4 屋上にて 1
猫になってからというもの、物事は常に唐突に起こるようになった。
……とはいえ、唐突すぎるんだよ、あのガキ!
俺は思わず神と少年に悪態をつく。いや、今までの経験上、神とやらにはいくら悪態をついてもいいと思うんだが、今はそれ以上にあの少年に怒りに似た思いすら覚えていた。
旧校舎屋上あたりから一人の人影が背の低いフェンス越しに、こちら、つまり地面を覗き込んでいた。
距離があり、その姿から人物を特定することはできないが、心当たりはある。むしろありすぎる。
たしかに自殺すら仄めかしていたけど……俺が学校に来るようになって数日だぞ?
何このいきなりバッドエンドのフラグバリバリの展開?
神様はいないの? いや、まあ、いるけどあんな奴だもんな……。
まったく、槻谷のバカ野郎が! 俺は吐き捨てた。
久々に、というわけでもないが、流石に俺でも焦るさ。
人の命なんか軽い。羽毛布団を買う値段よりも安く魂を切り売りして、自決していった社畜なんて、枚挙に暇がないくらいだから。
だけどさ。
俺の目の前で飛び降りなんてするなよ。
何より寝覚めが悪い。PTSDになっちゃう。
社畜というのは、過酷な労働をくぐり抜けているとはいえ、基本豆腐メンタルだ。
豆腐メンタル故に、残業も休日出勤も断れないのだ。
そこら辺、あの少年はわかっているのだろうか?
今直接屋上に駆け上っても、所詮は猫の身。身投げを制止する力があるとは思えない。
ならば、頼るべき人間は一人だけだ。
俺は猫とはいえ「脱兎のごとく」目指すところへ向かう。
旧校舎裏を抜けて、芝の敷かれた敷地内に。そして、今日もぼっち飯な、そいつを視界に收める。
「あ、ししゃも……どうしたの、そんなに慌て……」
言葉を言い切る前に、俺は大きくジャンプすると、柊が胸辺りに抱えていた、弁当袋を前足で薙払う。そして、そのまま空中で、噛み付くようにキャッチした。
そのまま弁当箱を咥え、柊を振り返ると、駆け足で旧校舎へと向かう。もちろん、その間、何回も振り返って、柊を促すことを忘れない。
「ししゃも……何……? なにかあったの?」
柊もただ事ではない雰囲気を感じ取って、駆け足で追ってきた。
そして、旧校舎裏にたどり着いた時、俺が見上げた視線をなぞり、屋上に目をやると、口を押さえて息を呑み込む。
「大変……あいつ……?」
俺と柊は、木造の旧校舎の入口を見つけると、そのまま階段に向かい、駆け上がっていった。
「馬鹿なんだから! 早まったことを……!」
柊が沈痛な声を発する。
先行する俺は、旧校舎の四階、屋上に続くと思われる踊り場までたどり着いた。
――と。
階段からは死角になったところに、女生徒の姿があった。壊れているらしい開け放しの扉の影に隠れるように、屋上をチラチラ伺っている。突然そんな人物の後ろ姿が眼前に立ちふさがり、俺はひどく面食らった。
俺より遅れて、柊が階段を駆け上がってくる音がする。
それを聞き付けて、その人物が振り返った。
「ひやああう?」
昨日の柊と同じように、音を立てずに駆け上ってきた俺を視界に収め、その女生徒は飛び上がった。
「な、ななな? ししゃもくん?」
「ししゃも、待って……はあ、はあ……あれ?」
屋上に向かう階段を上りきり、膝に手をついて息を整えながら、柊が顔だけを上げ、女生徒を睨む。
「に……しざわ……はあはあ……何やって……るの、あんた……」
「え、えーと? なんで立花さんが?」
「質……問に答えなさいよ。屋上で……はあ……何やってたの?」
「そ、その……槻谷が見えた……から……」
「…………?」
柊は息を整えることに専念して、しばらくして、大きく息をついた。
「槻谷が……? やっぱり、あんたじゃなかったんだ?」
「わ、私も、屋上に影が見えたから、てっきり……」
「槻谷は、自殺するんじゃなかったの?」
「あ、ああ、そういうんじゃないみたいよ?」
その言葉を聞いて、どっと疲れが押し寄せてくる。
柊もそれは同じだったようだ。安心したような、呆れたような、ため息を吐く。
全く、冗談キツイぜ。俺は苦虫を噛み潰す。
……ん?
でも、なんで西沢は旧校舎に何の用があって、槻谷を見つけられたんだ?
そう首をひねっていると、
「誰か、いるのか!?」
槻谷少年の、鋭い誰何の声が響いた。