるから」
そう言って、政宗は屋内体育館へと歩を進めていった。
「邪魔したか? お前もまんざらじゃなかったみたいだったけどな」
「……ありがと。お礼は言っておく」
柊はボソリというと、訝しげな表情になって言った。
「でも、なんであなたがこんなところに? 屋外コートの方から来たっていうのがわからない。逆方向から来たなら、まだわかるけど」
「ああ、そりゃそうだ。俺はお前を探していたからな」
「探していた?」
「ああ、お前のことを思い出したら、なんか腹が立ってきてな。見つけ出して文句を言いたかったんだ」
「はあ?」
柊は首をかしげる。
「お前、俺に同情してるだろ? ウザいんだよそういうの。それが言いたかった」
「……はあ」
「おおかた、俺がバスケなんかに未練が残ってると思いこんでいるようだがな。とんだ勘違いだ。そんなふうに思われるのいらつくし。今もイライラしてる」
「……そんなに説得力のない発言も珍しいね。毎日毎日、コートを眺めてるのに」
「とにかく、そうなんだよ。お前、クール決めてるけど、なんか暑苦しい。俺のテリトリーに入ってくんなよ」
「同情してないといえば嘘になるけどね。前言ったとおり、自分のためだよ」
「だから、それがわからねぇんだよ」
忌々しそうに、佐々木は舌打ちする。
柊は、ふうっと息を吐くと、俺を抱き上げた。
「全部聞いた」
「はあ?」
「例えば喧嘩は、あなたが吹っかけたんじゃない。うちの学校のクズたちに絡まれたんでしょ? 『一方的に殴られた』なんて言ってるけど、証人があいつら自身だもん。そんなの、詐欺師を信頼するようなものだよ。だいいち、故障して手負いのあなたが、喧嘩なんかできるの?」
「…………」
「井上は同じバスケ部の人に取られたんでしょ? 悔しいよね。バスケをやってない自分と比べられたんじゃないかって思うの、当然だよ」
「……しつこく付きまとったのは事実だ」
柊は卑屈になる佐々木を包み込むようにため息をつく。
「それは本当みたいね」
「…………」
「バスケは、好き?」
真摯に見つめる柊に一瞬、怒りを込めた視線を返したが、佐々木はふっと息を吐いて自分を諌めた。
「……腕が肩の高さ以上に上がらねえんだ」
「…………」
「試合中、無理なチャージングで突っかかってきた奴がいてさ。ジャンプしてディフェンスした俺と空中衝突。……そんなワンプレイで、俺の選手生命は絶たれたんだ」
「…………」
「これでも、バスケ部ではホープだったんだぜ? 政宗なんかより、俺のほうが全然実力は上なんだ」
佐々木は肩をすくめる。
「進行形」
「は?」
「進行形で言うんだね、『俺のほうが実力は上なんだ』って。あなたにとって、バスケは『だった』なんて、過去形じゃないんだよ」
「……細かいな」
「リハビリとか、できないの?」
「無理だよ」
佐々木は、吐き捨てるように言う。
コイツの未練の持ち具合からして、リハビリが辛いから逃げ出す、というのは考えづらい。おそらくは、医学的に引導を渡されたのだろう。
佐々木は自嘲するように頭を振る。
「本当に変わってるよな、お前」
「よく言われる」
「俺な……バスケやってた時は、毎日が充実してた。こんな奴じゃなかった。こんなクソみたいなやつじゃなかったんだ」
「あんた、自分のことを糞だなんて思ってるの?」
「……うるせえよ、クソなのは同じだろ、引きこもり女」
「ひどい言われようね。最近そういうふうに言われたのは、あなたで二度目」
柊は苦笑する。槻谷との事を言っているのだろう。
「改めて聞くけど……井上に付きまとったのは、なんで?」
「一方的に振られたからだよ」
「……納得できなかったから?」
「そうだよ。ああ、バスケができなくなった故障品を、あいつは捨てたんだ。結局、バスケマシーンだった俺から、バスケを取り上げたら、クソみたいな残りカスってわけだ」
「……そう」
「素っ気なく言いやがって。なんだよ、お前も俺を馬鹿にしてんのか?」
「してない。全部がなくなってなんかない。ちゃんと残ってるじゃない。あなたは、今、ここにいる。昔持ってたものをなくした気持ちは辛いだろうけど、それは自分を否定する言い訳にはならないよ」
「あ?」
「私に同じような事を言ってくれた人がいるの。あの時は『間違いを犯すことは間違いじゃない。そうして一つ一つ学んでいくんだ』って言ってたけどね」
柊は、心から可笑しそうな笑みを見せる。
「『それが青春っていうものだろ』、だったかな?」
佐々木は呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。
それから困惑した顔で舌打ちすると、皮肉っぽい笑みを浮かべてみせた。
「政宗じゃないけどよ……それなら、その『青春』とやらを知っているお前が慰めてくれるか? 何もかもなくしたオレの女になって、慰めてくれる?」
「ばかじゃん?」
「はっ! そうだろうな。結局……半端な優しさ見せてんじゃねぇよ」
柊は自棄になっている佐々木を軽くいなすように肩をすくめた。
「優しさ? そんなんじゃないよ。あなたには少し興味がわいただけ。自分を痛めつける人を見ると、少し前の自分自身を見てるみたいで放っておけないんだ」
「……なら、今度の休みは政宗じゃなくて俺と付きあえよ。バスケだけじゃなく男としても、政宗より上だぜ?」
「……考えとくわ」
柊は苦笑して首を振ると、「べっ」と舌を出して見せた。